[ Index ]


夏の夜のLabyrinth

■■■肩たたき券とそれを巡るあれこれ■■■



最強の軍事力を誇るリスティア総司令部総司令官であり、最大の規模を誇る天宮財閥総帥たる天宮健太郎。
リスティアのみならず、『Aqua』最高の権力を握るといわれる彼の仕事は、当然、総司令部に勤務することだけではない。
日々の時間の半分は、財閥の仕事へと傾けている。
で、本日のこの時刻。
健太郎の姿は、天宮財閥総帥の部屋にある。
企画書を片っ端から片付けていた健太郎は、出てきた「父の日」のキャンペーン企画結果の報告に、す、と鋭い視線を向ける。
「父の日」。
六月の、第三日曜日。
「母の日」のオマケのように生み出されただけ、とは重々承知ではあるが、商売の道具として小売部門が見逃すわけにはいかないことは、健太郎とて知っている。
この手合いのは、実際に健太郎が采配を振るう部類ではない。
企画と結果をまとめた報告だ。
健太郎も隅々までぎっちり読み込む、ということはしない。問題が無かったのならば、そこまで入れ込む必要はない。時間のロスを避けるためには、当然の取捨選択というものだ。
が、ふ、と次の企画書を取り上げる手が止まる。
いちおう、健太郎とて父親、という立場なのだ。
例え、一人は分かれた妻の実家だろうと、一人は子供というにはあまりに能力が突出してしまっていようと。
いままで、「父の日」とはモノの見事に縁が無かったので、気にもしなかったのだが。
というよりも、気にしないようにしてきたのだが、と言った方が、いいかもしれない。
当人にも自覚はなかったのだけれど。

ことの始まりは、アスクレス事件がやっと落ち着いた頃。
言い換えれば、すでに俊は佳代と共に家を出ていたし、亮も仲文に預けた後。
なにかの企画会議の後だったのか、状況はともかくとして、話題は「父の日」だった。
で、だ。
子供がくれるものといえば、という話になったわけだ。
ありがちな、親バカ自慢である。
ワイシャツ、ネクタイなど、直に仕事に使えて、しかも自慢も出来てしまうモノから、趣味などにあわせたイロイロの中で、まだ小学生になるかならぬかの子供をもった一人が、うっとりと言ったのだ。
「やっぱり、肩たたき券ですよ」
「肩たたき券?」
思わず、おうむ返しにしてしまったのも無理はない。
そんなものがこの世の商品として存在するとは、聞いたことがない。
「そうそう、まだお小遣いない頃に必ず、一回はくれるねぇ」
それまで、いかにセンスのいいモノをもらったか、とか、お金かけてもらった、とか、自慢していた年長者たちまでもが、郷愁に満ちたうっとり顔になる。
「で、なんだ、それは?」
心底わかっていなさそうな健太郎に、周囲は少々驚いたようだが、それでも説明はしてくれた。
手作りのチケットで、内容は肩たたきを十回してくれる、とか、お買い物にいってあげる、とか微笑ましい内容の「お手伝い」を引き換えてくれるモノなのだ、と。
なんといってもポイントは、子供の手作りであるあたりだろう。
お父さんやお母さんが、なにをすれば喜ぶかな、と幼い子が首をひねりながら、一生懸命に作るのだ。
もらって嬉しくない親が、いるわけがない。
「なんかこう、使っちゃうのがもったいなくてね」
「でも、使わないと寂しそうだから、一枚だけ」
「そうそう、喜ぶんですよねぇ」
周囲は、えらく盛り上がっていた。
が、健太郎には、残念ながら、経験がない。
自身がそんな微笑ましいモノを作るという環境にいなかったのもあるし、現状、もらうという立場でもない。
どうも、子供が二人とも家に揃っていた昨年から今年がチャンスであったように思われたが、すでに時遅し、というヤツだ。
かといって、羨ましい、とかいう感情が生まれたわけでもない。
自分は自分で、他人は他人だ。
そんな微笑ましい家庭を築き上げなかったのは、他ならぬ自分自身なのだから。

