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夏の夜のLabyrinth

■■■非対称的対象存在■■■



『Aqua』で最も多忙な男、天宮健太郎のスケジュール管理を担っているのは二人。天宮財閥総帥秘書、梶原志紀と、天宮家執事、榊紅葉だ。
一分一秒でも惜しい状態である健太郎のスケジュール確認をする時間を作るために、毎朝総司令部へと向う彼を迎えに来る梶原は、扉の前で待っている人物に軽く眉を上げる。
車での送迎は数分のズレが起こるのが当たり前なのに、ものの見事なタイミングで姿を現す健太郎の代わりに、そのタイミングの立役者たる榊が控えていたからだ。
窓を開けると、榊は卒の無い身のこなしで近付き、完璧な角度で頭を下げる。
「おはようございます、梶原様。大変申し訳ないのですが、三十分ほど遅れさせて欲しい、との主人からの伝言でございます」
「おはようございます、榊さん。伝言ありがとうございます。このまま待たせていただいてよろしいでしょうか?」
梶原も、いつも通りの笑顔で返す。
顔を上げた榊は、静かに答える。
「梶原様がよろしければ、お茶をお出ししたいと存じますが」
くすり、と笑い声が梶原の口から漏れる。
「なるほど、腰を据えて待てということのようですね」
頷いて、ドアを開ける。
「では、お言葉に甘えて、一度飲んだら忘れられないという榊さんのお茶をいただくことにしましょう」
梶原らしい鮮やかな笑みが浮かぶ。

屋敷の中の客間に通され、ミルクや砂糖で誤魔化せない分、腕が試されることになるストレートティーを供される。
「いい香りですね」
力ップを手にして、梶原が眼を細める。
口にして、味わって。
「なるほど、一度口にしたら忘れられなくなるわけです」
「恐れ入ります」
榊は、無駄の無い完璧な角度で頭を下げる。
もう一口、口にしてから、梶原は相変わらずの笑顔のまま尋ねる。
「さて、そろそろ本題に移らさせていただいてもよろしいですか?」
「本題、でございますか?」
相変わらずな無表情のままの榊の問い返しに、梶原の笑みがいくらか大きくなる。
「天宮が、貴方と私が話すように仕向けたのはどうしてでしょう?とお尋ねしているわけですが」
「梶原様には、なにか誤解されておられるようです」
「おやおや」
梶原は、肩をすくめる。
「『Aqua』で最も多忙な男の執事とは思えぬ遠回りですね。仕方ありません、多少の時間もあるようですから、証拠の提示をさせていただきましょうか」
軽く、榊は頭を下げる。拝聴しよう、というわけだ。
梶原は、真っ直ぐに榊に向き直り、口を開く。
「天宮という男は、多忙であるから、突発でなにかが起こったからといって、礼を失するようなことは絶対にしません。今回のようなケースの場合、直に連絡がくる、もしくは榊さんに遅れる理由を告げるのどちらかの行動が彼らしい行為といえます」
にこり、と、笑みが大きくなる。
「と、なると、天宮本人にはたいした用事がないのにも関わらず、三十分間遅れることにした、ということになります」
「すると、どういうことになりますのでしょうか?」
「導き出される結論は、簡単です。榊さんが、私と話をする為の時間が欲しいと天宮に告げ、彼は了承した。違いますか?」
榊の口元に、うっすらと笑みが浮かぶ。
「そうでございますね、当たっておりますことは、私が主人に時間をつくってはいただけますまいかとお願いいたしましたこと、そしてそれを了承していただきましたこと、この二点でございます」
紅茶のカップを空けてから、梶原は軽く首を傾げる。
「では、目的が合っていない、ということになりますね」
「主人からは、屋敷に入っていただきましてから三十分をいただいております。お時間はまだしばらくございますし、お茶のおかわりなどはいかがでしょうか」
ティーポットを示されて、梶原はあっさりと頷く。このお茶は梶原の為に淹れられたものなのだし、この香りと味の良さは、じっくり味わいたい。
「いただきましょう」
二杯目のお茶も、まずは香りを楽しむ。
「話すことが目的ではない、となると、天宮のことでなにか失礼をしてしまったでしょうか?」
「とんでもございません」
いくらか、榊の目が見開かれる。笑みよりも、そちらの方がずっと驚きで、つられて梶原も目を見開いてしまう。
梶原の反応を見て、榊はすぐに表情を消して頭を下げる。
「失礼をいたしました」
いつも通りの無表情ながら、これもまた珍しいことに、いくらか済まなさそうだ。
「梶原様には感謝いたしております」
「感謝ですか?これは驚きましたね」
半ば茶化している梶原の言葉には全く表情を変えず、榊は静かに言う。
「あれだけのスケジュールを狂い無く管理なされておられるだけでなく、健太郎様の健康にもご留意いただいておりますこと、どのように礼をつくしましても、私の感謝を現すには足りません」
お茶を口にしてから、梶原は面白そうに目を細める。
「お言葉は大変に光栄ですが、それは現在だからこそ、ですよね」
榊はほんの少しだけ首を傾げてみせる。
「先代や次代が当主であれば、榊さんに感謝されることなどないでしょう、という意味ですよ」
笑みを浮かべたまま、梶原はいつもよりもいくらかゆっくりと告げる。
「『榊紅葉とは絶対に天宮家当主の意思に従う存在である』」
「…………」
「初代からの絶対の家訓だそうですね」
よほどの人間が見なくてはわからないほどではあるが、榊の表情が険しくなったのを見て、イタズラが成功した子供のように梶原は笑み崩れる。
「天宮が言ったのではありませんよ。情報が全ての仕事ですのでね」
言い終えると、笑みはどこか冷えたものになる。
「お互いのスタンスは相容れないと思っていましたが」
「さようでございましょうか」
健太郎が口にしたのではない、と梶原がはっきり口にしたので、榊の表情はいくらか和らぐ。
「それは、捉え方の問題であるように思えますが」
「では、どのように捉えましょうか?」
いくらか挑戦的な梶原の声に、榊は淡淡と応える。
「ご存知でいらっしゃいますように、私は天宮家当代当主の意思に絶対に従う存在ということを歴代当主の皆々様がよくご存知でいらっしゃいます。そしてまた、当代当主でいらっしゃる限りは、私も全身全霊でお仕えさせていただいております」
言葉を切った榊の静かな視線が、梶原をまっすぐに捕らえる。
「それが役立つ、というわけですか?」
「時として、でございます」
梶原は二杯目のお茶を空けてから、ゆっくりとカップをソーサーへと降ろす。
「その『時』が訪れたのは、榊紅葉が天宮家に仕え始めてから一回しかないように見受けられますが?」
「仰せの通りでございます」
榊は、はっきりと肯定する。
はっきりと親子の間がこじれたのは伸之介と健太郎が初めてだ。
最終的に健太郎が全てを掌握出来たのには、もちろん理由がある。
天宮財閥総帥就任と同時に天宮家当主となった健太郎は、別邸に移った伸之介の動きを完全把握していたのだ。
その為には、伸之介の信頼を勝ち得ている榊の存在は必須だった。
それが『時』というわけだ。
奇妙な笑みが梶原の顔に浮かぶ。
「では、榊紅葉は初代からこのことやあらんと予測していたというわけですか?」
「人は時として、人に強く惹かれるものでございます。親友や恋人といった関係もそういった気持ちがあってこそと存じます」
榊の口から恋人などという単語が発せられたからか、話の内容自体に興味を持ったからか、梶原の眉が軽く上がる。
「仕事でも同じこと、というわけですか?」
「梶原様も、同じではございませんか?」
逆に問い返された梶原は、ひどく楽しそうに笑い始める。
「驚きましたよ。人もあろうに榊さんからそんな話を伺うことが出来るなんて、思いも寄りませんでした」
榊は、ただ静かな笑みを返す。
どうにか笑いを収めて、梶原は軽く両手を上げる。
「さて。話を逸らした時からお気付きとは思いますが、榊さんがこのような時間を設けた目的がわかりません。正解を教えていただけませんか?」
榊は、ゆっくりと微笑む。
「最初に申し上げました通りでございます。榊様にお茶を差し上げたいと存じ、主人にもその通りお願い申し上げました」
梶原の顔に、困ったような、泣き出しそうな笑顔が一瞬浮かぶ。
が、すぐにいつも通りの笑顔へと変わる。
「それは随分と光栄なことですね。では、もう一杯、いただけますか」
「かしこまりました」
卒の無い身のこなしで、三杯目のお茶が注がれる。
ゆっくりと、静かに時間は過ぎていく。
空いたカップをソーサーに置いて立ち上がった梶原は、完璧なる総帥秘書という名にふさわしい笑みを浮かべる。
「ごちそうさまでした。今日のお茶の味は、文字通り『生涯忘れ得ぬ』ものですよ」
「光栄に存じます」
榊も、執事らしい無表情で控えめに頭と下げる。

その後、まもなくして榊紅葉は代代わりした。
それを機に、天宮健太郎の全てのスケジュールを完璧にマネージメントしてきた真に『Aqua』で最も忙しい男、梶原志紀は、休日分で休出以外はプライべートと分類して天宮家執事に譲った。
名実共に『Aqua』で最も忙しい男となった天宮健太郎は、ただ微笑んだという。


〜fin.

2004.04.22 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Secretary and Butler〜


■ postscript

迷宮完結投票ゲスト短編の部二位、梶原志紀と榊紅葉の日常(健さん込)。
いろいろ考えてみたんですが、どうしても日常で榊と梶原が一緒にいる、もしくは会話するのはほとんどないということがわかり、四苦八苦の結果このように。
健さんは会話上で散々出演ということで、ご了承下さい。


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