『見はるかすは、未来か、北の地か』

「うっう〜ん。やっぱり、実際に唄っているのを生で聴きたいなぁ」
シンプルだが、それでも贅を凝らして作られた部屋だとわかる、アファイルイオ首都のレパナにある紫鳳城内の一室。
先ほどのセリフを言っていた少女は、きれいなあや織りの布をたっぷりと使った服を普通に身にまとっている。
艶のある長い黒髪は高い位置で一つにまとめられ、身に付けている本人に言わせれば『表に出るよりもずっと簡素』な、装飾紐と簪で飾られている。
彼女の名は麗花。このアファイルイオを統治している王家の末の公主(姫君)。
アファルイオ王家の女性の髪が総じて長いのは、儀式用に結い上げる必要もあるからなのだが、麗花公主にそれがしっくりと似合っているのは気品が備わっているからなのだろう。
けれども、くるくると動くきれいな紫根の瞳からは、あふれ出る好奇心と活発さもうかがわせる。
そんな公主様は目の前に広げられた本を前に、なにかを勉強中のようであったが。
 コンコン。
響き渡るノックの音に「はい」と、静かな返事をし、麗花は本のページを繰っていた手をそのアファルイオらしいふっくらとした袖の中にそっと隠した。
それは手を必要以上にさらけ出さないという、王家の姫君としてのたしなみであると同時にもうヒトツの意味があるのだが、それは、彼女の大きな瞳に一瞬だけ浮かんだ警戒の色から押して知るべし。

「プランツェッスイン、失礼します」
おとないを告げて礼儀正しく入ってきたのは、麗花より少々年かさの少年。
きちりとした服装を着こなしている雰囲気から見て、普段から着慣れているせいであろう。
リスティア人と言っても通じるほどの容貌だが、その輪郭を縁取るのはリスティア系よりもやや淡い色の髪。
「ふ、フランツ!」
普段でも大きな瞳をいつもよりも一回り大きくして、麗花は声を高くした。
「やはり、驚いてくださいましたね」
にこり。と笑みを浮かべた少年は、フランツ・秀明・ホーエンツォレルン。アファルイオの隣国であり、王家とも親交の深いルシュテット皇家の皇太子だ。
「リスティアに行っているんじゃなかったの?」
「ああ、それは…」
にこにこと笑うフランツによると、当初からレパナに立ち寄り、それからリスティアに向かう予定であったのだが、それを麗花にだけは内緒にしておいて欲しいと、彼女の兄である朔哉に頼んでおいたというのだ。
(察しのいい麗花にバレないよう、一番表情の読まれやすい顕哉にも内緒にするという事にもなったのだが、それは別の話。)
「さ。麗花公主。まいりましょうか?」
軽く首を傾け、ポーズを決めつつフランツは座ったままの麗花に手を差し延べる。
「うん。待ってて」
言葉と共にさらりと立ち上がりながら、麗花は簪とひらひらした袖飾りを取り払う。それもいかにも慣れた手つきで。そんな仕草にフランツはふわりと笑みを浮かべる。
ん? と、表情だけで問うてくる麗花に「なんでもないですよ」と、頬に笑みを刻んだままフランツは彼女の手を取る。

どういうわけだか。
フランツが麗花に対して幼いながらも『約』した日以来、紫鳳城に訪れるとまず最初に二人で城内庭にある樹に登る事が習い性になっていた。
それは当事者二人が大きくなり、麗花がとても身軽で木登りについても心配する必要はない。との周りの見解が一致した今となっても変わることはなかった。
(顕哉は「その身軽さが別の心配のタネになるんだけれど…」と日々ぼやいているのも、別の話。)
一番太く横に張り出した枝に並んで腰掛け、夕闇に染まる城下町とその向こうに見える山脈を見つめている。
「先ほど、読んでいらした本はどこのものです?」
「ああ、アレ?」
一瞬、照れくさそうに鼻先にしわを寄せた麗花は、す。と、その腕を山脈にまっすぐ伸ばした。
山脈の下に広がる大平原。それだけでフランツは彼女が指しているものがなんであるか解った。
「草の民…ですか?」
「唄の歌詞なんだ、あれ」
草の民とは、長くアファルイオと、対立してきた北の地に住まう遊牧民達のことである。
それも単純な対立ではなく、お互いに譲れない誇りを軸に争ってきたと言っても過言ではないであろう。
彼ら草の民にとって、唄は生活に密着したものなのだ。と、麗花は続ける。

