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夏の夜のLabyrinth

■■■秋の空■■■



仕事をしてのける時のエリスは、表情が全く無く、それ故に美しいのだそうだ。
正直なところ、黒木には全く想像がつかない。出逢った時には状況が状況だっただけに、彼女は感情全開だったし、その後も開き直ったのか黒木の前では感情を隠さないからだ。
今日のエリスは機嫌が良いことも一目でわかる。
仕事の報告を終えてから、その綺麗な形の唇にはっきりとした笑みを浮かべる。
「シュウに、映画を貸しておいたわ」
「シュウじゃない、秀だ」
きっぱりと語調を訂正した後、機嫌の良い理由に気付く。
「何の映画だ?」
「行くんでしょ?」
行けばわかる、と言いたいらしい。
そもそも、彼女がLe ciel noirに所属している理由は、登りつめるだけ登りつめた黒木を消すことにあるわけだから、友好的な返答を期待する方が間違っている。
妙なところで真っ直ぐで、秀を狙う気はないらしい。それどころか、気に入っているというか、妙に気にかけている節がある。
秀の境遇のせいかもしれないし、性格のせいなのかもしれないし、そこらを問う気も無い。
「一緒に見てやればいいのに」
「それは、アナタの役目でしょ」
あっさりと返すあたりが、秀を自分側に取り込んでしまう為の布石ではないのだという証左だ。
エアハルトと二人がついていれば、秀の安全はまず間違い無いと確信している。自分の命を狙っている連中なら他にも山といるし、直近の危険が無いことが明確な分、安全だ。
そんな黒木の考えをよそに、エリスは口角を上げたまま問う。
「一度だけ過去に戻れるとしたら、アナタはどこに行くのかしらね?」
口調と裏腹の感傷的な内容に、黒木は軽く肩をすくめる。
「絶対に訊かれるわよ。うたい文句なんですもの」
どうやら、秀に純粋に問われて目を白黒させるのを想像しているらしい。
「で?自分はどうするんだ」
「私?そうねぇ」
ほんの一瞬、視線が遠くなったのを見逃す黒木ではない。軽く口の端を持ち上げる。
「聞くまでもないな」
言い切られて、むっと視線がこちらを向く。
「何をよ」
「口にされたいのか?そういう趣味があるとは思わなかったな」
追い討ちをかけられて、完全に不機嫌な顔つきになる。偶然という気まぐれに助けられたくなど無かったのを、黒木は知っている。
「そちらはどうなのよ?見殺しにするわけ?」
「一回だけじゃ、焼け石に水だからなぁ」
面倒くさそうに肩をすくめてやると、案の定、エリスは返事も無しに背を向ける。
彼女を知る人間はクールビューティーなどと呼んでいるらしいが、自分に言わせればかわいいお嬢さんだと思う。
いつかの将来、本気で命を狙ってくるだろうことも含めて、だ。
くすり、と笑いを漏らしたところで、扉が開く。
入ってきたエアハルトは、いくらか眉を寄せている。
「フラウ・エリスをからかうのはほどほどになさった方がよろしい」
「質問に答えただけだよ」
視線で、何の用かと問う。
「今日は、もうよろしいでしょう」
「ああ、そう。じゃ、後は頼むよ」
ごくあっさりと返して、今度は黒木が背を向ける。

