[ Index ]


夏の夜のLabyrinth

■■■ソラの座標■■■


居間に顔を出した須于は、思わず笑ってしまう。
なんだかんだで皆気になったらしい。
結局のところ、六人共が居間に揃うことになったわけだ。
展開が読めていたのだろう、亮の手元のティーポットでは、すでに茶葉が気持ちよくジャンピングしている。
「いいとこに来たねぇ、今日のお茶は白桃烏龍だって」
にまり、と麗花が笑い返す。ソファの特等席に陣取っているところからして、イチバン最初に来たのは彼女に違いない。
「三十分待ちらしいよ」
須于の視線の意味を敏感に察して、忍が笑う。
「だーって、もう、気になって気になって」
言葉の端々にも力が篭っているだけでなく、握り拳までついてくるあたり、本気で気になって仕方ないらしい。だからこそ、昨晩からなにかというとそのコトばかりだったのだろうが。
なんのことかというと、『地球展』がどこで開催されるか、という話。
毎年のように『Aqua』のどこかで行われる企画だ。
残されている数少ない資料のほとんどを保持しているのと維持管理にそれなりの財力が必要なのとで、ごく自然に四大国の持ち回りとなっているが、その順が確定しているわけではない。
場所が決定する要素はヒトツ。
どこが目玉を提供出来るか。
各国がしのぎを削るので、毎年なかなかに華やかな見物が出てくるところも、皆の楽しみだ。
ようは『Aqua』全土を巻き込む盛大なお祭りといったところで、そんなイべントを、麗花が見逃すわけは無い。
今年の開催国が発表されるまで、あと少し。昨年の開催国ルシュテットでの会議はすでに終わっているはずで、残すは記者会見のみだ。
麗花同様、テレビにかじりついている人はけっこう多いに違いない。
「もう、けっこう見て無いのよう」
相変わらずの握り拳付きの力説に、俊が頷く。
「リスティアに来たら三年振りだよな」
「一昨年は誘致どころじゃなかったもんなあ」
忍が苦笑する。理由は、六人共よく知っている。
「そういえば、去年も立候補しなかったのよね?」
「まだ、完全にはケリがついていませんでしたから」
亮の明快な答えにも、須于は相変わらず首を傾げたままだ。
「でも、はっきりソレ知ってるのって……?」
「俺達の他は、健さんくらいだな」
「それだけ総司令官の発言力が強いということだ」
亮が口を開くまでも無く、忍とジョーが答えを導きだす。
「健さんが全権把握してるって気付く人少ないけどね」
麗花の言葉に、亮の笑みがかすかに大きくなるが、何も言わず、それぞれのカップにお茶を注ぐ。
ふわり、と柔らかな香りが広がる。
「いい香り」
須于が思わず目を細め、麗花も笑顔でカップを手にする。
六人ともに白桃烏龍茶が行き渡ってから、麗花が尋ねる。
「前の時って行った?」
もちろん、リスティアでの『地球展』に、だ。
首を横に振ったのは須于だ。
「まだ、ハイバにいたから」
「行ったけどさぁ、すっげぇヒトゴミでどうにも身動き出来ねぇって感じだった」
俊が肩をすくめ、忍が苦笑する。
「そうそう、団体サマとぶつかっちゃって、目玉は遠目にしか見られなかったんだよな」
「俺達だって小団体様ご案内状態だったろが。忍が行くって言ったなり、どえらく集まって」
俊のツッコミに、忍はしれっと返す。
「そうだったか?」
「そうだったっての」
ムキになっている俊に、にやり、と笑いつつ麗花はジョーへと視線をやる。
「ジョーは?」
「行った」
いつも通りの無愛想というよりは。
「何かあったの?」
須于の問いに、軽く眉が寄る。