 馬や家畜たちのお産を軽くするための唄。
 家族が増えたことを祝う唄。
 命を分けていただくことに対する感謝の唄。
 客を歓待するときの唄。
 大地に還ったものたちを送る唄。
 仲間を迎え入れた喜びの唄。
 先祖達に自分達の幸せを伝える唄。

「節はわかっているの。朔哉兄も雪華も光樹もみんな教えてくれるから」
将軍として北伐に向かう彼らは、草の民との交渉の場を何度も持っている。
大地を褥とし天空を屋根として生きる彼らがもつ独自の文化を知っているのだ。
実際に麗花もなんどもその場に足を運んだことがある。けれども、ソレを生活の一部としている人々の声で唄を聴きたいのだという。できることならば、唄を捧げるその場で聴きたいのだ。と。
「唄を覚えたいの、ですか?」
「うっう〜ん。それだけじゃないんだけれどね…」
何かを言いかけたがそのままそっと、麗花は口をつぐむ。
フランツはただ黙って、同じ方向に視線を送る。
お互いに国を背負う立場であり、民たちの平穏を願っているだけなのに、なぜこれだけ身近な者達が争うのか。
優しくて暖かい。ただ、それだけの時間と空間が欲しいだけなのに。
そんな思いも辛さも痛さも、心の内側に飲み込んで、ただだまって夕陽色に染まる山脈を二人でみつめている。
 わかっているから。
 自分達を取り囲む困難なものも、同時に信頼し戦ってゆける家族が仲間がいるから、大丈夫。安心して。
声に出さず、それでも通じ合える自分達。
 とん。
肩に心地よい重みがかかったのを感じて、フランツは麗花が寄りかかりやすいように姿勢をほんの少し正した。
アファルイオの大地を渡る風は、草の民を守り、紫鳳城を囲むアファルイオの民を包み、ゆっくりと静かに時を進ませる。


―了―
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ちびちびフランツと麗花


+++ つきの樹サマ(小説)/ 竹原湊サマ(絵) +++

完結祝いに、とてもステキなコラボをいただきました!
樹さんの小説に、湊さんの絵ですよ!
いやもう、書き上げたかいがあったというものです。
ちなみに、麗花を驚かす為に行くまでヒミツ、ということを発案したのは、カールだそうです。
個人的には顕哉のオチっぷりもかなりツボ(笑)。
本当にありがとうございます!

