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必然の帰結



今晩の旦開野の出来も、昨日に増して良かった。
昨今の伸びは、目を見張るばかりだ。
軽業は元々得意だったが、その身の軽さを生かした舞は蝶か小鳥かと囃されている。田楽一座の花となる日も、そう遠くはあるまい。
座長は、そんなことを考えながら旦開野こと毛野のいるはずの場へと顔を出す。
が、そのまま足を止める。
あれほど見事に踊ったのに、鏡を覗き込む顔がどうにも不機嫌だ。鬼気迫るほどに真剣と言った方が正確か。
しかも、時折、自分の肩やら腕やら、なにか確かめるように叩いてみている。
怪訝そうだった座長の顔は、危惧のそれへと変化する。
「毛野、どうした?怪我でもしたか?」
その声に振り返った毛野は、鏡を覗き込んでいた時と変わらぬ顔つきで座長の前まで歩み寄る。
口も開かず、いきなり、まふっと胸へ手を置く。
「おい?」
返事が返らぬまま、毛野は座長の胸の感触を確かめるように、もふもふと押す。
「おい、なんのつもりだ」
再度の問いに、誰もが銀の鈴をふったようなと褒める声で、ぼそり、と答えが返る。
「ふわふわだ」
「は?」
返答になっていない答えに、座長の口がぽかん、と開く。
真剣な瞳が、座長を見上げる。
「ふわふわなんだ、私以外」
怒った声音でもう一度言って、毛野は座長の胸をもう一度押す。
「何でだ?どうしたらこうなるんだ?」
ふわふわ、の意味が、やっと飲み込める。
どうやら毛野は、胸のことを気にしているらしい。数えで十二と言えば、女らしさが現れる頃だ。実際、座にいる毛野と同年代の娘達は次々に女らしい丸みを帯びてきている。
自分だけが、骨ばったままなのが納得いかないのだろう。
毛野の母の他に真実を知る、数少ない人間のうちの一人である座長は、喉元まで出かかった笑いをかろうじて飲み込む。
何事にも長じている毛野だが、こればかりは逆立ちしてもムリだ。
なんせ、女じゃないのだから。
聡いくせに、この事実にだけは未だ気付いていないのがおかしいくらいだけれども、周囲の環境と生まれてからずっと信じきっているのの合わせ技なのだろう。
身の軽さを生かしての軽業も多くこなすから、ふわふわとはかけ離れるばかりに違いない。
さて、どうしよう、と座長は心の中で首を傾げる。
真実を告げる役目は、自分ではなく母親だ。
ということは、ここはそれ以外で毛野が納得しなくてはなるまい。機嫌を損ねたままでは、明日の公演に差し支える。
「さてな、少なくとも私は何をしたわけでもないが」
毛野の問いに、事実を答えてから、にやりと笑って覗き込む。
「別に気にすることもなかろう?毛野の踊りは誰よりも上手いのだからな。その証拠に男どもは皆、お前のことばかり見ているではないか」
言って、つん、と頬をつつく。
不機嫌そうな顔つきのまま、ややしばし黙りこくっていた毛野は、やがて自分なりの答えに到達したものらしく、ヒトツ頷く。
「わかった」
「良し、では明日の演目を確認するとしよう。来い」
先にたって歩き始めた座長の後ろを、毛野は素直についていく。
その足音で、吹っ切れたことを察して、座長は笑みを浮かべる。
まさか、毛野の答えが頬をつついた指から得られていたとは、知る由も無く。



それから何年かの時が過ぎ、旦開野ではなく、犬坂毛野胤智として里見家に仕えるようになった後。
相変わらず、そこらの女性よりもずっと端正な顔を、犬田小文吾悌順に今にも触れそうなほどに近付けながら、力説する毛野の姿が見られたと言う。
「いいか、私が身を持って体験したのだから真実だ。女は胸じゃない、顔なんだ!」

その発言で、犬士たちの間に色々と衝撃が走ったのは、また別の話。

2006.02.07 Necessary conclusion




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