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 CELESTIAL SONG / 〜Nonentitiy Sky〜

モンスターが多く出る場所が、感覚で分かる。
わざとそんな場所ばかりを、旅の行程に選んでいるのは、もしかしたら、深層心理で消えることを望んでいるからかもしれない。
でも、そうだとして、本当に消えたところで、誰も困らない、とフリックは思う。
そんなことを考えながら、視線を前にむけた彼は、すこし先にもう一人、旅人がいることに気付いた。
しかも、女性のようだ。
こんな物騒な場所を、一人で歩いているのは珍しい。
よほど腕が立つのだろうか?
そんなことを思ったときだ。
それ、が出たのは。
目前の女性の目と鼻の先に、おぞましい姿のそれは、出現した。
「!」
現れたのは、モンスター集中地帯のここらへんでも、特に大きく、狂暴なものだ。
少しでも油断すれば、すぐに喰われる。
フリックは、出現の気配と同時に剣を抜いていた。
しかし、モンスターを目の前にした彼女のほうは、呆然と見上げたままだ。
見知らぬ人間とはいえ、目前で人死には気持ちのいいものではない。
幸い、巨大なそれは、目前の得物に気を取られているようだ。
舌打ちをすると、フリックは剣を縦にかまえる。
次の瞬間、大音響と共に雷が轟き、モンスターの姿は、塵となって消える。
彼女は、目前で起こったことについていけなかったのか、見上げたままの姿勢で固まってしまっている。
「大丈夫か?」
いちおう、声をかける。
彼女は、ゆっくりと振り返った。
そして、瞳が、あう。
ぞくり、とした。
その瞳は知っている。
かつて、見詰めつづけた瞳の色だ。
こちらを見つめていて、見つめていない瞳。
なによりも先に、恐怖を感じた。
次の瞬間からはじまる悲劇を、誰よりも知っているのは自分だ。
フリックは、あとずさろうとした。
瞳を、背けようとした。
だけど、その前に彼女は。
フリックの名とは異なる名を、呼んだ。
その瞳は、彼ではない彼を見つめて、幸せそうに微笑んだ。



