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夏の夜のLabyrinth
〜3rd. 夏の終わりに〜

■puzzle・9■



母親が泣いているのを見たのは、あの時だけだ。
ひどく、小さく見えたのを、よく覚えている。
彼女は、声もなく、ただ、泣いていた。
声をかけることができず、扉の向こうから、ただ、見つめるだけだった。
どうしようもない怒りがこみ上げてきたのは、それから少しして、だ。
いつも、入ってはいけないよ、と言われていた亮の部屋へ、怒りにまかせて飛び込んだ俊の見たものは。
人の、生活している部屋ではなかった。
そう、今の、総司令室そのもの。
そして、その部屋のたくさんのモニターには、全世界で流されているニュースが映し出されていた。
音と映像の洪水に、思わず、立ちすくむ。
その部屋の中央のいすに、小さな人影はいた。
「どういう、ことなんだよ?!」
返事は、返ってこない。
回り込んで、正面に立つ。
「俺たちを、だまして、なにしたんだよ?!」
表情のない瞳が、こちらを見つめ返している。
俊は、襟首をひっつかむ。
「どういう、ことなんだよ」
亮は、つい、と画面を指してみせた。
俊は、振り返りもせず、いらだたしげに怒鳴る。
「あんなたくさんあったら、わかんないに決まってんだろ!」
少しの間、亮は、俊のことを見つめていたが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
いままでの、片言ではない。
母親に、終わりを告げたときと同じ、澄んでよく通る声。
「どうしても知りたいなら、夜、中央公園の樫の木の下に来てください」
それは、夏祭りの終わりの日。
そして、亮は、来なかった。
翌日、俊は、母親について家を出た。

「それ以来、会ってないな」
忍は、相変わらず窓の外に目を向けていたが、ゆっくりと視線を、亮へと動かす。
「あ」
思わずあげた忍の声に、考えに沈みながら運転していた俊は、我に返る。
「どうした?」
「髪が……」
亮の髪が、窓から入る風にあわせて、さらさらと揺れている。
透き通りそうな色だった肌も、うっすらと人間らしさを取り戻しているのが、暗い中でもわかる。
コールドスリープ状態から、解放されつつあるのだ。
忍は、苦笑を浮かべる。
夜道のせいで、俊には見えなかったようだが。
体重が、さっきより軽くなった。
はっきりと意識が戻ってきているわけではないが、人の気配、は敏感に感じ取っているのだろう。
自分で躰を支えようとしているぶん、こちらにかかってくる体重は少し、減る。
誰にも、頼らない。
頼るつもりもない。
無意識に、否定する他人の手。
人の手を否定するのは。
人の手を要求をしないのは。
「……で、おまえは、今でも、怒ってるワケ?」
「怒っては、いないな……多分」
多分、というのが、俊らしい素直さだ。
「もういちど、聞いて見るっていうテもあるよな」
「なにをだよ」
「どうして、来なかったのか」
俊は、視線をこちらにチラ、と向けた。
「いまさら?」
「いまだから、かもしれないよ」
今は、どうして亮が、対『紅侵軍』戦のとき、優のことを『村神さん』と呼び、俊のことを『俊』と呼んでいたのか、わかる。
俊が、ぜったいに夏祭りに行こうとしなかったワケも。
「……今年、会ったよ」
俊が、ぽつり、と言う。
言葉足らずなのは、それを忍が補えると知っているからだ。
「樫の木の下で?」
「ああ」
窓の外に広がる夜景が、華やかになってきている。
首都、アルシナドはもう、すぐだ。



体温もだいぶ戻ってきているとはいえ、ひとまずは医者にみせなくてはならないだろう。
車を国立病院につけると、忍は、仲文の元へと亮を連れていった。
コールドスリープ状態のモノを人目にさらすわけにはいかないので、特別な場所のエレベーターに乗る。
階を指定して、壁に寄りかかる。
亮に視線を落とす。
氷の彫刻から解放されつつあるとはいえ、その顔色はまだ、ロウ細工のように白い。
それでも、無意識の感覚は取り戻しつつあるは、体重のかかり方でわかる。
車で感じていたのよりも、さらに、軽く感じる。
その軽さが、あまりにも頼りない。
なぜ、こんなに、他人の手を拒否するのだろう?
無意識のはずの時でさえ、支えすら拒否するくらいに。
自分たちのほか誰も乗っていないエレベーターは、動力源であるモーターの小さなうなりしか聞こえない。
だから、なにかがはじけた、その音は、ひどく小さな空間に響きわたった。
「?」
どうやら、亮の左手にいつもしている、指なしで肘をすぎたとこまである手袋を止めているバンドが、急激な温度変化をうけて劣化したのか、切れたらしい。
押さえるモノを失ったそれは、ゆるんで手首まで落ちてしまう。
あらわになった腕の細さが、今は痛々しくさえ見える。視線を向けたのは、なんとなく、だった。
ぎくり、とした。
いくつもの、赤いスジ。
長短様々のそれは、傷、だ。
切れ味のよい、ナイフのようなもので、斬りつけた痕。
それから、突き刺したような痕。
バンドと同じように、温度変化に耐えられずに、うっすらと血を滲ませている傷がある。
それらの周囲は、透き通るほどな白さはない。傷が塞がるまえに、上から傷つけるから、皮膚がもとに戻れないのだ。
繰り返し、同じ個所につけられた傷は。
一樹につけられたモノでは、ない。
他人が、傷つけたのではないのなら。
気配をほとんどさせない、扉の向こうで、彼は。
あまりにも、鮮やかな映像が目に浮かんで、思わず瞳をそらせる。
静かだが、はっきりした音がして、忍は暗い映像の呪縛から、放たれた。
視線を上げると、エレベーターが、目的の階についたことを告げている。
忍は、ずりおちた手袋をあげ、落ちないよう工夫してから、出た。

