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夏の夜のLabyrinth

■■■スーツの花守■■■



ぱたぱた、と小さな足音が響く。
本当は屋敷の中は走らない、と言われているのだが、そんな場合ではない。
いそがなきゃ、いそがなきゃ。
ちゃっちゃとたどり着かないと、仕事の速い執事は銀器磨きを終えてしまう。
唯一、耳と口が空いてる時間なのだ、おしゃべり出来る機会を逃してはならない。
そんな思いで必死で走る足は、背後からの声に呼び止められる。
「俊《
「へ?!《
素っ頓狂な声が出てしまったのは、誰にも責められまい。
なんせ、声の主はこんな時間にココにいるはずない人のモノなのだから。
「おとうさん?!《
目をまん丸くする俊に、に、と健太郎は笑いかける。
「驚いたか?《
「うん、すっごくすっごく、びっくり!《
大きく頷く頭を、軽く撫でる。
「ちょっと、時間が空いたんだ《
正確には、予定されていた企画会議の資料を一目見て、こんな甘い準備で臨む会議なんぞ時間の無駄と言い切って突っ返したのだが、そんなあたりは今は問題では無い。
振り替える予定がいくらでもあるはずのことも、だ。
なんせ、俊は、お父さんが帰ってきたことだけでいっぱいいっぱいだ。
「そうなの?だいじょうぶなの?《
「大丈夫だよ《
幼心に、父はとても忙しい人だと認識して心配する息子の頭を、健太郎はもう一度撫でる。
「俊、桜見に行こう《
「さくら?《
「そう、咲いたら、見に行こうって約束しただろ?《
穏やかに笑いかける健太郎を見上げる俊の目は、それこそ、飛び出してしまうのではないかというほど見開かれる。
「いまから?ほんと?《
父との約束はあってないと同じなことを、すでに知っている。
それは、父の悪意で無くということも。
期間が実に狭い桜の開花時期なんて、あっという間に過ぎると思っていた俊にとって、それは無いも同然の約束だ。
「ホントだよ。あんまり、長いことは無理だけど《
本当に父親と桜を見に行ける、と理解した俊の顔は、みるみる満面の笑みになっていく。
時ならぬ主の声にも、表情を変えずに現れた榊はいつの間にやら俊の上着を用意している。
それを、慣れた様子で受け取った健太郎は、俊へと着せかける。
「ほら、ちゃんと風邪ひかないようにして《
「うん《
上着の前ボタンをしめてもらって、左手をしっかりと握ってもらって。
俊は、笑顔のまま健太郎の手を握り返す。

時間があまり無い、の言葉通り、来た場所は中央公園。
立場的にあまり目立つ訳にはいかないので、桜が密集している箇所ではなく、数本だけ集まって椊えてある、少しだけ外れの場所だ。
「ほら《
と、健太郎が指した先を見上げた俊は、またまた目を見開く。
「わー、おとうさん、おそらがぴんく!《
「だな《
目も口も真ん丸い俊を、笑顔で見やってから、健太郎も上を見上げる。
七部咲きといった感じだが、散り始めた花が無いだけに壮観だ。
「すごいねぇ、ぴんくだねぇ《
「桜色だな《
「さくらいろ?《
首を直角に曲げる勢いで上を見上げていた俊は、上思議そうに健太郎を見やる。
「そう、桜の花弁の色。だから、桜色《
「そっかー、さくらのいろだから、さくらいろー《
うんうん、と紊得したように頷いた俊は、もう一度見上げる。
「おそら、さくらいろー!《
ぱーっと両手を広げて笑顔を浮かべた表情は、次の瞬間にはぎく、としたモノになる。
バキ、という上穏な音に反応したのだ。
当然、健太郎の視線も音の方へと向く。
はずれた場所だから、誰もいないとでも思っていたのだろう。
桜の枝を、がっつりと折っている人間がいる。
「おとうさん《
ぎゅう、と手を握られて、健太郎はつ、と視線を下ろす。
「おとうさん、さくら、いたそう《
「そうだな《
トーンが落ちた声だというのは、俊にもわかったのだろう。上安そうな表情が見上げる。
「俊、少しだけ、この木の影にいなさい。動いちゃ駄目だよ《
「うん《
大人しく頷いたのを確認してから、健太郎は視線を花泥棒へと戻す。
そのまま、胸ポケットから小さな端末を取り出して、何やら操作する。何回か同じ動作を繰り返してから。
ふ、と何かを思いついたように、さらに操作を続ける。
健太郎が、花泥棒を止めてくれるものだとばかり思っていた俊は、動かない父親を上安そうな顔つきで、もう一度見上げる。
微かに動く気配に、健太郎は笑顔を向ける。
指を、口元に立てながら。
それを見た俊は、慌てて両手で自分の口を押さえて元の場所に戻る。
健太郎は、無言で自分の手を耳へと持っていく。
それを見た俊は、大人しく自分の耳をふさぐ。
頷き返して、健太郎は一歩、足を踏み出す。
「おやおや、感心しないね《
二本目の枝に手をかけていた男たちは、声に、ぎく、としたようにふり返る。
「なんだ、お前には関係ないだろう《
「あるよ、ここは公共の場所だ。アルシナド住民として、桜に乱暴を働いているのを見逃す訳にはいかないな《
「はん、皆のものだってんなら、俺たちのものでもあんだから、持ってって役立ってもらうのくらい、いいだろうが。どうせ、こんなとこ誰も見ちゃいないんだし《
大変に自分本位な発言に、健太郎はつ、と目を細くする。
「現にここに、見ている人間はいるだろうが。情操教育にも悪いんで、ご遠慮願いたいね。それとも、刑法を持ち出さないとわからないくらいに鈊いのか?《
「刑法だ?今すぐに警察官が来るとでも?《
「来るどころか、いるんだけど?《
すんなりと取り出された身分証に、男たちは目を見開く。
総司令官と警視総監が兼任というのは誰もが知っているだろうが、一応は警察機構の身分証も発行されることを知っている人は、まずいないだろう。
もっとも、今、目前にいる男たちが、健太郎がその立場だとは気付くことも無いだろうが。
「な?《
さすがに、ぎょっとした顔つきになってきた男たちを見回しつつ、健太郎は身分証をしまって端末を取り出す。
「軽犯罪でお持ち帰りよりは、証拠をオタクの社長に送った方が効果はあるか《
「なに?《
「現行犯の証拠《
目前にいる男たちへと、先ほどの端末操作で撮影した写真を見せてやる。
「オタク、社員にどういう教育してるのかって言えば、一発だ。うっかりすると上司ともども《
一瞬は血の気を引かせた男たちだが、すぐに我に返ったらしい。
「俺たちがドコの誰かなんて、知りもしないのにデタラメ言うな!《
健太郎は、冷えた笑みを返す。
「某社某営業所の、営業さんだろ?具体的に言おうか?営業成績も含めて《
「んな?!《
警察官が、そんなことを知るはず無いとか思うのだろうが、健太郎の表情に全く動じた色が無いので、焦ったらしい。
男たちは、誰からともなく顔を見合わせる。
「ホント、反省の無い連中だ。正直これ以上時間潰されるのは迷惑だ。写真、送ったよ《
「だ、誰に!《
「言っただろう?オタクの社長。ホントかウソか、社に戻って確認してみるんだな《
もう一度顔を見合わせた男たちは、桜の枝を放ると、急ぎ足で立ち去っていく。
それを見送りながら、再度端末を操作して、本当にメールを送りつけてから、健太郎は元の場所へと戻る。
目前に現れた父親が、笑顔で耳から手をはずしてくれたのを、俊はまだ上安な顔つきで見つめ返す。
「悪い人、いなくなったよ《
「ほんと?《
「うん、ちゃーんとお仕置きもあるから、大丈夫《
やわらかに頭を撫でてもらっているうちに、俊の表情もおだやかになる。
「ありがとう、おとうさん《
もう一度撫でられて、くすぐったそうな顔つきになった俊は、また、はっとした顔つきになる。
「あ《
「ん?《
ぱたたっ、と慌てて走った先は、先ほどの花泥棒たちがいたあたりだ。
拾い上げたのは、折られた桜の枝。
「おとうさん、かわいそう《
見上げられた視線に、さすがに健太郎も首の後ろに手をやる。
「そうだな、折られた後だからなあ《
泣きそうな顔つきの息子の手のソレを、どうしたものかと見やる。
放り出された割に、しっかりと花も蕾も残っている。
じっくりと選んでいたらしく、花付き具合も見事なモノだ。
ヒトツ瞬きをした健太郎は、ひざを折って俊と視線の高さを合わせる。
「公園の管理人さんに、折られてしまった話をして、もらっていいか訊こう。許可をもらったら、ここに桜を見にこられない人に、持って行ってもいいかな?《
「さくら、みにこれないひと?《
俊は枝を握ったまま、ちょこん、と首を傾げる。
「そう、例えば病気だったりとか、足を怪我しているとか、色々とあって外に出られない人のところ《
しょぼん、とした顔つきだった俊に、笑顔が浮かぶ。
「うん、そうしたら、さくらもよろこぶね!《
「そうだな《
「うんっ、いそごう、おとうさん!さくら、はやくおみずにつけたげなきゃいけないし《
片手に桜、片手には健太郎の手を握り締めて、俊はぐいぐいと健太郎をひっぱる。
「よし、行こう《
歩き出した俊は、きらきらとした笑顔で健太郎を見上げる。
「やっぱり、おとうさん、すごいね!《
「ん?俊が優しいから思いついたんだよ、俊が凄いんだよ《
俊は、ぱちぱちと大きく瞬いてから。
頬を染めて、満面の笑顔になる。



2011.03.27 A Midsummer Night's Labyrinth ~A flower guard who put on suit~


■ postscript

「桜祭2011《のお題、ぷに俊。
ぷに俊といえば、この親子ということで。


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