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夏の夜のLabyrinth

■■■絵に描いたような■■■



愛情から始まっただけに、それは悲劇だった。
自分の心の許容量以上に、彼女は、優しすぎたのだ。
彼女に語り聞かせてもらっていなかったら、あまりに幼い頃に失った実母の記憶は、ほぼ封印されてしまったのに違いない。
そんなことがあっては、実母が可哀想過ぎると彼女は思った。
だから、なにかにつけ、実母がどんなに心優しくすばらしい女性であったのかをユージンに語り聞かせた。
その一方で、父とユージンの心の中に実母が住み続けることが、彼女にとっては辛いことでもあったのだ。
少しずつ、少しずつ、彼女の中のなにかが壊れていっているのは、子供心に気付いていた。
そして、彼女は、剣を振り上げたのだ。
あの瞬間に動けなかった理由は、後からなら、いくらでも言える。
でも、隙だらけだった剣から逃れなかった本当の理由を、誰よりもユージン自身が知っている。
あきらかに狂気に乗っ取られているはずなのに、彼女の瞳に浮かんでいたのは悲しみだった。
こんなことを望んではいないと、叫ぶかわりに告げていた。
その瞳を見たら、凍りついたかのように、動けなかった。
次の瞬間、視界は赤くなって黒くなった。
「母君」
その言葉が本当に口から発せられたのか、伸ばした手が彼女に届いたのか、ユージンは知らない。

意識がはっきりとした時、目前に広がっていたのは、奇妙に現実味の無い景色だった。
窓も壁も、置いてあるモノも、全て見慣れた自分の部屋のはずなのに、のっペりとして見える。
「……?」
不思議に思いつつ、体を起こそうとして、頭が酷く痛むことに気付く。
妙に、躰も重い。
「ユージン、気が付いたのね」
ほっとした声が母親のだと、すぐにわかる。が、姿が見えずに、いくらかうろたえる。
「まだ、熱があるのよ、起き上がってはダメよ」
ひやり、とした手が頬に触れるのがわかるのに、やはり姿が見えない。
「母、君?」
伸ばした手を、しっかりと握り返される。
「ユージン、よく聴いてね。あなたの左目は、二度と見えなくなってしまったの……顔にも、大きな傷が残ってしまうの……」
その言葉で、自分になにが起こったのかを理解する。
あの時、視界が赤くなったのは血のせいで、そして、黒くなったのは。
眼球までもが、切り捨てられたから。
だから、妙に視界が狭いのだ。
そして、片目だけで見る世界は、ひどく嘘のように思える。
「……謝るとか、そういうことでは済まされないことをしてしまったわ……」
母親の声が震える。
握りしめられた手の上に、暖かい液体が落ちる。
「あなたがいてくれなかったら、私は完全に狂っていたでしょう」
その言葉に、ユージンは頭ががんがんと殴られるように痛んでいるのも構わずに、無理矢理、声の方へと向く。
そして、ごく側に、眼にいっぱいの涙を溜めた母親がいることに気付く。
左側の視界が、ひどく狭まっているのだ。
彼女の言葉と、視界の狭さの両方に戸惑った顔は、ひどく不安に満ちていたのに違いない。
そっと頬をなでられる。
「こんなことをしてしまったのに、母と呼んでくれたから、だから、私は完全に狂わずに済んだわ。でも、完全に普通ではないの、わかってくれるわね?今のまま、あなたやお父様の側にいるわけにはいかないの」
なぜ、こんなに話を急ぐのか、に気付く。
彼女は、ここを去るつもりだ。
それも、出来るだけ早く。
そして、それを父親も承知している。
いっぱいに見開いた右目が、なにを言いたいのかを、彼女ははっきりと理解して、包み込んでいる手を、しっかりと握り締める。
「あなたがしてくれたことを、無駄にはしないわ。時間はかかってしまうだろうけれど、必ず、戻ってくるから」
心に宿してしまった病を克服して。
永遠に去るのではない。
いつか、一緒に暮らして行く為に。
こくり、と小さく頷く。
「手紙を、書いてもいい?」
いくらか落ち着いた表情だった彼女の瞳から、また涙がこぼれ落ちる。
「ええ、もちろんよ。必ず返事を書くわ」

