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空翔る騎士と風纏う姫君の物語



早足で歩きつつ、ペルは低く小さく呟く。
「御伽話だ」
そう思うのに、なぜ来てしまったのだろう?
馬鹿らしい、と理性は告げているのに、反比例するように足は早まるのだろう?
ずっと側にいた青の髪に青の瞳ゆえに水に祝福されたと言われる姫君が、水の精霊の化身などあり得ない。
アラバスタを不穏な影が覆うまではよくやられた、チャカのたわいもないイタズラだ。
そう、思うのに。
水の精霊が水の神に祈るとチャカに教えられた氷室の扉が開いているのに、ぎくりとしなければならないのだろう?
どうかしている。
だが、確かにそこにいる。
間違いようの無い、微かな気配がそう告げる。
ともかく、落ち着かなくては。
言い聞かせながら扉を引いて、また、ぎくりとする。
冷えきった床に膝をついて、まるで祈るようではないか。
「ビビ様、このようなところで何をしておいでです?」
声で、初めて背後の気配に気付いたらしい。ビビは、目を見開いて振り返る。
「ペル?!」
ごまかそうとしている時の顔だ。ペルは軽く眉を寄せる。
「そのような格好でこのような場所におられたら風邪をひかれます」
ビビは、にこり、と微笑むが、動こうとはしない。
「ええ、そんなに時間はかからないわ、大丈夫よ」
てこでも動かない、と瞳が言っているのに、かろうじてため息を飲み込む。
この瞳の時は、強引に言っても頑なになるばかりだ。
ビビとのこの手の根比べなら慣れている。
「すぐお済みになるのですね、ではこちらでお待ちいたします」
また、ビビの目が見開かれる。
「ダメよ!」
「ダメ?」
ペルにおうむ返しにされて、ビビは今度は困った顔つきになる。
「ええと、その……と、ともかく、ペルは部屋に戻ってて」
「承服いたしかねます」
ぴしり、と返す。
素直に部屋に戻ろうものなら、いつまでここにいるかわかったものではない。
ただし、氷室の中に残ってもコトが長びくばかりなのも知っている。
「扉の外でお待ちするなら、お邪魔にはなりませんね?」
ビビも、ペルが言い出したら動かない性格なのはわかっている。小さく肩をすくめて頷く。
「ええ」
肩をすくめるのと同時に、軽く震わせたことに気付く。やはり、寒いのだ。
ペルは舌打ちしたくなったのをこらえて、ビビの前に立つ。
「このような格好では風邪をひきます。俺ので申し訳ございませんが……」
自分の上着を脱ぐと、ビビの肩にかける。
ほとんどむき出しになっていた腕が、冷えきっているのがわかる。
このままほうっておいたら、氷へと同化してしまうような。
肩に軽く手をかけたまま、止まってしまう。
「ペル?」
ビビが、不思議そうに首を傾げる。気のせいだろうか、ほんの少しだけ、頬に血の気が刺したように見える。
その表情に我に返って、慌てて手を離して一歩下がる。
「申し訳ありません」
が、そこから足は吸い付いたように動かない。
このまま目を離してしまったら。
あるわけがない、御伽噺だ。
でも、また、あの時のように、突然姿を消してしまったら?
今度こそ、二度と戻ってこなかったら?
「ビビ様、ヒトツだけお願いを申し上げてもよろしいでしょうか」
いきなり膝をついて見上げられて、ビビはいくらか戸惑った顔つきになりつつも、ペルの顔を覗き込む。
「これから先、ビビ様のことは俺が守りますから、もう二度と、いなくなるようなことはなさらないで欲しいのです」
「ペルは、いつも私を守ってくれているじゃない?」
吸い込まれそうな青の瞳が、ペルを見つめる。
「護衛隊副官という意味で無く、どこへ行こうとなにがあろうと」
いくらか、ビビの目が見開かれる。が、次の瞬間には、満面の笑みが浮かぶ。
「ごめんなさい、心配をかけて。ここはホントに寒いわよね、出ましょう」
