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無限大の隣



新しい彼女へのプレゼントを買い終えて、なんとなく店内をぶらついていた矢張は、見覚えのある人をみつけて笑みを浮かべる。
「よ!成歩堂」
声をかけられた成歩堂は、なぜか決まり悪そうに笑み返す。
「やあ」
「なんだ、お前もこんなとこ来るんだ?」
に、と笑みを大きくする。
「彼女へのプレゼントか?」
「違うって、お前と一緒にするなよ」
いくらか困った表情で慌てて首を振るのを見ていると、もっとからかってやりたくなってくる。
「ほほう、さすがは弁護士。自分のモノをどーんと?」
「そんなイイもんじゃないって、スーツが着れなくなっちまったから……」
と言う手元には、矢張も見慣れた青いスーツが詰め込まれた袋がある。
「着れなくなったもの、わざわざ持って来たわけか?」
「……いや、その……この色、気に入ってるし、同じのがないかな、とか……」
妙に歯切れが悪い。
矢張がもう一度口を開く前に、成歩堂は袋を抱え込みながら、早口に言ってのける。
「そんなワケだから、僕はこれで」
くるり、と背を向けてしまったら逃げているとバレバレなのだが、仕事に関わることで、今の成歩堂にこれ以上ツッコむのは酷な気がして、矢張は腑に落ちないままに見送る。
初志貫徹で弁護士になってみせた幼馴染は、絶対に会うと決めていたもう一人の幼馴染、御剣に会ってのけた。
不敗を誇る御剣相手の法廷をひっくり返してみせた挙句、殺人容疑で起訴された彼を、救ってみせた。
そして、御剣は姿を消した。
理由は、わからない。
「検事御剣怜侍は死を選ぶ」
ただ、それだけを書き残して消えた。
幼馴染を追い詰めたと思い込んだ成歩堂は、仕事の合間を縫って御剣を探し続けた。
万が一があってはならないと思い詰めて。ほとんど、寝ていなかったに違いない。
探しているということも、寝ていないということも、一言も口にはしなかったけれど。
検事局に、きちんと休職届が出ていると言うことを、告げられていなかったことがわかったのが一ヶ月後。
以来、成歩堂は御剣のことを一切口にしなくなった。
あれから、二ヶ月。
飲みに行こうと呼び出しても、仕事を理由に断られることが多くなった。実際、言い訳や逃げ口上でなく、仕事が忙しいことは世間への知られ具合でわかっている。
あの、無敗の検事、狩魔豪を破った男。検事局の有望株、御剣怜侍を失踪まで追い詰めた男。
ひどく注目されているのだから当然だ。
そして、成歩堂の性格上、頼られれば拒めない。
本人は、気付いているのだろうか?
明らかに、その頬が落ちていることに。
そんなことを思って、はた、とする。
なぜ、成歩堂が、着られなくなったスーツ持参で来たのか。
理由に思い当たって。



「悪い、少し遅れる」と言った成歩堂の口調は、なにやら歯切れが悪いように聞こえた。御剣は、体調でも悪いのかと尋ねようかと思ったが、視線の先に、もう一人の待ち合わせ相手であり、飲もうと言い出した張本人、矢張が見えたのでそのまま、「わかった、後で」と告げて切る。
よ、と片手を上げてみせる矢張に、携帯を指差しつつ告げる。
「成歩堂は少し遅れるそうだ」
「ああ、こっちにも連絡あったよ。五分ごとに大ジョッキ一杯って言っといた」
に、と矢張は笑ってから、すぐにまじめな顔つきになる。
「ふうん、成歩堂の言うとおり元気そうだな」
「当たり前だろう」
確かに一年間姿を消しはしたが、成歩堂といい矢張といい、ひどく大げさなリアクションだ。そんな感情が思いきり出た御剣の表情に、矢張は苦笑を浮かべる。
「お前さ、成歩堂のこと、すっげ強いって思ってねえ?」
「当然だ」
突然何を言いだすのかというのと、矢張はそう思ってないのかと問いただしたいのがありありと出ているのに、矢張の苦笑は大きくなる。
「相変わらず、肝心のことは何も言わなかったな、あいつ」
あいつというのが成歩堂だとは考えずともわかる。
肝心もなにも、一年前の失踪に関してのコメントは「裏切られたと思った」という吐き出すような一言だけだ。
御剣はいくらか首を傾げる。
「肝心なこと?」
「御剣がいなくなってさ、あいつが聞いたのって、あの物騒なメモだけだったんだよ。ちゃんと手続き取ってあったってわかったの一ヶ月してから」
意味するところが正確にはわからず、御剣の眉が少し寄る。
「一ヶ月の間、お前の安否がわからないもんだから、あいつすっげ心配して探し回ったんだぜ?」
「……う…ム…」
自分の残したメモが、どのような意味で解釈されたのかは理解したが、それと成歩堂が強いかどうかの関連がわからない。
