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夏の夜のLabyrinth

■■■時間差旅行■■■



だいたいの予測はついていたが、案の定だ。
麗花は、いつもなら一緒に登るはずの木の枝の上で、足をぶらぶらとさせている。
プリンツェッスィン、という呼びかけを、フランツは喉元で止める。耳に入ってきた音に反応したのだ。
彼女の口から漏れた音は、アファルイオのものでは無い。かといって、北方の歌でもない。
それなら、会う度に聴いていたから、完璧とは言い難いがフランツもそらんじている。
そんなことが頭を駆け巡ったのは、音があまりに身近なものだったからだ。それが、彼女の口から出るとは思わなかったから、驚いた。
彼女の耳が驚くほど精密なのは何となくわかっていたが、これほどとは。
どうせ登りだしたらわかってしまうことだし、音も止んだことなので、フランツは下から声をかける。
「プリンツェッスィン、今日は先回りだね?」
ふり返って視線を落とした麗花は、いくらかすまそうな顔つきになる。
「ごめんね、どうしても早く登りたくなったの」
彼女の表情を曇らせるのは本意では無い。フランツは、笑みを浮かべる。
「隣に行ってもかまわないかな?」
「もちろん」
にこり、と麗花も笑みを返す。
麗花のいる枝はけして低くはないが、登り慣れたフランツは、そう時間をかけることなく到達する。
「早いねぇ」
と、麗花はまた笑う。袖も裾もひるがえる構造の服で、この高さまでなんなく上がっている自分のことは棚上げらしい。
今日のところは、ひとまずその点の指摘はおいとくことにする。
フランツは、少し上半身を折って麗花の顔を覗き込み、視線を合わせる。大きな孫家独特の紫根の瞳が、まっすぐに見つめ返す。
「先ほどのは、エアハルトの真似?」
「先ほどって、何?」
予測通り、とぼけたいらしい。が、フランツはもう一押しする。
「プリラード訛りが、ほんの少し加わったルシュテット語。あるかなしのを聞き分けた上に再現出来るというのは、むしろ誇るべき特技だと思うけれど」
「使う場所を間違わなければね。それに、今のところ特技として披露出来るほどのバリエーションは無いの」
大人びた口調とはうらはらに、子供らしく頬を膨らませる。
「父様が亡くなってから、全く出してもらえなくなっちゃったんだもん」
言ってから、少し首を傾げる。
「でも、行けなくなっちゃったから覚えるようになったのかな」
フランツは、どう返していいかわからずに視線を宙に漂わせる。
外に出られなくなった事情は、ほぼ察しがついているし、自分は今回アファルイオに来る前にも父親について何ヶ国か回っている。
コショウの実かなにかを、もろに噛んでしまったかのような横顔を見て、麗花は、くすりと笑う。
「フランツは、いっぱい見て回らなきゃいけないでしょ」
笑みを大きくして、今度は麗花がフランツのルシュテット系にしては濃い色の瞳を覗き込む。
「それより、バレちゃったなら相談があるんだよね」
「なんだろう?」
フランツは、生真面目な表情を返す。
なぜか、麗花はさらに笑みを大きくしてから、視線を空へと向ける。
「音はね、いーっぱいサンプルがあるのよ。いろんなところからいろんな人が来るでしょ?それをちょこちょこと聞いてるからね。でも、それが正確にどこの訛りが入ってるのかっていうのはわからないの」
確かに、それはどこの訛りですか、とは訊ね難い。
「なるほど」
と納得して深く頷き、同じく空を見上げること、ややしばし。
フランツは、少し目を見開く。
「ああ、それなら……いや、少し時間をもらえるかな」
麗花へと視線を戻すと、彼女はこっくりと頷く。
「うん、なにかいいこと思いついたら、教えてね」
「もちろん」
それは「約」すまでもないことだ。
まるでタイミングをはかったように、朔哉が声をかける。
「いつまで日干しになってるんだ?」
「はーい、今行くよーん」
元気に返すと、止める暇もあればこそ、麗花はまたひらりと飛び降りて朔哉の腕に飛び込んでいく。

数ヶ月後。
今日も、すっかり指定席になった枝に二人並んで腰かけている。
「プリンツェッスィン」
いくらか改まったフランツの声に、麗花は小さく首を傾げながら視線を向ける。
声以上に真面目な瞳が、まっすぐに見つめているのに、麗花の首の角度は大きくなる。
「何か、あったの?」
孫家ほどでないにしろ、フランツの周辺も穏やかとは言いかねる状況だというのを思い出したのだろう。
フランツは首を横に軽く振って、小さく笑みを浮かべる。
「そちらは大丈夫」
言葉と同時に、麗花の袖に重みを加える。
すぐに麗花は手を入れて確認する。小さな四角いく体とイヤホンらしきものが触れたはずだ。
「ラジオ?」
「リスティア製最新型メモリープレーヤー」
いくらか早口に答える。なぜそんなものを、とか、この手のモノなら、むしろ朔哉や雪華の方が喜びそうだけど、とか様々な疑問を浮かべたた大きな瞳が、じっとフランツを見つめる。
「このサイズなら、袖の中にいつでも入れておけるかと」
いつもなら、如才なく過不足ない言葉を選ぶことが出来るのだが、うまく説明出来ない。
これが合っているのかどうか、自信がないからかもしれない。
「……イヤホンは、コードレスになっているから、髪に隠れるんじゃないかと思うんだけど」
そういうことが言いたいわけではないのだが、やはり肝心なことを口に出来ない。
「えーと、こう?」
戸惑いつつも、麗花は袖からイヤホンだけを取り出して耳にはめ込む。ちら、と袖を覗き込み、再生ボタンを押したのが見える。
一秒、二秒、三秒。
麗花の耳には、ルシュテットの各地方の人々がフランツの質問に答えてどこの出身かやら、その地方のちょっとした名物などを地方訛りでしゃべっているものが聞こえてきているはずだ。
時の流れにあわせるように、麗花の目が大きく見開かれていく。
「フランツ、これ」
「ひとまず、ルシュテット国内視察があったから」
これ以上は無理というくらいに見開かれた瞳は、一気に笑み崩れる。
「スゴイ!スゴイよ!」
木の上ということを忘れてるとしか思えない勢いで麗花は、思い切りフランツに抱きつく。
「ちょ、プ、プリンツェッスィン!」
「フランツ、天才!最高!」
戸惑った声になんか、おかまいなく麗花は抱きしめる手に力を込める。
これなら、耳にした音のサンプルがどこの訛りかわかるだけでなく、ちょっとした知識までついてくる。フランツが他の国のも拾ってくる気なのは、ひとまずという言葉で察しがつく。
「ステキ!ありがとう!」
枝から落ちないようにバランスをとりつつ、微笑む。
「喜んでもらえて、嬉しいよ。その、ただ」
「うん、これは秘密ね」
やっとのことで躰を離した麗花は、イタズラっぽい笑みになる。
フランツも、笑みを返す。

こうして、二人の時間差旅行が始まったのだ。


〜fin.

2006.06.13 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Time difference journey〜


■ postscript

拾五万打記念阿弥陀企画より、フランツ&麗花で「旅の途中で、現地の人と」。
フランツと麗花が二人揃ってどこか旅行というシチュエーションはなかなかになさそうというのと、麗花は出られない状況だった割には諸外国の状況に詳しいということで、このようなこともあったかもしれない、というお話。


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