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夏の夜のLabyrinth

■■■洗い流して■■■



ジョー自身が気付く前に、いろいろと吹き込んでくれるありがた迷惑な連中のおかげで、預かられ子だと知った。
正確には、吹き込んだ人間は捨て子と言ったのだが、その呼称については海真和尚が断固として反対したのだ。
捨て子ではない、と。
何か名称が欲しいのなら、百歩か万歩譲って預かられ子なんだそうだ。
確かに、「預けられた」と「捨てられた」とでは印象としては雲泥の差だ。きっと、恐らく、予測でしかないが、自分を手放した親の立場としてもその方が気楽ではあるだろう。
が、自分にとって、その差異はほとんど無いように思われる。
どちらも、自分は側に必要ない、と言われたのと同じではないのだろうか。
それが僻みとはわかってる。
和尚が言いたいのは、いらない子として手放されたのでは無い、そういうことだ。
わかっているけれど、感情の整理はつけようが無い。
ただ、ヒトツだけはっきりとわかることは、預けられた先が海真和尚で良かった、ということだけだ。
そうでなかったら、もっといろいろなことに思い悩んでいたと思う。
だから、和尚がかつてのように預かった子を、自分を手放すようなことはなって欲しくない。幸い、その点は今のところ問題なさそうだ。
和尚をいくらかでも困らせるようなことは、する気にならなかったし、寺の手伝いをしているとそれどころでは無かったおかげだろう。
あざといことを吹き込む連中も、隙が無い上に折り目正しい金髪碧眼の少年の前にはなすすべもなくなったようだ。
次々と脱落していった。
今日、目前にいるのは、そんな雑魚共をけしかけていた首魁とも言うべきヤツだ。
当然、言うことも最もあざといのだが、どうせ自分を傷つける為だけの言葉なのだと、もう知っている。
だから、口を今にも開こうとしている相手の顔を、ただ、じっと真っ直ぐに見つめている。
それだけで、視線が揺らぐようでは話にならない。その時点で、今から言うことが、欠片の真実も無いと教えているのだから。
「ふん、まだ和尚はアンタを保護してるのかい?妙に執心したもんだね、ははぁん、そうか、わかったよ」
言葉を切った相手の顔に、悪辣な笑みが浮かぶ。これを言えば、ジョーが動揺すると決め付けているらしい。
「どこぞの女引っ掛けて、産ませた子供なんだろ?そうさ、実の子なんだろう?」
なるほど、預かっていた子を全て手放す選択をしたくせに、ジョーだけ特別扱いなのは素性を明かせない実子だから、とはなかなかうがっている。
どこをどう見ると、和尚がそういう人間に見えるのだろうか。
最初に浮かんだのは、それだ。同時に、こんなバカに付き合わされることへの疲労感がどっと押し寄せてくる。
こんなことしか楽しみが無いというのは、あまりにあまりな人生では無いだろうか。
少なくとも全く動じていないということと、幾ばくかの疲労は伝わったらしい。
相手は、妙な具合に表情を歪める。
中途半端に開きかかった口が、魚のようにぱくぱくと動く。更に何か言ってやろうと思ったのだが、考え付かなかったらしい。
ジョーは、完璧な角度で頭を下げる。
「大変申し訳ありませんが、和尚様のお使いの途中ですので、失礼いたします」
返事を待たずに、脇を通って歩き出す。いつもなら呼び止められて、しつけがなって無いとかなんとかと難癖をつけられるのだが、今日は無い。
どうやら、相手をしなくてはならないのも今日でお終いに出来そうだ。ジョーは、まっすぐに前を見据えて歩きながら、そんなことを思う。
この読みは間違っていないと、ありがたくもない経験が告げている。
行き違うご近所の人に挨拶をしながら歩き続け、寺への階段を上がりきってから、軽く周囲を見回す。
どうやら客も、墓参りに来ている人もいないようだ。
誰もいない、としっかりと確認してから、小さなため息をつく。
力が抜けた途端、先ほど言われた言葉が甦ってくる。
海真和尚の、実の子ではないのか。
その侮辱は、自分だけに対するものではない。和尚をも、辱めている。
自分の出自に関して、憶測ばかりであれやこれや言われることは、仕方の無いことだと思っている。実際、彼らの想像を絶するような状況があったかもしれない、ということさえ否定は出来ないということもわかっている。
それから、言った相手があんなことしか言えない人間なのだとも、わかっている。わかってはいるのだけれど。
和尚まで、なぜ、こんな酷いことを言われなくてはならないのだろう?
どこにでも悪意のある人間はいるだろうが、よりにもよってこんなことを言われるなんて。
自分を、預かってしまったばかりに。
ぴたり、と凍ったかのように足が止まる。
が、慌てて首を軽く振る。くだらないことを考えている間など無い。少しでもそんな考えに囚われることこそが、ヤツらの思う壺なのだから。
引き戸を開けて、帰宅を告げる。
「ただいま戻りました」
「おう、戻ったのう」
いつも通りの柔和な和尚の表情に、喉元になにかが引っかかるような感覚を覚えながら、使いの顛末を伝える。
「ふむ、ありがとう。では、先だって頂いた菓子があるから、お茶にしようかの」
先に立って歩く背中を、見つめる。
自分がぶつけられている心無い言葉など、きっとほんの一部だ。あの連中は、和尚にだってとてつもないことを散々言っているのに違いない。
それでも、そんな様子は微塵も感じさせず、こうして暖かく迎えてくれる。
返事が無いので、振り返った和尚は、ほんの一瞬、目を見開く。
が、すぐに柔らかく微笑みながら、ジョーの目の前まで戻ってくる。
ぽんぽん、と軽く頭を撫でながら、静かに言う。
「お疲れさんだったの」
小さな、ひきつれたような音が喉の奥でした、と思った次の瞬間。氷と評される澄んだ青い目からは、大粒の涙がぽろりと溢れ出す。
何かものすごく言いたい言葉があるような気がしたけれど、それが何なのかわからない。
ともかく、泣いてはいけないと必死で堪えて、まっすぐに前を見ようと、必死で目を見開く。
柔らかい笑みのまま、和尚は膝を折ってジョーと視線の高さを揃える。
「よう頑張るの。じゃが、儂の前でそう踏ん張らんでもええよ」
「……でも」
また、軽く頭を撫でられる。
「お前さんのご両親にはなれんが、代わりを務めさせてもらっておるつもりでおるよ」
全てを言われなくても、何を伝えようとしているのか、充分にわかる。
暖かい手と、笑みと、言葉と。
一気に、視界が歪んでいく。
ふんわりと暖かいのが心地よくて、それでも涙は止まらなくて。
どのくらい泣いていたのか、自分でもわからない。
ようやく、どうにか涙が止まったところで、和尚は笑みを大きくして、頬の涙を袖でぬぐってくれる。
「お前さんの好きなお菓子が入っておったよ。暖かいコーヒーでも、入れようかの」
かすれた声で「はい」と返事をすると、もう一度頭を撫でられ、それから手を取られる。
手をつながれたと気付いたのは、一瞬後だ。
ちょっと照れ臭かったけれど、そのまま一緒に歩き出す。
情け無いくらいに泣いたし、恥ずかしいくらいに甘えていると思う。
でも、なんとなく、少しだけ自分が強くなったような気がして、ジョーは笑みを浮かべる。


〜fin.

2006.07.24 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Flush away !〜


■ postscript

拾五万打阿弥陀企画より、海真和尚とジョーで「霧の向こう」ということで、ジョーがちょっぴり一山越えるというのを目指してみました。
本当の両親を知るまでには、まだ時間がかかります。


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