「すまなかった」
ハンフリー、と名乗った大柄で、それに見合った大刀を背負った男は言った。
「いや」
夜、モンスターたちが寄って来ないように焚いている火をはさんで、フリックとハンフリーは腰をおろしている。
どうやら、彼女の連れであるハンフリーは、他のモンスターを追いやってるうちに、彼女とはぐれてしまったらしい。
昼間、助けた彼女は少し離れたところで、膝を抱えたまま眠りに落ちている。
彼女が、狂気の瞳をしたまま、彼女の想う誰かの腕で眠りに落ちてからしばらくして、姿を現した。
様子をみて、何が起こったのかすぐに察したらしかった。
「大事な人を亡くしたらしい」
ハンフリーは、視線を彼女に向けながら言う。
会うなり、狂気をさらした彼女に、フリックが戸惑ったと思ったのだろう、口数の少なそうな彼は、ゆっくりと言う。
「めったにないが、たまにああいう発作のような症状が出る」
「いまはね」
フリックの相槌が、単調ながら不気味な響きなのに気付いたのだろう。
ハンフリーは尋ねるように、こちらを見た。
「彼女にとって、その人が大事であればあるほど、発作の間隔は短くなっていって、そのうち、正気の時間がなくなる」
不気味な予測を、淡々とフリックは言う。それが、避けられぬ事実であるかのように。
「…………」
しばらく考え込んでいたハンフリーは、やがて、ぽつり、と言った。
「やはり、そうだろうか」
そういう返事が返ってくるというコトは、心当たりがあるからに違いない。
「誰にも、止められない」
「そうか」
ハンフリーは、フリックがなぜ断言できるのかなどとは、尋ねようとしなかった。
そして、静寂が訪れる。
夜の鳥たちと虫たちの声だけが、その場を支配しようとした時。
その静寂を破ったのは、意外な声だった。
「……私は、狂うワケにはいかないわ」
声の方を見ると、寝ている、とばかり思っていた彼女が、こちらを真っ直ぐに見ている。
初めて見る正気の彼女の瞳は、強い意思を秘めていた。
「やらなくてはいけないことがあるもの、狂うワケにはいかない」
今まで、会ったことのあるどんな人間にもなかった、決意している瞳。
誰がなんと言おうと、揺るぐことない瞳だ。
その瞳が、少しふせられる。
「それでも、きっと狂うのね……いえ、もう狂っているのね」
彼女は、自分のことを冷静に観測しているようだ。
「だけど、それを知られるわけにはいかないわ」
決然と言った彼女は、もう一度顔をあげ、フリックを真っ直ぐに見た。
「ねぇ、協力してくれないかしら?」
聞いたフリックは、思わず苦笑する。
「君たちが、何をしてるか……もしくは、何をしようとしているのか、俺はまだ聞いてないぜ?」
「それを言ったら、協力するか、この世のモノで無くなるか、どちらかだからよ」
物騒なコトをさらりと言う。
フリックは、苦笑したままだ。
「国家転覆でも狙ってるみたいだな」
「そうよ、本気でね」
まさか、と言いかかったが、彼女の逸らさない視線が『本気』を告げていたので、その言葉は喉の奥にしまいこむ。苦笑を収め、真顔に戻る。
「私の大事な人を奪ったのは、この赤月帝国なの……私は、仇討ちをしたいのよ……バルバロッサ様は、変わってしまったわ。私腹を肥すことしか考えていない役人だらけなのに、それを取り締まろうとはしない……それだけじゃないし」
「帝国相手に、か」
ずいぶんとスケールの大きな話だ。
「人々も、喜ぶわ。一石二鳥よ」
確かに、表立っては誰も口にしていないが、国民の不満が溜まっていることは、フリックも知っている。
感情的なものだけでなく、理性的な計算があるということだろう。
その計算がありながら、仇討ちとはっきり言うのが、おもしろい。
理想を語るコトだって、できるだろうに。
真っ直ぐな、迷いの無い瞳がフリックを見つめる。
おもしろい、と思う。
あまりにも、真っ直ぐな彼女。
この瞳で理想を語られたら、付いていく者が多くいるに違いない。
組織の仕方と工作具合によっては、この途方も無い仇討ちは、絵空事ではなくなるかもしれない。
もともと、目的なく旅している身の上だ。
しかも、こんなモンスター集中地帯ばかりを選んで歩くなどという不毛なコトをしてるくらいなら、この途方も無い計画に荷担する方が、ずっとマシだろう。
「……で、俺にどうしろと?」
「私の恋人になって欲しいのよ」
彼女は、真っ直ぐな瞳をこちらに向けたまま、はっきりとそう言った。
そして、彼女の言いたい意味は、すぐに理解できる。
恋人のフリをしてくれ、というのだろう。それなら、誰かの前で発作が起こり、甘えても不自然ではない。
彼女は、それを知る訳など無いが、フリックにとってはわけないコトだ。
ずっと、そうやって生活してきたのだから。
「それは、無理だ」
不意に口を挟んだのは、ハンフリーだ。
彼女の視線が、そちらに移る。
「無茶苦茶を頼んでいるのは、わかっているわ」
「そうではない」
そして、ハンフリーはフリックの剣に目をやる。
「戦士村の、出身だろう」
「よくわかったな」
フリックは、穏やかに微笑む。そして、怪訝な表情をしている彼女に説明する。
「俺は、戦士村ってとこの出身でね、そこの慣習では、旅に出る時、自分の剣に名前をつけるんだよ……自分のいちばん大事なモノのね」
言われた彼女は、その意味するところがわかったのだろう。
小さくため息をついた。
「あら、じゃ、先約がいるわけね」
「ところが、そうじゃないんだよ」
微笑んだまま、フリックは言う。
「俺の剣には、名前が無い」
彼女の顔が、ぱっと輝く。ハンフリーは、黙って眉を上げた。
「じゃあ?」
「国家相手だってのに、理想語らずに『仇討ち』って言うとこが気に入ったよ。引き受ける」
「いいのか?」
「人前で、そういう名前だってコトにすればいい」
穏やかな笑顔のまま、フリックは言う。
本音を言えば、剣に付ける名前など、どうでもいいと思っている。
だって、誰も好きになんてなれない。
でも、代理とはいえ恋人のフリをするのだ。そんなことを口にしてはなるまい。
フリをするなら、徹底しなくては。
おのれの考えさえも殺して。
母のとき、村中の人間が騙されていたように、こんどは解放軍に集まる人々を欺くというわけだ。
ゲームと思えばいい。
自分の性格さえ、必要なモノに変えてしまえばいい。
「で、今度から俺は、この剣をなんて呼べばいいんだ?」
はっとするようなやさしい笑みを浮かべて、フリックは尋ねる。
愛情がこもっている笑み。
造りモノの笑み。
でも、そう気付く者はいない。
「あ、そうね」
彼女も、自分の名前を告げていないことに気付いて、照れたように微笑んだ。
まるで、フリックの笑顔につられたように、やさしい笑顔になる。
「オデッサよ」

1999.06.26


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