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CELESTIALSONG / 〜Sunflower〜

小さな、いとおしい足音が近づいていたかと思うと、すぐに目の前に満面の笑顔が現れた。
「ぱーぱ!!おかーなさい!」
「ただいま」
両手を広げて、飛びついてくる娘を、抱き上げてキスしてやる。
彼の腕の中で、くすぐったそうな嬉しそうな笑い声があふれてきた。
「おかえりなさい」
娘よりも、ずっと落ち着いた声がして、妻が姿をあらわす。
「ただいま」
微笑みながら、はしゃぐ娘を抱き直す。
夫の腕の中で、嬉しそうな笑い声を立てている娘をみて、軽く肩をすくめた。
「朝からはしゃいじゃって、たいへんだったのよ、『今日は、パパが帰ってくるのね』って」
それを聞いた娘は、目をきらきらさせながら、
「そしたら、まーま、『ごちそうにしようね』っていったよ」
「た、たまたま、いい雉が手に入っただけよ」
そう言って、目線をそらす。強がりは、いつものことだ。
娘の前でなにを言っても、絶対に無駄だと知ってるので、微笑んだまま言う。
「へぇ、じゃ、今日は雉のスヴァロフ?」
妻の得意料理で、自分の好物だから。
口ではいろいろ言いつつも、旅から帰ったときは必ず、自分の好物を用意していてくれる。
軽くうなずいて、そうだ、というのを示してから、てきぱきとした調子で言う。
「さ、スープも温まってるから、席についてちょうだい」
たぶん、いつ帰ってもいいように、弱火で暖めつづけていてくれたのだろう。
口にはしないけれど、待っていたのがうかがえて、夫は口元の笑みを大きくしてしまう。
幸い、台所に戻るところだった妻には、見えなかったようだが。
「ぱーぱ、たからもの、あるのよ」
抱っこされた娘が、声を潜めてそう言った。
「宝物?」
父が大きな声で聞き返すものだから、娘は頬を膨らました。
「しーっ!!」
そう言う娘の声のほうが、大きかったりするのだが、それは突っ込まずに父は声をひそめた。
「お母さんには、ないしょなのか?」
「まだ、ないしょ」
娘は、父が小さい声になったのに満足そうに、自分の声もひそめる。
「あのね、きょう、まほうつかいのおじちゃんに、あったの」
魔法使いのおじさん……いったい、どんなのを指しているのだろう?
妻が、なにか絵本でも読み聞かせたのだろうか?
でも、娘は妻には内緒だ、と言っている。
絵本、とかではなさそうだ。
「どこであったの?」
「おそと」
「お庭?」
そう聞かれて、娘は急に口をつぐんだ。
さては、と思い、軽くにらむ目つきで、低めの声にする。
「一人で、お庭から出たな?」
まだ、小さいので、一人歩きは危なっかしすぎる。
娘は、ばれてしまったので、ちょっと小さくなっている。
「お母さん、心配するから、今度からは駄目だぞ?」
軽くげんこつでこづきながら、いってやると、愁傷にうなずいてみせた。
素直にうなずくのをみてから、もう一度尋ねた。
「で、魔法使いはなんだって?」
聞かれた娘は、さっきまでの、しおらしい表情はどこえやらで、また笑顔でしゃべりだす。
「おまじない、おしえてくれた」
「おまじない?」
「うん」
抱っこされたまま、小さな服についた小さなポケットに手を入れる。
取り出してきたものをみると、それは『向日葵の種』だった。
「これが、おまじない?」
「つちにうめてね、おみずたくさんあげると、おひさまが、できるんだって」
満面の笑みで娘は語る。
なるほど、向日葵をお日さまに見立てているわけだ。
うまいことを考える。と思うと同時に、なぜ、お日さまをくれたりしたのか、不思議になる。
「魔法使いは、どうして、お日さまをくれたの?」
「おじちゃんが、げんきな、しるし、だって」
「魔法使いが、元気な印?」
「うん、ぱーぱとまーまが、よろこぶって」
自分たちが喜ぶ?
誰か、知っている人か?
お日さま、向日葵……黄色!
はっとする。
お日さまのような、黄色といって思い出すのは。
かつて、一緒に戦った仲間がいた。
そして、長いこと一緒に旅をした大事な、仲間だった。
結婚することを決意した自分を、誰よりも祝ってくれた。
『幸せになれるぜ、お前なら』
そう言って、豪快に笑っていたのを、いまでもはっきり思い出すことが出来る。
それから、こちらをみつめた本当に嬉しそうな瞳。
『お前が、誰かのことを心から愛せるようになって、本当によかった』
真面目な視線で、めったにしない真面目な口調で、彼はそう言った。
そう、妻と結婚しようと思えるまでは、とても長かった。
誰も、愛することなど、出来ないと思っていた。
そんな自分と、ずっと一緒にいたのが彼だった。
信頼出来る友人であり、相棒であり、そして、人生では先輩だったのだろう。
彼の台詞で、自分は何度も救われたから。
いつも、闇に向かい合うたびに、
『生きてれば、いつかは大丈夫だ』
そう言いつづけてくれた。
そして、自分の闇を知っていて、笑いかけてくれる妻と出会った。
途中で闇に飲みこまれていたら、妻とは出会うことすらなかっただろう。
こうして、いまこの腕に、いとおしい娘を抱き上げていられるのも、彼のお陰といっても過言ではない。
結婚式の途中で姿を消して以来、彼とは会っていない。
『俺は、風来坊だからな。一ヶ所にいるのは、性にあわねぇや』
笑顔で言って、彼は立ち去ってしまった。
変わった相棒と、一緒に。
その彼が、安否を確認にきていたのだ。
そして、会えなかったことを悔やむのを、見透かしたように『おまじない』を置いて行った。
まったく、かなわないな。
思わず苦笑する。
腕の中の娘は、父が突然黙り込んでしまったので、心配そうにのぞきこんでいたが、微かに微笑んで見えたので、手を伸ばしてきた。
「ぱーぱ?」
「ああ、ごめんごめん」
我に返って、笑いかけてやる。
「ご飯、食べに行こうな、お母さん待ってるから」
それから、娘の手の中の『向日葵の種』を、小さな手の上から握った。
「これは、明日、一緒に植えような」
「うん、やくそくね、ぱーぱ」
娘も、満面の笑みで頷く。
食卓に行くと、もう、パンも焼けた様子で、あとは席につくのを待つばかりになっていた。
妻は、二人を見て微笑みかける。
「遅かったわね、内緒話でもしてたのかしら?」
娘と夫が、顔を見合わせる。
父が頷きかけると、娘が嬉しそうな笑顔で、その小さな手を母に向かって差し出した。
「まーま、おまじない」
「おまじない?」
「まほうつかいのおじちゃんが、くれたの」
不思議そうに首をかしげながら、妻はその手をのぞいた。
「あら」
「お日さまの、もとだそうだよ」
「ぱーぱとまーまが、よろこぶんだって」
その台詞で、妻は察しをつけたらしい。その瞳が微かに見開かれる。
「元気なのが、わかるとさ……あいつらしい」
それが、彼らしい気の使い方だとわかってはいても、どこか寂しい。
「フリック……」
彼女は、娘の前なのに珍しく、彼の名を呼んだ。
それから、娘をのぞきこんだ。
「魔法使いさんは、元気だった?」
「うん、おっきなこえで、わらってたよ」
「こんど、魔法使いさんが来たらね、『魔法のお水』がおうちにありますよって、言いなさい」
「まほうのおみず?」
「そうよ、赤くて、綺麗な『魔法のお水』ですって」
「まほうつかいは、まほうのおみずが、すきなの?」
娘の無邪気な質問に、思わず微笑んでしまう。
大丈夫よ、こちらを見た妻ん瞳が、そう言っている。
彼も、頷き返した。
いつかきっとまた、彼はふらり、とやってきてくれる。
そして、今度会うときは、きっと、語り合おう、そう思う。
「ああ、そうだよ、魔法使いだから、な」
父に言われて、娘はしきりにうなずいている。
今度会ったときこそ、こんなに幸せになれたことの、礼を言おう、と思う。
それまでは、娘の握っている『おまじない』に、願をかけるとしよう。
あいつも、幸せでありますように、と。

1999.04.01


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