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夏の夜のLabyrinth
〜after Labyrinth〜

■■■10years■■■




「『第3遊撃隊』、code Labyrinth、任務完了です」
いつもと同じ、大きくはないがよく通る声。
でも、それが。ほんのかすかにいつもと違うことに、気付く。
「亮?」
真っ先に覗き込んだのは麗花。須于も、眼を見開いて、覗き込む。
にこり、と亮が笑みを大きくする。
忍も、にこり、と微笑む。
ジョーの口元にも笑みが浮かぶ。眼を見開いていた麗花と須于も、鮮やかに笑顔になる。
俊も、に、と笑う。
「ありがとうございました」
その声は、六人にだけ、はっきりと聞こえて。
そして、静かに、緩やかに。
晴れた日の海の色の瞳は、閉ざされる。
忍が、ただ、そっと抱きしめる。
麗花が、きゅ、と手を握り締める。須于が、なかば無意識にジョーの袖を掴む。
ジョーは、まっすぐに亮を見つめたままだ。
所在なげに振り返った俊は、こちらを見つめている視線に気付く。
「親父?」
健太郎は、ただ静かに頷いて、それから微笑んでみせる。
それから、ゆっくりと忍の腕の中の亮へと歩み寄り、軽く、額を撫でる。
さら、と細い髪が揺れる。
お疲れさま、ゆっくりと、眠ってくれ。
仕草だけで、忍たちには、健太郎がなにを思ったのかわかる。
もう一度振り返ると、いくらか離れた場所に、いつの間にか仲文と広人、そして仁未が立っていたけれど。
三人はただ静かにコチラを見つめるばかりで、近付こうとはしない。
眼が合うと、ほんの微かに、笑みが浮かんだようだったが、すぐに消えた。



『第3遊撃隊』が解散して、最初に起こった出来事は、ソレだった。
誰もが、覚悟はしていた。
咳き込む音と、顔色と。
一度目にしたことがあったから、何が起こっているかは一目瞭然だった。
どうしても訪れる結果が、一緒だというのなら、最後まで笑っていた方がいい。
六人共が、そう思ったから、いつも通りだっただけで。
亮にとっての身内と言える人だけが集まって、ひっそりと執り行われた告別式では、麗花が、眼が融けるのではないかと思うほどに泣いた。
須于も、仁未も泣いたし、俊やジョー、仲文と広人の眼も、赤くなっていた。
健太郎も、涙こそ流さなかったが、いくらかは物思う表情だった。
ただ一人、忍だけが、驚くほどに表情が変わらなかった。
正確にはきっと。
ほんのわずかにも、感情を動かすことさえ、出来なかったのだ。
終わった後、精進落としを食べながら、健太郎が誰に言うともなく、静かに口にする。
「亮が笑うようになったのは、『第3遊撃隊』の軍師になってからだよ」
亮が静かに瞼を落としていった後に、姿を見せたときと同じ、穏やかな笑みが浮かぶ。
「ありがとう」
「いいえ、お礼を言うのは俺たちもですから」
返したのは、忍だ。
誰よりも、静かな笑みを浮かべている。
「俺たちも、亮に大事なモノをもらいました……だから、お互い様です」
眼どころか、本体も融けてしまうのではないかいうほどに泣いていた麗花も、にこり、と笑う。
ジョーも須于も頷いたし、俊も、ぽり、と頬をかく。
三年間で変わったことは、あまりにも多い。
きっと、いや、絶対に。
六人で過ごした時間を、忘れることはない。

