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夏の夜のLabyrinth
〜before Labyrinth〜

■存在の定義■



自分、という存在を、表現しろと言われるのなら。
異端。
そんな単語を口にすること自体が、周囲から見れば普通ではないのかもしれない。
戸籍に記載された生まれた年から数えれば、六歳。
たしかに、鏡に映る自分の姿は、その年齢を裏付ける背の高さと顔つきと。
間違いなく、この躰は六歳だ。
でも、鏡から見つめ返してくる瞳は、子供のものではない。
まだ何も知らない、無垢な瞳ではない。
生まれたばかりで、なにもないはずの頭脳には、最初から記憶があった。
鮮烈な深紅で彩られる、死の記憶。
それが、過去の記憶でなければ、なんなのだろう?
死を記憶しているのならば、自分は一度死んだのだろうか?
だが、疑問に対する答えはどこにもなくて。
欠片のように残るそれがもたらしたのは、痛みだけ。
失いたくないものを、失ったという痛みと、それから。
体には不釣合いな記憶と思考回路が、脳細胞たちを強引に繋げようとするたびに走る、激痛と。
誰も、こんなものは持ち合わせて生まれない。
しかも、その記憶は通常の成人が持ち合わせるであろうモノとも異種だ。正確には、記憶と共にある思考能力の方が、だが。
一度にあらゆる方向から発せられる情報を収集し、解析し、必要な答えを導き出すことが出来る。
通常、三分の一しか稼動しないと言われている人間の脳では、無理だ。
要因はわからないが、脳の全機能が常に稼動している、と検査をした者が告げた。
父である彼は、亮に対する時、自分と同等であるように扱う。知識も思考も感情も、子供が持ち合わせるモノではないと知っているからだ。
親としての愛情がないのではない。
ずっと激痛といっていい頭痛に悩まされ、子供の躰ではついていけずに衰弱する亮を、自分に作り出せる時間全てを使って看てくれていたのは父だ。
残っている記憶が頭痛をもたらすのなら、と何度か記憶消去も試みた。
が、記憶は消去されることを拒否した。
もたらされたのは、さらなる激痛だったのだ。
対処方法は、耐えることだけ。
それでも、生まれて欲しいと望んだ父が願うのならと、したことは。
何人もの人間を、傷つけた。
兄を、義理の母を、そして関係のないはずの少年までも。
間違ったことをしたとは、思わない。
数えきれないほどの人が泣いてきたはずで、それを止めたのだから。『アスクレス事件』から一ヶ月たつのに、まだ新聞では連日のようにの続報を伝え続けている。
それだけ、世間の人々の関心が高いのだ。
だけど、あの事件で知ったことは。
自分という存在が、完膚なきまでに異端であること。
化け物を見るような視線で、口を開いた自分を見つめていた義理の母。
そして、張り裂けるような声で叫んでいた兄。
自分を守るべき存在と思って、大事にしてくれていたのに。
欺いたのだ。
必要だったからという単語では、償えない。
いつか、父も。
己をも超える思考をする自分を、気味の悪い存在だと、思うかもしれない。
「信じるよ」
そう言ってくれた、あの少年も。
きっといつかは。
普通じゃない。
気付いて、去っていったに違いない。
記憶が、残っていたのだとしても。
だいたい、どうしてあるはずのない記憶があるのだろう?
本当に、六歳の子供として生きているべき存在なのだろうか?
手にしている、光を放つそれに、視線を落とす。
腕に走らせると、紅い液体が流れ出す。
つ、と流れるソレは、ほのかに温かい。己にも、体温が存在するのだ、と唯一教えてくれる存在。
機械ではないのだと、思い出させてくれる。
微かな笑みが、口元に浮かぶ。
緩やかにソレが流れている時だけは、なにも考えなくていい。
自分が、人でないかもしれないという恐怖も。
異端であるという痛みも。
なにも、感じなくていい。
何度でも、繰り返す。
なにも、考えたくないのなら。
ずっと、こうしていればいいのだから。

気付いたら、見慣れた白い天井が見えた。
病室、だ。
「気付いたな」
見ずとも、声の主はわかる。父と同じく最年少でスクールの卒業資格を得て、医者になったばかりだというのに、はやから外科医としての名声を手に入れつつある安藤仲文だ。
『アスクレス事件』で組んだ一人でもある。
覗きこんだ視線は、厳しいモノだ。
「あんなことし続けたら、どうなるか知っててやっただろ」
「…………」
そう、知っていた。
己から、出せるだけの紅い液体を、血を流したら。
待つのは、死、だ。
それに辿り着いてしまえば。
いっそ楽だと、心のどこかで思っていなかったといえば、嘘になる。
真剣に、それを願ったわけではなかったけれど。
「それを選びたいと心から望むのなら、止める資格は誰にもない」
仲文も、亮がどういう存在なのか、知っている。
だから、生温い言葉で誤魔化そうとはしない。
「だけど、その選択肢を選ぶのは、いまでなくてもいいと思う」
その顔に、痛みを含んだ表情がかすめたことに、亮はぎくり、とする。
ふい、と仲文は背を向ける。
おそらく、自分の顔に浮かんだ表情に気付いたのだろう。
「連絡したから、もうすぐ健さん来るよ、運ばれてから、ずっと側にいたんだけど仕事でどうしてもって会社に戻ってたんだけど」
「……すみませんでした」
ぽつり、と呟く。
しばらくして、軽く息を切らしながら病室に駆け付けた父は告げる。
「元気になったら、仕事してもらうから」
「仕事……ですか?」
「総司令部地下に、旧文明関係の情報が集積されている場所があるらしいが、初代総司令官以来踏み込めた者がいない」
それだけ言われれば、意味はわかる。
己の力でパスワードを見つけた者のみが、その部屋に迎え入れられるのだ。
「俺は、財閥と総司令部の掛け持ちで、とてもじゃないが今は開く暇がない」
父も、通常の人よりもずっと能力は高い。おそらく、その気になれば初代総司令官しか踏み込めたことがないという場所にも、入ってみせるだろう。
それを亮に回したのは、存在価値をつくるため、だ。
亮にしか出来ないことを作ることで、こんなことを二度と繰り返させない為に。
「それから、仲文の家に行きなさい」
驚いて、ひとつ、瞬きをする。
父の顔には、笑みが浮かぶ。
「朝、普通に起きて、仕事して、帰ったら仕事のことは考えない、そういう生活をしてみなさい……天宮の家では、そういう生活は出来ないから」
隣りに立っていた仲文が、すぐに続ける。
「もちろん居候する分は働いてもらう。炊事洗濯掃除、家事全般だ、夕飯に間に合うように帰宅するのを忘れるなよ」
自分の意思と関係なく決められたことだが、それは亮が『普通』の生活に近くなるよう、考え抜いた結果だ。
言われなくても、それはよくわかる。
頷いてみせる。
自分という存在に、どれほどの価値があるのかなんて、わからない。
いるか、いらないか、と自分に問われるなら。
迷わず、いらない、という答えを返す。
だけど、無理矢理にでも自分がいなければという意識をつくろうとしている人を前に。
否定することは、出来なかった。

総司令部最下部まで降りるためのパスまでは、父が見つけていた。
辿り着き、扉を開くためのパスを求められる。
端末を繋ぎ、旧文明産物である扉の向こうへと触手を伸ばしていく。この扉を閉ざした者が作り上げた壁の、内側へと。
簡単なことだ。
旧文明時代の人間だろうが、今をいきる人間だろうが、己を超える思考回路の者はいない。
それだけは、確信出来る。
『All Clear』
表示が出る。
知らず、薄い笑みが浮かぶ。
扉は、開かれる。
281年前に、時を止めた場所へと。
廊下には、ぽつり、と置かれたヒトツの携帯型端末。
扉が開いたことに感応して、起動し始めている。近付き、手にして最初のメッセージに視線を走らせる。
『ようこそ、鍵を知りし者よ』
「……?!」
そして、知る。
281年前に起こった、『Aqua』を揺るがせた戦争の真実を。
なぜ、自分が生まれてきたのか。
どうして、異端としかいえぬ思考回路を持ち合わせているのか。
鮮烈な真紅で彩られた記憶の意味を。
なにを、失ったのかを。
ここ一年半ほどは襲ってこなかった激痛に、思わず端末を取り落とす。
「……ッ」
頭を抱え込んで、必死で耐える。全身が冷えて、失われそうになる感覚に、必死で抗う。
逆巻く奔流のように、なにかが自分の中に蘇ってくる。
それは、今までのように、おぼろげなモノではなくて。
激痛が去ったあとで。
もう一度、無機質な廊下に、瞳を向ける。
知らないはずの、知っている景色。
ゆっくりと、歩き出す。
いくつかの、曲がり角。
その先にある、壁。
知っている。
これは、壁ではなくて、扉だ。
この先の景色を、知っている。鮮やかといって、いいほどに。
そっと、触れる。
自分はまた、人ではないのかもしれない。
でも、それでもいい。
ここに存在する意味を知ったから。
全てを本当に、終わらせる為に。
その為にだけ、存在する。
それが、異端、であることの意味。
静かに、背を向ける。
呼ばれたような気がして、振り返る。
扉の向こうに残る、記憶。
「あなたに、あんな思いは、させません」
微かな笑みを、口元に浮かべる。
「もう、二度と」
歩き始めた亮の顔には、もう笑みも痛みもなにもない。
支配するのは、ただ無表情。


〜fin〜

2002.07.07 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Lost Smile〜


■ postscript

五迷投結小説、個人の部一位、亮の巻。
過去話でどこに分類していいやら迷って幕間になりました。



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