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砂上の楼閣に見る夢



激痛を感じたのが先だったのか、目覚めたのが先だったのか、そんなことはわからない。
視界に入った白が、己の目がかすんでいるせいではない、ということだけは認識出来た。
アラバスタによくある、砂レンガを固めた家の天井によく似ていると思うが、確信は出来ない。
派手に頭を殴られているような感覚が酷すぎて、思考が全くまとまらない。
ついでに、視界もぐらぐらと揺れている。
なにか、考えねばならないことがあるはずなのに。
とても大事なことだ。
ああ、そうだ。
俺は、生きているのかどうか……
やっとのことで、そこまで考えたところで、ふ、と、己の側に人の気配を感じる。
「おお、目が覚めたようだな」
ほっとしたのが滲み出ている声。
躰の感覚と、その声とで、おぼろげには予測しつつも、にわかには信じがたくて問いかける。
「俺は……」
「いやもう、驚いたのなんのって。空から降ってきたもんだから」
手にしているモノから察して、医者なのだろう。助けてくれたのだ、と理性が理解する。
「随分と、世話をかけたようだな」
「なぁに、これが仕事だからな。気にするな」
視界に、笑顔がうつる。
「それよりも、まだ熱もケガも酷いから、無理に起き上がらんようにな。まったく、頑丈な躰で良かったよ、生きとるのが奇跡のようだ」
最後の方は半ば独り言のようだ。
微苦笑が、ペルの口元に浮かぶ。
やはり、生きているらしい。
となると、確認せねばならないことがある。包帯でぐるぐる巻きにされてるらしい首を、無理矢理に医者の方へと向ける。
「ドクター、アルバーナで大きな戦闘があったのをご存知だろうか?」
「ああ、知ってるよ。知らない方が珍しいだろうな。なんといっても、英雄と言われてきたクロコダイルがこの国を乗っ取ろうとしていたなんて」
そこまで言って、医者はやっと、なぜペルが空から降ってきたかに思い当たったらしい。というか、これだけの怪我をするような出来事は、その戦闘しかあるまいと気付いたらしい。
結果を、口にする。
「国王軍も反乱軍も和解して、雨も降って、そりゃもう皆お祭り気分のところだよ」
クロコダイルの正体が暴かれて、雨も降ったということは。
彼女の願いは叶ったのだ。
「……そうか」
なんとなく感覚のある右腕を、自分の眼の上に上げる。
視界が回ってきて、とても目が開けてられなかった。
空から落ちてきた、とは、言い得て妙だ。
まさに、空になりそこなったわけだから。
視界と同化するように、思考も回る。
これから、どうしようか?
当然、アルバーナに帰るべきだ。
護衛隊の副官という、重責を背負っている身の上だ。
生きて、剣を握ることが出来る限りは、このアラバスタを守るべきだ。アラバスタには、これからの方が人が必要になるはずだ。
復興は、破壊よりもずっと労力を必要とするのだから。
理性では、わかっている。
わかっているのに、生きているのだとわかってから、ずっと別の考えがぐるぐると回る。
回るのではない、脳内を侵食していっている。
これはたったヒトツのチャンスなのではないだろうか。
空に舞い上がるたびに、視界に広がる遠い青。
この世界は、とてつもなく広い。
あの向こうに、何が待っているのか。
心のどこかで、ずっと思い続けている。
死んだ存在ならば、どこへ行こうと構わないのではないのか?
今、この身には、なんの枷も無い。
チャンスは、今しか無い。
起き上がって、飛び立って。
向かう方向はアルバーナでなくても……
では、向かいたい先は?
この国から、この国の人々から、返しきれぬほどに受けた恩を捨てて、どこへ飛ぶのだ?
向かいたい、場所は。
ずきん、と躰のどこかが軋む。
ますます、頭の中はぐるぐると回り出す。
一向にまとまらない思考の渦に落ちるように、意識は遠のいていく。

「私、少しだけ冒険したの」
しゃんと立つ、青い後姿。手が届きそうで届かないところに立って、海を見つめている。
誰よりも守りたいと思った少女は、いつの間にか大きくなっていた。
「暗い暗い嵐の中で一隻の小さな船に出会ったわ。私の背中を押して言うの、「あの光が見えないのか?」って」
力強い声。
前を見据える目は、まっすぐに違いない。
彼女は大きな世界を知った。
そして、かけがえのない仲間を見つけた。
もう、彼女は自分で自分を守ることが出来る、一人前の人間だ。
彼女の未来は、彼女の手の中にある。
きっと、彼女は。
「みんなァ!」