それから数日後。
一度は六人で立ったクリスタルウィングに、今日は五人で立っている。
しかも、一人が旅立つのを、四人が見送る為に。
にこり、と笑った顔は、いつもの麗花だ。
「わざわざ、ありがとうね」
「元気でな、病がちの姫君サマ」
俊が、なかば皮肉に言うと、すぐにぽかり、とやられる。
「その減らず口どうにか出来ないと、天宮なんて到底背負えないよ」
口でもあっさりとリベンジされて、俊は軽く口を尖らせる。が、周りは笑い出す。
「ほら、ここで気の利いたこと返せなかったら、ますますダメだぜ?」
忍が、にやり、と俊に笑顔を向ける。
亮が消えてしまったその日から、忍が、本当に笑ったところを見たことがない。
きっと、誰も気が付かないだろう。
その前の忍を知っている人間であっても、よほどでなければ。
四人には、はっきりとわかる。
本当の笑顔を取り戻すことが出来る人は、二度と戻らない、ということも。
いなくなった、という現実は、こんなことで思い知らされる。
クリスタルウィングの、搭乗ゲートに入る前に。
麗花は、振り返る。
「ね、十年経ったら、皆で会おうよ。私、必ずアルシナドに帰って来るから」
高梨麗花として、という意味だと、説明されずともわかる。
そして、これから麗花が、最も特殊な場所へと帰って行く。戻れば、もうこの先は、そう簡単には抜け出せない。
もう、お転婆な姫君という時間は過ぎたから。
最初に頷いたのは、忍だ。
「ああ、いいよ」
しごく、あっさりと。
それは、まるで、また明日、遊ぼうね、と約束する子供のように。
でも、それが余りにも自分たちには似合ってる気がして、須于はなんだか泣きたくなる。
あの日から、まだ十日しか経っていないけれど。
やっと十日で、やっと感情が動かせるようになってきたのかもしれない。
きっとこれから、何度も何度も、思い出しては泣くだろう。
そして、笑って、また前に行く。
こくり、と大きく頷く。
「そうね、そうしましょうよ」
「ああ」
「おっけ、決まりな」
ジョーも俊も頷いて、そして決まった約束。



