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 CELESTIAL SONG / 〜Ocean Blue〜

いつも、サウスウィンドウに買い出しに行くのはビクトールの役目だ。
年の割に、大柄で力持ちで、長男だから。
「ビクトール、ディジーちゃんとこにも、もってけるだけ買って来るんだよ!」
母親の声を背にして、今日も早朝に出発する。
「言われなくたって、わかってら!」
いつも通りの返事を返しながら。
ここらでは、もっとも物の集まるサウスウィンドウまでの往復を一日で済ませようとしたら、健脚のビクトールでも、かなりはやく発たなくてはならない。
まだ、日も昇らないノースウィンドウの門を出る。
「ったく、いちいち言われなくたって、わかってんだよ」
ぶちぶちと文句を言いながら、歩く。
ディジーとは、ビクトールの家の隣りに住む幼馴染みだ。
一歳年上なのをいいことに、姉気取りなのである。
まぁ、彼女も多産の家の長女だから、そういう性格にならざるをえないところもあるのだろうが、それにしてもめっぽう気が強いときてる。
母親が病気がちで、家のことを仕切らなくてはならないのも、彼女の気の強さに拍車をかけている、と思われるが。
なんにしろ、口では勝てない相手だ。
ずっと隣りだったこともあり、家ぐるみの付き合いなので、ビクトールの母親も、なにかとディジーの家のことを気にかけている。
見舞いにもよくいってるらしい。
なんか、いつも顔を合わせてるのが当たり前な関係だ。
「まったく、ほんと、かわいげないよなぁ」
全く歯が立たないのが悔しくて、そんなことをつぶやいてみる。



あれだけ早朝に立ったというのに、帰りついたのはやっぱり夜だ。
わかってはいるのだが、みんな寝静まってて、迎えがないっていうのはちょっと寂しい。
今日も、もう明かりの消えている家に向かって、つかれた足を引きずってると、だ。
玄関前の大木の影に誰かが突っ立っている。
「…………?」
相手は、こちらには気がついていない様子で空を見上げている。
あまり寂しそうに佇んでいたので、それがディジーだと気付くのに、たっぷり三十秒はかかった。
月を見上げている、今にも泣きそうな顔。
今まで見たことの無い顔が、そこにある。
ビクトールは、歩くのをやめてそのまま見つめてしまう。
いまにも、壊れそうな少女に、かける言葉が見つからなくて。
でも、このまま見つめつづけているわけにも行かない。
すうっと息をすって、今来たばかりの顔つきをつくって、それから言った。
「お、珍しい、お迎えがいるなんて」
「?!」
驚いた顔でこちらをむいたディジーは、いつもの憎まれ口を叩くかわりに、ちょっと微笑んで見せた。
「おかえり、遅かったんだね」
「サウスウィンドウに行ったときは、いつもこんなもんだぜ?」
いつもと違う反応に戸惑いつつも、まともに答える。
「そうだったけ」
いつもと、違うやさしくて、壊れそうな笑顔。
「なんか、あったのか?」
「なにもないよ?」
嘘だ、いまにも泣きそうじゃないか。
でも、そう言うだけの勇気は無くて、ふざけている口調で言ってしまう。
「俺に会いたかったんだろ〜?」
「……そうかも」
あんまり、素直に答えが返ってきて、どう返していいかわから無くなってしまう。
「おふくろさんに、なにか?」
思いつくことがそれくらいしかなくて、気の効いたことも思いつかなくて、そんなことを尋ねる。
「ううん、大丈夫だよ」
ディジーは、首を横に振った。
「大丈夫だけど……」
うつむいた彼女の目に、涙がみるみるうちに浮かんでくる。耐えるように唇をかみ締めていたが、 やがて、小さい声でぽつり、と言った。
「…………あと、三ヶ月、もてばいいって……」
「っ!」
そうか、今日は医者の検診の日だったのだ。家族の代表として、彼女にいつもすべてが告げられる。
そして、今日告げられたことは、あまりにも酷かった。
少女がうけとめるには。
でも、彼女は家族の代表として、それを気丈に受け止めて見せたに違いない。
泣きたいのを、必死でこらえながら。
たぶん、まだ家族には、小さな兄弟たちには、告げていないのだろう。
誰もが、忘れているのではないか?彼女もまだ、少女であることを?
「ディジー」
いまや、彼女の顔は、涙でくしゃくしゃになりつつあった。
「ご、ごめん……誰にも言わないって思ったんだけど…………だけど……」
ひとりで飲みこんでいるには、あまりにも辛くって。
ビクトールは、思わず抱き寄せた。
「いいよ、俺は誰にも言わねぇから、いいよ」
次の瞬間、ディジーの口からは、聞いたことのない嗚咽がこぼれ出していた。
ずっとずっと我慢していたものが、あふれだしていく声。
抱き寄せた細い肩が、あまりにも頼りなくて。
なぜ、今まで忘れていたのだろう?
これからは、俺が守ってやるから。
そう、心の中でつぶやく。誰も、彼女の弱さに気付かないなら、俺が守ろう。



