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夏の夜のLabyrinth

■■■お兄さんと一緒・1■■■



亮が総司令官室に入ると、部屋の主は珍しく微妙に困惑顔をしていた。
どうやら、なにか機密性の高い通信中であるらしい。亮が機密を知ることを健太郎は気にしていないので、困惑の理由は相手にあるのだろう。
軽く首を傾げてみせると、健太郎はこちらの送信を止めて顔を上げる。
「アグライアの件の、報告書を持ってきたのですが」
まずは、用件を片付ける。
Le ciel noir総帥依頼の一件も『第3遊撃隊』の正規任務なので、当然、報告書が必要なわけだ。電子ファイルで送付するのは簡単だが、他に用事もあるしと自分で届けに来たわけだ。
「ああ、そこに置いといてくれ」
と、いつもの場所を指してみせてから。
「……公主殿は、今日はどうしてる?」
麗花のコトを言っているのはわかるが、『公主』という尊称をつけるのは、まずないことだ。現状、『第3遊撃隊』所属なのだし。
「買い物に行っていますが……先日届いたバラをいける花瓶が足りないとかで、須于と一緒に」
バラというのは、アグライアで『幸運の女神』になってのけた祝福のヒトツだ。
チーズとワインはその場で部屋に届けられたので持って帰ってきたが、エリスの祝福である部屋いっぱいのバラは、通常の荷物が遊撃隊に届けられるのと同様、総司令部気付で先日届けられたのである。
総司令部流配送部門の担当者は、かなり目を丸くしていたようだったが、仕事は仕事ときっちりこなしてくれた。
おかげで、ただいま『第3遊撃隊』の家はバラに埋もれているのである。
いくらかはドライフラワーにするらしいが、ジャムはいまいちということで、あとはいけることにしたらしい。こういうあたりの主導権は、女性陣にある。
それはそうとして、麗花不在である事実は変わりない。
「アファルイオでトラブル、ではないでしょう?」
そんなことがあったとしたら、すぐに雪華が動くに違いないし、彼女なら健太郎を困惑させるような真似はしない。
「いや、その……国王からなんだ、なんていうか……」
珍しく、言葉に詰まっている。
「なんていうか?」
先を促されて、健太郎の顔には最大の困惑が浮かぶ。
「オフレコにしろよ」
と、今更なにを言うのだろうと思われる前置きをしてから。
「兄バカなんだ」
「兄バカ?」
今度は、亮が怪訝な表情になる番だ。何が言いたいのかわからない。
「だからな、年末の一件でアファルイオに一時帰国したときに、正式に延長滞在の許可をもらった、と言っていただろ?」
「そうですね、髪の毛を切るという荒業には出たようですが」
自らの髪を結い上げるのが正装のアファルイオ王家において、髪の毛を切るという行動は恐喝に等しい。
「その時にな、たまには連絡しろと言ったらしいんだが」
「……してない、ですね」
相手はアファルイオ王家だ。連絡を取ろうと思ったら、機密性の高いルート、ようするに総司令官のところか亮の構築した『第3遊撃隊』のを使用するのが普通だろう。
それを、麗花が利用したことは一度もない。
で、とうとう心配も頂点に達したらしい顕哉自らが、私事で申し訳ないと恐縮しつつも、様子を知ることは出来ないかと連絡してきた、というわけ。
「まさか、今日も元気に買い物してます、というわけにもいかないだろ?」
と、相変わらず困惑顔の健太郎が言う。
一般庶民に分類されるところに混じって生活していることは、顕哉も承知している。
もちろん、下手なトラブルに巻き込まれないようリスティア総司令部が気をつけてくれているとは思っているようだが、日常の詳細を知っているというのは変だ。
兵役義務についていて、しかも遊撃隊所属であることは、顕哉にも明かされていないのだから。
こんな調子だと、もし真実を知ったら、ひっくり返ってしまいそうだが。
「いいですよ、代わりましょう」
軽く頷いてみせると、健太郎と入れ替わって通信機を送信可能にする。
「ご無沙汰しております、天宮のところのですが」
『ああ、これは……どうも』
少々ぎこちない返事が返ってくる。祭主公主を失った混乱を収める為に、国王としてなにかと表に出る回数が増えている顕哉だが、その威風堂々とした態度はどこへやら、だ。
なるほど、この声を聞いているうちに、さすがの健太郎も少々憐れをもよおしたのだろう。
「実は先日、公主にお会いしました」
『え?!ホントですか』
ホントは毎日だけどな、と健太郎がぼそり、とツッコむ。もちろん、顕哉には聞こえないのだが。
亮は、にこり、と微笑んでみせる。
「ええ、大変お元気そうでしたよ、話しているこちらまで、元気になってくるくらいに」
『そうですかぁ、いや、それがアイツの取柄なんですよ、人によってはウルサイと思われるかもしれないんですが、そんなことはなくて……って、あ、スミマセン』
妹自慢を始めそうになったのに気付いたらしい、先ほどよりも恐縮気味の声で付け加える。
『で、あの、仕事のこととかは、なにか言ってましたか?』
「詳しくは聞いてませんが、充実しているようでしたよ、評価も上々のようですし」
アグライアの一件で、麗花はアファルイオの裏社会を牛耳る組織である、蛇牙を黙らせた。これは、確かに評価されてしかるべき功績だ。
適当に言葉は変えているが、嘘は言っていない。
『そうですか、評価されてるんですね』
声が、弾んでいる。単純な人である。
亮と健太郎は、思わず顔を見合わせて苦笑する。
兄バカに拍車をかけているのは、きっとたった一人残された家族だからだ。それが、妹で、しかも鉄砲玉娘ときてる。心配でないわけがない。
国のことで神経減らして、妹のことでも神経減らしているのでは、貧乏クジすぎるというものだ。
「お会いした時も、買い物を楽しんでいらっしゃったようですし……」
言いかかった言葉は、なにやらエライ雑音にかき消される。
亮と健太郎は、もう一度、顔を見合わせる。
「なんだ、いまの?」
こちらからの音声を届かないようにしてから、亮が苦笑する。
「見つかったんじゃないですか?」
「ああ、なるほどな」

見つかった、というのは、国王親衛隊長たる周光樹に、だ。
亮の予測は大当たりである。
顕哉が気配に気付いて振り返った時には、すでに真後ろまで来ていたわけで。
「なにを、しておられるのです?」
光樹の切れ長の目が、さらに細まっている。
「ほう、リスティア総司令官にホットラインですか、私にご相談もなくご連絡とは、よほどの御用事とお見受けしますが」
嫌味たっぷりである。
なんの用件かは、お見通しに違いないのだから。
「や、べつに光樹をないがしろにしてるわけではないぞ!」
「内輪の話は後にするべきじゃないの」
あっさりとした口調で口を挟み、思わず光樹に向かって身を乗り出してしまった顕哉をするりとよけて、マイクを手にしたのは雪華だ。
「これ、通信中なんだけど」
言われて、光樹がマズった、という顔つきになる。雪華は、そのまま通信を続ける。
「こちらはアファルイオ軍国王親衛隊……」
名乗りかかったのを、相手が遮る。
『こんにちは、貴女でしたか』
「あら、こんにちは」
雪華の顔に笑顔が浮かんだので、思わず顕哉と光樹は、まじまじと見てしまう。楽しそう、というのは、ここ何年来と見たことの無い表情だ。
「先日は、どうも」
『こちらこそ』
いまにも、くすくすと笑い出しそうな雰囲気だ。
「えらい親しそうだぞ」
顕哉が言う。光樹が、別種のあせりを浮かべた顔で問う。
「いったい、相手は誰なんです?まさか、天宮総司令官ではないでしょうね?」
総司令官室へのホットラインだから、その可能性が一番高い。自分よりも年上の男相手に、こんな表情をするとは思いたくないらしい。
「いや、ご子息の方……」
「息子!」
それはそれで、年齢的には釣り合ってしまうはずだ。
気が気じゃない表情を、雪華へと向ける。
そんな二人の視線にかまう様子なく、話を進めていた雪華が、くるり、と振り返る。
「今回の件に関しては気にしてないって、だけど、今後はいつも監視してるわけじゃないから、お答えできかねますとのこと」
一呼吸置いてから、付け加える。
「それから光兄さま、どうしてここへ来たのか忘れてない?」
言うべきことだけ言ってしまうと、またマイクへと向き直ってしまう。
雪華の様子は気になるが、自分の仕事も忘れたわけではない。光樹の顔が真顔に戻る。
「国王陛下」
いきなりの尊称に、顕哉がぎくり、とした表情になる。
「ごめん、わかってるって、謁見が入ってるんだろ」
「わかってらっしゃるなら……」
「ほら、言ってる間に行かないと!」
言ったかと思うと、光樹の脇をすり抜けてしまう。
慌てて追いながら、思わず光樹が口走る。
「手のかかるお方だ」
吹き出しそうになるのを、雪華は堪える。
「先日、陳大人に会ったわ」
『そうですか』
亮からも、笑いを含んだ答えが返る。
『では、国王陛下は、あなたに訊いた方が、早かったのですね』
「そうね、麗花はライマン氏と鉢合わせて、驚いたんじゃないかしら」
『ご存知でしたか』
ルシュテット皇家護衛のエアハルト・ライマンがアグライアに乗船していたことを、だ。もちろん、雪華は最初からLe ciel noirの一員であることを知っていたのだろうが。
「あそこは開けっ広げだから、わかりやすいの」
『おやおや、気をつけないといけませんね』
相変わらず、笑みを含んだ返事が返ってくる。
「いまさら気をつける気なんて、あるとは思えないけれど」
『さて、どうでしょう、では、今日はこのへんで』
「ええ、ご迷惑をおかけしたわ」





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