「スクールからつまらん課題が出ていた」
ようは、宿題持ちで『地球展』を見に行ったということで、楽しみ半減どころではない。
「最悪っ」
「訴えもんだな、そりゃ」
「無粋すぎね、その先生」
皆が総じて同情の声を上げる。が、忍は一人足りないことに気付いてそちらへと視線をやる。
「亮、どうかしたか?」
お茶請けらしいお菓子をキッチンのカウンターに置いたまま、その向こうで亮がなにやらうつむいている。
忍の声に視線を上げた亮は、にこり、と微笑む。
「いえ」
いつも通りの穏やかな笑みのまま、戻ってきてお菓子をテーブルへと置く。
「もうすぐ記者会見が始まりますね」
その言葉に、四人の視線がテレビへと一斉に向く。
忍が軽く眉を上げると、亮は口元の笑みを微かに大きくして唇だけを動かしてみせる。
野暮は止めておきましょう。
理解した忍の顔にも笑みが浮かぶ。
登場した人物に声を上げたのは麗花だ。
「あ!健さんっ!」
『地球展』の開催国発表記者会見に、わざわざ多忙をぬって、実質のリスティア最高責任者たる総司令官が姿を見せたということは。
「ってことは」
俊と麗花がどちらからともなく顔を見合わせる。
どちらの顔にも、満面の笑みだ。
「まず、間違い無いだろう」
ジョーの言葉に、須于も大きく頷く。
「決まり、だな」
確定で忍が言ってのけ、ちら、と亮を見やる。亮は、先ほどと変わらぬ笑みを浮かべたままテレビを見つめている。
画面の向こうの健太郎は、『Aqua』要人でもっともイイ男の名を欲しいままにしている要因たる、毅然としつつも柔らかい笑みを浮かべて口を開く。
「本年の『地球展』はリスティアで開催と決定した。七月にアルシナドに皆さんをお迎えすることを楽しみにしている」
にこり、と口元の笑みが大きくなる。
「ご来場下さった皆さんには、かつて無い『地球』をご覧に入れることをお約束しよう」
「やったぁ!」
「よっしゃ!」
麗花が諸手を上げ、俊と忍がハイタッチする。須于も笑顔で首を傾げる。
「かつて無いって、どんな『地球』なのかしら?」
「さて、健さんが自信を持って薦められるモノらしいが」
ジョーの口調も、楽しんでいるモノだ。麗花が頬に人差し指をあてる。
「健さんは知ってるんだよね」
「当然だろ、会議にも顔は出したんだろうし」
何言ってるんだとばかりに俊。
忍が軽く片眉を上げる。
先ほど、亮がカウンター向こうでうつむいていたのは、健太郎からの連絡を見ていたからだというのは察しがついている。その内容が切羽詰まった事件ではなく、『地球展』の開催国に決定したという内容であったことも。
確かに健太郎はお茶目な一面を持ち合わせていて、案外こんなお祭りも好きだったりする。が、わざわざ会議と記者会見の合間に連絡することでもないことに気付いたのだ。亮が『地球展』に強い興味を持っているとしても、数分後には結果はわかるのだから。
わざわざ個人的に連絡を入れたということと、亮の性格的なことを考慮に入れると。
「…………」
無言のまま視線を亮へとやると、相変わらずどこか楽しそうな笑みのまま、テレビを見つめている。
「亮?」
「はい?」
テレビから視線を戻した亮の笑みを見て、推定は確信へと変わる。
「『地球展』の企画に関わってるだろ?」
「そうなの?!」
麗花が、がばっと身を乗り出す。俊も須于も興味津々の視線だ。
亮は、笑みを少し大きくする。
「たまには、知らない楽しみもいいのではないですか?」
悪戯っぽい笑みは、間違いなくもったいぶっている方のものだ。