日付も場所も決めなかったけれど。
十年間、心のどこかに、いつもあったのは確かだ。



趣味のいいスーツの襟を無意識に軽く直して、俊は、『本日は、貸切です』という札の下げられたカフェの扉の前に立つ。
キレイな文字で、『Cafe de Jaune』と書かれている扉を、ゆっくりと押す。
「おー、やるじゃん、九十五点」
「うっわ、本当に来やがった」
店内の先客である麗花と、俊の声が重なる。
「しかも、いきなり採点かよ!」
「そりゃーもう、マスコミに出てくるたびに気が気じゃなかったわよ?いつ化けの皮が剥がれるかってね」
にやり、と麗花は笑ってみせる。
十年間のブランクが存在するとは思えない会話に、くすり、とカウンターの向こうに立つ須于が、聞き慣れた笑い声をたてる。
「いいじゃない、今までの最高点でしょ?お茶とコーヒー、どっちにする?」
コートを脱ぎながら、コーヒーがいい、と答えると、須于は隣に立つジョーへと視線を上げる。
「ですって」
「いつものだな」
相変わらずの無愛想のまま、ジョーはコーヒーを煎れはじめる。
ひじをついて、その上に顎をのせながら、俊はため息混じりに言う。
「いいよなー、笑わないのがまたイイなんて言ってもらえるんだから」
「もう、財閥総帥に根を上げているのか」
あっさりと返される。相変わらず口数は少ないのだが、俊に対するツッコミはこの十年で随分と研ぎ澄まされてきたと思う。
タイミングといい、内容といい、これで忍とダブルでやられたら間違いなく撃沈だ。
「あげてねぇよ、ご期待に添えなくて残念でした」
べろり、と舌を出す。
大学卒業後、野島製紙での修行を経て、天宮財閥へと就職した俊は、この四月に健太郎から天宮財閥総帥の座を引き継いだ。
元々、総帥なんて興味が無い、と豪語してはばからなかった健太郎は、俊に実力がついた、と判断したなり、あっさりとそれを決めたのだ。
以来、健太郎に勝るとも劣らない手腕、と評されている。
当然、さらにマスコミの注目も集まっている身の上であるわけで。
「うわー、激写してマスコミに横流しー」
「お前もな」
返された麗花は、からからと笑って言ってのける。
「そういうのがあっても、さらっとフォロー出来なきゃねぇ」
アファルイオ公主に戻った麗花は、復帰してほどなく、ルシュテット皇太子フランツとの婚約を発表した。翌年には皇王となったフランツに嫁いで、今では二児の母と皇后を立派にやってのけている。
の割には、十年前とどこが変わったやらという外見と空気を持っていて、そのあたりも感心しきり、なのだが。
どうしたところで、俊が麗花に敵うことはないらしい。
麗花は満足気に笑うと、お茶のカップを手にして、くるり、と店を見回す。
「ステキなカフェよね、流行ってるの、すっごい納得だわ」
「ありがと、麗花が言ってくれたら、お墨付きね」
嬉しそうに微笑む須于に、俊は少々情けない顔を向ける。
「流行るのは俺も嬉しいんだけどさー」
二乗、いや三乗効果で、俊が足を運びにくくなった。もうすでに、あまりにも顔が知れすぎている。
天宮に戻った途端にものすごい注目が集まり出した。
年頃だったせいも、あるだろう。
忍やジョーという存在を知らなかったら、俺ってもてるんだ、などと阿呆な勘違いを思わずしてしまっただろうくらいに、ものすごい。
なんてったって、現在進行形だ。
が、俊は、ありがたいことに知っていることがある。
本当にイイ男であれば、天宮財閥なんてモノを背負わなくても、誰もが視線を奪われる。
それに、慌てなくても、天宮財閥なんてモノを目に入れずに、見つめてくれる人間だって、絶対にいる。
健太郎が、麻子に出会ったように。
そんなわけで、天宮俊、という名の意味を痛感するようになってから、初めて気付いたのだ。
なぜ、健太郎があんなにもあっさりと、大学入学を半年遅れの編入にしてまでのバイク世界一周旅行に賛成してくれたのか。
本当に自分が好きなことを出来る、最後のチャンスを思う存分に楽ませてくれたのだ。
こんなにツイている人間は、そうそうはいないのではないだろうか。
仕事は順調で、天才と謳われた健太郎の後を継いだのに移行はスムーズで、それでいてこうして、なにも構えずに会える友人たちがいる。
それにしても、不思議だ。
アルシナドにいる四人は、何度か一緒に顔を合わせたことがある。
様々な資格を取って、技術供与ボランティアに従事していた須于と、リスティア総司令部で銃の教官をしていたジョーは、翌年、あっさりと仕事をやめてカフェを始めた。
以来、忍と俊はカフェの常連だから、四人揃いやすかったという事情を考えれば、少なすぎるくらいだけれど。
それはともかくとして、四人で会った時には、こんな感覚は無かった。
あと、忍が来れば。
その後、もう少しして、亮が来るのではないか。
「遅くなって、すみません」
穏やかに、笑みを浮かべながら。
そんな風に思わせるような、空気。
「忍が遅刻かぁ、珍しいね」
同じコトを麗花も思ったのだろう、俊が忍の名を口にする前に、時計に視線をやる。
「ああ、ココ最近じゃ常習犯だよ」
「忙しいんだもの、仕方ないわ」
須于が、いくらか心配そうに眉を寄せながら言う。
「一歩間違ったら、俊よりも忙しいんじゃないかしら」
十年前、麗花を見送ってから。
「どうするんだ?」
ぽつり、と尋ねた俊の言葉に、忍はごくあっさりと答えた。
「大学行くよ」
「学部も、決めてるの?」
いくらか、口元に浮かんだ笑みが、大きくなった。
「ああ、決めてる」
