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夏の夜のLabyrinth

■■■ 和菓子と美人と銃弾と? ■■■



後悔先に立たずとは、よく言ったものだ。
ともかくも、事態の打開を図るよりほかあるまい。
幸い、最後の切り札は残っている。
などと、珍しくも大げさに考えているのはジョーである。
今日も今日とて五月晴れというのはこのことだとばかりの、潔いくらいの晴れっぷりだ。
ただいま、午前十時過ぎ。
忍は用事があるとかで出掛けてしまったし、俊は走ってくるとバイクに乗って行ってしまった後である。
麗花と須于は、ショッピングモールに新しい店が出来るとかで、買い物に出かけている。未チェックのカフェで、昼は食べてくるらしい。
亮は、というと、ただいま居間の掃除中だ。
エプロンをかけた後ろ姿に、ゆるく編んだみつあみが揺れている。
じーっと見ている視線に気付いたのか、掃除機を動かす手を止めて振り返る。
「どうか、しましたか?」
「あ、その……だな」
言いにくそうに、ジョーが切り出す。
「今日は、忙しいのか?」
「いえ、そんなことはないですけど……」
少々戸惑いを含んだ声になったのは、ジョーが妙に真剣な目つきで見つめているからだ。
質問から察するに、なにかジョーは亮に用がある、ということになる。
が、なにやら黙りこくったまま、立ち尽くしているばかりだ。
亮は、軽く首を傾げる。
先を促す問いなわけだが、やはりジョーは黙りこくったままだ。
「なにか、僕がお役に立つようなことでも、ありますか?」
ジョーがこれほどに黙りこくっているというコトは、おそらく頼みごとだ、と察しをつけた亮が、助け舟を出す。
「ああ、うん、その……なんだ」
いつまで逡巡していても仕方ない、と思い切りをつけたようだ。ヒトツ、大きく息を吸う。
「小萩通りで和菓子を買って来て欲しいんだが」
「…………」
思わずまじまじと見つめ返すだけで済んだのは、ひとえに亮だからだ。
ジョーは、元々甘いモノは好きなほうではない。自発的に食べることがあれば、それは疲れている証拠。
ここ数日、ジョーが甘いモノを欲しがるほどのコトは起こっていない。少なくとも、事件では。
亮の首の角度が、少々傾斜を強める。
「なにか、あったんですか?」
「違う、俺じゃない」
慌てて片手を上げる。
「……世話になった人に、だ」
ぽつり、とした声に、亮は、にこり、と微笑んでエプロンを外す。
「いいですよ、出かけましょう」
「え?」
面食らったのはジョーだ。自分は確かに、買ってきてくれ、と頼んだはずなのだが。
和菓子は、小萩通りというこれまた着物美人が着流しの風流人が似合いそうな通りに揃っている。
洋菓子店が建ち並ぶ、通り自体が砂糖細工のようなソレイユ通りに比べれば、行くこと自体には抵抗は感じない。
だが、自分が好きではないせいか、とんと菓子には詳しくないのだ。だからこそ、頼んだわけで。
亮の笑みが、大きくなる。
「ジョーが選んだ方が、喜ばれると思いますよ」
軍師な笑みではないのだが、妙な説得力が亮の笑顔にはある。自分が世話になった人だという自覚も、ある。
ジョーは、大人しく頷いた。
「じゃあ、車を出す」
「駐車場の方に降りますから」
「ああ」

