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夏の夜のLabyrinth

■■■First breakfast■■■



朝、素振りをする為に起きていった忍は、軽く眼を見開く。
自分よりも早起きしている人間がいたからだ。
相手は、忍が気付くよりもずっと早くに、忍が来ることに気付いていたらしい。
「おはようございます」
「おはよう」
半ば、釣られるようにして挨拶を返す。
昨日から、表情が変わったことはないのではないか、と思われる端正な顔のまま、亮はいくらか首を傾げる。
「コーヒーか、お茶か、飲みますか?」
「え?」
思わず、問い返す。
「コレ、食べるんじゃないんですか?」
と、カウンターの片隅に置いてある、パンを指す。
一昨日、買ってきたモノだ。
六人での共同生活をスムーズに行かせる方法のヒトツとして、自分が得てきた食料には名をつけておくことになっている。
もっとも、今では正規に召集された人間は、四人になってしまっているけれど。
二人が行方不明という事実は、考えまいとしても重くのしかかってくる。
それはともかくとして、これが今朝の食料と、なぜわかったのか。
いくらか、不可思議な表情を浮かべた忍に、亮は自身が邪魔と判断したのか、
「いらないようでしたら、僕は行きますけれど」
「もし、すぐ入るなら、お茶を」
もし、と言ったけれど、すぐに入るのはわかっていた。湯気を上げる、ケトルが目前にあったから。
すぐに、お茶と皿にきちんと置かれたパンを出してくれる。
お茶を入れている間に、なにげなくパンも温めてくれたらしい。
惣菜モノであったので、暖かい方が何割り増しかで美味しい。
「どうも」
返事は、ない。しかも、お茶を入れる間も出してくれる時も、顔に表情がない。
精巧なロボットが動いているんじゃないかと、疑いたくなるほど。
それでいて、お茶は、ものすごく美味しかったりする。
なんだか微妙に複雑だ、と思いつつ、パンを片付けてお茶を飲み終えて立ち上がる。
「素振りが終わったら、ご飯を食べますよね?」
「は?」
いや、いま、パン食べ終わったんだけど、俺。
という単語は飲み込まれる。亮の顔に、明らかに剣呑な光があったからだ。
「この程度で朝食になるとは思えませんね、まさか、『第3遊撃隊』発足時から、こんな貧相な朝食で済ませていたわけではないでしょうね?」
いや、済ませてたけど。
言うとおり、貧相なので昼までにはえっらく腹減るけど、だからって、朝からまともに料理する気力なんて、どこにもないっての。
などと、心の中でだけ答えてみたりする。
口にしようものなら、低く見積もって三倍の毒舌が返ってくる予感だからだ。
が、表情で肯定を読み取ったのだろう、亮は呆れた顔つきになる。
「そんな状態で戦場に出るのは、ただのバカですよ」
最後にこう、カチンと来る言葉を忘れないあたりが、腹が立つを通り越して感嘆したくなるが。
「……それ、誰が作るわけ?」
いくらか低くなった声での忍の問いに、あっさりと返事は返る。
「僕ですが?」
「お前が?」
ええと、確か天宮財閥の一粒種とかでは、なかったのか?
そういう家には、料理人とか雇われちゃっていたりするはずでは?
多数の疑問が渦巻いたりするが。
「他に、やる人がいないようですから」
が、亮から返った返事はそれだけで。
どうやら、理由はそれだけらしい。
「マズイモノ、食う気はねぇぞ」
「それは、食べてみてから判断することですね」
昨日、三ヶ月で『緋闇石』の一件のカタをつけると言った時と、同じ表情。自信しか、浮かんでいない。
なるほど、料理も自信があるわけか、と忍は心で呟く。
どんなに美味しくても、この無愛想さでは何割か減だろうけれど。

