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夏の夜のLabyrinth

■■■Impossible Invaluable Promise■■■



この世に『生』を得た瞬間から、すでに刻まれていた記憶。
鮮血にまみれて死んでいく大事な人々の影と、自分と。
そして軍師としての完膚なきまでの思考と知識。
通常の生命体としての速度での成長に飽き足らない脳神経たちの、すさまじい勢いでの神経接続は躰への負担でしか無かった。
『Aqua』随一と言われる父親の思考さえ軽く超える頭脳は、駆使すれば簡単に他人を凌駕出来る怜悧な刃物。
何人もの人間を、それで傷つけた。
その事実は、苦痛でしかなかった。
なぜ、過去の記憶など持ち合わせているのか?
答えを得たのは、ついこの間のこと。
やっと、記憶の意味を知った。
思考も知識も、自分にとって、絶対に必要な道具であることを。
二度と、大事な人を巻き込むことなど無く、コトのケリをつける。
その為に存在するのが自分。
自分という存在は、自分が用意した道具だ。



モニタの電源が入った瞬間、一気に部屋は明るさを増していく。
総司令部地下に設けられたこの部屋は、天宮家の一室から移植されたモノ。そして、中心にいる、人形の如く華奢で無表情な人物の為のモノだ。
どう見ても実年齢よりも小さな躰だが、その顔に浮かんでいるのは年齢に不相応な無表情。
なんの感情も無い。
ただ、目前のモニタが映し出していくデータを読み取り、解析していく。
どうしても成し遂げなくてはならないコトの為に、それが必要だから。
ただ、それだけ。
昨日は予定していた作業をほとんど進めることが出来なかった。今日は、少々いつもよりも多くのことを為さねばなるまい。
昨日。
雪の中を歩いている途中である人に再会した。
向こうは、気付かなかったけれど、それは当然のこと。
そう仕向けたのは、他ならぬ自分自身だから。
が、コトはそれだけでは済まなかった。
雪の中で出逢った六人は、ヒトツの小さな事件を解決した。
しかも、自分の立てた作戦で。
天使ちゃんと呼ばれて、笑いかけられた。
最高の友達と、言われた。
またいつか、会おうと約束をした。
あり得ない約束を。
初めての雪の日は、実に不可思議な感覚の思い出になった。
元々、記憶力は群を抜いているという自覚があるが、その中でもひときわはっきりと記憶し続けるに違いない。
小さく、首を横に振る。
いや、必要となれば、すぐに忘れるだろう。
絶対にやり遂げねばならぬことに、邪魔になるくらいならば、消した方がいい。
こんな風に、思考を逸らすくらいならば。
最も、自分から記憶を消すことは不可能なのだけれど。それは、何度も試して自分の躰で実証済みだ。
中心にすえた最も大きいモニタへと視線をやる。
今までに思い出した記憶と、調べ上げた過去のデータ、そして今現在のデータを解析した結果が映し出されようとしている。
それは、成し遂げなくてはならないことの重要な鍵になるはずだ。
過去の出来事に、能動的に関わった人間が数人いることはわかっている。
そして、誰かの意思で同じ遺伝子を持ち合わせた人間が、現在にも存在している。
遺伝子情報のみから得られる情報には、真に必要なモノがあまりに少ない。
彼らの能力を解析すれば、解決策への近道が得られるはずだ。
そして、コトが動き出す前に把握しておけば、巻き込むことを避ける手立てを講じられる。
『崩壊戦争』と呼ばれる過去の事件で、能動的に関わったほとんどの人間は死んだ。
選択肢が、それしか無かったから。
犠牲となった数は、自分を含めて六人であるらしい。
今回こそは、絶対に彼らを、最悪でも最小限にしか巻き込まないと決めている。
彼らがどんな人間か、記憶の中にもないけれど。
ヒトツだけ、はっきりと覚えていることがある。
それは、過去の自分にとってかけがえのない人々だったということ。
もう二度と、彼らにあんな選択肢は選ばせない。
モニタが、画像を映し出していく。
過去と現在の遺伝子データをつき合わせ、通常ならばアクセスすることなど到底不能なはずの箇所からさえあらゆるデータを取り込んで、現在の彼らがどこでどうしているのか、その詳細を。
まずは、探し出された五人の簡易プロフィールと画像が。
その画像が映し出された瞬間。
亮の眼は、大きく見開かれる。
立ち上がったのは、多分無意識だ。
いくらか、よろめくように自分が解析したデータを映し出したモニタへと近付く。
呆然とした声が漏れる。
「……まさか」
五人共の顔を、もうすでに知っている。
名も知っている。
剣士さん、騎士サマ、王子サマ、アリスちゃん、姫サマ。
それは、昨日つけたばかりの秘密の名。六人しか呼んではいけないと決めた名。
「そんな……」
また、呆然と言いかかり、我に返って椅子に戻る。すさまじい勢いで、データ解析の詳細を調べていく。
何度繰り返しても、答えは同じ。
自分の仕掛けた解析は完璧で、結果も寸分変わることはない。
速瀬忍、ジョー・ロングストン、東城俊、早乙女須于、孫麗花。
五人は、彼らに他ならない。
彼らが、過去の自分にとって、かけがえのない人。
そっと、名をつづってみる。
「シノブ、ジョー、シュン、スウ、レイカ」
漢字とは異なる微妙なニュアンスのそれは、ごく自然にこぼれてくる。
次の瞬間。
「ッ!」
あまりに強烈な記憶の奔流に、頭を抱え込む。痛いとか割れそうだとか、単語で表すなど出来ない。
でも、一つ一つの画像は実に鮮烈で明確で。
そして、最後に耳元に甦る声。
「迷いとか後悔とか、そんなのは全然無いけど」
「ああ」
「そうだな」
「まぁな」
「もっと六人で、いっぱいいろんなことしてみたかったわね」
時を越えて、いとも簡単に出逢ってみせた六人。
きっと、いや間違いなく。
あの時の六人の誰もが、もう一度があるのならと望んだ。
そんなモノは、片鱗も信じない者でさえもが。
暖かいなにかが、頬を伝っていくのに、気付く。
手を触れてみて、液体であることを知る。
しばし見つめて、それが涙と呼ばれるものであることに気付く。
生まれて初めて流れる涙はひどく暖かくて、自分の躰にも体温があるのだと知らせてくれる。
いつだってそうだ。
彼らは、自分を道具から人間にしてしまう。
思い出すだけで、笑みが浮かび、胸のどこかが痛んで、そして涙さえ溢れる。
過ごした時間は、過去の自分にとっては本当に一瞬のことであったのに。
絶対にまた、失うことなんてあってはならない。
ましてや、自ら選ぶ死などという選択肢を突きつけることなどは。
なにも背負うことなく、生きて。
亮の口元に、静かな笑みが浮かぶ。
昨日の約束など、あてもなく意味も無いと思っていたけれど。
きっと彼らは、いつか会うだろう。
これだけ長い時を挟んでさえ、何事も無かったかのように出逢ってしまうのだから。
そして、今度はたくさんの思い出を作るに違いない。
五人で。
もう、自分は大切な思い出をもらったから。
コトを為す価値を教えてもらったから。
笑みが消え、また、無表情な顔がモニターを見上げる。
でも、その視線は今までのただ、怜悧なモノではない。
はっきりと意思を秘めた、力強さを併せ持った瞳。
もう、行く先を迷ったりはしない。


〜fin.

2004.05.13 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Impossible Invaluable Promise〜


■ postscript

迷宮完結投票個人の部第一位、亮の話。五人が誰なのかを知った瞬間編でした。


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