そんなわけで、眩しいくらいなブルーメタリックのツーシーターの助手席には、本日は亮がいる。
「豆とか栗とかは、お好きなんですか?」
「ああ、こし餡よりつぶ餡の方が絶対いいって言い切るくらいだ、日持ちするのが、あるといいんだが」
「そうですか」
亮は軽く首を傾げている。なにがいいか、考えてくれているのだろう。
よくよく考えてみれば、亮はその手には案外詳しいらしいことに思い当たる。案外、最も適任な人を捕まえたのかもしれない。
そんなことを思いながら、駐車場へと車を滑り込ませる。
車から降り立った亮は、にこり、と微笑む。
「月夜野へ行ってみましょう」
月夜野、というのが和菓子屋さんの名前らしいことは、ジョーにもわかる。
「季節モノが、充実しているんですよ」
「そうか、わかった」
ジョーの方は、連れて行ってもらう立場なので否やはない。
亮は、小萩通りのこともよく知っているらしい。
通りを歩きながら、いくつかの店を指してくれる。
「あそこがなごみ堂、夏にジョーが気に入った水饅頭と水大福は、あそこのですよ」
「なるほど」
それは、憶えておこうと思う。自分で買いに来るのかは別だけれど。
「月夜野の前に、七曜に寄らせて下さい」
「ああ、七曜餅の店だな?」
前に、麗花が買ってきたことがある。牛皮風の餅なのだが、甘さが強くなくて大きさもほどよく、皆に好評だったのだ。
お土産にするつもりなのだろう。
「ええ」
にこり、と亮が微笑む。
「わかった」
その日売り切りなので、品切れのことも多いという。早めに行くにこしたことはないのだ。
というわけで、まずは、七曜へと足を踏み入れる。
なにやら、おままごとのような若夫婦が切り盛りしているということを知って、ジョーは少々眼を丸くしつつ、無事買い物をすませる。
また、歩き始めてから、亮はもう一軒指してみせる。
「あそこも、ジョーは覚えておくといいですよ」
「どこだ?」
視線をやって、すぐにわかる。木に掘り込んだ看板に、大きく「香薫本舗」とある。
煎餅屋だ。
そこのたまり醤油をたっぷりと塗りながら焼き上げた堅焼き煎餅は、ジョーの好物なのだ。
「ああ……あそこだったのか」
「寄ってみますか?」
なにやら、当初の目的を忘れそうな感じだが、たまり醤油の堅焼き煎餅は魅力だ。
「じゃぁ、少し……」
などと、お菓子をつまむ前のような返事をする。
引き戸を開けて入ると、丁寧に並べられた煎餅の向こうから、嬉しそうな声がする。
「あらぁ、久しぶりに来てくれたんだねぇ」
どこから、とジョーが驚いてよくよくみると、ちんまりとしたお婆さんが座っている。にっこりと微笑んでいるお婆さんの視線は、とても優しい。
亮も、にこり、と微笑む。
「ご無沙汰してます、腰の調子、いかがですか?」
尋ねながら、亮の視線は少し奥の、土間の方へとむく。
にこやかなお婆さんとは対照的に、土間の方で煎餅を焼いているお爺さんの方は、職人気質の頑固そうな顔つきだ。
「お爺さん、ほら、前に腰が楽になるようって処方してくれたお嬢さんが、腰の調子はどうですかって」
「ん、ああ……悪くない」
こちらへと顔を戻したお婆さんは、苦笑する。