自分が、肩たたき券にこだわっているらしい、と気付いたのは、翌年のこと。
黒木が秀を養うことに決めた、と言った時に、ふい、と口をついた。
「ふぅうん、肩たたき券もらえたら、ホンモノの父親って認められたってところかな」
「肩たたき券?」
口にした自身も驚いた。
どうやら、つっかかって残っているどころか、なんとはなしに憧れの一品になっているらしい、と気付いたからだ。
案の定、裏世界育ちの黒木にも、そんなモノは知る由も無い物体であったらしい。
怪訝そうな顔つきになった。
それにむかい、健太郎は肩たたき券とはなんぞや、ということを教えてやった。
「子供が手作りでねぇ?」
健太郎と張り合えるだけの殺伐とした育ちの人間には、ぴん、とは来なかったようだ。
首を傾げている。
健太郎は、自身がそんなことを口にしたことに苦笑しつつ手を軽く振った。
「秀くんは、もうそんなの作る年じゃないけどな」
「んー、まぁな」
黒木にしては、曖昧な口調の相槌だ。
スクール時代からの付き合いだ。
黒木が、なにを思ったのかは、わかる。
どうやら、肩たたき券は、Le ciel noir総帥たる黒木圭吾にとっても、憧れの一品となったらしい。
もっとも、そんな感傷的なモノが欲しいなどと、黒木が口に出来るはずなどない、とタカをくくっていたのだが。
おそらくは、エアハルトあたりがかぎつけたのだろうが、秀はどう考えても肩たたき券を手作りする年齢などではないにも関わらず、それを送ったのだ。
忘れもしない。
「ほぅら、天宮、肩たたき券だ!眩しかろう!」
黒木は満面の笑顔で実物をかざし、さんざ自慢してのけた。
「拝んでいいぞ」
……嬉しさのあまり、黒木も少々吹っ飛んでいたようだったが。
ともかくも、黒木は見事、憧れの品を手に入れたわけで。
さすがに、この時は、少々敗北感を味わった。
亮は、仲文の家から無表情に総司令部に通う日が続いていた。昨年後半から、目を見張るほどに体調が良くなってきているが、それに引き換えるように感情は消えていった。
いや、体調と引き換えではない、と知っていた。
自分の知識と記憶が、なにであるかを知った時から、自分の中の感情をキレイに消し去ることに決めたようだ。
幼い姿だが、大人と同じ、いやそれ以上の知識と分別を身につけている上に察しも人一倍である亮は、理解しているのに違いないなかった。
無表情でいた方が、救われるのだ、ということを。
ただ一人、想った人に誰よりも似ているが故に。
その、ただ一人の為に。
どんなに、苦しめているのだろう?
幸せになるはずだったのに。
傷つけて、普通なら体験しないような痛みを与えて。
結果的に自分は、ただ一人でさえ、苦しめたのかもしれない。
命を奪ったのは、他ならぬ自分だったかもしれない。
自分の望みで、縛り上げて。
だから、もう、絶対に。
望まない。
願わない。
そんな資格は、自分にはないから。

「父の日」など、自分にはあり得ないはずだったのに。
今年は生まれて初めて、「父の日」を経験した。
必要外の知識、ようするに感情に関わることの一切の知識がモノの見事に抜け落ちているはずの亮が、教えてもいないのに麻子が健太郎に似合うから好き、と言っていた色のワイシャツを贈ってきた。
「父の日」自体は、誰かに教えられたに違いない。
麗花と須于あたりだろう。
でも、この色は。
教えられて、選べるものではない。
いつも、場に合わせて服も色も選ぶから、特定の色が好き、とは他人は断じられない。
亮であっても、だ。
なのに、亮はこの色を選んできた。
「へぇ、いい色だな」
「イチバン似合いますし」
ワイシャツから、視線を上げる。
ますし、は、語尾ではない。続きがあるはずだ。
視線があって、亮は微かに口元に笑みを浮かべる。
「気に入った色だったので」
不意に、思い知らされる。
確実に、亮の中には麻子の血が流れている。
どうしようが、それだけは確実に間違いが無い。
そうしたのは、自分なのだから。
「ありがとう」
亮は軽く肩をすくめて、帰っていった。

健太郎は、手元の企画書へと視線を戻す。
なぜ、亮が今年になって「父の日」などする気になったのか。
その理由の半分は。
もしかしたら、ただ一人を失ったのと同じように、失うのかもしれない。
お互い、それを知っているから。
それに、違いない。
ふ、と口元に皮肉な笑みが浮かぶ。
生き写し、という単語を実感することなど、ありえないと思っていたが。
「健ちゃんに、絶対似合う色なの。それに、私の大好きな色」
笑顔が、鮮やかに甦る。
「イチバン似合いますし、気に入った色だったので」
肩たたき券なんて、いらない。
せめて、最後まで。
そこまで思い、軽く首を振る。
その顔からは、笑みもなにも消え、ますぐにモニターへと向う。


〜fin.

2003.05.31 A Midsummer Night's Labyrinth 〜If I may wish...〜


■ postscript

健さん憧れの品が『肩たたき券』だったら笑えるという話から思いついたものです。


[ Index ]



□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □