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密やかな約束



稽古を終えたペルは、不思議そうに首を傾げる。
「チャカにしては、随分と早起きだったな?」
「ん?そりゃ、訓練サボるわけにはいかんしな」
あっさりと答えて、に、と笑みを浮かべる。
「今日は俺もお前も、後が忙しいだろ」
「後が忙しい?なにか指令が降りたのか?」
ごくごく真面目な顔で返されて、チャカは飲みかかっていた水を吹きそうになる。どうにか堪えて飲み下し、半目でペルを見やる。
「お前、本気でそれ言ってるのか?」
「なにがだ?なにか変なことを訊いたか?」
微妙に頭痛がしてきた気がして、チャカは思わずこめかみを押さえる。
この親友は真面目が取り得のとてもいいヤツだと思うが、どうもこういう手合いには鈍すぎて困る。
「あのなぁ、今日が何の日か……」
言いかかったところで、さざめく様な柔らかで華やかな声が近付いてくる。
「チャカ様、ペル様、お早うございます!」
着飾った女たちが、口々に挨拶をしながらこちらへと向ってくるのを見て、チャカは笑顔で手を振り返す。
「おはよう」
「おはようございます」
ペルも、礼儀正しく頭を下げる。
「チャカ様、お時間ございまして?」
「今年も私のお茶を飲んでくださいまして?」
口々に言いながら、あっという間にチャカを取り囲んでしまう。
彼女らの言葉で、ペルも思い出す。そういえば、今日は女性たちが想い人にお茶を煎れる日だ。去年、朝一番のお茶は一番効き目があるのだ、とビビに手を引かれて彼女の煎れたとてつもなく渋いお茶をごちそうになった。
でも、一番の祈りのお茶を自分に煎れてくれた小さな姫君の心遣いがとても嬉しかったのを、良く覚えている。
なるほど、それでチャカは急いでいたのだな、と納得する。
にしても、今年も人気があることだ、などと他人事のように考えていると。
「ペル様」
やって来た侍女たちの中の一人が、ペルへと笑みかける。
「どなたかと、お約束がございまして?」
「え?私ですか?」
驚きのあまり、目が丸くなってしまう。自分には、ついぞ縁がないと思っていた。まさに寝耳に水である。
その顔つきに、チャカが笑う。
「そりゃあ、アラバスタ最高の剣士ともなれば、お茶を煎れたいと思う女性も多いだろうよ」
確かに、今年は初めて武芸大会で優勝した。
体格でチャカに劣る分は、スピードでと訓練してきた成果が見事に現れた結果だった。二人ともが、悪魔の実の能力に頼らずとも武芸のみで充分に誰よりも勝って見せると腕を磨いてきた成果でもある。
だが、それと、今年いきなり声をかけられたことの関連性が掴めずに、ますますペルは困惑の顔つきになる。
だいたいのペルの思考がわかったのだろう、チャカはますます可笑しそうな笑顔になりつつ、フォローしてくれる。
「まぁ理由はなんだっていいじゃないか、ともかくお前のためにキレイに着飾って、しかもお茶を用意してるって言ってくれてるんだぞ?なんか言うことあるだろうが」
確かに、こちらへと微笑みかけてきている侍女は、実にきれいに化粧をしているし服もキレイだ。それが自分の為だなんて言われたら、やはり、正直に嬉しい。
が、どう答えていいのやら、想像もつかない。
「まぁ、私もペル様にお茶を煎れたくて参りましたのよ?」
別の侍女が、やはり笑顔を浮かべて近付いてくる。
「あら、私だって」
似たような単語がいくつも重なり、あっという間に囲まれてしまう。
すっかり困惑の顔つきになっているのに、チャカが可笑しそうに笑っている。
最初に声をかけた侍女が、にっこり、と微笑む。
「先ずは、私のお茶を飲んでくださいませ、ね?」
ちょこん、と首を傾げて、手を伸ばしてきたその時。
「ダメぇ!」
訓練場全体に響き渡った声に、誰もが目を見開く。
一斉に声の方へと視線をやる。