「まったく、愛想なしで。あれから、随分と楽にさせてもらっててね、ほら、新しいのも久しぶりに」
「唐辛子醤油ですか、美味しそうですね」
ジョーも、こっくりと頷く。
「よかったら、持って帰ってね、お礼かわりに」
「いえ、そんな……」
亮が遠慮しようとしたところで、土間の方から、また、ぼそり。
「右のだ」
「ああ、そうですね、はいはい」
唐辛子醤油煎餅は、二種類の袋の大きさがあって、お客さんから見て右側の方がたくさん入っている。
愛想は悪いが、喜んでいるのだろう。
お婆さんと亮は、笑顔を見合わせると、こくり、と頷く。
「では、遠慮なく」
それから、何気ない様子でジョーの好きなたまり醤油の堅焼き煎餅の袋を手にする。
「これ、お願いします」
「はいはい」
唐辛子醤油の煎餅と同じ袋に詰めてくれている間に、亮はたまり醤油煎餅の分の代金を置く。
顔を上げたお婆さんに、にこり、と微笑む。
「こちらは、ありがたく」
と、袋の中の唐辛子醤油煎餅を指す。
お婆さんも、にっこりと微笑む。
「ありがとうねぇ」
外に出て、歩き始めたところで気になっていたことを聞いてみることにする。
「あの婆さん、お嬢さんと呼んでいなかったか」
「事故で亡くなったお孫さんの面影があるそうですよ」
思わず、まともに亮の顔を見る。
亮は、微かな笑みを浮かべる。
「看護婦を、目指してらっしゃったのだそうです」
だから、亮も自分の医師の知識を使ったのだ。お嬢さんではないことも、否定することもなく。
「……そうか」
なにか、照れ臭い気がして、ジョーは前へと視線を戻す。
そんなわけで、無事、寄り道は終わって、本命の月夜野だ。
「いらっしゃいませ」
渋めの和服にたすきがけのお嬢さんたちが、頭を下げる。そして、すぐにお盆を持って近付いてくる。
「どうぞ」
乗っているのは、湯呑みに入ったお茶だ。温かそうな湯気があがっている。
「どうも」
亮がにこり、と微笑んで受け取ったので、ジョーも断り辛くて一緒に受け取る。
湯呑みを片手に、亮が指してみせる。
「だいたいのモノが味見出来るようになってますし、商品名の下に、どのくらい持つかが書いてあります」
「ああ」
なるほど、和菓子を味見すれば、お茶が欲しくなる。心置きなく味見出来るようにとの気遣いなのだろう。
それはそうとて、かなり広い店内だ。なにをどう見ていいのやら。
ジョーの顔に戸惑いが浮かんだのがわかったのだろう。
亮が、指差してくれる。
「あれなんかは、どうですか?日持ちも……」
「あ、いや」
慌てたような否定の言葉に、亮は怪訝そうに首を傾げる。
「日持ちはしなくてもいい、豆が美味いのは、どれだ?」
亮の顔に、笑みが浮かぶ。
「オススメがありますよ」
苦手ではあるが、せっかく選ぶのだからとジョーは自分で、いくつか味見してみる。
季節モノや、豆をたっぷりつかったモノとかを数種詰め合わせてもらい、綺麗な和紙に包んでもらう。
店を出て、駐車場へ向かいながら、明後日の方向を見つめていたジョーが、ぽつり、と言う。
「悪いんだが、もう一ヶ所付き合ってもらえるか」
「いいですよ」
あっさりと返事が返ってくる。
「龍泉寺ですね」
「ああ」
ジョーの口元にも笑みが浮かぶ。

龍泉寺は大きな寺ではない。
だが、手入れが行き届いているのは、一目でわかる。
駐車場に車を止めたジョーは、ちら、と亮を見る。
「ここで、待ってましょう」
「いや……よければ、だが」
軽く、親指を指してみせる。
亮は、軽く微笑む。
石段を上がりきると、ジョーは、寺正面ではなく、ちょっと奥まった引き戸を開ける。
「帰りました」
その声に、小柄な老人が姿を現す。ジョーの育て親である龍泉寺住職、海真和尚だ。
「ほう、ホンモノじゃな」
「どういう意味だ」
ジョーは軽く眉を寄せる。海真和尚は、破顔する。
「軍に入ってから、顔を見たことがなかったからのう」
「便りはしてた」
「手書きの電報かと思ったぞ」
どんな文面なのか容易に想像できて、亮は笑いを堪える。
海真和尚は、その気配に視線を亮へと向ける。ジョーが口を開く前に、軽く目を見開いた和尚が言う。
「ほう、ほう、これはこれは……よく似ておられる」
にこり、と亮は微笑む。
「父がお世話になっております」
ごく自然に、頭を下げる。
「いやいや、拙僧はなにもしておらぬよ、父上はご健勝かな」
「お蔭様で」
会話から察するに、リスティア総司令官にして天宮財閥総帥たる天宮健太郎と、海真和尚は知り合いらしい。それはそうと、健太郎に似ているのは、どちらかといえば俊の方だと思うのだが。
ちら、と会っただけだが、佳代に亮が似ているとは思わなかった。
そんなことを考えていると、海真和尚が笑顔を向ける。
ジョーは、手にしていた紙袋を、ぬっと出す。
「仏さまに」
ぶっきらぼうな口調だが、きちんと『さま』がつくあたり、海真和尚の教育がうかがい知れるというものだ。
「いい心がけじゃの」
す、とよけて上がる場所をつくる。
慣れた仕草で、ジョーは靴を脱ぐと上がってから、くるりと向きを変えて、揃える。ごく、自然な動作で。
薄暗い廊下を少し行くと、寺正面から入ったすぐの、立派な御堂につく。
檀家からのお供え物と一緒に置くと、ジョーは端から順に拝んで行く。
亮も、静かに一緒に手を合わせる。
真ん中は仏様だが、両側は僧を象ったものが奉られている。
お参りを終えてから、亮が首を傾げる。
「開祖様ですか?」
「ああ、左側は宗派の開祖で、右はこの寺を開いた上人だ」
金髪碧眼であるジョーの口から、なんの不思議もなさそうにそんな言葉が出てくるのが、なぜか自然に思えて、亮は微笑む。
奥へと戻ると、海真和尚はざぶとんを出しながらジョーに言う。
「コーヒーをいれてきなさい」
なるほど、こういうことを、それとこれとは別であるということらしい。
手伝いに立とうとした亮を、和尚は呼びとめる。
「ああ、お客様はいいんじゃよ」
ジョーは、お客様ではないということらしい。それは本人もわかっているらしく、頷いてみせる。
「ああ、構わない」
「では、遠慮なく」
亮は、進められるままに腰を下ろすと、海真和尚と向き合う。
和尚は、ちら、と奥に視線をやってから、尋ねる。
「あれの仕事ぶりはどうですかのう」
ごく、静かな口調であったが、それは仏道に仕える者としての言葉ではなく、まぎれもなく愛情を注いだ孫のような存在を気にかける言葉だ。
にこり、と亮は微笑む。軍師な方の笑みで。
「なくてはならない存在です」
どこか寂しげな笑みを、和尚は浮かべる。
「武器を手にするということは、それで殺されてもいいと認めることじゃ」
「それを知っていて、手にしたのですね」
「そうじゃ」
軍師な笑みは、溶けるように穏やかなモノへと取って代わる。
「帰ってこられるようにします」
瞳には、強い意思がある。
「必ず」
そして今度は、イタズラっぽい笑みに変わる。
「和尚、今度は、きちんと紹介すべき人を連れてくるよう言うべきですよ」
「なに吹き込んでるんだ?!」
コーヒーを持ってきたジョーが、焦った声を上げる。
「なんじゃ、お前さん、そんな人が出来たのかのう」
にっこり、と海真和尚も微笑む。
「いや、ちが……」
コーヒーカップを置きながら、ジョーは相変わらず焦っている。
「きちんと、相手の親御さんにはご挨拶したのかの?」
「ちが、あいつは親がいな……そうじゃなくて!」
くすくすと亮は笑う。
「もうヒトツ」
「亮!」
「ジョーはコーヒーのブレンドを始めたんですよ」
「ほう、ほう」
嬉しそうな笑みが、和尚の顔に浮かぶ。
ジョーの顔には、拍子抜けした表情が浮かぶ。さらに須于のことでなにか言われるのかと思ったから。
それに、ときたましか見せない嬉しそうな笑顔には弱いのだ。
「ああ、今度、送る」
すとん、と腰を下ろしてから。
「今日持ってきたアレ、あまり日持ちはしないからな」
「そうか」
「感想聞かせろよ」
「自分は、電文しかよこさんくせに」
亮が、コーヒーカップを下ろして、にこり、と微笑む。
「ジョーが味見をして選んだんですよ」
「ほう」
和尚は、先ほどよりも嬉しそうに笑った。

ゆっくり茶飲み話をして、結局は昼まで一緒に食べてから龍泉寺をあとにする。
走り始めた車の中で、ジョーがぼそり、という。
「付き合わせて悪かったな」
「いえ、いい土産話が出来ましたし」
「亮?!」
「冗談ですよ」
くすり、と亮は笑う。
「でも、今度は僕は付き合いませんからね」
「ああ、わかってる」
ぽつり、と付け加える。
「ありがとう」
街路樹の緑が、過ぎ行くメタリックブルーの風に揺れた。


〜fin.

2002.10.27 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Bun, Beaut and Bullet〜


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