『 花の名を 』

 むぎゅ、と足にしがみついてくる柔らかな感触に、俊は目を丸くしていた。
「お?」
 久しぶりに一日だけ与えられた休暇。ちょっと顔を出してみるかと家に帰ったのが運の付きで、丸一日花屋のお兄さんをやらされて迎えた鮮やかな夕日。
 ようやく交代を言い渡されて、茶でも飲みに行くかと外に出た瞬間だった。
「どしたよ?」
 ひょい、と視線をおろす。柔らかな感触が、ぎゅっ、と強くなった。
「それで答えたつもりかぁ?」
 ふわりと笑ってから、軽くぽんぽんと頭を叩いてやる。俊の足にしがみついている子供は、答えるかわりに、ぎゅっと抱きしめる力を強くした。
「なんか、話あるのか?」
 聞いてやるよ、と俊はやわらかく声をかける。それに、ようやく大丈夫だとの確信がもてたのか、子供は少しだけ顔を上げた。
 まんまるのつぶらな瞳が、じっと俊を見上げてくる。
 まだ幼稚園に通ってるぐらいの歳の女の子だと検討をつけて、俊は自分の足を抱きしめている子供の手をあやすようにする。んー、と首を傾げてから、子供がようやく手を離した。
「どうした?」
 ひょい、と自然な動作で俊はしゃがみこむ。
「んとね、おはな」
「花、買いにきたのか?」
 花屋の前で、花、と言われたのだから自然な発想だ。
 けれど子供は、ふるふると首を振る。
「おにーたん、おはなの、おいしゃさんでしょ?」
「へ?」
 俊は本気できょとんとする。
 その顔に、なにか自分は間違ってしまったのだろうかと、子供は顔をゆがめた。
「ああ、泣くなって。花がどうかしたのか?」
「げんきね、ないの」
 ぎゅぅと。子供は、なにか頼るものを欲したように、俊の指を握り締めた。
 ふくふくとした幼子の、高い体温が肌から直接伝わってくる。なぜだか懐かしい気持ちになって、俊はつりこまれるように、優しい笑みを浮かべた。
「じゅっと、みてたの。おにーたんがね、おはなをもつと、げんきになってたよ。だから、おはなの、おいしゃさん」
「あー、なるほど。そういうこと」
 花屋なのだから、花の様子は良く分かる。水が足りないもの、栄養が足りないもの、病気にかかっているもの、虫にやられているもの。そういったことが分からなければ、花屋は出来ない。
「まあ、俺じゃオフクロには劣るけどな。呼んできてやろっか?」
「……」
 ぎゅっ、と。また、必死に子供は俊の手を握り締める。
「おにーたんがいいの」
「そっか」
 なにが気に入ったんだろ、と不思議になる。顔を覗き込めば、にぱぁと笑われて、なにやらひどくくすぐったい気分になった。
「抱っこ、嫌いか?」
「ううんっ。だいしゅき」
 警戒心もまるでなく、両手を広げてだっこを待つ。俺が悪い人だったらどうするんだよ、と心配になりながら、俊は子供を抱きあげた。同時に、栄養剤やら何やらを手に取る。
「で、元気のない花ってどこ?」
「んとね、おうちのまえなの」
「道、分かるか?」
「うん! わかりゅよ」
 右、左、まっすぐ!と、たどたどしいナビゲーターの言葉に従って、俊は子供を抱えたままのんびりと歩く。あの木はなに、あの花はなに、と途中で何度も聞かれて立ち止まる。
 ようやく目的の家の前について、俊は子供をひょいと下ろした。
「なあ、家の人は?」
「おしごとなのよー」
「留守番か?」
「うんっ。えらいでしょ」
 にこにこと子供は笑っている。
 こんな小さな子供が一人で留守番ときけば、胸が痛むのが当然だったけれど、口では「えらいよ」と言って、頭をなでていた。
「あのね、このおはななの」
 鉢植えの一つを持ってくる。
 ひょい、と受け取って。花やら葉やら土の様子を確認してから、俊はうんと頷いた。
「あー、これ、水と肥料のやりすぎだな」
「なあに、それ?」
「水、やってるだろ? あと、この肥料な」
「うん。ごはんと、のみもの」
「食べ過ぎ飲みすぎはさ、人間でもダメっていわれるだろ? それと同じで、植物もやりすぎるとフラフラになる」
 とりあえず、鉢を入れ替えてやるかなと俊がかがむ。子供はぎゅうっと俊の服を握り締めた。
「ねえ、なおる?」
 ぎゅうっと握り締めてくる、小さな子供の手が震えている。
 多分とてもとても大事にしている花だからこそ、水やって、肥料をやって、……やりすぎてしまったのだろうから。
 ことさら明るくみえるように笑って、俊は軽く自分の胸を叩いた。
「大丈夫だよ、根がやられてないし。そうそう、花のお医者さんなんだろ、俺?」
「……うん! おにーたん、ありがとう!」
 泣き出しそうだった顔をひっこめて、子供はにこにこと笑う。
 とりあえずの処置をして、花の育て方をメモして、親に読んでもらえなと言い含めて。
 俊は立ち上がった。
「おにーたん、かえるの?」
「いろいろ、やることあるからな」
「おはなやさん、いったら、あえる?」
 植え替えてもらった鉢を、宝物のように胸に抱きしめて、子供は尋ねてくる。一人でいることが多い子供の、優しくて賢いからこそいえないでいる”寂しさ”を垣間見た気がして、少し胸が痛んだ。
 とはいえ、ずっと一緒に居てやることが出来るわけもない。
 期待をさせるほうが、むごい。
「ごめんな、いつもはいないんだよ。たまに、さ」
「たまに?」
「そう、たまに。普段はここにいないから」
「……じゃあ、たまに、のときにあいたい!」
「んん?」
「うん。おにーたんのね、およめしゃんになってあげるから、あいたい!」
「お、お嫁さん……」
 意味分かっていってるんだろうか、と俊は首をかしげる。
 にこにこと笑っている子供は、ただただ嬉しそうだった。
「まあ、会えたらな。これが元気に咲いてるとこ、見たいし」
「じゃあ、おはながさくころにきてね!」
 頬を紅潮させて、言い切る子供の前で笑う。
 花がまた咲くのは、来年のこと。
 大人の一年と、子供の一年は、重みが違う。
 多分、一年たてば覚えてなどいないだろう。――なら。
「いいよ」
 ふわりと子供の頭をなでる。
 あたたかな温もりは、今日何度目かのせつなさを、俊の胸に到来させた。