そこには、青い髪の小さな少女が、仁王立ちになっていた。
「ビビ様」
ペルが名を呼ぶと、ビビはきっとペルを見上げてくる。
「ペルのお茶は、私が煎れるの!」
ビビが、誰よりもペルに懐いていることは、この城にいる者ならば誰でも知っている。甘えられるがままに、ペルがかわいがっていることも。
しかも、滅多なことでは我侭を言わない王女に主張されたら、誰が逆らえるだろう?
「まぁ、ビビ様からなんて、うらやましいですわ」
「ホント、これでは敵いませんわね」
侍女たちは、柔らかに微笑みながら、衣擦れの音をさせて離れていく。
チャカも、にこりと微笑むと、ビビの頭を軽く撫でる。
「ペルがうらやましいですよ」
「あら、チャカにも煎れてあげるわよ?私の煎れたお茶も入るだけの余裕が、お腹にあったらね」
にまり、と笑われて、チャカの顔に余裕の笑みが浮かぶ。
「当然、ビビ様の分のお腹も空けておきますとも」
そして、その笑みのまま、自分の周囲の女の子たちにも笑みを向ける。
「さて、お茶をご馳走になりに行きましょうか」
笑いさざめきながら、チャカを中心に華やかな集団が離れていく。
それを見送って、ペルは、ひとつ息をつく。
なんだか、ほっとしたのだ。
自分の為にお茶を煎れてくれるという好意は嬉しいが、あれだけの人数の女性たちに囲まれると、どうしていいのやらさっぱりだ。
「油断も隙もあったもんじゃないわね」
ぽつり、と聞こえてきた声に、ペルは視線をビビへと戻す。
どうしたのか、ビビは頬を膨らませて彼女らを見送っている。
「ビビ様?」
相変わらず、なにやら機嫌の悪そうな顔がペルを見上げる。
「ペルもペルよ、ダメじゃないの!武芸大会で優勝しなきゃペルの良いところがわからないような女に、騙されちゃダメよ!」
ペルの目が、それこそ真ん丸くなる。
まさか、こんな幼い少女に女のことで説教を喰らうとは。
確かに、去年、誰も声をかけてこなかった自分に、真っ先にお茶を煎れてくれたのはビビだ。
膝を折り、ビビへと視線を合わせて微笑む。
「ご忠告、肝に命じて置きます」
「本当かしら?」
ビビは、疑うように目を細める。
「ペルはこういうことにはことさら鈍いって、チャカが言っていたわ」
「う、まぁ、それはそうですが」
はっきりと言われてしまい、言葉に詰まる。
つい先ほどまで今日がなんの日かすら覚えておらず、取り囲まれてはどうあしらっていいのかもわからなかった。
ビビの指摘は、実に的確である。
「ううん、そうね」
なにやら難しげな表情で首を傾げることしばし。
やがて、重々しく頷く。なにやら、結論に達したものらしい。
「いい、ペル?毎年この日に、ペルに一番のお茶を煎れてあげるのは私よ。私以外のお茶を飲まないって、約束してちょうだい」
「約束、ですか?」
いくらか戸惑って訊き返す。
「そうよ。約束したら、他の人のお茶飲んだりはしないでしょう?」
「……なるほど」
わかったようなわからないような理論だが、ビビは本気であるらしく、真剣な顔つきで見つめている。
「わかりました、お約束いたします」
「いいわ、わかったのなら許してあげる」
鷹揚に頷いてみせてから、にこり、と笑う。
「さぁペル、今年も私が一番のお茶を煎れてあげるわ!」
きゅ、と手を握り締めてくる。
小さな手を握り返して、ペルも立ち上がる。
「はい、ご馳走になりましょう」
満面の笑みで、ビビはペルを見上げてくる。
「ねぇ、ペル、私も約束するわ。毎年この日は、私の一番のお茶をペルに煎れるわね!」
ペルの顔にも、笑みが浮かぶ。
「それは光栄です」
毎年、大事なお茶を二人で。
それは、小さな密やかな約束。

2004.05.16 A Secret Promise




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