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破邪の手



病の禍物が去るようにと祈っている場には近付かないように告げられていた。
いつもなら、小碓の為にお祈りするから待っていてね、と言われれば、いくらでもじっと待っていた。
が、いまはそんなことには構っていられない。いや、急がなければ小碓の命に関わるかもしれない。
また高熱を発した小碓は、皆がこんなに祈り続けているのに、ちっとも直る気配が無いのだから。
大碓は、勢い良く扉を開く。
小碓についた病が去るよう祈りを捧げていた母が、目を丸くして振り返る。
「まぁ、大碓。どうしたの?」
祈りを中断し、すぐに大碓の側までやって来た母は、心配そうな顔つきで大碓の顔を覗き込む。
「大碓、なにがあったの?どこか痛いの?」
母の暖かい手が頬に触れると、ここに来るまでの間、ずっと我慢していたものが一気にあふれ出してくる。
「こ、小碓は」
涙のせいで、声も喉につっかかるけれども、どうしても問わねばならない。
「小碓は、僕のせいで禍物に憑かれているの?僕が、小碓の元気も取っちゃったから、いつもいつも禍物が」
大碓の目前で、これ見よがしになされた会話。
宮女たちは、こちらを見つめながら、ひそひそと言ったのだ。
また、小碓命様はお熱を出されたとか。
まあ、ホント、禍物に憑かれやすいこと。
仕方ありませんわ、だってお力を大碓命様がお取りになってしまったのですもの。
そうねぇ、大碓命様は一度も禍物らしい禍物に憑かれたこともありませんものねぇ。
彼女らの言う通り、確かにいつも禍物に魅入られるのは小碓ばかりだ。
だとしたら、本当に大碓が小碓の生きる力を奪ってしまっているのかもしれない。
そう思ったらたまらなくなってきて、大きくしゃくりあげた瞬間、体が暖かくなる。
母に、思い切り抱きしめられたのだと気付いたのは、柔らかい声が降ってきたからだ。
「何を言うの、そんなこと、あるわけないでしょう」
「でも、でも、今も小唯は」
母が、泣きじゃくる顔を覗き込む。
「大碓、聞いてちょうだい。あなたは小碓の命を奪ってなどいないのよ。それどころか、守ってくれたの。助けてくれたのよ」
「僕が?小碓を?」
ぐしょぐしょの顔を、少しだけ上げる。
母は、優しく頷く。
「そう、小碓はね、生まれる時にも禍物に魅入られてしまったの。でもね、あなたがしっかりと離さずにいてくれたから、生を受けることが出来たのよ」
奇跡としか言いようのない出来事だったわ、と母は微笑む。
「普通はないほどに伸びた大碓のへその緒がね、小碓を絶対に離さないって腕を掴んできてくれたのよ」
おかげで、小碓も生れ落ちることが出来たの、と笑みは大きくなる。
「大碓は、小碓を守ってくれたのよ」
「本当?」
大きな眼をいっぱいに見張って、母を必死に見つめる。
「本当よ」
もう一度、母は頷いてみせ、やさしく頭を撫でてくれる。
「大碓、ここまで来てくれたのなら、一緒に祈ってくれるかしら?小碓から禍物が去るように」
「うんっ!」
力強く頷くと、母の隣にひざまずく。
母も、また祈り始める。
母にしてみれば、気休めの為だったかもしれない。
病気がちな小碓にかかりきりになることが多くて、放っとかれがちの大碓のことを気にかけていたから。
だから、まるで本当に大碓が禍物を祓ってしまったかのように、長引いていた小碓の熱はあっという間に下がってしまった時には、眼を丸くした。
「まぁ、まさか」
そんな母を横目に、床から起き上がった小碓へと、大碓は笑いかける。
「これからは、僕が小碓の禍物は祓ってやるからな」
「うん、兄上がいるなら、禍物なんてすぐにいなくなっちゃうね」
小碓も、頷いて笑い返す。

言葉通りに、大碓が側にいるようになってからというもの、小碓の病は早く癒えるようになった。
いつからか、小碓が病にかかることも少なくなっていった。
大碓の手が、禍物を祓ったのだと誰もが噂した。
その頃には、誰も大碓が小碓の力を奪ったのだなどとは言わなくなった。
代わりに、さすが日嗣の皇子よと言われるようになっていた。
あの頃は、なにもかもが上手く行くと思っていたけれども。
母が亡くなり、新しい母に疎まれるようになってから、何かが狂ってきていて、もう後戻りは出来ない。
「兄上?」
声に、はっと顔を上げる。考えに気を取られて、小碓の手をひどく強く握り締めていることに気付く。
「ああ、すまん。とっとと禍物よ去れと思っていたら」
照れ笑いをしつつ、少し力を緩める。
床の上の小碓は、にこりと微笑む。
「もう、熱の病は去ったようです。また、兄上にお助けいただきましたね」
「久方ぶりだったから、心配したぞ。もっとも、私がついているからには、この通りだが」
大碓も、笑い返す。
「が、あまり無茶はするなよ。時にこうして側におれぬこともある」
「はい、兄上にご心配をおかけせぬようにいたしませんと」
素直に頷くのを見て、大碓は苦笑する。
「心配は構わん、が」
かろうじて、声を飲み込む。
私を一人にするな。
大碓の顔に浮かんだ影に気付いたのか気付いていないのか、小碓は体を起こすと、空いた手を大きく動かしてみせて笑う。
「もう大丈夫です。もしも兄上に禍物が近寄ったら、私が祓いますから」
「そうだな、うん」
笑って、大碓も頷き返す。
それから、己の手を見下ろす。
母の命も、父の思いも引き止められぬこの手だけれど。
だから、ただ一人。
共にあろうと望んでくれる、ただ一人だけを。
守り続けられる手で、ありますように。
つなぎ止めていられる手で、ありますようにと。
ひそやかに、祈る。

2005.04.20 Ensure hand




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