仲文は軽く口をとがらせる。
「検査をごまかしたりするから、こういう罰が当たるんだよ」
軽口を叩いてるということは、たいしたことはない、ということなのだろう。
体温もだいぶ戻ってきたとはいえ、やはり、医者の保証があるのと無いのとでは安心感が違う。
忍は、ほっとため息をついた。
「気付くまでには、もう少し時間がかかるけどね」
にこり、として仲文は言う。
「明日には帰れると思うから」
「……はい」
返事をしながら、忍は亮から視線をはずせない。
「どうかしたかい?」
「いえ」
我に返って、視線を仲文に戻す。
「なんでも、ないです」
仲文の口元には、苦笑気味の笑みが浮かんだ。亮の左手首をとると、ぶらぶらさせてみせた。
「……やなモノ、見ちゃった?」
言いながら、仲文は忍があげておいた手袋を、さげた。微かに、眉をよせる。
「これは、あまり見たくないよなぁ」
血のにじんでいるトコを、慣れた様子で消毒しながら、
「どうも、確認したくなるみたいでね」
世間話でもしているような口調で、仲文は、こともなげに言う。
話が、理解できなくて聞き返した。
「確認……?」
「生きてるのか、どうか、ね」
消毒をおえて、忍に視線を戻す。
「わからなくなっちゃうらしくてさ」
「生きてないわけが……」
思わず言いかかって、そして、自分の思考能力が鈍っていることに気付く。
ああ、そうだ。
あの時、俊はショックだっただろう。障害を持っていて守られてるはずだったのが、大人をも欺いてみせたのだから。
でも、ショックを受けたのは、一人ではなくて。
おそらく、自意識は、最初から少なかった。半分は演技で、半分は真実。
そして、それすらも、消えるくらいの。
残ったのは、たったひとつの『疑問』だけ。
そして、それを確認することを、『傷つける』という行為でしか、出来ない。
あまりにも、痛くて。
「忍くんが、そんな顔することはないよ」
落ち着いた瞳が、こちらをのぞき込んでいる。
そして、にこり、とした。
「ちょっと疲れてるね、休んだほうがいい」



夜はかなり更けてきていたが、皆、寝ずに待っていたようだ。
部屋から出るな、といわれていた貴也も。
「明日には、帰れるって」
聞いて、皆ほっとしたようだ。空気がゆるむのがわかる。
安心ついでに麗花が言う。
「でもさ、明日って、今日のこと、明日のこと?」
「え?」
「だって、日付変更線、もう越えてるよ」
まったくもって、ご指摘の通りだ。そんなことまでは、考えもしなかった。
「あ……聞いてこなかった」
ぽかん、とした忍の表情に、思わず麗花は笑い出す。だが、なんとなく、声だけが上滑りしている。
短くなった煙草を揉み消しながら、ジョーがぽつり、と言う。
「はやく、休んだ方がいい」
その台詞は、仲文にも言われた。そんなに、疲れて見えるのだろうか?
忍は、思わず自分の顔に手をやる。
仕種で、なにを考えているのかわかったのだろう、須于が、自分の目の下を指す。
「クマが、できてる」
そう言う彼女も、どこか疲れた表情だ。
亮が無事なことがわかって、気が緩んだせいなのか、えらくそれが目に付く。
なんだかんだ無表情を装っていても、心配だったのだろう、皆。
コトの原因を作った貴也は、もう、泣き出しそうな顔つきだ。
視線をそらしたままの、俊も。
亮が無事、というのは、今回のコトの、『終わり』ではない。
それは、忍でなくても、よくわかっているだろう。
でも、今は。
休息が必要だろう。
それから、考える時間が。


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