いきなり顔つきが変わった上に腕を引かれて、今度はペルが戸惑った顔つきになる番だ。
が、外の暖かい空気に触れた途端、己が口走ったことが甦る。
御伽噺に踊らされて、とんでもないことを口にした。
我知らず、口元に手が行く。
数歩先を行っていたビビは、ペルがかけた上着を大事そうに両手で掛け合わせながら振り返る。
相変わらず、満面の笑顔だ。
「ねぇ、ペル?」
「はい」
きっと、困った顔つきになっているに違いない。ビビの笑顔は可笑しそうになる。
「私も、ペルに約束して欲しいことがあるの」
ペルは、軽く首を傾げる。
「なんでしょうか?」
まっすぐにペルを見上げるビビの顔から、笑みが消える。視線が、痛いほどまっすぐに見つめる。
「例え、誰を守る為であっても、命をかけるような真似はしないで。お願いよ」
「……努力します」
困惑しきって答えると、ビビは眉を軽くつり上げる。
「ダメよ、だっていなくなってしまったら、そこから先は誰が私を守ってくれるの?」
それから、くるり、と背を向ける。
なにか小さく呟いた声は、お月様がお願いをきいてくれたから大丈夫だと思うけれど、と言ったように聞こえた。
振り返った顔は、花のような笑みだ。
「ね、さっきのお願いは、私がどこへ行っても一緒にいてくれるってことよね?」
あれだけはっきりと言って聞こえてないわけがなく、ペルの顔はますます困惑気味になる。
なんせ、身分をわきまえていないにもほどがあるという自覚が十二分にある。
「僭越なことを……」
ペルの言葉は、ビビの声に遮られる。
「私がアラバスタの姫じゃなくても?」
顔は笑顔だ。
でも、ペルを見つめる瞳は、命をかけるような真似をするなと言った時よりもずっと。
小さな太陽のような姫君が、いつもいつも自分の側にいて笑ってくれていた本当の理由に、やっと気付く。
ふ、と笑みが浮かぶ。
「ええ、ビビ様が、ビビ様でいらっしゃる限りは」
「様?」
小さく口を尖らせられて、ペルは一瞬首を傾げてから、ああ、と口の中で呟く。
「やはり、ダメでしょうか」
「ダメよ、丁寧語も尊敬語もね。だって、私がどんな身分でも関係ないんでしょう?」
ふわり、と風が吹く。
青の髪が、さら、と揺れる。
「水よりも、風が似合いますね」
思わず出た一言が、また丁寧語だったことのよりも、その内容の方に驚いたようだ。ビビは、目を丸くする。
「え?」
「いや、こちらのことなので。それよりも丁寧語に関しては、努力しますということで見逃していただけないでしょうか」
「ダーメ、見逃しちゃったら、ペルは絶対に丁寧語で居続けるもの。二人の時は普通にお話して」
ペルは口元に苦笑を浮かべる。
「確かに言う通りだな……けじめがつけばいいか」
苦笑は、柔らかな笑みに変わる。
「本当に、いいのか?」
覗き込まれて、笑みが大きくなる。
「だって、チャカとかコーザとかと話す時と、私とだけが違っていたのよ?ずっとずっと、こうなったらいいなぁって思っていたの」
頬が染まる。
「……話し方だけじゃ、ないけど」
くるくると、よく変わる表情の中で、やはり笑顔が一番だと思う。自分に向かって笑ってくれている時が。
ペルの笑みが、大きくなる。
そっと肩を抱き寄せて、小さな柔らかい唇に、そっと触れる。
驚いて目を見開いている額に、もう一度、小さなキスを贈って、歩き始める。
「ペル」
慌てて追ってきたビビは、ペルの顔を覗きこんで、いくらか頬が染まってるのを見て、満足したらしい。
「ずるいわ、不意打ちなんて」
弾んだ声で言うと、その細い腕を絡める。
視線が合って、どちらからともなく笑みが浮かぶ。
風が、やわらかに吹く。

2004.11.16 Tale of the Flying Knight and the Princess of wind




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