予告も無しに姿を現すことには慣れたらしいが、初回にこっぴどくやられたのが相当にこたえているらしく、未だに学校のプリントを渡す時には秀の体中が強張っている。なにかやらかした部下が報告に来ているのとダブるので、いまいち嬉しくは無いのだが、加減がわからず怒ったのは自分と言い聞かせながら、笑みを浮かべる。
「ふぅん、テストがあったのか」
「あ、えっと、はい」
テストといっても、軽く確認する程度の小テストの部類だ。黒木だって普通に学校には通っていたのだから経験はある。
が、秀からしてみれば、そういうのは想像の外であるらしく、説明した方がいいのかと考えて言葉が見つからず諦めたようだ。
「満点!」
声の大きさに、反射的に肩をすくめた秀は、口にされた言葉の意味に気付いて照れくさそうに笑みを浮かべる。
「凄いな」
少し頬が赤くなったのは、気のせいではなさそうだ。
他のプリントにも目を通し、提出物やらイベントやらをチェックする。
「あれ?」
「はい?!」
黒木の疑問符に、秀はまた直立不動に戻ってしまう。
「あ、いや、学級新聞、無いんだな」
「今月は、まだなんです」
「そうか」
そんなに固くならなくても、と言っても無駄なことは知っている。こういうのは時間が必要なのだ。
秀は、なぜ学級新聞なのか、というように首を傾げている。
「あのさ、ほら、やってみましょうとかいうの、面白いから。秀は物知りだしな」
かつての自分の担任も、あれやこれやとやらせてくれたが、友達と経験するのとはまた違う。
秀は、物知りと言われて照れているらしい。そして、黒木の機嫌は悪くないと判断したようだ。
「あの、映画を貸してもらったんですけど」
エリスが置いていったものだろう。誰が、といわないあたりは秀の気遣いだ。
「映画?どんなの?」
尋ねてやると、秀は手にしたケースを手渡してくる。
秋の空、と柔らかい書体で書かれているのがタイトルらしい。その名に相応しい、青空と夕暮れの空がいくらかズレた配置になっていて、それぞれに立っている後姿の少年と少女が、あと少しで手が繋げそうな、ズレのせいで無理なような、どこか不可思議な雰囲気だ。
裏返すと、「たった一度過去に戻れるとしたら、アナタは何時に戻りますか?」とあおり文句がある。
「見ても、いいですか?」
いくらか、小さくなった声が尋ねてくる。
「ああ、俺も見てもいいかな?」
秀の顔が、ぱっと輝く。
「はい!」
せっかくだから、と飲み物とつまむものを用意して、部屋を少し暗めにしてから、ソファに並んで腰掛ける。
話は、ちょっとした行き違いから始まる少年の冒険といったところで、メインは少年の成長の方だ。それでいて、たった一度過去へ戻ることが上手く効いている。
素直にハッピーエンドを喜べるストーリーだ。
「面白かったな」
きちんとエンドロールまで見終え、部屋を明るく戻しつつ言うと、秀は興奮気味の表情で領く。
「とっても」
珍しく子供らしい口調なのに、黒木の口元が緩む。
立ち上がって二つグラスを並べ、丸い氷を入れ、自分のにスコッチを、秀のにはジュースを注ぐ。グラスを持ち上げると、氷が澄んだ音をたてた。
振り返ると、秀の顔からは先ほどまでの子供らしい興奮はどこへやら、なにやら小難しい顔で考え込んでいる。
グラスを額に当ててやると、目を見開いて見上げてくる。その視線がかわいらしかったので、黒木は笑みを浮かべる。
「秀も戻りたいか?」
どこへだかは、言わずもがなだ。
秀が考え込んでいたのは、間違いなくソレだろう。
自分に、過去へ戻る機会が与えられたとしたら、どうする?
見開かれていた目が、先ほどまでの生真面目なものへと戻る。
「今の僕じゃ何も出来ないから」
戻って、何も出来ないまま一緒に逝くという発想をしなかったのが気に入ったので、グラスを手渡してからくしゃくしゃと頭をなでる。
親たちが生き延びることを望んだからという義務感からだとしても、迷わずに言うのは難しいことだ。
「じゃ、どうする?」
思っていた以上の強さを秘めた少年に、先を促してみる。
「強くなるまで置いておくっていうのは駄目なんですよね」
「らしいな」
話の中の設定は守ることしたらしいので、黒木も頷く。
真剣な顔つきで、ややしばし。もう一度、グラスの中の氷が音を立てる。
「圭吾さんに、譲ります」
いきなり言われて、黒木は目を丸くする。
「え?俺?」
「はい」
まっすぐな視線。なるほど確かに今すぐに何かを出来る実力なら、自分の方にあるのだろう。もしかしたら、秀の両親を襲った悲劇を止めることも可能かもしれない。
「それで、秀の戻りたいところに戻るのかな」
が、秀は首を横に振る。
「僕のことで戻ったら、不公平になってしまいますから」
Le ciel noirのトップという立場から考えれば当然なのだが、この年齢にしては生真面目過ぎる。
「でも、秀が譲ってくれるんだろう?」
水を向けても、やはり秀は首を横に振る。
「それでも、やはり駄目です」
「ふぅん」
どうやら、黒木自身も秀並の生真面目かつ真剣に、過去へ戻ることが出来る機会をどのように使うのかを考えなくてはならないらしい。
エリスを煙に巻いた返答は嘘ではなく、むしろ真実なのだが、それではあまりに失望させてしまいそうだし、それ以上に貴重な機会を譲った秀に失礼だろう。
「そうだな」
グラスに口をつけてから、軽く首を傾げる。
たった一度を、最高に有効に。
「……ああ」
宙に浮いた視線を、秀に戻す。
「秀が許してくれるなら、譲りたいヤツがいる。ソイツなら、たった一度を確実に有効利用して、かつ俺もそれがとても嬉しいというふうにしてくれるから」
秀は、まっすぐに黒木を見つめたまま、何度か瞬きをしてから、にこりと笑う。
「もちろん、圭吾さんに譲ったんですから」
妙に嬉しそうにジュースを口にしてから、グラスをくるくると回す。氷が、カラカラと音を立てる。
あまりに真剣に考えてしまったので、詳細を語れないことを思いついた。結局のところ煙に巻いたのと変わらないことを口にしたのに、秀は納得したらしい。
それにしても、真剣に考えて出た結論がコレだとは。
結局、エリスの思う壺にはまったな、と苦笑しつつ、グラスを傾ける。
自分が戻って覆すことも出来る。でも、それでは駄目だ。彼でなくては。
もし、あの時にどうやってもなにも無視して、彼がその場にいることが出来たのなら。
そうであったのなら。
いや、そうであって欲しかったのは、むしろ自分なのかもしれない。
もし、本当にたった一度過去に戻ることが出来る権利を差し出したら、彼はどうするだろうか。
自分と対極の位置に立つ、最も自分に近い彼は。
次に会う時に、酒のせいにして訊いてみるのも悪くない。
そんなことを考えてから、視線を戻してみると、秀が慌てて視線を外す。
よくはわからないが、妙に嬉しくて仕方ないらしい。
「貸してくれた人にお礼言っておけよ」
視線が、戻ってくる。
満面の笑みと共に、秀はもう一度頷く。


〜fin.

2006.09.10 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Sky in autumn〜


■ postscript

拾五万打記念阿弥陀企画より、黒木&エリスで「もしも時を越えられるなら」、黒木&秀で「秋の空」。
秀が子供の頃の話。
まだ、Le ciel noir首脳部も収まっていない頃の話です。


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