ここはやはり、出番無しの人々の様子でしょう。
煮詰まったのよー!という樹さんと、素敵絵を描いてくれた湊さんへ、お礼を込めてこの面々を↓。

※竹原湊さんは、ステキな小説サイトをお持ちです。ぜひ、行ってみてくださいませ。



『 未来の北のを問う前に 』

「どうして、僕だけ秘密なんだよ!」
いかにも不満そうに頬を膨らませいているのは、顕哉だ。
「ほら、そういう顔するからさ」
あっさりと言ってのけるのは、朔哉。
「第二王位継承者でもあるのに、すぐに感情が顔に出る。隠し事が出来ない。それじゃ、秘せねばならないことも、すぐにわかってしまうだろ?」
なかなかに、兄に言葉は手厳しい。ますます、顕哉のほっぺたは大きく膨らむ。
「なんで?!王って、皆を騙してるの?!」
「そうかもな」
にやり、と口の端に笑みを浮かべると、朔哉はとっとと歩き出してしまう。
「行くぞ、雪華」
隣に立っていた雪華は、無表情のままではあるが、朔哉と顕哉を見比べる。
なぜ、朔哉がそれ以上のことを言わないのか、わかっている。顕哉が自分で気付かなければ、意味がないからだ。
でも、今の顕哉は、フランツが麗花に秘密でやってくる、というのを、自分までもが教えてもらえなかったことに、腹を立てている。
朔哉も光樹も一樹も、雪華でさえも知っていて、知らなかったのは自分と麗花だけだ、ということに、感情的になっている。
一瞬は、朔哉と共に歩き出そうとしたが、すぐに足を止めて振り返る。
「王は、民を騙す、のではない。騙すような王は、暗君だ」
ぽつり、とそれだけを言うと、朔哉について、歩き出す。
「わかんないよ!」
もう一度、感情的に怒鳴るが、もう朔哉は、振り返りもしない。ヒトツ、譲歩のヒントを与えた雪華も、だ。
呼び止めたとしても、雪華もこれ以上は口を開いてくれないとわかっている。彼女は、基本的に朔哉寄りだ。
それは、仕方の無いことだと知ってはいるが、それでも、それも面白くない。
じわ、と目尻に涙が浮かんできたのを見て、光樹が、覗き込む。
「わからない、ではなくて、考えないと」
「考えたって、わかんない」
駄々をこねるように言う顕哉に、辛抱強く光樹は続ける。
「それじゃ、永遠にわからないよ?」
どこか、底冷えするような光が、眼に宿る。
「自分で考えようとしない人間に、ただ答えを与えても無駄でしかないからね」
「顕哉にはわかると、朔哉は信じているんだ」
ぼそり、と一樹が口を挟む。
目尻に涙を浮かべたまま、顕哉は一樹をすがるように見つめる。
「ダメだ。教えたら、俺たちが朔哉に殺される」
殺される、とは穏やかではないが、激した朔哉なら、そのくらいはしかねない。
顕哉は、つ、とさし俯く。が、すぐに顔を上げる。
「わかったよ、考えるよ。でも、僕は、兄さんみたいに賢くないから、手伝ってくれない?」
光樹と一樹は、苦笑を交わす。
賢くないというが、こうして下手に出て、おねだりされれば弱いのだ。
しかも、顕哉はおねだりというよりも、真剣に手伝って欲しくて言っている。
断れるわけが無い、そんな真剣な瞳をしていると、本人は気付いていないらしい。
攻めるに向いているのは俺だが、民を治めるのに向いているのは顕哉だ、と朔哉はずっと言っているのだが、そのことを顕哉は知らない。
「いいよ、手伝うくらいならね」
「うん」
二樹が頷いてくれたので、顕哉はちょっと元気付いたらしい。
「王は、感情が表情に出ちゃ、いけないって言ってるんだよね」
「そうだね」
光樹が頷く。
「でも、民を騙す為じゃないんだよね」
「その通り」
一樹が頷く。
「えと……」
「よく、思い出してみるといい。辛いことであろうと、眼を逸らさずに」
光樹の言葉はヒントなのだということは、顕哉にも理解出来る。
「えと、その、うーんと」
何度か首をひねり続けてから。
「あのね、んと、哀しい時でも、必要以上に哀しい顔になっちゃいけないってこと?」
「そう、私事の感情で、民の心を乱してはならない、ということ」
「ほら、考えればわかるだろう?」
にこり、と二樹に微笑まれて、顕哉も嬉しそうに笑う。
「うん、兄さん、褒めてくれるかな?」
「そうだねぇ、それは、ちゃんと実践できるようになった時、かもしれないね」
「ええー?!」
ぷう、と頬を膨らませた顕哉に、一樹が思わず吹き出す。
「ほら、また、ほっぺたが風船のようだ」
「あ!」
顕哉は、慌てて頬を元に戻すが、真っ赤になっている。
思わず光樹も笑い出しながら、頭を撫でてやる。
「でも、俺たちだけの前の時は、我慢しなくていいんだからね」
「そう、それは忘れないで」
今度は、素直に笑みが浮かぶ。
「うん、ありがとう!」
「ほら、いつまでそこでうだうだしてるんだよ!フランツが行かなきゃいけない時間になっちまうぞ!」
窓の向こうから、朔哉の声が飛んでくる。
絶妙のタイミングは、計っていたからに違いないが、そんなことに気付くほどには、顕哉はまだなっていない。
「うわ、僕もフランツと遊ぶ!」
慌てて走り出す顕哉を、くすくすと笑いながら見送ってから。光樹と一樹は、遠慮なく窓を越える。
「あれぇ、顕兄はー?」
明るい麗花の問いに、雪華がくすり、と笑う。
「律儀に扉から来るのだろう、また怒る」
それを聞いたフランツと麗花と、朔哉たちは顔を見合わせて、ぶ、と吹き出す。
ちょうど、顕哉がやっとこ扉から顔を出す。
「あ!また二人とも窓から出て!ずるいよ!先に行っちゃうなんて!」
また、ほっぺたがぱんぱんに膨れていることに、本人気付いているかどうか。
予測通りの展開に、皆が大爆笑になったのは、言うまでも無い。

2004.01.05 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Before talking future or north〜



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