洗濯をしてから、朝食を軽く、などと考えながら居間へと来た須于も、眼を丸くする。
髪をたばね、エプロンまでかけて手際よく動いている人影は、間違いなく昨日来たばかりの軍師代理だ。
「なにを、しているの?」
いくらか、凍りついた口調で尋ねる。
「見てわかりませんか?朝食の準備ですが」
そんなこともわからないか、というのがありありと見える口調で、いきなり朝から神経を逆撫でされる。が、漂ってくる香りは見事なまでにいい香りだ。
にしても、準備している量が異様に多いのが、気になるところではある。
よくいる、痩せの大食い、というヤツなのだろうか。
「あなたも、食べますか?」
「え?」
戸惑って、問い返す。
「冷蔵庫を見た限りでは、どなたもご自分で作ってまでは食べていらっしゃらないようですので」
なるほど、確かに冷蔵庫はほぼ空だ。そこから、その答えを引き出すのは容易なこと。
いきなり、一人行方不明という状況になってしまったせいか、なんとなく荒れた状況ではある。
誰もが適当にしているし、しかも、朝食は抜きまくっている。
亮の皮肉な口調の裏に隠れている、朝食を抜くとは軍隊にはあるまじき、というのは理解は出来る。
だが、六人分のご飯を一度作れば、毎日引き受けざるを得なくなる状況でもある。週に数回、というのならば、須于にだって、充分対応出来る。が、毎日となると。
おそらくは、財閥総帥の一人っ子として、甘やかされて育って、ヒマに飽かせて料理でも覚えたのに違いない。親に褒められたりして、いい気になっているのだろう。
特殊部隊としての危険手当のおかげで、破格の給料をもらっているとはいえ、それなりにやりくりしなくては無理でもある。
いつまで持つのか、怪しいものだ。
昨日といい、今日といい、相変わらずの態度に須于にしてはめずらしく、意地悪な気持ちになる。
「そうね、じゃ、お願いするわ」
にっこり、と微笑む。
「洗濯が終わってからにしますか?」
亮の二度目の問いに、びくり、とする。
洗濯をする、とは思っていたが、洗濯カゴを抱えてきたわけではない。
確かに、先に洗濯機を仕掛けてはいるけれど。
戸惑いながら、はっ、とする。
自分の手に、拭ききれてない滴がついてる。
まさか、たったこれだけで?
だけど、他にヒントになるようなモノは何ヒトツない。
「……洗濯が終わるのを、待つ間にいただくわ。お願いできるかしら?」
そんなにすぐ出せるのか、という意味合いも込めた問いだ。
「では、どうぞ」
ほとんど待たせることなく、スープにおかずに、そして少々の間でパン。
食後にお茶までついてきて、いたれりつくせり。
「ごちそうさま、とても美味しかったわ」
その言葉に、嘘はない。
確かに、思っていたよりもずっと美味しかった。
でも、明日もこのレベルの朝食が並ぶのかどうか。
実に疑わしいことだと思いながらの、皮肉もこもっていたけれど。

ジョーは、洗濯カゴを抱えた須于に、すれ違いざまに予告されていた。が、それでも、いくらか眼を見開く。
その手つきが慣れているモノだと判断できたからだ。
自分を見ている視線に気付いたのだろう、こちらへと向けた視線は、昨日と変わらず表情がない。
「おはようございます」
どう見ても爽やかな朝というよりは、いますぐにでもブリザードが吹き荒れそうな顔と声だが、無視するのは自分という人間が落ちるだけだ。
それに、無愛想ならお互い様でもある。
「おはよう」
相変わらず、表情を動かさないまま、椅子を指す。
「朝食、出来ていますからどうぞ」
「命令か?」
有無を言わさない口調に、ジョーは、さすがに軽く眉を寄せつつ尋ねる。少なくとも、美味しく朝食をいただいてください、という態度ではない。
「そうとっていただいて構いません。空きっ腹で戦場に出て朦朧とされたのでは、なんの為の作戦かわからなくなりますから」
昨日といい今日といい、不愉快極まりない態度だが、命令とまで言われてしまえば仕方がない。
ジョーの方も、亮と張るほどに感情を押し殺した顔つきで椅子へと座る。
「コーヒー、淹れますか?」
その細い眼を、もう一度、軽く見開く。
確かにコーヒーはかなり好きだ。豆も、自分用のを用意してもある。
でも、軍隊という環境では、いちいちゆっくりと豆を挽いているわけにもいかない。だから、すでに挽いてあるものを缶に詰めてあるだけだ。
勝手に開けたのだということが不愉快かどうかは置いておくとしても、それがイイ豆なのかどうかを判断できる為には、それなりにコーヒーを飲んでいなければ無理だ。
そこまで考えてから、我に返る。
そういえば、財閥の御曹司であることを思い出して。
贅沢なことならば、いくらでも知っていて不思議はない。
「……ああ」
頷いてみせる。さて、美味く淹れられるものかな、といくらか疑いつつ。
が、入ったコーヒーは、ちゃんとジョーの好みだ。
ぎくり、とするほどに。
どうやって、この淹れ具合を知ったのか。
思わず顔を上げたところで、空いた皿を片付けようとしていた亮と視線が合う。
戸惑いが顔に浮かんでいたのだろう。
亮の方が、軽く眉を寄せる。
「口に、合いませんでしたか?」
気を使っている言葉のはずなのに、なにか自信があるように聞こえるのが不思議だ。
「いや」
ジョーは、疑問を押し殺して黙り込む。

最後に起き出してきた麗花も、台所に不愉快極まりない相手がいるとわかって、不機嫌な顔つきになる。
「おはようございます」
「……おはよ」
なにやら、いい香りだ。
怪訝そうな顔つきになると、亮は無表情のまま、言う。
「朝食、食べますよね」
決め付けでくるが、大人しく椅子に座る。
それが、ありがたい存在であることは事実だからだ。ただし、適量で美味しければ、だけどね、と心で呟く。
が、出されたメニューと量を見て、いくらか息を飲んでしまう。
どこからどう察したのか、想像もつかないが。
間違いも問題もない。
口にしてみて、更にがっくり、とくる。
昨日の頭に来る、としか言いようのない態度が、大変に気に入らないことは今でもだ。
どうにか我慢をしているのは、もしかしたら使える『代理』かもしれない、と思っているから。
それでも、なにかしらケチをつけられるなら、つけたい気分であることも事実で。
というわけで、少しでも好みに合わなければ、思い切りけなしてやろうと思ったのだが。
これでは、けなすどころか、下手したら褒めなくてはいけなくなる。
ものすごく、すさまじく、とてつもなく、悔しい。
悔しいのだが、この腕は認めなくてはなるまい。
こうなったら、ご飯だろうが作戦だろうが、とことん利用して、しつくして、ぽいっしてやるッ!と強く心に誓いつつ、おかわりしたいくらいの気持ちを、どうにか抑える。



その後も、クオリティが変わることも無く、休みが入るわけでもなく、亮の朝食作りは続いた。朝食だけではなく、夕食までも用意するようになっても、もはや、誰も文句はなかった。
何気なく嫌いなものをなくしていてくれたり、体調を見て量を調整してくれていたり。
作戦と同じで、完璧で。
亮が、正軍師として着任する、と決まった時。
一瞬、ほんの少しだけ、四人ともが、また、美味しいご飯が食べられるんだな、と思ったのは、それぞれの秘密であったりする。
それから後も、亮に変事がない限りは、毎日、必ずのこと。
夕食は、須于が肩代わりしたり、皆で作ったりもあるけれど。朝食だけは、亮が全部作り続けていて。
そして、今日も。
素振りの為に、降りてきた忍へと、笑顔が向けられる。
「おはようございます」
「おはよう」
椅子に腰掛けると、暖かいお味噌汁とおにぎりが出される。
「いただきます」
箸を手にして、お味噌汁を口にして。
「お、なめこだ、美味い」
にこり、と亮も微笑む。
素振り前の、ちょっとした腹ごしらえだ。当然、後でちゃんとした朝食も食べるのだ。
にやり、と忍の顔に別種の笑みが浮かんだのに気付いたのだろう、亮は首を傾げる。
「どうか、しましたか?」
「いや、あの時のパンがなかったら、素振り前にこうしておにぎり食ってなかった気がしてさ」
あの時、がいつなのか、亮にもすぐにわかったのだろう。
くすり、と肩をすくめて笑う。
「そうですね、そうかもしれません」
さっさと食べ終えて。
「ごちそうさん」
と、席を立って。
忍は素振りの為に庭に出て、亮はもうすぐ洗濯にやってくる須于の為に、しぼりたてのジュースを用意し始める。


〜fin.

2003.09.27 A Midsummer Night's Labyrinth 〜First breakfast〜


■ postscript

77777打で、蒼澤霞サマの『毒舌な亮』というリクエストをいただき、亮が毒舌絶好調なのは代理軍師であった時でしょうということで。
なにごとも最初があるとはいえ、かなり嫌な朝食の風景ですね。


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