「あの一件の後、気味悪いくらい仕事も増えたし、検事たちは目の敵にするし?」
あの狩魔豪の不敗神話を崩し去ったのだ、その現象は当然だろう。帰国するまでも、何度も成歩堂の裁判のことはチェックを欠かさなかった日本の新聞、雑誌などのメディアで見かけた。
が、後半は腑に落ちない。
「目の敵?」
「そりゃ、不敗神話誇る検事が二人も一度に奪われちゃ、検事局だって面白くないだろうが」
「…………」
不機嫌に御剣の眉が寄る。
「そんな子供のような」
「誰だって、どうにも制御出来ない感情が動くコトだってあるよ。御剣だって、だから消えたんだろうが」
はっきりと言葉につまった顔つきになる。
「あいつ、三ヶ月で前のスーツ着れなくなるくらいに痩せたんだぜ?」
あの当時の成歩堂には、全てのスーツを新調し直すほどの収入はない。だが、だぶだぶのスーツを着ていたのでは、相手の検事にも裁判長にも印象が悪くなる。法廷で、自分の印象の悪さで依頼人を不利にするわけなどいかない。
あの時、成歩堂が抱え込んでいたスーツは、サイズをつめようとしていたのだ。
「なにわけわかんないこと吹き込んでるんだ?」
いくらか戸惑った声が、加わる。
Gパンに太目の毛糸で編んだセーターの上に軽くコートを羽織るという、法廷では想像のつかないラフな格好の成歩堂が、困惑の顔つきで立っている。
「遅れた罰ゲームにしちゃ、えらくシビアだなぁ」
「アホ、どこが罰ゲームだ」
矢張は、珍しく不機嫌そうに眉を寄せる。
それから、さっと成歩堂の格好に視線を走らせて、下で止まったままになる。
「また、痩せただろ」
「またって、お前」
言い返そうとした成歩堂のGパンを、ぴたり、と矢張は指す。
「新品」
三人中、もっとも服に気を使っている矢張に隠すのは無駄と覚ったのか、成歩堂は否定はしないままに眉を寄せる。
「異議あり、今の証言には根拠がありません」
「法廷ネタで逃げるな、こないだ会った時も、かなり新しいGパンだったくせに。格好構わずなお前がそうそう簡単に服に金かけるもんか。ついでに言ってやる、今日遅れたのはコレの長さあわせてたからだろ?」
幼馴染ならでは鋭さに、成歩堂は困惑の度を深めつつも言い返す。
「確かに正解だけど、僕が痩せたっていう根拠にはならない」
「ふうん、じゃ、サイズ申告してみな?」
本当に困惑しきった表情へと変わる。
「あのさ、なんでそんなに痩せたことをつっつかれなきゃいけないんだよ?」
「本当のこと言わないからに決まってるだろ」
真剣になにかに腹を立てている口調なのに、成歩堂も御剣も、少々眼を見開く。
「私が肝心のこととやらがわかっていないというのと、成歩堂が痩せたということは関係が……」
そこまで問いかかった御剣は、矢張の顔つきから答えを理解して口をつぐむ。
その二点で矢張が腹を立てているのは十分理解したが、だからと言って理由がさっぱりだ。成歩堂が、首を傾げる。
「僕が痩せたのは不可抗力だよ?あの時は冗談でなく以前の十数倍の仕事になったんだからさ。今回の件じゃ真宵ちゃんが誘拐されてしまったし……さすがに、真宵ちゃんの命がかかってる状況で、しっかり食べて寝れるほど無神経にはなれないよ」
奇跡的に解決した後である今は、成歩堂の知名度を更に上げる、という結果で一見メデタシなのだが。
渦中では、依頼人を無実にするためには手段を選ばないと法廷内でもブーイングの嵐もあって、何事も無いような顔つきで法廷内に立ち続けるのは相当な苦痛だったに違いない。
「弁護士、成歩堂龍一も死ぬべきかもしれない」
ぽつ、と御剣が口を開く。
矢張の憤慨具合を見ていて、その言葉を口にした時の成歩堂の追い詰まり方が、やっとわかってきたのだ。
「あ、あれはゴメン、つい弱気な発言しちゃって」
照れ笑いしながら頭をかく成歩堂を、じろり、と矢張が睨む。
「どうせ、それだけだろうが」
「いや、あの時は私が切り捨てたから」
本気で怒り出しそうな顔つきの矢張を、御剣が制する。
が、相変わらず困惑したままの顔つきの成歩堂に、矢張は半ば吐き捨てるように言う。
「あのな、口にしなけりゃいいってもんでもねぇんだよ。目の前でどんどん痩せていかれてみろよ、愚痴って済むならそうしろと言いたい」
一気に言われて、成歩堂は目を軽く見開いてから、もう一度頭をかく。
「ああ、そうか、ゴメン」
素直に頭を下げる。
「確かに一人で悩んで痩せてってるようにも見えたよな、悪かった」
見えた、のではなく、半分以上は本当だと思うが、それ以上はツッコまずに、矢張は御剣へと向き直る。
「その、私もすまなかった……まさか、そんなことになっているとは思いもよらなかった」
痩せるほどに忙殺させ、奔走させているなんて。