「企画する立場としては、ホンモノを目の前にして最大限に驚いていただけると嬉しいですが」
知っていることを亮が楽しんでいるのは珍しいし、ここまで鮮やかな笑顔を見せられては、それ以上は問い詰められなくなる。
テレビの方は、担当官からの詳細日程などの発表を終え、ここ数年の『地球展』の様子を伝えている。昨年のルシュテット首都リデンでの『地球展』は、芸術の都と謳われる利点を最大限に活かし、大小様々の美術館の展示を全て地球で生み出された美術品にしてしまうというユニークな試みで、かなり好評だった。
「見たかったなぁ」
麗花が、軽く口を尖らせる。須于も頷く。
「地球時代の美術品があれだけ揃ったのは初めてだったものね」
「それもだけどさ、やっぱルシュテットので見たかったのはアレだよ」
と、忍。すぐに頷いたのは、なんとジョーだ。
「確かに」
「アレ?」
俊が不思議そうに首を傾げる。皆のカップにお茶のお代わりを入れながら、亮が口の端に笑みを浮かべる。
「オープニングセレモニーですね」
「各国要人向けの公開日って言った方が正確だけどね。それがどうかした?」
麗花も不思議そうだ。忍とジョーは、どちらからともなく顔を見合わせる。
麗花も思い当たらないとなると、少々マニアックな領域かもしれない。ためらってる二人に代わって、亮が答えを口にする。
「セキュリティパフォーマンスでしょう?各国、かなり趣向を凝らしますから」
「あ、アレね、なるほど」
言われて麗花はすぐに思い当たるが、須于と俊はまだ不思議そうだ。
「なんだ、そりゃ?」
「『地球展』の展示品は希少な上、各国から借用しているモノが多いので、保証の意味も兼ねてセキュリティデモがあるんですよ。特別に旧文明時代のセキュリティが稼動してますし、精鋭部隊が配備されて派手な演出になることが多いですね」
亮の説明に、忍が付け加える。
「去年はフランツ皇太子が侵入者に扮したカール皇子相手に棒術披露したんだよ、かなりな使い手なんだろ」
「ああ、見事だった。実戦向きだったしな」
実際、眼にしたことのあるジョーが頷く。
「そうなの、リスティアも派手そうね。旧文明系セキュリティはかなり残ってそうだし」
須于の言葉に頷いたのは、麗花だ。
「リスティアは親衛隊ないから人のパフォーマンスは少ないけど、その分システムがすごいって評判」
「へえぇー」
妙に感心した声を上げる俊に、ジョーが不可思議そうな視線を向ける。
「テレビでやってたろう」
「ううーん、見てても結局、目玉がなにかってな方に気ぃ取られてるからなぁ」
「確かにそうかも」
俊に同意してから、須于が尋ねる。
「それより、『地球展』の記者会見に健さんが出てくるのって初めてじゃない?」
「ええ、表立っては初めてです。アテンドは面倒だからやりたくないと逃げてましたので」
旧文明産物管理は総司令部の担当だから、展示物もセキュリティも最高責任は総司令官にある。立場的にも、本来ならば『地球展』の主催であっておかしくない。
が、どうやら面倒の一言の元、逃げまくっていたらしい。確かに、多忙さ具合からいけば気持ちはわからなくもないが。
「じゃ、今回はどうして?」
当然の質問を、麗花が楽しそうな笑みを浮かべてする。
「そうですね、楽しいことが好きというスタンスはいつも通りのようですよ」
笑顔で返すと、亮は立ち上がる。
「そろそろ、夕飯の準備をしないといけませんね。リクエストありますか?」
今日のところは、『地球展』の話は以上終了だ。
須于も立ち上がる。
「手伝うわ」
お茶の時間もお開きで、『地球展』に関しては開催日までのお楽しみ、だ。



