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 COLORLESS SHADOW

『私の背が、もうすこし、ちいさかったら……』
そう言った時のアナベルの顔を、多分、忘れられないだろう。
初めて見せる、そして、二度と見せないであろう、女の顔。
また、惚れてもどうにもならない女に惚れてしまったらしい。
思わず苦笑して、それから宿の扉を開けた。
すぐに、一人で杯を空けている、青い人影が目に入る。
なにか、考えにふけっている目。視線が、焦点をとらずに宙をさまよっている。
「どうしたよ、シケた顔して」
からかう口調で声をかけると、顔を上げたフリックは笑顔で答えた。
「よう、付き合えよ」
「言われなくても付き合うぜ」
口の端に、笑みを浮かべたまま、相向かいの席に陣取り、手を振ってメイドを呼ぶ。
「ホットワイン頼む」
「はーい」
メイドが明るい返事を返して奥へ行くのを見届け、フリックのほうに向き直る。
「で?どうしたよ?」
「どうも、しないけど?」
「ほんとかぁ?ずいぶんとシケたツラしてたぜ?」
フリックは、明るく問い掛けるビクトールをみて、苦笑する。
「いやに元気じゃないか?」
『元気過ぎるじゃないか?』
言外に、そう言っている。どうやら、察しがいいのはお互い様のようだ。
ビクトールは、軽く降参のポーズをした。
「わかった、この話は、なし」
「今日は、ずいぶん素直なんだな」
「俺はいつも素直だよ」
「ん?空耳が聞こえたような……」
「そりゃいかんな、年取ってきた証拠だぜ」
たわいもない、掛け合いのような会話。いまは、それがいちばん、気が楽になる。
明日になれば、いつも通りだ、と言い聞かせながら。



異変が起きたのは、まだ夜も更けぬうち、だ。最初に飛び起きたのは、ビクトールだったか、 フリックだったのか。
それは、なにかが来る気配。自分たちの砦が落とされたときと同じの。
身支度を整えて、すぐに宿の一階に降りる。
外を見に行かなくたって、なにが起きているのかは察しがつく。
それと同時に、ビクトールの心の中に、ひどく嫌な予感。
予感、というより、なにか黒いもやもやしたもの、といったほうが正確だが。
フリックがぼやく。
「たいがい、ハルモニアの皇子もしつこいな」
「ま、そりゃ最初からわかっちゃいたが……」
答えながら、ビクトールは剣を握り直す。
ぼやきつつも、フリックは冷静に状況を考えているようだ。
「まず、狙われるのは市庁舎だろうな」
言われて、はた、とする。
「まずいぞ、あそこには……」
「え?」
「リュウたちが、アナベルに会いに……」
「アナベルがいるなら、大丈夫だ、そうだろ?」
ビクトールの懸念に、フリックは笑顔で答える。
「たいした自信だな?」
「おまえが見込んだんだろ?」
まったく、こんなクサい台詞をさらりと言うから、嫌になってしまう。
返しようがない。言った本人はいたって真面目な顔だが。
でも、いまはそんな台詞で、心が軽くなるから不思議だ。
外の喧燥が、ここまでよく聞こえてくる。
レオナが、身支度を整えてでてきた。
「またかい?」
「おう、そうみたいだな」
ビクトールの楽しそうな返事に、レオナは肩をすくめてみせながら、あたりを見回した。
「……ところで、坊ちゃんたちは、まだ戻ってないみたいだね?」
彼女の足元では、ビリカが不安そうな瞳でこちらを見上げている。
人一倍敏感なこの少女は、外でなにが起こりつつあるのか、を察しているに違いない。
ジョウイがいないのが、彼女の心配の主な要因なのだろうが……
そう思ってから、フリックのほうを見る。
彼の視線の先にも、ビリカがいる。でも、その顔は……
「フリック?」
「ああ、外、見にいったほうがいいな」
無表情が消え、いつもの真面目な視線がこちらを向いた。
「そうだな、場合によっちゃ……」
うなずいてみせ、もう一度視線をレオナに戻す。
レオナは、心得たもので、うなずいた。
「私はここで坊ちゃんたちを待ってるよ」
「頼む。駄目そうだったら、サウスウィンドウだ」
「わかったよ」
それから、ビリカのほうに、視線を再度落とす。
「大丈夫さ、じき、戻ってくるよ」
誰が、とは、言ってやれなかった。さっきのフリックの表情を見て、同じことを考えているのが、わかってしまったから。
二人が同じ考え、ということは、たぶん、それが真実だ。
ミューズ市に、ハイランド軍が入れるように手引きしたのは、ほかならぬジョウイなのだろう。
内部事情に通じたものが手引きしない限り、かなり堅固なこの都市に、侵入するのは不可能だ。
たった一人でハイランド陣中に残った少年が、何事もなく戻ってくること自体、不自然なことだった。
それは、二人とも、嫌というほど理解していた。
わかっていて口にしなかったのは、それが真実かどうか確認する前に、不用意にリュウたちを傷つけたくはなかったからだ。少なくとも、ビクトールはそうだったし、おそらく、フリックもそうだから、あんな無表情の中に押し込めたのだろう。
外に出たフリックは、もうその表情を作ったりはしていなかった。
不機嫌な顔。
「どんな事情があるのか、しらねぇが……」
ビクトールは言いながら、あたりを見回す。フリックも、剣を抜き払いながら答えた。
「もともとは、ハイランドの人間だし……特に、彼は戻りたがっていたからな」
そう、砦にいたときもそうだった。彼がきてほどなく、リュウは砦を脱走したのだった。
「裏切られたとしても、あいつには、大事な故郷だ……そう簡単には、捨てられねぇだろう」
「ああ……」
フリックもうなずいて見せるが、あたりを見まわすのはやめない。
不機嫌な表情のまま、口を開く。
「それよりも……」
「ああ」
ビクトールもうなずいた。
あまりにも、ミューズ市の兵たちの統制が、とれていない。
民衆達と一緒に、流れるように右往左往している。
いくら、突然の出来事とはいえ、これはあまりにもおかしいではないか?
まるで、統率者を失ったような……
そう思ってから、ぎく、とする。

統率者ヲ、失ッタ……?

異変が起こってからのイヤな予感と、今の状況と考えは、あまりにもぴたりときすぎて、眉をしかめた。
そんな、まさか、アナベルが?
夕方まで、元気だった。俺と一緒に、酒を飲んだじゃないか。
まさか、あるわけない。
とっさに否定をする。
でも、それを素直に信じこむには、あまりにもいろいろなことを知りすぎている。
この状況は、似てはいないか?
かつて、レナンカンプで出遭った、悲劇に。
「……なあ……」
逃げ惑う民衆と、兵たちを、見つめながらビクトールが呼んだ。
フリックは、いつのまにか先に歩を進めて、逃げ惑う兵たちに斬りかかるハイランド兵を切り捨てていた。
それから、振りかえる。
「市庁舎、か?」
「ああ、確認したいことがある」
フリックは頷いて、剣を握りなおした。
この相棒は、なにも言わずに理解してくれる。目前に敵兵が迫っているときに、自分の考えに囚われてぼうっとしていたのに、なにも言わない。
自分の気を取りなおすために、軽口を叩いた。
「裏からでもまわらねぇと、えらい目に会いそうだな」
「裏なんて、どこにあるんだよ」
「さぁ、俺もしらん」
「期待させるなよ」
「希望を述べたんだよ、俺は」
こんなときまで、悪態を付き合いつつ、二人は市庁舎に向かって走り出していた。



だが、二人は市庁舎まで行くまでもなく、真実を知ることになる。
「あれは……」
市庁舎の方から、走ってくる二人の小さな人影。間違いなく、リュウとナナミだ。
声をかけてやろうとして、はっとする。
二人の顔色が真っ青だったのだ。
夜だから、というのではなく、光の悪戯でもなく、真っ青で、表情を失った顔。
とくに、ナナミの方は泣きそうなのを必死でこらえている顔だ。
リュウの腕をひいて、か細い声で言うのが聞こえる。
「ねぇ、うそだよね?……ジョウイが、ジョウイがアナベルさんを……」
振りかえったリュウの、氷ついたような表情。
「なんかの、間違いだよねぇ?」
「……ともかく、ビクトールさんたちのところに戻らなきゃ」
訴えるように問いかける姉に、リュウは、『間違いだよ』とは、答えなかった。
「急がないと、追いつかれちゃうよ」
「う……うん、そうだよね」
また、二人は走り出していく。
「…………」
本当なら、あんな小さな二人だけで、ここを脱出させるなんてことは、させないつもりだったが。
声をかけることが出来なかった。
彼らはもう、見てしまった。出遭ってしまった。
あの表情だけで、何が起こってしまったのか、二人ともわかった。

アナベルは、ジョウイに殺されたのだ。

「ちくしょぉ!」
何にあたっていいかわからずに、ビクトールはこぶしを握り締める。
とにもかくにも、悔しかった。
アナベルを守ってやれなかったことも、あんな幼い二人に、酷い現実をつきつけたことも。
自分のせいではない、そんな運命を左右する力はない。
でも、悔しかった。
フリックの、冷静な声がした。
「どうする?」
「なにがだよ?」
こぶしを握り締めたまま、振りかえる。
「本当に、リュウ達をこのまま、俺達の行くところに連れて行くのか?」
「…………」
フリックの問いかけの意味は、わかっていた。
アナベルを失ったとはいえ、傭兵隊としてはこのままジョウストン都市同盟の味方でいくだろう。
このままつれていけば、遅かれ早かれ、リュウ達はハイランド王国と敵対してしまうことになる。
かつて、トラン解放軍のリーダーとなった少年が、父と敵対することになったように、今度も悲劇が繰り返されてしまうだろう。
親友同志が、敵対勢力に属する、という悲劇に。
「でも、いまはハイランドには帰れねぇ」
リュウ達は、ハイランドでは裏切りものだから。
いつも、悲劇は避けられない。
自分たちには、止められない。
思い知らされる、自分たちの非力さ。
それでも、いまは、守ってやるしかない。生きていれば、いつかは。
そんな、かすかな希望だけを頼りに。
自分に出来ることをやるしか、ないから。
「仲間を、集めなおそう」
「……ああ、そうだな」
返事をしたフリックの、なんとも傷ついた瞳。
いままでの不機嫌な表情は、これを隠すためだったろう。
きっと、自分もそんな顔をしているのだろう。
それでも、いま、できることを。それは、彼らの命を守ってやることだけだから。
それしかできないのなら、そうしてやろう。
サウスウィンドウでリュウ達に会うときには、頼りになる大人のフリが出来るように。

1999.02.27


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