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夏の夜のLabyrinth

■■■和尚とコーヒーと昔話■■■



海真和尚と、買い物につき合わせた亮にコーヒーを出し終えたジョーは、珍しくも亮にからかわれてしまい、目を白黒させたりした後、さてと、というように和尚へと向き直る。
和尚は、ただ、軽く眉を上げる。
「和尚、そろそろ聞かせてもらってもいい頃だろう」
ただ、静かな一言。
和尚には、それだけで充分に理解出来る。ふむ、というように軽く首を傾げてから、亮を見やる。
「さて、どうしましょうかの」
「この件に関しては、さすがに詳しくは存じ上げません」
にこり、と亮が笑みを返す。
「では、昔語りをしてみようかの」
コーヒーを手にしたまま、和尚は目をいくらか遠くへと向ける。



夜中に押しかけてくる人間がいても不自然ではないというのは、一重にこの龍泉寺住職海真和尚の人柄のなせる技といえる。
世間のみならず己の一挙一動を監視されている立場である天宮健太郎としては、ありがたい限りだ。龍泉寺を訪ねやすい理由には、表向きは病死したことになっている母が、彼女の意思とは全くの関係無しに天宮家の墓に葬られているという個人的な事情もあるのだが。
が、夜中に何の連絡も無しに姿を現すというのは、普通ではあり得ないのも確かなことだ。
海真和尚は、驚いた様子も無く健太郎を招き入れる。
そして、急ぐ様子も無く、コーヒーをいれ始める。和尚がコーヒーに目が無く、洋画が大好きであることを知っているのはごく一部だ。
「和尚、またいい豆取り寄せましたね」
香りに反応して、健太郎は笑みを浮かべる。
「ほぉ、香りだけでわかりなさるとは、随分肥えておられますな」
健太郎の笑みが、苦笑へと取って変わる。
「知っていて得はあっても損はありませんので」
二つの力ップを手にちゃぶ台へと戻ってきた和尚は、ただ微笑む。
「いただきます」
健太郎も、大人しく出されたカップを手にする。
一息つくほどの間の後、和尚が何気ない口調で尋ねる。
「さて、なにがありましたかの?」
問われた健太郎は、力ップを置く。す、と変じた表情の真剣さにも、和尚の表情は変わらない。
「カール・シルペニアスが、事故に合いました」
一呼吸置く。
「キャロライン・カペスローズの子の引き取り手を早急に探し出さなくてはなりません」
健太郎が言葉少な理由を正確に理解して、和尚は静かに手を合わせ、経文らしきものを口の中で唱える。
それから、相変わらず表情を変えずに尋ねる。
「その子を、儂に引き取れ、と?」
「和尚しかいません」
健太郎もあっさりと返す。
「やがての選択肢は本人にあるのですから」
「……ふむ」
和尚の人格を慕い、頼りにするあまりに、龍泉寺は孤児院の様相を呈して、他に全く機能出来なくなったことがある。和尚をもってして、解決策は全ての子を他の孤児院に移すという荒療治しかなかった。
以来、いかような理由があろうと、和尚は誰の子も引き取っていない。そして、それを健太郎は委細にわたるまで知っている。
「考えられるあらゆる可能性を熟慮しました。その上で、結論はヒトツです」
わずかに身じろぎし、健太郎は姿勢を正す。
「一人の人間の人生を預けられるのは、和尚しかおられない」
次の瞬間、その頭は畳についていた。
「お願いいたします」
「おてを上げなされ」
健太郎が顔を上げた先には、決然とした海真和尚がいる。
「ようわかりました。拙僧がお引き受けいたそう」
「ありがとうございます」
再度頭を下げようとするのを、手で止めて、和尚は微苦笑を浮かべる。
「二度も頭を下げられたら、カリが大きすぎますわい」
顔を上げた健太郎は、にやり、と笑う。
「おや、バレましたか」



「それから三ヶ月ほどじゃったかの、お前様が来たのは」
これで終わり、という証拠に和尚はゆっくりとコーヒーを口にする。
軽く首を傾げたのは亮だ。
「名前は、カール・シルペニアス氏の役からとられたのでしたね」
「うむ」
和尚が頷くのを待って、亮は笑みを浮かべる。
「かなりの数の役をこなされていたかと思いますが」
そういえば、とジョーも思う。カールの役から取った名だとは聞いていたが、何故この名にしたのかは知らない。
興味を覚えた視線に、和尚の顔にも笑みが浮かぶ。
「ああ、それはの、それはもうモノの見事じゃったよ。お前様が男だということは知らされておったので、父君が演じた役からつけようと思うと、天宮殿とハーシェル殿にお伝えしておいたら、二人共候補を考えておっての」
和尚の言うハーシェルとは、アレクシス・デニス・ハーシェル、今もってカールのマネージャーとして名を馳せる男だ。今現在は、キャロラインのマネージャーも務めている。
二人の信頼を、最も勝ち得た男。
それは、カールにとってマネージャーである前に親友だったからなのは、ジョーも知っている。
亮の笑みが、少し大きくなる。
「無論、和尚もですね?」
「そうさのう」
和尚の笑みが、大きくなる。その笑みで、ジョーも、どういうことが起こったのか理解する。
「まさか?」
「その、まさかじゃよ。皆、迷わずジョー・ロングストンを選んでおった」
いくらか戸惑い気味に、ジョーは尋ねる。
「なぜだ?」
三人の意見が、なんの話し合いもなく一致したのだとすれば、理由があるはずだ。
「ふむ、理由をつけるとするなら、名が違うだけでカールそのものので、しかもキャロラインを守るから、かのう」
「…………」
ジョーの眼が、軽く見開かれる。
「名は最も力強い言霊のヒトツと言いますが、本当ですね」
コーヒーカップを手にした亮が、鮮やかに笑う。
「そうさのう」
まだ、凍りついたままのジョーを見ながら、和尚は立ち上がる。
「さて、お二人共、昼ご飯の予定は決まっておられますかの?」
「あ、ああ、決まってないよな?」
どうにか、いくらか我を取り戻して、ジョーが亮へと視線をやる。亮は笑顔のまま、頷く。
「ええ、今のところ、平穏無事のようですね」
「時間も時間じゃし、食べていかれるといい」
和尚が決めた口調なので、亮も立ち上がる。
「では、お手伝いさせて下さい。全部していただいたのでは、父にどやされます」
「天宮殿にどやされたら怖いのう、では、手伝っていただこうか」
二人の姿が台所に消える頃。
ジョーの顔には、いくらか照れたような笑みが、ゆっくりと浮かぶ。


〜fin.

2004.05.11 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Bishop, Caffee and Old story〜


■ postscript

迷宮完結投票ゲスト短編の部三位、ジョーが海真和尚に引き取られたいきさつです。
ジョーのぷに時代は海真和尚の心に秘められいる模様です。


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