開催国が決定してから二ヶ月半、七月十九日のこと。
総指令室へと集合した五人に、亮はいつも通りの軍師な笑顔を向ける。
「今回の仕事は、きっと気に入っていただけると思いますよ」
「気に入る仕事?じゃ、真剣になんか解決ってわけじゃないな?」
忍がにやり、と口の端に笑みを浮かべる。麗花が、指を顎にあてて視線を上にやる。
「ってことは、訓練かな?」
「訓練で亮が楽しいってコトはなさそうだわ、だってどこの部隊も手の平返すより楽にのしちゃうんですもの」
と、須于。俊が、慌てて付け加える。
「待て、まだ答え言うなよ、考えるから」
ジョーの眼が考えるように少し細くなってから、忍と視線が合って、それに弾かれたかのように軽く見開かれる。忍も、それは同時だ。
視線が、亮へと戻る。
口を開いたのは忍だ。
「思い当たるフシが無きにしもあらず、だけど?」
「え?」
驚いたように俊が眼を見開いたのと、亮の笑みが大きくなったのも同時だ。
その笑みに、確信してジョーが口を開く。
「『地球展』のセキュリティパフォーマンスだろう」
「ご名答です。せっかくですので、最初から最後まで驚いていただこうという趣向で行きたいと総司令官から依頼が来てます」
楽しいことが好きなのは、総司令官たる健太郎だけではない。
五人の顔にも笑みが浮かぶ。
「二、三になるのか?」
俊の問いは守る方が二人、攻める方が三人か、という意味だ。
亮の笑みが少し大きくなる。
「ある意味では」
「攻めるのは香奈たちね」
須于がにこり、と微笑む。
侵入者に扮するのが『第2遊撃隊』、守るのが『第3遊撃隊』ということだ。
「中継まではいかないけど、カメラ入るよ?しかも明日だよね、開催。正体ワレない対策どうするの?」
もちろん、麗花とて亮が考えているとわかっていている。わざとらしく傾げた顔は、間違い無く楽しんでいる。
「そうですね、『地球展』自体がお祭りみたいなものですし、会期中にはアルシナドの夏祭りもありますし、テーマは『お祭り』でいかがでしょう?」
「いいね」
「賛成!」
「お祭りね、なるほど」
忍は、なにを使うのかぴんと来たらしい。ジョーも、に、と口の端を持ち上げる。
「楽しそうね」
須于も、笑顔で頷いて決まりだ。
「では、正式に引き受けるということでいいですね」
「もちろん」
五人が頷いたところで、亮はモニタに向かい直し、口調もいつも通りの軍師そのもので説明を始める。
「対策の準備の方は、後で説明するとして、簡単に会場図を頭に入れておいていただきます」
「へぇ、国立科学博物館全部使うんだ、すごいね」
麗花が、展示物配置にざっと視線を走らせて感想を口にする。
最初から、最大のメイン会場を見つめているのはジョーだ。
「パフォーマンスならば、目玉の前後、だろうな」
「最後の余興になります」
亮が頷く。
「照明効果とか入ってるのか?だとすると、けっこう視界が変わりそうだけど」
と、忍。俊も、その言葉にはた、とした顔つきにある。
「あー、確かにな。展示物の配置も押さえとかないとダメだし、そういう意味じゃ、けっこう面倒だよな」
「ええ、ですから、今晩中に下見をしておきましょう」
さらり、と亮は言ってのけたが。
「それって?」
真っ先に反応したのは須于だ。展示物の配置や照明効果の確認の為に下見する、となれば。
「ええ、独占先行公開です」
「すごーい、亮!」
飛びつかれて、亮の眼が丸くなる。
「もーう、ホントに最高!」
「……喜んでいただけて光栄ですが、その……」
思い切り抱きしめられたままはしゃぐ麗花を、どうして良いのかわからないままに亮が戸惑い気味の声を出す。
抑えきれずに、忍と須于が笑い出す。
「ま、俺ら的にも抱きしめたいくらいだけどな」
「そうね、先行で独占なんて」
無言のまま、困ったように眼を見開くのに、俊も思わず笑ってしまう。
「ひとまず、ジョーの特性ブレンドなんてどうかな、今のところは会場図を把握したところで終わりだろ?」
忍の助け舟に、ジョーが頷く。
「もちろん、新しくマメを挽いてな」
「わーい、美味しいコーヒーもついてきたッ!」
やっと亮を解放した麗花が、にまり、と振り返る。
「お茶にしましょう、ケーキもあるしね」
須于の言葉に、亮も笑みを見せる。
「会場へ行くのは夜になりますが、それまでに準備を済ませておいて下さい」
「もちろん」
「ばっちりばっちり」
大きく頷く俊の頭を、忍がこづく。
「はしゃぎすぎ」
「イイじゃねぇか、たまには」
「仕事は仕事ですから」
さらり、と釘を刺すと、亮も立ち上がる。

夜間警備体制、しかも明日の『地球展』開催に向けて、すでに旧文明級のセキュリティが働いている国立科学博物館のセキュリティへと亮の端末がつながっていて、その細い指は絶え間なくキーを叩いていく。
モニタの灯かりに浮かび上がっているのは、ただ無表情。
周囲に人気が無いことを確認してから、麗花が尋ねる。
「ね、亮以外にこのセキュリティって破れるの?」
実に根本的で、しかも的を射た問いだ。旧文明産物が本気で作動していたら、まず誰も破ることなど出来ない。
「その確認も兼ねています。あまり過剰に反応されても厄介なので、それなりに能力を抑えていますしね」
全く指の速度を落とすことなく、亮が応える。
「ふぅん」
首を傾げたところで、すう、とほとんど音もなく、こんなところに扉があったのか、と思われるような壁が開く。
「早いね、さすがに」
亮にかかったら、セキュリティなどあって無きが如しなのは当然だ。だが、抑え気味とはいってもこれだけ早く破れるとは頭が下がる。
「総司令官室のセキュリティより少し甘いですね」
建物内に入り、完全に入り口が閉じたことを確認してから、亮が小さく呟く。聞きつけた俊は、興味津々の顔つきだ。
「それって、どうなわけ?『第2遊撃隊』が破れるってこと?」
「まず無理ですね」
あっさりとした返事に、忍が笑う。
「なら、充分だろ。『第2遊撃隊』が破れないなら、アファルイオ特殊部隊もそうそうは侵入できないよ」
「しかも、彼女にはその必要はありませんしね。まぁ、良しとしましょうか」
いつの間にか、建物内には煌々と灯かりが灯っている。亮が端末から操作したらしい。
「こっちに行ったら、順路通り?」
うきうきとした声で麗花が灯りが続く方を指差す。
「ええ」
「わぁい!貸し切り〜!」
スキップせんばかりの弾んだ足取りで勢い良く歩き出した麗花を、焦って止めたのは俊だ。
「おい、ルート覚えとかないと……」
「大丈夫大丈夫、最初の展示室へのルートなんて明日は使わないって」
あっさりと言ってのけ、くるり、と振り返って、にやり、と笑う。
「ま、私にとってはこの程度、迷路のうちには入らないけど?」
「そういうコトに関しては、麗花は完璧よね」
須于が、くすり、と笑うと、忍も頷く。
「だな、どこで鍛えたんだか、妙に方向感覚いいし」
「はいはい、どうせ俺は鈍いですよ」
拗ねて唇を尖らせる俊に、亮がいたって真面目な顔で返す。
「そうですか?バイクを走らせる時のバランス感覚は尊敬に値すると思いますが」
「ああ」
ぼそり、とジョーも言う。
俊の頬が軽く染まって、くしゃ、と髪をかき回す。
「ほら、早く早く!」
もう入り口目前に立っている麗花が手招きする。
「これ以上待たせたら、罰ゲームだからね」
「どうしてそうなるよ!」
俊もいつもの調子を取り戻して走り出す。
六人が会場の最初の部屋へと足を踏み入れると、ふ、と照明が暗くなる。
「ようこそ、『地球展』へ。私は案内役の海。どうぞよろしく」
声は人のものを機械で加工しているらしい。完全に機械で合成したのとは違う、どこか柔らかい響きが耳に心地いい。
どこかで聴いたことがあるような気がして、忍は耳を澄ます。
「私はずっとずっと『地球』を見守ってきました。貴方に、私の見てきた『地球』をご紹介しましょう」
次の展示室の入り口から微かな水音が聞こえてくる。
「さぁ、こちらへ」
ふっと、入り口付近だけに薄明るい光が落ちる。自然と、そちらへと導かれるように。
「あ!」
「すごい!」
次の展示室へと足を踏み入れた途端、思わず口々に声が上がる。
そこは、海の中。
自分のすぐ脇を、見たこともないような不可思議な生物が悠然と行き過ぎて行く。
先ほどの声が、物静かな声で語る。
これは、かつて『地球』にいた生物たちだ、と。そして、それらが生きたのは人が生まれるよりもずっと前のことだ、と。
展示室を巡るにつれ、視野が広がり、視点も上がって行く。
海から地上へ、土の上から木の上へ、やがて、空へと。
生き物たちは進化して行き、人が現れ、空から見下ろしても手が届きそうなビル街が広がる。
だが、そこから美しい景色は一変していく。地上から緑が消え、無機質な色と変じていき、そして。
「いつしか、私も消えていきました」
ぽつり、と海の声。
少しの静寂の後、また、静かな声。
「消えて、そして、高く高く上がっていきました」
ふ、と最後の展示室への入り口がほの明るくなる。
いろんなモノが現れるたびに、楽しそうに感想を言い合っていた六人は、黙ったまま入り口へと進む。
この先にあるのが、今回の目玉なのはわかっている。
何が、待っているというのか。
眼を見開いたのは、須于。
思わず、手を伸ばしたのは麗花。
少しの間の後、息を殺したような声で「すげぇ」と呟いたのは俊。
ジョーも、無言のまま凝視している。
「地球……」
漆黒の宇宙と化した部屋の真ん中に、ふわりと浮かぶ星の名を、忍が綴る。
蒼く、碧く、白をまとう星。
そっと、その映像へと近付く。
麗花が、もう一度手を伸ばす。
「すごい、こんなにはっきりしたの、初めて見た」
立体映像で出来ているそれに触れれば、すう、と手は吸い込まれしまう。
幻という、証拠。
「幻影片からのデータを拾ったのね?」
須于の問いに、亮が頷く。
「ええ、これほどのデータはあれにしかありませんから」
視線を地球の幻へと戻し、どこか、ひっそりとした声で呟く。
「こんなにキレイな星を、人は捨てたのね」
「手遅れだと気付いた時には、とうに手遅れだったのだろう」
と、ジョー。
苦笑を浮かべたのは忍だ。
「さて、本当にそう気付いていたのは何人いたか」
「でも、きっと『地球』を捨てた瞬間には気づいたんじゃねぇのかな」
俊が、首を傾げつつ言う。
「ホンモノはきっと、こんなもんじゃ済まないだろ」
「そうね、きっと」
須于が、にこり、と微笑む。麗花も、頷く。
「後悔先に立たず、だけどね」
『地球』から視線が離せないでいる中で、忍はいくらか不可思議そうな顔つきで亮を見つめる。
口を開きかかったところで、軽く眼を見開く。
亮の唇には、人差し指が一本立っている。
薄く、柔らかな笑みは、今まで見たことない静けさで。
ああ、今は口にしてはいけない質問なのだ、と覚る。

地球は、どこに?

『Aqua』に移住してからこのかた、誰も、一度も口にしなかった問い。
でも、それを問うのは、まだ、少し早い。
時が来るまで、その問いは封印される。
「また、貴方にお会いできるのを楽しみにしています」
海の静かな声が遠ざかり、『地球』の姿は消えて室内は徐々に明るくなっていく。
夢の終わりだ。
「で、ここらで俺らの出番かな?」
現実に戻った声で、忍が尋ねる。目が慣れないところでの襲撃は、パフォーマンスとわかっていても恐怖だろう。
しかも、一連の展示で躰ごと不可思議な世界に取り込まれた直後だ。
「ええ、各国首脳の皆さんには、いつまで夢の中では困りますからね」
「うーわ、厳しいなぁ」
麗花が笑う。
「『第2遊撃隊』はどこから来る?」
ジョーが、ざっと会場内を見渡しながら尋ねる。
「侵入口は二箇所しかありません。皆さんが『地球』に夢中になっている間に、気配を消して入り込んでくるでしょう」
「ってことは、俺らは?」
俊の問いに、にこり、と亮は微笑む。
「もっと早くから、気配を消して潜むことになります。侵入者の方は、敏感な数人の方には気付かれるかもしれませんが、こちらは問題ないでしょう」
「かなり驚くわね、それ」
須于が、苦笑する。
「ええ、知らない人は」
「なるほど、健さんは楽しそうだ」
と、忍。
容易に想像がついて、思わず六人とも笑ってしまう。