そして、彼女は去った。
年の割りに躰を鍛えていたこともあって、医者が驚くほどに躰の回復は早かった。
熱が下がり、動けるようになり、それでも、どこか現実味に欠けた景色だけが変わらない。
彼女が告げた通り、あの剣を避けなかったことが、片目を失ったことが、彼女が狂気の渦へと落ちるのを止めたのだと言い聞かせる。
それで、充分ではないか、と。
それでも、あの暖かな手を失ってしまったのだという喪失感は、どうしてもぬぐえない。
ぽかり、と心に穴が空いてしまったようだ。
どこか虚ろなまま、それでもイプシアン家の跡取りとしての日常は戻ってくる。
久しぶりに剣の修行場へと赴いたユージンの姿に、真っ先に気付いたのは、修行場で最年少のライア・タウンゼントだ。
「久しぶりだな!」
本当ならば、まだ剣を握ることを許される年齢ではないのだが、三大公家のヒトツで商業を担うタウンゼント家跡取り候補筆頭ということで、特別に入場を許可されているライアは、なかなかどうして筋がいい。
生来の負けず嫌いで、必死に練習を続けているからもあるだろう。そういう一途さが嫌いではないので、彼女が相手にと望んだ時には、断らずにいる。
そのせいか、ライアはユージンのことを目ざとく見つけるのが得意だ。
「やっと来たか」
別の観点からユージンに注目しているのは、ルト・ミューゼン。同じく三大公家のヒトツ、ミューゼン家の跡取りの少年だ。
彼もユージンよりも年下だが、出会ったなりきっぱりと言ってのけた。
「三大公家が互いに理解しあってこそ、国の平安がある。その為には、互いの人間というものを理解しあってなくてはならない」
その年でそんな言葉が出てくること自体が驚きだったのだが、更にその後で、軽く肩を竦めて付け加えてみせた。
「という名目にしとくと、カッコいいだろう?跡取りっていうだけで、えらく特別扱いされるんで、いい加減飽き飽きなんだ」
理由はなんであれ、馬が合うことには変わりない二人が、ユージンの姿を真っ先に見つけてくれた。
「さぁ、剣の相手をしろ!」
ライアに、勢い良く木刀を渡される。
苦笑したのはルトだ。
「ちょっと待てよ。ユージン、ケガは大丈夫なのか?今日から、剣を握ってもいいと、医者は言ったのか?」
「医者がなんと言おうと関係ない、動けると思うのなら剣を取れ。躰を動かせば、元気になるぞ」
ライアは、いくらか頬を膨らませて、頑なに木刀を突きつける。
「そうだな、まぁ、医者に止められていたとしても、軽い手合わせくらいは出来るだろう」
言ってから、ルトがくすくすと笑い出す。
ユージンは、木刀を受け取りつつ、首を傾げる。
元々、強気の行動が多いライアだが、それにしても今日は妙に強引に見える。
「動くことは止められてないが……」
「よし、じゃあ、勝負だ」
言うと、木刀をルトに預け、ポケットから大きなハンカチを取り出して、くるり、と片目を覆ってしまう。
「?!」
さすがに、驚いて目を見開く。
が、ライアは片目を大きく見開いて、木刀を構えてみせる。
「これで五分だ、行くぞ」
口元に笑みを浮かべたまま、ルトが付け加える。
「遠近感がないし、視界も狭い。それ相応の対処を考えなくては、武で鳴らすイプシアン家の名が泣く」
「だから、少しでも早く慣れるんだ」
ライアが、じり、と間合いを詰める。
反射的に剣を構えつつも、ユージンは、まだ腑に落ちていない。
「でも、なんでライアまで片目になる必要がある?」
「一人で考えるよりも、三人で考えた方が、ずっといい攻略法が見つかるっていうのは自明の理だろ?」
さらり、とルトが応える。
ユージンの右目が、軽く見開かれる。
片目と、何を失ったのか、ルトもライアも、良くわかっているのだ。
だから、こうして告げてくれる。
一人じゃないんだ、ということを。
に、と口元に笑みを浮かべる。
「なるほど、な。だが、俺と手合わせする時にその姿は、どうだろうな?」
「その言葉、まま、返すぞ。ユージンが戻ってくるまで、ルトと随分と練習したんだからな」
ライアも、笑い返す。
「油断禁物、じっくりと死角を観察させてもらうよ」
ルトも、余裕の笑みだ。ライアとの対峙を見て、体力的にいけるとわかったら、絶対に一戦望んでくるつもりだろう。
どうやら、感傷に浸って、ぼんやりしている暇などどこにもないらしい。
本気で、木刀を構え直す。
「行くぞ」
「来い」
絵に描いたような世界の中で、まっすぐに見据えてくるライアが、口の端に笑みを浮かべて見守るルトが、妙にまぶしく見えた気がして、ユージンはヒトツ、瞬きをする。
それから、勢いよく踏み込んで行く。
木刀が風を切り、次の瞬間、高い音で打ち合う。


〜fin.

2004.02.06 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Like a painting〜


■ postscript

迷宮完結リクもの。
おぼろげに、戦以外での失明、しかも子供の頃にとは思っておりましたが、こんなになりました。


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