その先は、どんな顔をして言ったのかわからない。歩き出していて、もう、後姿だったから。
「医学部」
山のようにスキップしたにも関わらず、卒業は通常通りの六年後。その間に、外科、小児科、カウンセリングの上級医師免許を取得した上に、遺伝子医学にも精通していた。卒業前の一年間は、遺伝子医学の双璧でもあるルシュテットに留学もしている。
医学部生の頃から、仲文と連名で何本も論文を出していたから、医学会にはすっかり名は広まっていて、リスティア国立病院に就職を決めたときには、病院側は諸手を上げたらしい。
やろうと思えば、それがやれるだけの頭脳も体力もあるのだと、知ってはいたが、俊たちには痛々しく見えた。
その全てが、誰の為か、知っていたから。
いつか、遠い未来に、もう一度があるのならば。
もう、二度と、あんな痛みを味わうことがないように。
ただ、その為に。
が、そんなことをおくびにも出さず、日夜研究に明け暮れているにも関わらず、疲れも見せず笑顔で診察している忍は、国立病院小児科で、すでに部長という地位を勝ち取っている。当然というべきか、自身の研究室も持ち合わせている。
昨年の春に外科部長兼任で国立病院院長に就任した仲文は、本音のところは外科部長を忍に任せたいらしいが、心情を慮ってか、小児科部長のままにしてあるらしい。
ついでを言うならば、広人は『第3遊撃隊』解散直後に捜査一課課長に就任してから、とんとんと出世してみせ、いまでは最年少警視総監だ。
佐々木晃も、リスティア軍総司令官の権力委譲を完全に、かつ完璧に終わらせ、政界へと舞い戻っている。
全てが、十年という歳月が確実に過ぎ去った、という証拠だ。
「注目度度合いから言ったら、忍と俊がとんとんだよね」
麗花が、お茶を手に首を傾げる。
「そうだな、先天性細胞破壊症の治療法確立したってだけでも凄いのに、遺伝子配列で確認出来るほとんどの病気に対応したのが、あんだけ若くてカッコいいとなりゃ」
「そう言う自分だって、先代に勝るとも劣らない、と言われてるだろうが」
ジョーの言葉に、俊は肩をすくめる。
「親父は総司令官兼任だ、器が違うってな」
「でも、宇宙開発事業は俊の仕事でしょが」
麗花のフォローに、俊は苦笑する。
「仕切ってんのはな、発想は親父だよ。とてつもないこと言い出しやがると思ったら、忍も言い出してさ。まぁ、よくよく考えてみれば『Aqua』がいつまで持つっていう保証も無いんだし、逃げ道は作っとかないとダメなんだよな」
「そうね、そうじゃないと……」
須于が、言いかかって口をつぐむ。
『Aqua』を守りきって、人が生き延びる道を作ること。
それが、亮がやり遂げたかったことだから。『第3遊撃隊』が存在した意味だから。
俊は、ジョーのいれてくれたコーヒーのお代わりを手に、頬杖をつく。
「ま、失敗する気はサラサラねぇけどな」
にやり、と口の端に浮かんだ笑みは、健太郎のモノとそっくりで。
くすり、と麗花が笑う。
「んだよ、おかしいこと言ったか?」
「ううん、人間、成長するもんだなぁと感心したのよ。ま、顕兄もやっと、アファルイオの世論を開発の方向に向けられたし、イケルんじゃない」
ジョーが、軽く首を傾げる。
「ルシュテット皇王は、最初から随分と協力的だったようだが」
「私はなんも言ってないよ」
麗花は、肩をすくめて笑う。
「でも、『第3遊撃隊』は知ってるからね」
俊が、にやり、と笑って、なにか返そうとした時だ。
ひどいブレーキの音が、店内にまで響き渡る。
当然、四人ともが、怪訝な視線を窓の外へとやる。
車の窓が開き、顔を出したのは、仁未だ。今では、国立研究所の副所長も務めている安藤仁未。
彼女が、ここに俊たちが集まるということを知っているのは不思議はない。
忍が、休みを取るために仲文に告げているはずなのだから。
だが、問題はそこではない。
四人ともの顔から、笑顔が消える。仁未の表情は、それだけのモノを伝える顔だったから。
麗花と俊が、すぐに店を飛び出す。
目前に、二人の顔を見て、仁未は、すぐには言葉が出てこないらしい。が、雄弁に眼が訴えている。
出かけられるだけの準備をして出てきたジョーと須于が側まで来たのを見て、ぽつり、とだけ告げる。
「忍くんが、事故に……」
無言のまま、四人の目が見開かれる。
扉を指し示した意味はわかる。無理矢理に後部座席に三人が乗り込み、助手席にジョーがおさまったのを確認して、仁未は車を止まった時と同じく、急発車で発進させる。
「広人からの連絡では、女の子をかばったらしいの」
仁未は、自分も混乱しそうなのを必死に我慢しながら、説明してくれる。
「すぐに病院に運ばれたんだけど……仲文からの連絡では……」
言葉が、途切れる。
「あのバカ!」
思わず、舌打ちをしたのは俊だ。
「十年前とは違うっての!」
知沙友を助けたのを、目前で見ている。女の子、と聞いて、真っ先にあの光景が思い浮かんだのだ。
すっかり運動などというものから遠ざかっている俊や、あの頃のようなトレーニングなどはしていないジョーとは違って、ずっと毎朝道場へと顔を出し、子供たちの面倒見ついでに本人も朝稽古をしてはいたけれど。
時は移ろっているのだし、ここ最近の疲労は、生半可なものではない。
あの頃のような身軽さは、望めない。
きゅ、と麗花が手を握り締める。須于も、寄り添うようにして、唇を噛み締める。
ジョーは、黙ったままで窓の外を見つめている。
十年経ったら、皆で会おうよ。
麗花が、そう言い出した。
ああ、いいよ。
あっさりと、頷いたのは忍だったはずなのに。

久しぶりに、裏口から国立病院へと入る。
飛び乗るようにエレベーターに乗り込み、小走りに廊下を抜け、奥まった集中治療室へと駆けつける。
白衣姿で忍の枕元にいた仲文は、四人の姿を見ると自分が外に出てくる。
「意識はあるけれど、時間の問題」
それだけ告げて、戸口を開ける。
入れ替わるように入った、四人の目前には。
「悪い、妙なトコに呼び出したな」
忍の浮かべた笑顔は、いつも通りだ。なにも、変わらない。ひどく、血の気が引いているだけで。
でも、その周囲は管と計器と、山のような点滴。それだけの延命処置がなければ、この笑顔は無いのだ、と感覚で理解が出来るだけの。
多分、意識がある、ということ自体が、普通ならあり得ない。それが必要と判断した忍の、とてつもない精神力の賜物だろう。
が、忍の笑顔を見ていると、そんなことを忘れそうになる。
「無駄なんだけど、一言も無しだとどう怒られるかわかったもんじゃないから」
四人の視線の先を正確に察して、忍が再度口を開く。
「顔合わせたって、怒るわよ!」
麗花の怒声に、苦笑を浮かべる。
「うん、怒る相手は、俺だけにしておいてくれ」
言葉の意味は、痛いほどにわかる。忍がかばった相手である少女を、責めてくれるな、と言っているのだ。かばったくらいだから、彼女の注意力が散漫になっていたのは間違いない。
「……気付いてただろ?」
不機嫌そのものの口調で、俊が問う。
もう、自分の躰が、十年前と同じ動きは出来ないことに。少女が危ない、と気付いた、その瞬間に。
忍は、ただ、苦笑を浮かべる。
ジョーが、ぼそり、と口を開く。
「即死じゃなかったのを、感謝しとく」
須于が、軽く眼を見開く。
「こうして言葉を交わす時間があるということに」
残った時間は、一緒ならば。
あの日と、同じだ。
「にしても、勝手をやってくれる」
ジョーの口元に、苦笑が浮かぶ。忍も、笑い返す。
「やるだけのことはやっといたし、大丈夫だよ」
「後悔、してないのね」
二人の交わした笑みを見て、ふ、と須于が微笑む。
「ああ、とんでもない親不孝者だけど、後悔は無いよ」
「ったく、やっぱりイチバンの頑固は忍だねぇ」
麗花も、笑顔になる。
俊が、軽く肩をすくめる。
「けど、俺は亮も怒ると思うけど?」
「許してくれると思うよ」
相変わらず、微笑んだまま、忍は言う。
「どっから来るんだよ、その自信は」
「さぁなぁ」
忍の視線につられるように、ジョーたちの視線も、窓へと移る。
からり、と晴れて、心地よい青空。ほどよく雲が浮かび、青と白のコントラストが眼にまぶしいくらいだ。
「ありがとうな」
ぽつり、と声がして。
振り返った時には。
忍の、深い空を思わせる瞳は閉ざされていて。
口元には、ただ、穏やかな笑みが浮かんでいた。
右手に、細い華奢なつくりの、かつて、たった一度だけ、想い人の指を飾った指輪を握り締めたまま。

病室を後にした四人は、人の気配に、振り返る。
眼を見開いたのは、俊だ。
「親父」
健太郎は、十年前に見たのと同じ、酷く穏やかな笑みを浮かべて頷いてみせる。
それから、軽く、首を傾げる。
「会うか?」
こくり、と最初に頷いたのは麗花だ。
「ええ、会わせて下さい。忍が守りたいと思った、女の子に」
「私も、会いたいです」
須于も、はっきりと頷いてみせる。
ジョーと俊は、どちらからともなく顔を見合わせてから、健太郎へと視線を戻す。
それから、ゆっくりと頷く。
「じゃ、こっちだ」
健太郎に連れて行かれた先は、忍の研究室だ。
仲文と広人が、こちらに気付いて、奥へと視線をやる。
「仁未」
仲文の声に応えるように、仁未が、肩に手を添えるように連れてきた少女は、静かに、だが、まっすぐに四人を見上げる。
まじまじと見つめる視線を、しっかりと受け止める。どんな罵倒も、受けると覚悟している瞳だ。
それから、丁寧に、頭を下げる。
「私の不注意で、このようなことになってしまい、お詫びの言葉もありません」
「……顔を、上げてくれるかしら?」
静かに口を開いたのは、須于だ。
「……はい」
素直に、少女は顔を上げる。さすがに、いくらか眼は伏せられているが。
もう一度、顔を見て。
そして、四人は確信する。
忍は、この少女を守らずにはいられなかったのだ。
年は、九歳になるかならないかだろう。
どこか、色素の薄い髪は肩を過ぎている。どうも、いまいち栄養が行き届いていないのか、女の子とはっきりわかりはするものの、それらしい丸みはなく、骨ばっているし、妙に華奢な体つきだ。
その体つきだけでも、四人には、いや、ここにいる八人に、酷く一人を思いださせている。
なによりも。
どこか、感情を押し殺してしまっている瞳が。
あまりにも、似ているから。
顔が、眼が、ではない。
どんな理由があるのかはわからないが、彼女は自分の心を殺して生きている。そうしなくてはならないと、決めている。
多分、轢かれそうになった時、彼女もそれに気付いていたに違いない。
だが、そのまま消え行くのもいいかもしれない。
そんな考えがよぎっていたのだろう。
彼女を見て、忍がどう感じたのかは、手に取るようにわかる。
す、と麗花が、少女の目前まで行き、腰を落として目線を揃える。
「名前を、教えてくれる?」
「坂本千鶴です」
まっすぐに千鶴、と名乗った少女を見つめながら麗花は続ける。
「千鶴ちゃん、忍がアナタを助けたのは、勝手な事情と感情が理由だから、必要以上にアナタが重荷に感じる必要は無いわ。でも、助けられたという事実に変化は無いの、わかるわね?」
「はい」
こくり、と千鶴は頷く。
後を引き取ったのは、須于だ。やはり、同じく視線を揃えて、静かに言う。
「そして、私たちが忍を失ったことを悲しむことに対しても、アナタが必要以上に考える必要は無いわ、これは私たちの個人的な感情だから……でも、アナタは今、生きているということは忘れないで」
「そして、その命は、君が望むと望まないとに関わらず、一人の命を犠牲にしてしまった上に成り立っている、ということをだな。残念ながら、君からヒトツ、選択肢が失われた。自ら死を選ぶ、ということは今後一切、許されない」
ジョーの声は、静かでいてずしり、とくる何かがある。
「生きるだけじゃ、ダメだろ」
にやり、と口の端に笑みを浮かべたのは俊だ。
「幸せに、ならなきゃ」
「じゃ、話は決まりだな」
口を挟んだのは、健太郎だ。
千鶴を見やりながら、淡淡と言ってのける。
「生まれてすぐに両親を亡くして、親類関係をたらい回し、自分の学費は自分で稼げということで、俺たちを越えるくらいのスキップで空いた時間は労働に充てられている」
忍が事故に遭った、と知ってから、それだけをすでに調べ上げているのはさすが、と言うべきか。
「どうせ働くなら、いい口があると親戚のバカ共には言っといた」
七人が、不可思議そうに見つめる。
にやり、と健太郎は口の端に笑みを浮かべる。
「天宮財閥秘書」
ぽかん、と大きく口を開けたのは俊で、何事が起ったのかわからずに眼を見開いたのは千鶴だ。
くすり、と笑ったのは、麗花。
「それはとてもいい考えだけど、まだ早い、でしょ?」
「そうね、先ずはカフェの手伝いからよ」
にこり、と頷くのは須于。
ジョーが、ぼそり、と付け加える。
「寺掃除なんかも、やってもらうか」
くすくす、と笑い出したのは、広人だ。
「そりゃあいい、先ずは、安藤千鶴、に改名だな」
「ああ、それがいい、スキップの具合から言っても、問題ない」
「そうねぇ、料理なんかも教えがいがありそうだわ」
仲文と仁未も、あっさりと頷く。
あれよあれよという間に、自分の運命が転換していくのに、千鶴は相変わらず、驚ききった表情をしている。
が、皆が言いたいことを言い終わったところで、我に返ったようだ。
凍りついた表情のまま、きっと八人を睨めつける。
「確かに、皆さんの大事な人を奪う原因になりましたけど……」
全てを、拒否する瞳。
望むことなど、許されないと決めている瞳。
だが、自分たちが知っているのよりは、ずっと可愛気があるというモノだ。
鮮やかに四人の顔に笑みが浮かぶ。
「生きてる限りは、前に行くしかないのよ。振り返っていいのは、最高の思い出だけ」
「今、無いのなら、これから創ればいい」
「いつか、自分がそんな顔していたのが、過去になるわ」
口々に言われて、千鶴は、困惑した顔つきになる。
千鶴が口を開く前に、俊がトドメの一言を刺す。
「覚悟、しとけよ」



彼らの言葉通り、千鶴は最高に幸せな笑みを浮かべることになるのだが、それは、また十年後の話。


〜fin.

2004.01.18 A Midsummer Night's Labyrinth 〜10years〜


■ postscript

元々、自分の整理の為に書き始めていた話です。
俊たちのためにフォローしておきますと、まだ、忍の死を受け入れられてません。
もう少し、してからです。


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