翌日、『地球展』開催当日。
自分たちの視点がどんどんと変わって行く趣向に、集まった各国首脳たちも感嘆の声を惜しまない。
最後に現れた『地球』には、誰もが息を飲む。
ゆるやかに明るくなっていく夢を破ったのは、黒子たち。
騒然とした声が上がったは、瞬間的にそれがセキュリティパフォーマンスと理解できなかった者がいた証拠だ。
が、次の瞬間に現れた不可思議な一隊に、誰もが状況を理解する。
狐面を被った浴衣姿の者たちが、見事に黒子たちの一撃から、狙われたそれぞれを守っていたのだ。
ルシュテット皇太子の前には綺羅な朱鞘から、見事な長剣を抜き払った者が。
プリラード女王と共に訪れた親善大使の前には、シンプルなのにその不可思議な光沢に思わず魅せられる銃を手にした者が。
アファルイオ国王護衛として来た特殊部隊長の前には、小型のナイフを手にした者が。
無論、棒を手にした者も、特殊な糸状のモノを手にした者も、それぞれに相手の一撃を止めている。
黒子たちの方の最初の一撃がどれほど見事であったのかは、殺気を向けられた本人たちが最もよく知っている。
が、セキュリティパフォーマンスとわかっても、そこに漂う緊迫感に、皆、息を飲んだままだ。
いつの間に現れたのか、リスティア軍総司令官の背後に現れた一人が、手にした扇子で軽く扇ぐ。
それを合図にしたかのように、一撃を止めていた五人が動き出す。
無論、止められた黒子たちも、だ。
型に乗っ取ってはいるものの、双方実戦を踏まえた殺気をはらんだ手合わせがしばし続き、奥まった場所に一人立っていた黒子が、タンッ、といい音をさせると、見事な潔さで黒子たちは引いていく。
が、最後の最後に、土産とばかりになにやら投げ、それは見事に旧文明セキュリティで処理される。
終わった、と誰もが息をついた瞬間。
もうヒトツ、投げ込まれたモノがある。
ふわり、と総司令官の背後で扇子が舞う。
棒が鞭に変じて、モノを叩き上げ、一気に小型のナイフで串刺しになったと思った瞬間には、糸に辛め取られて四散する。
ヒトツの光点は銃で撃ちぬかれ、もう一方は剣で切り捨てられる。
再度、扇子が振られた後には。
もう、そこには誰もいない。

「驚いてたねぇー」
洋服へと変わった麗花が笑う。
「そりゃそうだろ、あそこで襲うのはある意味心臓悪すぎ」
笑い返したのは、俊。
忍が、笑顔を向ける。
「さすが、総司令官とその懐刀ってところかな?」
「天宮健太郎が表立つからには、最高の演出でなければ」
くすり、と亮が笑う。
須于も肩をすくめる。
「ホント、計算の完璧さには頭が下がるわ。ちゃんと雪華さんもフランツ皇太子もカール皇子も、麗花がアファルイオ国王から見えないようにしてくれてたでしょ」
「そんなことしなくて、兄さんはまず気付かないけどね」
くすり、と麗花も楽しそうに笑う。
「知らない人間にも、おおよその察しはついただろうな」
「ああ、『第3遊撃隊』は間違いなく印象に残ったろう」
忍の言葉に、ジョーが頷く。
亮は、くすり、と笑う。
「当然、ただ歓迎するだけでは意味がないでしょう?」
ひとしきり六人で笑って。
「にしても、ホントすごかったねぇ、今年の『地球展』」
麗花は、満面の笑みだ。
「気に入っていただけたようで、良かったです」
「あの最後まで持ってくまでの演出もすごい技術よね」
須于の感心し切った声に、亮も笑みを浮かべる。
「昨年のルシュテットが芸術に重きを置いていたので、リスティア得意の技術力と科学解析で行こうというのがコンセプトですので」
「なるほどな、確かにありゃアピール力が強いや」
俊も、頷く。
ジョーも、はっきりとした笑みを浮かべる。
「今年も成功間違いなしだな」
ただ、亮は微笑んでみせる。
その笑みで、忍は気付く。
「ねー、ご飯食べに行こう!せっかくここまで出てきたんだし!」
と、麗花。
「おう、いいね、そうしよう」
「どこにする?」
俊がすぐに賛成して、須于も首を傾げる。ジョーも何も言わないところを見ると、否やはないらしい。
「ここらなら、イタリア料理屋で美味いトコあるよ」
忍が笑顔で言う。
「ああ、それはいいですね」
と、亮。
話は決まりだ。
「どっちー?」
麗花の問いに、忍は指差して見せてから、亮へと振り返る。
「あの、海の声って」
亮の笑みが、微かに大きくなる。
やはり、亮の声を加工したモノだったのだ。
忍の笑みも、ただ、大きくなる。

後日、『地球展』自体もセキュリティパフォーマンスも、最高の賛辞を受けたことは言うまでも無い。


〜fin.

2004.06.10 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Space-coordinate〜


■ postscript

『禁じられた言葉』参加短編です。
当日の様子は、読了済みであろう皆様のみに公開。お祭参加の方は、コチラのように、当日ははぶきました。
『地球展』の話は、書きたいネタだったので、機会があって嬉しいです。その他にも、本編で入れられなかったネタも入りましたしね。


[ Index ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □