那緒乃サマよりいただいた惇


+++ 那緒乃優鈴 サマ +++

またも三連荘でステキな絵をいただいてしまいました。
惇がだんだんと視線を上げていくのもステキですし、夜空にも見惚れます。
ありがとうございます!

というわけで、惇の周辺の話です↓。




『 先生はお気に入り?おかわり 』

「ええっ?!」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまってから、クールが信条であることを思い出すが、高津茜のぽかんと開いた口は戻らない。
茜、なんてかわいらしい名前だが、「ムダに」などという接頭詞をつけたくなるくらいにひょろ高い背をした立派な男だ。
なんでも、彼が生れ落ちた朝の朝焼けが実に美しかったとかで、これからの人生があの朝焼けのように明るく美しいように、との祈りを込められたらしい。
現実がどうであるかは、またも難儀が降りかかってきたと思った、と言えばなんとなく想像がつくだろうか。
難儀のうちのいくらかは、性別を勘違いさせる名前にあったりもするのだが。
やはり、この名前は疫病神じゃなかろかとかなどと逃避しかけた思考を、高津はどうにか目前へと戻す。
教頭から告げられたのは、初担任のクラスに瑳真惇がいるということだ。
告げた教頭は、高津の驚きを、さもありなんという顔つきで見つめているが、一緒に並んでいる倉橋の口元が歪んでいる。
基本的に感情を表情に出さずに来た高津の、あからさまな驚愕がツボにはまったらしい。笑いをこらえているのが一目瞭然だ。
「しかしですね?」
この三月、瑳真惇をめぐる状況は最悪の方向へと一変した。
始まりは、『紅侵軍』とやらがいきなり攻めてきたことだ。更に、リスティア国民が状況を把握しきる前に、国境付近で演習していた一部隊を全滅させた。
中に、惇の兄がいた。
三年前に不意の事故で亡くなった父の後を継ぎ、まだ十代というのにウェンレイホテルグループを背負って立ったというのに、律儀に志願兵役に参加した為に。
この悲劇に、もともとそう丈夫に出来ていなかった母の心臓は耐えられなかった。
惇は、たった一人で残された。
今のところ、惇はそうは思ってはいないかもしれない。後見人として優しい叔父がいる。
ともかくも、そんなヘビーな状況となっているのに、自分が担任しろとはこれいかに。
このテのは倉橋栞に任せておけば間違い無いということになっていることは新人の高津でも知っていることだ。なんせ、初担任があの天宮健太郎だったのに、全く臆せずやってのけたというツワモノとして名が通っている。
公立の教員なのだから、通常なら数年で必ず転勤のわけだが、どういう資料が行きかっているのだか倉橋はこの地区の初級と中級を行き来するばかりなのだそうだ。
ようは、このテを全部任せられ続けてる、というわけ。
特例としてしまうくらいに、倉橋が彼らのような立場の人間にとって、いい教師だということでもある。
惇を取り巻く状況は、まさに倉橋を必要としているのではないだろうか。
高津の言葉にならないような言葉で、言いたいことは充分にわかったらしい。倉橋の口元が、にやりと持ち上がる。
「私だって永遠に教師やってるわけじゃないんだよ」
高津が口を挟む前に、教頭も大きく頷く。
「そう、そして、君ならやってのけられる、と倉橋先生のご推薦だ」
なるほど、このテに関しての倉橋の発言は鶴の一声であるわけだ。
「困ったら遠慮無く倉橋先生に相談して」
と、いうことで話はおしまい。高津には選択権は無いわけだ。
倉橋と並んで職員室へと戻る途中に、さっそく泣き言を言ってみる。
「せめて心構えとか、あわよくばツボとか教えていただけません?」
「心構え?」
心底怪訝そうに倉橋は首を傾げる。
「あるなら、教えてやりたいけどなぁ」
高津を困らせようとしてるとか、突き放してるととかでなく、本当に無いらしい。
「そういうのはよく尋ねられるが、特別なことは何もしてないんだよ、ホント」
今更な質問だったのは、高津もよくわかっている。相手が『Aqua』の命運握ってようが、人の命なぞあっさりと奪う組織の者であろうが特別じゃなく出来るのが倉橋のスゴイ所以と思う。
泰然自若とはこういう人を指すのだろう。
が、そういう単語は高津には縁遠い。クールなふりで誤魔化しているが、どちらかといえぱ小心のタチだ。
「何で俺なんですか?」
倉橋ほどでは無いにせよ、高津よりはずっと上手くやりそうな教師は山といると思うが。
「ん?」
「倉橋先生が俺を推薦したんですよね?」
「ああ」
実にあっさりと頷かれる。
「茜ちゃんなら出来ると思ってね」
「はあ」
さらりと言われ、どうとっていいかわからずに腑抜けた返事を返す。
倉橋にまで茜ちゃんと呼ばれてしまうのかなどと少々違うことを思ったりもしたが、今はそれは些細なことだ。
出来るのか、倉橋みたいになれるのか。
一晩、全く寝付けずに山ほど考える。
朝日が空を染めあげ始める頃、答えはヒトツしかないと気付く。
逆立ちしようが何しようが、高津茜が倉橋栞になることなぞ出来はしない。
かといって、避ける選択肢は用意されていない。
やるしかないのだ。

などと勢い込んで始まった四月。
一週間とたたないうちに倉橋の言う意味が、なんとなくわかってきた。
確かに惇の状況は厳しいけれど、仕事の方のことを高津に相談するというわけではない。
なんとなく、一人距離を取りがちのようだが、無理に引っ張り込むこともあるまい。孤立しているわけではないのだから。
ということは、別に特別にやることはなにもない。
なるほど、倉橋が言う通りなわけだ。
初の担任生活は構えていたわりには、あっさりさっぱりと軌道に乗ったのである。
見た目には。
「なんていうか、油断禁物だよなぁ」
ぼそり、とつぶやいたのに、倉橋が顔を上げる。
「え、いや、その他意は……」
しどろもどろになりつつ、慌てて手を振ってみせる。
実のところ、なにに油断禁物かと思っていたかについては、あまり大きな声では言えないことだ。
惇は、なかなかに経営者としての素質があると思う。この点は、惇が最後の望みであるウェンレイホテルグループにとってはありがたいことだろう。無論、磨けばの話だが。
ただ、保護者代わりとしての挨拶に現れた叔父とやらは、甥かわいさに親切にしているわけでないようだ。あわよくば、己のモノとする機会を虎視眈々と狙っているのではなかろうか。
なぜ、そう思うのか、と問われても困ってしまうのだが。
ともかく、口を差し挟むような性質のことの上に、見ているだけとは実に精神衛生上良くない。胃が痛くて仕方ない。
「あまり大きな波にならないといいな」
自分の仕事に戻りながらの倉橋の一言に、びくりとする。
どうやら、倉橋も同じコトを思ってるらしい。
ということは、ビンゴだ。
叔父がタカをくくっているほどには、惇は鈍くは無い。
案の定、年が明けたあたりから怪しげな雲行きとなってきた。
それまではグループ内の安定が急務で、叔父の方も手出ししてる暇が無かったのだろう。
後見をしている本当のに理由に惇が気付いてからは、可哀想なくらいに追い詰まっていくのが傍目からもわかった。
が、どんなに察しがつこうが、高津からは口に出来ない。
かといって、己がオーナーを勤めるホテルグループが叔父に狙われているなど、友人に相談出来るような類の内容でもなく、惇は一人で追い詰まっていく。
ますます、きりきりと胃が痛むのだが、表に出すわけにいかない。ただ、倉橋もわかってくれてるのが救いだった。泣きつく気は無かったが、知ってる人がいるだけで、いくらか気が楽だ。
それ以上に、正直投げたい気分にもなってくるが。これもまた、倉橋に見通されてると思うと逃げられない。
そうこうしてるうちにトドメの事件が起こる。手榴弾投げ込み事件だ。
表向きはオモチャだったということになったが、それが惇を狙ったホンモノだったのは事情がわかっている人間には容易に想像がつく。
妙な方向に思考がいかなきゃいいが、と高津が思ったのが担任二年目の夏休前。
明日から夏休だという日、惇がぽつりと言う。
「演習許可を出す最終責任者は総司令官なんですよね?」
「そうだな、軍の最高責任者なわけだから」
事実を返して、それから何故、今更そんなことを口にしたのかに思い当たる。昨年の春頃、ちょっとした騒ぎになっていたはずだ。
演習に出ていた陸軍の部隊は、ひどく軽装であったとかいうもので、責任は誰にあるのかと。
装備の責任は部隊長にあることが判明して、話は収束したはずだ。
が、あの部隊に兄がいた惇にとっては。
ただ一人の愛情ある肉親と信じていた叔父も、味方でないとわかった今、なぜこんなことになってしまったのかと考えずにはいられないのだろう。
そして、始まりはあの事件だという結論になっているのに違いない。
誰のせいで。
それしか、逃げ道がないくらいに追い詰められている。
「なぁ、瑳真。月の無い夜でも見上げたら星があるものだよ」
上手い言葉が見つからなかったからといって、似合わぬファンタジックさだ。惇も思ったのだろう。眼が見開かれている。
いくらか困ったような笑顔を浮かべて、でも、それでも頷いた。
言っている意味に、今でなくてもいいから気付いてくれますように。
また微妙に痛んだ胃を無意識に抑えつつ、後姿を見送る。

新聞に、叔父逮捕の記事が出たのは知っていた。
あれほどまでに追い詰められていた惇にとっては、本当の意味のトドメになってないといいが。
そんなことを思っていたら、ゴシップ系の方で大喜びで書きたてているのを、倉橋が持ってきてくれた。興味本位にそんなのを読むわけが無い相手なので、大人しく読んでみることにする。
記事の中心は記者会見でのやり取りらしい。
叔父についてどう思うかなど、大人気ないこと極まりない質問だと思うが。
「グループ経営の為にしてきて下さったことには間違い無く、感謝していますし、手腕は尊敬しております」
惇の返答に思わず、へえ、と小さく呟く。
質問は、まだ続いている。
名実共に、一人でウェンレイホテルグループを背負うことになるわけだが、など、目前で聞いたら殴りたくなりそうだ。
「一人ではありません。今までも、苦しい局面であろうと揺るがずに歩んでくることが出来たのは陰日なた無く勤めて下さるグループ傘下の皆さんと、利用してくださるたくさんのお客様あってのことです。感謝させていただくと共に、これからのことも改めてお願いしたい」
ここで、深く頭を下げた、とある。
叔父逮捕の前後になにがあったのかは知らないが、ぐっと成長したことだけはわかる。
高津が夏休前に言った言葉の意味に気付いてくれてなければ、こんな言葉は出てこないだろう。
知らず、笑みを浮かべながら更に読み進める。
目標としている経営者はいますか?なんてのは、まだまだ未熟と見下げた質問だ。子供と侮られているのだろうが、律儀に惇は回答している。
「天宮健太郎氏です。リスティア総司令官と兼任しながら、どちらも完璧にやっておられる。及びもつかないが、自分も仕事も学業も手を抜かずに行きたい」
本当にきちんと整理をつけたのだな、と思いながら読み終えたところで、どこか楽しそうな倉橋の声が耳に入る。
「どの答えもよく出来てるが、最後のなんて秀逸だな。ああ言われたら天宮は絶対にむげには出来ないぞ」
顔を上げると、嬉しそうに笑んだ倉橋と眼が合う。
過ぎるほどに明晰で冷徹というのが、天宮健太郎への世間の評価だ。それが、この一言で惇を見捨てることが出来なくなった、と嬉しそうに言う。
それこそ、子供の頃からの彼を知らなければ、言えない言葉だ。
心から大好きで信じていなければ。
高津も、笑い返す。
「なら瑳真も安心だ。良かった」
良かった、と口にして胃がすっと軽くなるのがわかる。

夏休が終わって登校した惇は、とてもよく効くという胃薬を手にやって来る。なんでも、グループホテルのあるとある国でしか手に入らない、希少品なのだとか。
「茜ちゃんの胃に、穴あけたら皆に怒られるから」
胃が痛んでるのを、見抜かれていたことに少し戸惑うが、それ以上になんか、面映い。
なぜなら、クラスの子供からも、そして惇からも、ひとまずは頼りにされてるということだから。
笑顔で受け取って、ポケットに突っ込む。
いつか、倉橋のように笑って言えるようになるだろうか。
大人になって、自分などよりずっとしっかりした惇をつかまえて、あの子なら大丈夫だよ、と。
すっかり癖になった動作で、軽く胃の付近を撫でる。
そんな未来のことはわからないけれど、ひとまずはあの子たちが自分を頼りにしてくれてる間は、胃痛と付き合うのも悪くないかもしれない、なんて思う。

2005.02.05 A Midsummer Night's Labyrinth 〜He wannabe Teacher's pet II〜



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