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 日は何の日?  What day is it today?

悪くない感じの、昼下がりだ。
うららかな日差しが居間を照らして、ほどよい温かさなのもイイ。
パソコンの立ち上がりを待ちがてら、ジョンはカップの両側から紅茶とミルクを注ぐ。
なんの映画だったか番組だったか忘れたが、実に器用に美味しそうなミルクティーが出来あがってるのを見てから挑戦し続けていて、最近ようやく上手く調合出来るようになってきたところ。
色味からいって、今日も好みの濃さに入ったろう。
知らず、口元に笑みを浮かべつつ、ヒトツ頷く。
それから、視線を居間へと戻す。
この、のんびりとした空気に不協和音を奏でる、ヒトツのオブジェ、ではなく、人物。いや、今はやはりオブジェの方が合っている。
なんせ、世界で唯一の諮問探偵だかなんだかは、先刻から微動だにしていない。
多分、時折、瞬きくらいはしているだろうが。
生理現象だし、してなかったら人間じゃないし、とジョンは余計な思考を巡らす。
その程度には、ヒマだからだ。
ただし、本当に瞬きをしているかどうかの確認はしていない。いくらヒマだとはいえ、延々とシャーロックの顔を眺めるなどという気味の悪いコトはしたくない。
黙っていてくれる間は、ひとまずジョンの気分を害することは無い。
なんせ、入れ込んでる事件の無い間のシャーロックは、単なる不機嫌まき散らし機なのだから。
問題は、せっかく静寂を保っているシャーロックをオブジェから人間へ戻すキッカケを自分がつくるかどうか、だ。
だが、経験上、一人分のお茶を持って戻れば、絶対に不機嫌な視線が飛んでくる。
まるでそれが当然のように、「僕の分は?」と訊く確率が、およそ80パーセント。
いや、85パーセントか?
無駄になる確率が無い訳ではないのだが、高確率であるのは事実だ。
小さくため息をつき、肩をすくめてから、もうヒトツのカップに同じくミルクと紅茶を注ぐ。
ただし、コチラは少しだけミルクが多め、そして加えるメープルシロップも多め。
シャーロックは自分の好みを知らないのに、なんで俺がアイツの好みを把握しなきゃならんのだ、と微妙に腹立たしいのだが、覚えてしまったモノは仕方が無い。
それに、人に淹れさせるクセに、好みから外れていると実にウルサイ。
お茶のちょっとした味の齟齬程度でヤツアタリにも似た、というよりヤツアタリそのもののマシンガントークを聞かされるよりは、シャーロックが大人しく飲む、好みにぴったりのモノを淹れた方が自分の精神的な健康面に良い。
だから、仕方ない。
などと言い訳しながら、自分のカップにも控えめにシロップを加える。
ストレートティーやコーヒーにはなにも入れないのが好きだが、ミルクティーは少し甘味がある方が味がイイ。
で、どちらも混ぜて出来あがり。
ちなみに、メープルシロップはハドソンさんが知人からお土産にもらったという、ちょっと高級品だ。
自分では何もしないクセに、口だけは奢ったシャーロックが余計な味を覚えないといいが、と思いつつ、カップを手にする。
視点が合ってるのかないのかわからない目の前に、カップをつきだす。
「飲む?」
「ああ」
機械的に、ひょろりとした腕が伸び、ごく当然のようにカップは回収されていく。
こちらも当然のように、礼は無い。
シャーロックから礼が返ってきたら、それはそれでブログにヒトツ記事を上げるくらいには事件なので、小さく肩をすくめただけでジョンは自分のパソコンの前に座る。
口にしたミルクティーは、予測通りに自分好みだ。
シャーロックも静かなので、好みに合ったかカップを手にしたまま自分の思考に沈んだかのどちらかだろう。
静かなのは、良いことだ。
ざっとニュースサイトをチェックして、それから自分のブログを開く。
コメントをチェックして、返しを考えながら、キーボードを打ち始める。
やはり、リアクションがあるのは素直に嬉しい。しかも、好意的なコメントなら、尚更。
実に、満足のいく昼下がりだ。
だった、というべきか。
足音に、視線を上げる。
ノックとともに、顔を出したのはハドソン夫人だ。
「シャーロック、あなたに荷物よ」
宙に漂ったままの視線が、扉へと向けられる。
少々眉が寄っているのは、自分の思考が途切れさせられて不機嫌だからに違いない。
もう慣れっこになってしまっているハドソン夫人は、気にする様子も無く荷物を差し出してくる。
「珍しいわね、あなたが食品を買うなんて」
その言葉に、はじかれるようにシャーロックは立ち上がる。
「ハドソンさん、受け取ってくれてありがとう。待ってたんです」
「そのようね、日本食専門店ってあるけど、日本ってアレよね、東の方の」
ハドソン夫人の言葉が終わる前に、さっと、ひょろ長い腕が伸び、小さな包みをさらうように受け取ってしまう。
もう、彼の全神経は届いたばかりの荷物に注がれてしまっているらしい。
仕方ないので、ジョンが肩をすくめてみせる。
「日本なら、確かに東の小さな国ですね。確か、我が国と同盟を結んだこともあるはずですよ」
「あら、そうなの。あんまり変な食べ物じゃないと良いけど」
イタズラっぽく目をくるりとさせてから、ハドソン夫人は部屋を後にする。
その背を見送って、ジョンは立ち上がる。
集中力が途切れたので、ひとまずは空いたカップでも洗ってこよう思ったのだ。ちら、とシャーロックの方のカップを見ると、そちらも空いている。
アレコレと考えてはいたらしいが、お茶もしっかりと飲んだらしい。無言だったのだから、口に合ったのだろう。
それは何より、と心の中だけで呟き、がさごそと届いた荷物の包装を解いているシャーロックを横目にキッチンに向かう。
洗って戻った頃に、何を買ったかくらいはわかる状態になっているだろう。
ようするに、ジョンも東洋の果ての国の食品とやらに、興味深々なのだ。仕方あるまい、わざわざシャーロックが取り寄せるくらいのモノとなれば。
水音に、包み紙を破くように開く音はかき消される。
水を止めたところで、聞きなれた声が飛んでくる。
「ジョン!」
「怒鳴らなくても聞こえる、なんだ」
拭くのは後回しにして居間に戻ると、シャーロックはしごく真面目な顔つきで尋ねてくる。
「今日が何の日か知っているか?」
「……」
思わず閉口してしまうが、相手はシャーロックだ。世間の常識で測ってはいけない、とため息を飲みこむ。
「リメンバランス・デーだ。午前中、慰霊祭に行くと言ったろう?」
ついでに、机に一輪挿しになっているポピーを指してやる。今日の午前まで、ジョンの胸元を飾っていたモノだ。かつての大戦での戦死者への慰霊を込めた花。
アフガニスタンでの経験をした今となっては、心底、安かれと祈る思いだ。
シャーロックの眉が寄る。
「もっと説明が必要か?別名ポピーデー、激戦区だったフランドル戦線で戦後、この赤いポピーが多く咲いたと言われていて」
「違う、そうじゃない」
「何が違う」
思わず、きつく返してしまうが、シャーロックは全く意に介さない。
「日本じゃ他の日だ」
「知るか、そんなの」
「そうか、じゃあ教える」
珍しくイラつきもせずに言ってのけたのに、ジョンは少し驚きつつ頷く。
「ああ、何の日なんだ?」
「ポッキーの日だ」
「…………」
言葉と同じに差し出された箱が、えらくかわいらしいピンク色。
まじまじと見てみるに、どうも描かれているのはイチゴ模様であるらしい。
ポッキーとやらは、その背後に写っている棒状の物体のコトだろうか。食品と思しきソレは、なにやらほとんどがピンク色に染まっているように見える。
何はともあれ、意味がさっぱりわからないままだ。
かなりの間、無言になったが仕方あるまい。
「……は?」
やっと出てきた言葉が、この程度なのも仕方あるまい。
が、シャーロックは何か勘違いしたらしい。
「細長いポッキーが並んだ様子が今日の日付を思わせるから、今日はポッキーの日だ。いいか?」
わざわざ中身を取り出そうとするシャーロックを見て、慌てて口を開く。
「わかった」
その点は懇切丁寧に解説されなくても、理解可能だ。ジョンは、両手をあげて、シャーロックを制す。
「その細長いのを、数字の1に見立てるんだな。そのやたらピンク色のポッキーとやらを、わざわざ日本食良品店から取り寄せたってのも、わかった」
話の腰を折られて、シャーロックは少々不機嫌そうな顔つきになる。が、箱を開封しながら話を続ける。
「ゲームを、持ちかけられた」
「ゲーム?」
箱はあっさりと開き、中袋のようなものもするりと開く。日本の包装技術は、大変に消費者に優しい作りのようだ。
ふわり、と甘酸っぱいイチゴの香りが鼻をくすぐる。
「ホントに、イチゴなんだな」
思わず言う。シャーロックは一本取り出し、まじまじと眺めまわす。
「確かに、イチゴチョコレートの香りだ」
正確を期すのが大好きなシャーロックらしい表現だ。
にしても、ヒドイ絵ヅラではある。
なんせ、甘いチョコレートがかかった焼き菓子の隣に、仏頂面のシャーロック。どう見ても何かおかしい。
ひとまず、菓子の美味しさが半減しそうだ。
「開けたんなら、味見してイイ?」
「まだだ、話は最後まで聞くべきだろう」
シャーロックの方が腕が長いから、目前で腕を伸ばされてしまえば、ジョンの手には届かない。
「じゃ、さっさと話を終わらせてくれ」
要求すると、シャーロックはことさら難しい顔つきになる。
「頭脳と精神力を試される、実に高度なゲームだ」
「どんなゲームなんだ」
美味しいかまずいかはともかく、新しいモノを試してみたくてしょうがない上に、イイ香りをさせながらお預けくらってジョンも少々不機嫌だ。
「やり方自体は簡単だ。このポッキーを、二人で両側から食べていって、落とした方が」
「却下」
自分の反射神経を褒めてやりたい。ついでに、ある意味珍しいくらいの思考の速さにも、と、ジョンは思う。
午前の慰霊祭に、敬意を表する意味で持っていった点についても、同様だ。
でなければ、さすがにこんなスピードで構えることは出来なかった。
何がって、愛銃のFNブローニング・ハイパワー。
ジョンが名手と言える射撃の腕を持っていることを知ったマイクロフトは、シャーロックの身の安全を図るのに必要と判断し、どのように手をまわしたのか、ごくあっさりと免許取得となったシロモノだ。
「僕は、そのゲームには参加しない。どうしてもヤレっていうなら、撃つ」
いたって本気であることは、視線で充分に通じたらしい。
本能的にか、うっかりと両手を挙げたシャーロックは酷く渋い顔つきになる。
「野蛮な止め方だ。心理戦かつ頭脳ゲームでは僕に負けると思ってるのか」
「これに限っては、君がバカもバカ、スペシャルにとんでもなくバカだ」
銃を手にしたまま、ジョンは大げさに首を横に振ってやる。
案の定、シャーロックは大いに不満な顔つきになる。
「僕がバカだと?」
「ったく、心理戦だの頭脳ゲームだのって言葉に騙されてるんだよ、ちょっと考えればわかるだろ?いいか、二人の人間が、ポッキーとやらの両側から食べる。どっちも、負けたくないから、落としたくないから離さず食べる、で、どうなる?」
ジョンに早口にまくし立てられたシャーロックは、渋い顔のまま、少々考えたらしい。
「……顔が近付く。圧迫感が心理状態を更に」
「なんでそうなる、顔が近付いたら、唇も近付くだろうが!これは恋人同士、もしくはそうなりたい間柄の人間がやるか、そうでなけりゃ罰ゲームだ。人様の嗜好に四の五のいう気は全くないが、少なくとも僕は男とキスするなんざ、まっぴらゴメンだ!」
一気にまくし立て、ヒトツ、大きく息をする。
シャーロックは、難しい顔をしたまま、ジョンに尋ねる。
「罰ゲームとは、なんだ?」
なんだってこう、妙なところで常識がすっぱ抜けているのか、頭を抱えたくなる。
「だから、君だって僕とキスなんぞしたくないだろ?」
「当然だ、そうならないように頭を」
「いい加減にしろっての!ともかく、君と実際にやるのはゴメンだからな!あくまでゲームだと言うなら、不戦敗で構わない」
すっかり面倒になってきたので、再度、FNブローニング・ハイパワーを向ける。
「いいからソレ、普通に味見させろよ」
「あら、まあ、何の騒ぎ?」
後ろからの声に、ジョンは銃をうまい具合に隠しながら、振り返る。
「ハドソンさん、どうしたんです?」
「さっき、シャーロックが日本の食べ物を取り寄せていたでしょ?前に友達からもらった、日本のお茶があるのを思い出したのよ。一緒にどうかと思って」
と、差し出してみせた袋には、「Green Tea」とある。
確か、その名の通り、緑色のお茶のはずだ。ジョンは、頷き返す。
「ちょっと待って下さい、話を付けますから」
相変わらず、納得のいっていない顔つきのシャーロックへと向き直る。
「いいか、シャーロック。俺は絶対にやらないからな。やるなら、ハドソンさんとやれよ」
「へ、私と?何を?」
いきなり自分を出されて、ハドソン夫人が目を瞬かせる。きょとんとした彼女と剣呑な顔つきのジョンとの間を、数回、交互に見やった後。
みるみる、シャーロックの顔に別種の不愉快な表情が浮かぶ。敗北を悟った顔つきだ。
「わかった、僕もやらない」
やっと、誰だかにまんまとノセられたと理解したらしい。
「よくわからないけれど、話がついたのなら、お茶にしましょ」
「そうしましょう」
疲労した顔つきながらも、ジョンが立ちあがる。
こうして、いちごポッキーは緑茶のお供になり、三人に美味しくいただかれることになった。
結果的には、うららかな午後、と言えないことも無い。



シャーロックは、誰にノセられたのかは頑として口を割らなかった。
だから、誰がこんなとんでもないゲームを吹きこんだのか、ジョンにもわからない。
その後、ジョンはなんとなくの興味から、ポッキーとはいかようなモノかと調べてみて、いちごポッキーという選択自体もノセられていたのだと気付く。が、教えたところで、ヤツアタリされるのは自分なのが目に見えているので、無言のままブラウザのタブを閉じた。
多分、もう二度とこの部屋に、いちごポッキーが顔を出すことは無いと思う。

-- 2012.11.11



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