「……?!」
あまりにリアルな彼女の声に、目を見開く。
「ああ、目が覚めなすったな。ちょうどいいところだよ、ビビ様が立志式をされてね、今、皆に話をしてくださってるところだ」
立志式?ああ、そうだ、と思う。
本来ならば、二年前に済んでいたはずだが、国を飛び出していたので執り行えなかったのだ。
いや、そうではなくて。
混乱しつつ、躰を起こす。
どうやら熱は引いてくれたようで、一度目が覚めた時よりも、ずっと楽に躰は動く。
「おいおい、まだ起きるのは無理だ」
慌てたように言う医者に、笑顔を向ける。
「大丈夫だ、この程度は」
「なにを言ってる、そこらじゅう裂傷と打撲と骨折だらけなんだぞ」
言われて見てみれば、たしかに包帯だらけで動きづらいことこの上ない。
そこかしこが、様々な痛みを訴えているが、動けないというわけではなさそうだ。
確かめるように、手を握り締めてみる。
「私……一緒には行けません!今まで本当にありがとう!」
はっきりと耳に飛び込んできたビビの声に、弾かれるように顔を上げる。
「冒険はまだしたいけど、私はやっぱりこの国を愛してるから!」
自分の眼が見開かれるのがわかる。
まさか、この国に残るのか?
せっかく手に入れた翼を、自ら捨てて?
この国の為に、この国が好きだから。
ああ、やはり彼女には敵わない。
彼女がこの国に残ると言うならば、選択肢は、一つしかない。
約束したから。
いつかまた、背に乗せて飛ぶと。
他はいざ知らず、彼女との約束だけは、自分は破ることは出来ない。
あんな遠い約束など、とっくに忘れているかもしれない。
もしかしたら、目前で、もういらないと言われるかもしれない。
それでも、構わない。
口元に、我知らず笑みが浮かぶ。
「帰らなければ」
その言葉は、はっきりと口から出る。医者は、驚いたように目を見開く。
「なにを言い出すんだ、まだ動くのは無理……」
言われている側から、まっすぐに立ち上がってみせる。
「それでも、帰らなければ」
笑みを向けられて、医者は言葉を失ったようだ。
肩をすくめ、大げさにため息をつく。
「言っても、無駄なようだな」
ペルは、無言で肩をすくめてみせる。
そう、言っても無駄だ。
なぜ、一瞬でも忘れたりしたのだろう?
いや、忘れたかったのかもしれない。
自分のことなど忘れて、高く遠く羽ばたこうとする、唯一無二の存在のことを。
結局のところ、そんなことは、とうてい無理だ。
というよりも、この国を離れて飛び立ちたい衝動の正体からして。
慌てて、軽く首を横に振る。
「ドクター、大変に世話になった。この礼は」
「アラバスタのために戦ってくださったんだろう?礼などいらんよ」
その笑顔に、微かに後ろめたいものを感じつつ、深く頭を下げる。
「ありがとう、世話になった」
「家に帰ったら、まだしっかり休まにゃイカンぞ」
心配げに続ける医者を背に、歩き始める。
砂の、確かな感覚。
歩を進めるたびに、早くなっていく。
「おいキミィ!待ちなさい!」
小さく、声が聞こえる。
「帽子を忘れとるぞ!」
手を伸ばしてみて、なるほど、と気付く。包帯のせいで、いつも肌身離さなかったモノがなかったことに気付かなかったらしい。
口元に薄い笑みが浮かぶ。
振り返る代わりに、腕にしっかりと巻きつけられている包帯を解く。
ふわり、とそれは羽毛へと変化する。
体中が、ひどく軋む。
まだ、無理だと、言いたげに。
無理なことなどあるものか、と自分自身に言い返す。
ただ一人、守りたい人がいる場所へ、早く行きたいだろう?
体中が答える。
もちろん、一時でも早く。
風が、吹く。
砂の上に、はらりと一枚の羽が落ちて。
それは、あっという間に大きく翼を広げたハヤブサの影に消えていく。

2004.11.04 Dreaming in Castle in the Air




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