[ Index ]
 WHISPER OF HERMIT

シエラは、目前で大いびきの男にため息をつく。
「たまにゃ、飲むのもいいもんだぜ」
という、彼の意見に反対はしないが、自分よりさきにつぶれてしまうようでは意味がない。
「まったく、しょうのない……」
ぽつり、とつぶやくと、つぶれた熊男のかわりに、脇に置かれた剣が口をきいた。
「年季が違いすぎるんだ」
「あんたに言われたくないわよ、星辰剣」
ビクトールがすっかり寝こけているのをいいことに、普段、人前で出すことは絶対にない、早口でぞんざいな口調で、きりかえす。
昔、自分が長老などと呼ばれるようになろうとは、思いもしない頃に、そうしていたように。
「御互い様と言いたいわけか」
真の紋章である『夜の紋章』の化身は、どうやら、鼻で笑ってみせてるらしい。
「人に手を借りなきゃ何にもできないあんたと一緒にしないでよ」
「失礼なやつだな、わたしは真の紋章だぞ、紋章の力を借りている者とは、格が違うというものだ」
シエラは、ふん、と笑い返してやる。
「へぇ、風の洞窟に置いてけぼりにされて、自力脱出できないのが、格の違うとこってわけね」
「…………」
星辰剣は、言葉に詰まったようだ。
ひとまず、この低次元ではあるが、口争いには勝利を収めたので、シエラは満足そうにグラスを開けた。
ビクトールは、相変わらずいびきをかいている。このままでは、しばらく起きそうにない。
シエラは、しばらく考え込むように黙り込んでいたが、
「……ねぇ」
ぽつり、と尋ねる。
「どうして、剣になったの?」
最初に会ったときは、『夜の紋章』も、自分に宿る『月の紋章』やなんかと同じように、人に宿る普通の紋章だったのに。
正直なところ、再会したとき、本当に驚いたのだ。
気配を見分けることができなかったら、『夜の紋章』とは信じられなかったかもしれない。
剣などになれば、自由が半減するどころではないだろう。
だいたい、たいがいの紋章たちよりも、格段に自意識の大きい(しゃべってくるのがよい証拠だ)この紋章が、自分の自由をみずから奪っているというのが、信じられない事実だ。
「どうしてか、だと?」
星辰剣は、自分のほうにリード権が戻ってきたのをいいことに、またもや高飛車な口調である。
この性格だけが、まったく変わってはいない。
だから、この姿は『夜の紋章』自身が選んだのだろう。
理由が、わからない。
なぜ、みずから不自由を選んだのか、そして、そのままでいるのか。
星辰剣は、シエラのまっすぐな視線に気付いたのだろう。
語調を少し和らげた。
「まぁ、この熊にきかれても、答えんところだが」
ずっと、永遠を生きなくてはならない運命を背負ったお前には、教えてやらんこともない、などと、言ってることは、相変わらず高飛車なのだが。
「できるだけ、対等でありたい、と思っただけだ」
「対等?」
「まぁ、永遠にありえんことかもしれんが……」
珍しく、語尾が濁る。
「紋章を持つ者にも、選択権があってもよいだろう?」
そう、通常は、選択権があるのだ。人は、欲しい紋章を探し、宿せばいい。
でも、真の紋章だけは違う。
二十七ある真の紋章たちは、自分の意志で宿るものを選ぶ。
そして、よほどのことがない限り、宿主から離れることはない。
宿主たちに与えられるのは、永遠という名の悪夢だ。
「……人は、年を取り、死にいくようにできている……それを、こちらの都合で、勝手にしていいという道理は、ない」
星辰剣は、ぽつり、という。
「現にお前も……」
「もう、昔のことだわ」
微かに微笑んで、シエラは答える。
「……そういう思いをさせる権利は、わたしにはない」
いつもの、高飛車な声はどこかにいっていた。
「もちろん、力を貸してやるかどうかを決めるのは、こちらの選択権だ……でも、こちらの力が必要なくなった者が、たった瞬時の目的のために、永遠をさまよう道理はない」
それに、と続ける。
「それを強制する権利は、ない」
いつもより、低い声。どこか、辛そうな声。
どうして、この紋章がよくしゃべるのか、わかった気がした。
紋章でいるには、あまりにも人間的すぎるのだ。
しかも、ほんとは、人がよすぎるのだ。それを隠すのに、高飛車にしているのだ。
よくしゃべるのは、寂しいから。感情があるのに、剣としてほっとかれるのは。
気付くと、自分の口元に笑みが浮かんでいた。
「じゃ、どうして、剣なの?」
「最初に必要だったのが、剣だったのだ」
誰のために、剣の姿までになったのか。
もしかしたら、この紋章は……
「ふうん……」
微笑みながら返事をされて、星辰剣はだまりこむ。
きっと、照れているのだ。そうに違いない。
そう思ったら、無性に表情が見たくなった。
「剣にしか、変化できないの?」
「そんなわけあるまい」
プライドを刺激されるようなことを言われると、またいつもの高飛車が戻ってくる。
シエラは、こちらの思うつぼだ、と思いながら続けた。
「じゃ、人になってみせてよ」
「人に、だと?」
「そうよ、それでもって、付き合ってちょうだい、わたし、まだ飲み足りないのよ」
それから、にこり、としてやった。
「あんたなら、年季があうんでしょ?」
「やなこった」
「けち、昔のこと、思い出させておいて」
「…………」
ほら、困っている、とシエラは思う。
話題をふったのは、自分なのだから、困る必要など、ないのに。
「ね?ほら、ビクトールも起きそうにないし」
「……一度だけ、だからな」

次の日、だ。
しきりにビクトールが首をかしげている。
「っかしーな……どうやって部屋に戻ったのか、さっぱり覚えてねーんだよなぁ……」
腰におさまった星辰剣が、ぼそり、という。
「わたしが、つれて帰ってやったんだ」
「なに言ってやがる、剣が俺をどうやって運ぶんだよっ」
「ほう、また過去の世界にでも、飛ばしてくれようか?」
「あっ!うそうそ、冗談だって、まぁ、落ち着けよ」
そんな会話を偶然きいたシエラは、誰にも気付かれぬよう、そっと肩をすくめて笑った。

1999.03.18


[ Index ]