「そんなに、私のことを心配してくれていたとは思わなくて……」
「「心配して当然だろう」」
成歩堂と矢張の声が重なって、御剣は目を丸くする。
いくらか照れ臭そうに視線を見交わしてから、成歩堂が幾分小さな声で付け加える。
「御剣にとっては迷惑なことなのかもしれないけれど、僕たちは御剣のことを大事な友達だと思っているから」
だから、あんなメモを見たら、必死で探そうとするし、そのことで痩せるほどに悩んだりもする。
友人だから、ごく当然のこと。
「はい、今なんと言った?」
矢張が、すかさず成歩堂に切り返す。なにが言いたいのか、もう成歩堂にもわかっている。いくらか躊躇いがちに、でも素直に口にする。
「ああと、僕たち……」
「で、成歩堂の前にいるのは?」
「矢張と、御剣」
少々音量が減ったのを補完するように、矢張の声は少々大きくなる。
「俺たちだって、成歩堂の様子がおかしいとなったら心配するのが当然だろうが」
俺たち、の「たち」の部分に強いアクセントを置いて言う。
姿を消していた御剣はともかく、矢張は、いつもと変わらぬ笑顔のままで、あからさまに痩せていく成歩堂を見ていたのだ。
仕事は、成歩堂本人が言うとおりに何倍にもなった。それでも、成歩堂は行方がわからない御剣を探し出そうとしていた。
誰にも、なにも言わずに。
「……すまなかった」
はっきりと頭を下げたのは、御剣だ。
「私のことで、二重に心労を与えてるとは思いも寄らなかった」
自身の行方がわからなくなったという事実と、そしてそのことで痩せていく成歩堂。心情がわかるだけに何も言えなかったけれど、矢張だってずっと心痛だったのだ。
「ごめん、そんなあからさまに痩せてるとは思わなかったんだよ、スーツも同じ色にしてたし」
成歩堂も、ぽりと頭を掻く。
「だから、俺にそういう姑息な手を使うなっての」
「うん、そうだな。そうだよな、ゴメン」
それから、にこり、と笑う。
「ありがとうな、心配してくれて」
「バカやろ、笑って誤魔化すな!」
言い返しながらも、矢張の顔には照れ臭そうな笑みが浮かぶ。
どうやら、誤魔化すなと言いつつ、誤魔化されてくれそうな雰囲気だ。
御剣の顔にも、笑みが浮かぶ。
「ほう、その手があるわけか」
と、にっこりと笑みを大きくする。
「私も礼を言う。ありがとう」
「二人とも、ズルだ、それ!」
成歩堂と御剣は、どちらからともなく顔を見合わせる。
「ズルかなぁ、でも、嬉しいよね」
「ああ、嘘はついていない」
矢張は、誤魔化されきる前に、大事なことだけは言っておかねばとばかりに声を大きくする。
「御剣、てめぇ連絡先教えとけ!海外だろうが国内だろうが、絶対に繋がるヤツ!」
「携帯になら、どこでも繋がるが」
「言え、今すぐに言え」
そうして、それぞれの携帯に番号を登録し終えてから。
「今日は、二人のおごりだからな!」
「成歩堂遅刻分のジョッキ二杯が終わってからな」
すかさず御剣が返して、大笑いになる。
「なーんだ、そういう店でいいんだ、楽でいいなぁ」
と、成歩堂。
「あ?くそ、もっとイイ店見つけてやる!」
異様な早足で、矢張はぐんぐんと歩き始める。
距離が空いたのを見て、二人も慌てて追いかけ始めようとしたのだが。
はた、としたように、足を止めたのは御剣。
「どうした?」
すぐに、成歩堂が足を止める。
矢張は、まだずんずんと進んでいく。御剣の声が、聞こえないくらいに。
その距離に、少し微笑んでから、御剣はまっすぐに成歩堂に向き直る。
「成歩堂、余計な苦労をさせてしまったようだ。済まなかった、そこまでは考えが及んでいなかった」
なんのことを言われているのか、成歩堂にもすぐにわかったらしい。照れ臭そうな笑みが浮かぶ。
「いいよ、もう。仕事のことも考え直せたし、僕だって子供っぽく勝手にすり替えてたんだからさ」
あっさりと言ってのけた笑顔は、なんの翳りも無い。矢張は、成歩堂はそこまで強いわけじゃない、と言ったけれど。
やはり、自分なんかよりもずっと強いと、御剣は思う。
「ほら、置いてかれるよ」
成歩堂の指先の矢張は、かなり小さくなりつつある。
「ああ、行こう」
「ほら、置いてったらおごりようないって!」
成歩堂の声に、仕方ないなぁという雰囲気で矢張が振り返る。
二人が追いついて、それから。
「どこでもいいが、美味い店にしろ」
御剣が言い、成歩堂が頷いて矢張が胸を叩く。
外灯の下、ゆっくりと三人の人影が街中へと消えていく。

2004.04.08 Infinitely of Comradery




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