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 KALEIDOSCOPE

リドリーも本望だったはずだ、というビクトールの台詞をきいた少年は。
かすかに、微笑んで見せた。
少し救われた、という表情。
みんなに、逃げたということ知られないようにしておいて、よかった。
こうして少年は戻ってきたし、リドリーが亡くなったという事実だけで、こんなに傷ついた瞳になるのだから。
みなが知らない、というのは、少年にとって救いになるに違いない。
どうして、と尋ねる気はなかった。
少年をこんな立場にしてしまったのは、やむを得ないとはいえ、自分にも責任の一端があったから。
それに、人の事情はそう簡単には割り切れないものがあるのは、自分が一番よく知っていた。
途中で逃げ出そうなど、したことのない少年が、なぜ急にそんな気になったのか、深く追求しても、少年を傷つけるだけだ。
ビクトールは、なんとなくそう思った。
だから、ただ笑って
「明日から、がんばればいいよ」
そう、言った。
逃げたことにどんな理由があったにしろ、少年は戻ってきた。
二度と同じことは許されない。望むと望まないとに関わらず、少年のもとには、人が集まってしまった。
裏切ることは、もう許されない。
あとはもう、真正面から向き合うしかないのだ。
少年は、すこし、うつむいた。
それから、ぽつり、と言う。
「僕には、リーダーの資格なんてないんです」
ビクトールは、ただ、微かに首をかしげてみせた。
「みんなが望んでくれても、僕はみんなのことを思えないから」
それっきり、少年は口をつぐむ。
なんとなく、言いたいことはわかった。でもそれを、こちらから口にする気もなかった。
たぶんそれは、少年にとって一番大事な想いだから。
だから、ただ、うなずいてみせる。
少年が、その意味をどこまで受け取れたかは、知る由もなかったが、はっきりと微笑んでみせた顔に、もう、迷いはなかった。
「おやすみなさい、ビクトールさん」
「ああ、おやすみ」
部屋に向かう少年を見送ってから。
ビクトールは、階段のほうに視線を移す。
「もう、出てきていいぜ?」
階段の闇に紛れていた、青い影がきまり悪そうに顔を出す。
「立ち聞きするつもりはなかったんだが」
視線をそらしたまま、そこに立ち尽くしている。
ビクトールは、苦笑する。
「でも、聞いちまったんだろ?」
「まぁな」
どうも、フリックから帰ってくるのは歯切れの悪い返事ばかりだ。
立ち聞きしたことに、良心が咎めている、というのはフリックならいかにもありそうだが。
でも、いまは、そのせいではないだろう。
この瞳を、ビクトールは知っている。
三年前に、よくみた瞳だから。
「…………」
なにか言いかかって、フリックの口が開きかかるが、また、閉じてしまう。
それから、ゆっくりとビクトールの脇の窓までくると、なにも言わないまま、開け放った。
冷たい風が吹き込んできて、ビクトールは思わず顔をしかめたが、文句は言わなかった。
青白い月の中のフリックが、もっと青白い顔をしていたから。
こちらからは、なにも言えずに、ただ、一緒に月を見上げる。
「……強いな、あいつ」
やがて、フリックはそう言った。
どことなく、自嘲気味だ。
「そうかな」
ビクトールは、懐疑的な返事を返す。
フリックは、月を見上げたまま、また言う。
「あそこまでは、なかなか想えない」
すこし、考えてから、付け加える。
「心で思ってても、本当にできる奴は、なかなかいないと思う」
「ああ、そうだな……でも」
でも、に強いアクセントがあるのに気付いたのだろう、フリックはこちらに顔を向ける。
「きっと、子供だからできるんだぜ?」
「本当に子供だったら、隠し通すことなんてできないよ」
それから、ますます自嘲してる顔つきになった。
「子供だったら、相手を傷つけることなんてお構いなし、だよ」
いつの、誰のことを指しているのか、なんて、きくまでもない顔つき。
この三年間で随分変わったけれど、彼の中の傷は、永遠に癒されないのかもしれない。
守れなかった、どんなに想っているかすら、伝えられなかった。
だって、自分がどんなに想っているか、自分も知らなかったから。
「それに、子供だったら、自分の気持ちを知ってて隠し通すなんて、できない」
どうしても、自分と比べ、重ねてしまうのだろう。
三年前、なにもできなかった自分と。
「自分たち以外を傷つけてもいいと思っているなら、それは子供だぜ?」
言いながら、自分も、月を見上げる。
「時には、傷つける勇気も必要かもしれない」
低い声で、フリックが言う。
三年前、状況が状況だったから、迷惑がかからないように、というのが、いちばんだったのだ。
周囲を巻き込まないよう、巻き込まないよう、細心の注意を払った結果があれだった。
自分の気持ちが見えなくなるほど、気を使いつづけた結果が、あれだったから。
だから、自分の気持ちを知っていて、それを貫ける少年がうらやましいのだろう。
とり返しのつかない分、それは大きい。
「でも、それがお前の『好き』だったんだろう?」
言われて、フリックは首を少しかしげた。
自分でも、わからないのかもしれない。
「それに……ある意味では、お前のが幸せだぜ?」
「……そうかもしれないな、少なくとも俺は」
月を見上げたまま、ぽつり、とそう言う。
「『好きだ』と伝えることはできたから」
どんなに想っているかを、十分には伝えられなかったけど。
彼女を傷つけることのほうが、多かったけれど。
周りは傷つけない。
それが、二人の間のルールだったのかもしれない。
自分たちは、どんなに傷ついても。
そう、あの少年は、大事なものただ一人を、傷つけないために。
少年は、口をつぐみつづけるに違いない。
自分が、誰が好きなのか。
誰のために、あんなに多くの人の期待すら、裏切ることができるのか。
穏やかに微笑んだまま、ずっと。
自分を、『弟』としてしか見られない、彼女の為に。
それを知っても、受け止められない彼女の為に。
それが、もしかしたら少年の受ける『罰』なのかもしれない。
みんなの期待を背負っているふりを、していることへの。
本当は、みんなの期待なんてどうでもいいとしか、考えられないことへの。
そして、ほかの誰を傷つけても、彼女だけは傷つけない。
正反対の『恋』。
なにが正しくて、なにが間違ってるのかなんて、誰も知らない。
ただ、少年の、痛いほどの想いだけは二人ともわかるから。
今は伝えられなくても。
今は受け止めてもらえなくても。
いつか、彼女に告げることができるように。
自分たちの、行き場のない想いをも込めて。
二人を守ってやろう。
青白い、月に誓って。

1999.03.31


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