 植物は、ときどき、人にこうやって何かを与えてくる。
 きっかけだったり、優しさだったり。
「土産でも持って帰ろうか」
 切花ではなくて、鉢植えか、樹木がいい。
 多年草でも、一年草でも。種を落とし、また花をさかせて、命をつづっていくものを。
「キャラじゃねぇって、笑われるだろうな」
 それでもいいか、と思う。
 一人一人に似合いそうな花を。――花が持つ言葉の意味を。
 亮には麦藁菊。
 忍には美女撫子。
 ジョーには仙翁。
 麗花には梅花空木。
 須干にはサンダーソニア。
「ま、亮だったら、すぐに花言葉なんてわかるだろうけど」
 案外、口には出さずにいてくれるんじゃないか、と思う。
 その場で全員分の花言葉をいわれたら、一人一人にどういうイメージをもっているか、もろにばれてしまうではないか。
「……ばらされるかな」
 それでもいいか、と思う。


 笑っているところが、好きだと思う。
 全員が、それぞれにらしく笑っていられることが。
 ずっと続くことはないけれど、続いている間は守りたい。
 続いていた、その、証があってもいいと思う。
 花は咲くだろう。
 種を落とし、花を咲かせ、命をつなげて……。

〜fin. Copyright (C) 2003 Minato Takehara. All rights reserved〜



+++ 竹原湊 サマ +++

湊さんから、小説をいただきましたよ!
ヨレきっている私が元気が出るようにという優しいお心遣いに、一気に回復です。
女の子に抱っこしようかと自分から言い出してるのに、悪い人だったら、なんて後から思ってるのがらしいですね。
そして、花屋の兄ちゃんらしいお土産が本当にステキです。
作者じゃ書けないようなカッコいい俊(一部問題発言)を、ありがとうございました!

贈られたら返すでしょうし、五人の反応も気になりましたし、ということで、蛇足の小話↓です。



『 その花の意味 』

土産、という一言と共に、俊から渡された鉢植えたちを見て、五人は一様に首を傾げる。
いままでの滅多にはない休日で、実家に実際帰った回数は片手にもあまるほどとはいえ、花を持って返ってきたことなど、一度もなかった。
それが、バイクで持って返るにはどう見ても苦労しそうな鉢植えを、五個も。
不可思議に思う方が当然だろう。
「麦藁菊、ですか」
さすがというべきなのかどうか、亮には自分に手渡されたモノがなんなのか、すぐにわかったらしい。
皆と同じく、不思議そうな顔ながら、ひとまずはお礼を言う。
「ありがとうございます」
「俺の、これ、なに?」
忍が、真白のかわいらしい花が咲き乱れる鉢植えを眺めながら尋ねる。
「美女撫子」
名を聞いて、口にはしないが、誰もの頭の中に同じ思考が駆け巡る。
その花を渡すなら、亮ではないのか。
忍に形容詞をつけるなら、「かっこいい」とか「イイ男」であって、「美女」はあり得ない。
選択、間違ってるだろう。
撫子、というのも、あえて当てはめるなら須于ではないのか。
「じゃあ、俺のは?」
微妙に不安そうな顔つきでジョーが尋ねる。
「仙翁」
翁って……
微妙な沈黙が落ちる。
確かに、侍な発言は多いし、微妙に僧侶は入ってると思うが、爺さまはないだろう。
無言の思考が、またも駆け巡る。
「で、それとこれは」
忍が、奇妙な表情で須于と麗花のを指す。
「サンダーソニアと、梅花空木」
「……ああ」
ぽつり、と亮が声を漏らす。
五人の視線が集中した先には、にっこりと柔らかに微笑む笑顔がある。
「ありがとうございます」
あまりに柔らかに微笑んでいるので、俊は、どこかまぶしげに目を細めつつ、もごもごと言う。
「ん、まぁ」
「せっかくなので、部屋に飾らせていただきますね」
立ち上がりかかったのを見て、麗花が、はた、とした顔つきになる。
「あー」
「あ」
須于が、小さな声を上げたのも、ほぼ同時だ。
いつもの笑顔に戻って、二人して立ち上がる。
「ほう、うん、ありがとう。せっかくだから、私も部屋に飾るわ」
「そうね、私もそうさせてもらうわ。キレイなのを、ありがとう」
「ん…いや……」
なぜか、視線が明後日の方向に言っている。
俊が、なぜこの花を選んできたのか。
どうやら、亮と麗花と須于は、気付いたらしい。
そして、納得もしたようだ。
「……ま、せっかくのことだから、俺らも部屋に置かせてもらいますか」
「……ああ、まぁ、そうだな」
不可思議な表情のまま、ジョーと忍もなにやらそそくさと立ち上がる。
一人だけになった居間で、俊はぽり、と頭をかく。
「もろバレかー」
亮には気付かれるだろう、というのはあったが、よくよく考えてみれば、麗花もカンはかなり鋭いのだった。
それに、須于だって女の子なのだし。
三人が反応すれば、いくら花に縁遠い忍とジョーだって、気付くに決まっている。おそらく、今頃、ジョーは須于に、忍は亮に、自分に手渡された花の花言葉を尋ねているに違いない。
もしかしたら、とは思っていたが、現実にバレたらバレたで、微妙に照れ臭い。
美女撫子は「器用・細やかな思い・勇敢・鋭敏」、仙翁は「機知・機転」、梅花空木は「気品・品格」、サンダーソニアは「祈り・祝福・福音」。
そして、麦藁菊は、「永遠の記憶・永久に」。
らしくもなく、感傷的に選んだ気もしてくる。
その一方で、俊は首を傾げる。
もしも、五人が自分に選んでくれるとしたら。
なんの花を選ぶのだろう?
などと考えてから、思わず首を横に振る。
そんなことをされたら、それこそ照れ臭くて皆に顔を向けられない気がして。

翌日。
俊は、椿の鉢植えを、亮から手渡される。五人からですよ、との言葉と共に。
「あ、ええと……、ありがとう」
植木の方までは、知識が回ってない。部屋へと戻って、調べてみる。
「気取らぬ魅力・ひかえめな美徳」
忍も言っていたけれど。
どうやら、五人はそう思っていてくれるらしい。
ぽり、と頭をかく。
思っていたとおり、すごく、照れ臭い。でも、案外、こういうのも嬉しいかもしれない。
これは、戻ってから庭に植えよう、と思う。
もし、許されるのならば、白い牡丹の近くに。

2003.07.27 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Meaning of flowers〜



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