それから、何か変わったのか、というと、なにも変わらない。
ディジーの母親は医者の言う通りに三ヶ月後に息を引き取り、遠くに仕事に行ってる父からの連絡は、相変わらず途切れ勝ちで。
ビクトールの母は、ディジーの家の事を気にかけつづけていて。
ディジーがビクトールの腕で泣いてから、もう数年が経っているのに、二人の間に、進展は無い。
顔を合わせば憎まれ口で、姉気取りで。
でも、なにか、というときには、必ずビクトールに声がかかるとこからして、頼りにはされているらしい。
周囲から言わせると、二人の言い争いもすっかり出来あがっている、犬も食わないヤツらしいが、そんなこと、本人たちは気付く由も無い。
「よぉ、ディジーいるか?」
弟たちの服を縫っていたディジーが顔を上げる。
「どうしたの?」
「おう、また買い出しに行ってくっから、なんかいるもんあるかと思って」
「そうねぇ、エリー用の、レースが欲しいんだけど」
エリーというのは、末の妹だ。
きいたビクトールは思わず顔をしかめる。
「勘弁してくれよ、俺にそんなもん選べるかっての」
「冗談よ」
ディジーは本気で照れてるビクトールを見て笑う。
「そうね、布が欲しいな。黄色いのでね、こんな感じ」
彼女は、縫いかかりの服を取り出して見せる。
「袖の分がたりなくなっちゃったの」
「……でっかいな」
素直に感想を述べてしまう。すると、ディジーは顔を赤くした。
「い、いいのよっ!ウドの大木に着せようと思ったら、これッくらい必要なのよっ」
思わず、口走ってしまって、さらに真っ赤になる。
その顔の赤くなり方で、その『でっかい服』が誰の物なのか、ビクトールにもわかった。
わかったとたん、こちらもかぁっとなってきてしまう。
「あ、ああ、黄色い布な」
そっぽを向きながら、返事をする。
照れつつも、自分のために服を縫ってくれているディジーが、たまらなく愛おしく思ってるのに気付く。
「なぁ、ディジー」
「なによ?」
まだ、顔が赤い。その瞳が、きれいなオーシャンブルーであることに気付いたのは、いつだっただろう。
「これって、母親の形見?」
手を握って、たずねる。いかにもわざとらしいのはわかっていたが、自分からもなにか贈りたくて。
「そうよ、それがどうかしたっていうの?」
さっきの失言で、まだ照れているらしいく、いつも以上につっけんどんだ。
「ふうん、ちょっと借りるぜ」
言うが早いか、ディジーの指からその指輪を抜き取ってしまう。
「ちょ、どうするつもり……」
言いかかって、どうするつもりかなんて一つしかないのに気付いてしまって、さらに真っ赤になる。
「じゃあ、いってくるぜ!」
自分も照れてきたので、さっさと背を向ける。
門を出て、手にしてる指輪を改めて見つめる。
サウスウィンドウに行ったら、彼女の瞳の色の石で、この指輪といっしょにしてもおかしくないのを作ってもらおう。そして、どう想ってるかを告げよう。
だって、ディジーも俺のために服を縫ってくれている。それは、家族か恋人のためにだけすることだから。
いちばん大切な彼女に、想っていることを告げよう。
あのときから、ずっとおまえだけを守りたかったんだ、と。



ノースウィンドウだけが、暗雲に包まれていた。
誰が何をしても倒れない、不気味な化け物の襲来。村人たちは、次々と倒れていく。
「私が、あんたの嫁になるっていうの?」
ディジーの気丈な声が、かすかに震える。
「そう、あなたは美しいですからね」
ネクロード、と名乗ったその男が微笑む。
「ちょ、ちょっと待ってよ…………心の準備ってものが必要だわ」
この化け物から逃れられないことはもう、わかっている。
城の周囲には、倒れたはずの村民たちが、ゾンビと化して徘徊している。
誰も、誰もかなわない。
自分一人が何をしたところで、逃れることは出来ないだろう。
それは痛いほどわかっている。
「母の形見の指輪があるの、お嫁さんになるときは、それをしていこうと思っていたのよ」
必死で言葉をつむぐ。
「お願い、取りに行かせてちょうだい」
「逃げようとしても、無駄ですよ?」
「……わかっているわ」
そう、ビクトールが間に合わないことは、もうわかっている。
伝えたいことが、あるのだ。最後に。



いったいここで、何が起こったのか。
知った顔が、斬りあい、また立ちあがっては殺しあう。
見ただけで、吐き気がする光景。
ディジーは、ディジーも、こんな風になってしまったのか?!
誰も、助かった者はいないのか?!
ビクトールは夢中で走り出す。
自分に向かってくるゾンビを斬り捨ててから、それが母親であることに気付いて愕然とする。
「…………!」
愕然とはしたが、もう、涙も声も出なかった。
さっきから、何人の知ってる人を切り捨てたのだろう?
もう、人間で無くなってしまった親しい、大事な人たち。
嘘だ、と否定をしても、どうにもならない。
家の目前まで来て、ディジーの家だけが扉が閉じていることに気付く。
もしかしたら?
初めての、微かな期待。
でも、蹴り開けた扉の向こうには、誰も待ってはいない。
テーブルの上に、目を引く黄色。
昨日、ディジーに袖の分の布を買ってね、と頼まれた自分のための服だ。
震える足取りで、それに近づく。
メモが一枚、のっていた。たしかなディジーの筆跡。
でも、その文字は震えていた。
伝言の内容は、ただ一言。
『私を殺して!』
「…………!!!」
剣を握りなおす。
家を飛び出すと、向かってくるすべてを斬り捨てる。
たまらないのは、切り捨てられた瞬間、人間の表情に戻って断末魔の悲鳴を上げていくことだった。
でも、このまま親しかった人たちを、徘徊させ、殺し合わせておくわけにはいかない。
切り捨てる人、すべてが知った顔だ。
彼はパン屋、いつもおかみさんの尻に敷かれていた。あのこは泣き虫で、このばあさんは、物知りでみんなに慕われていた……
みんな、悲痛な断末魔の声を上げて倒れていく。
ああ、ディジーも、彼女も俺に斬られて、あんな苦しそうな声を上げるのだろうか?
どれだけ斬り捨てたのだろう?息が切れ、疲れ果てるのに、ディジーだけが見つからない。
あとは、城の奥だけだ。
意を決して踏みこんだビクトールの目にうつったのは、ウエディングドレスに身を包んだ、大事な彼女。
微笑んだその顔は、生きてるころと変わり無くて。
微笑む彼女が、両手を差し伸べる。
一緒に行きましょう?
そう言ってるかのように。
なにもかも、なくなってしまった。家族も、大事な者も、故郷さえも。
この腕に身をゆだねたら、自分も楽になれる。
耳について離れない皆の悲鳴も忘れて、楽になれる。
ディジーと一緒のところに行ける。
ふらり、と数歩、彼女の手の方へと歩み寄る。
もう、疲れたよ、知ってる人を、俺はこの手で殺して回ったんだ……
近づいて、ディジーの瞳を覗いて、はっとする。
オーシャンブルーの瞳が、もう無い。その瞳に、色が無い。
彼女も、奪われてしまったのだ。なにかに。
まるで生きているかのようなのに。
その瞳だけが、もう生きてはいないことを告げている。
そして、彼女の伝言が、よみがえる。
『私を殺して!』
最後の必死の彼女の頼み。
「…………ディジー……」
手を取ると、手袋をはずして、血の気のない手にまず母親の形見の指輪をはめてやる。
それから、彼女の瞳にあうはずだった、オーシャンブルーの石の指輪を。
「ほら、綺麗だろう?二つしても、合うようにしてもらったんだぜ?」
微笑みかける。
「なぁ、俺の嫁さんになれよ……俺が幸せにしてやるぜ?」
血の気のない唇に、口付けた。
同時に、自分の右手に、ディジーの躰を貫いた、というたしかな感触。
ビクトールの剣は、確実にディジーの心臓を貫いていた。
その瞬間だ。彼女の瞳に、オーシャンブルーの色が戻ったのは。
断末魔の悲鳴を上げるはずの唇は、微笑を形作った。
「ビク……トール…………ありが……と……」
そのまま、ビクトールの腕の中に、力を失った躰が倒れこむ。
冷たい躰。笑顔を残したままの。
抱え込んだまま、座り込む。
「…………ちっくしょぉ!!!」
目前が、みるみるうちにうるんで、かすんでくる。
「ちくしょお、ちくしょお……っ」



すっかり死の町と化したノースウィンドウには、そこらじゅうに墓が見える。
ビクトールが、ひとりひとりのために建てて回ったのだ。
その中のひとつの前に、ビクトールは立っている。
「袖がねぇってのも、悪くないぜ?手が動かしやすいや」
言って、微笑む。
返事をする相手はいない。でも、
『悪かったわね、袖なしで』
照れたようにいうディジーの顔が思い浮かぶ。
「……何年かかっても、仇はうつからな」
もうその顔に、笑顔はない。
「仇を討つまでは、もどらねぇから」
そして、ノースウィンドウから、生きた人間の影は無くなった。

1999.02.28


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