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邦人の
 の絹糸

少女は、うさんくさそうな顔つきで旅人を見上げる。
「あんたが、人の望みを叶えるって?」
旅人は膝を折り、少女と視線の高さを合わせてから、やわらかに微笑む。
「君には、僕に叶えて欲しい望みがあるようには、見えないけれど?」
「私は使いで来ただけさ」
つっけんどんに言い返し、少女は再び、旅人をじろり、と見回す。
「本当に、あんたなんだろうねぇ?」
「君は誰の使いなのかな?」
目前にある笑顔を目にしていた少女の顔つきが、急に変じる。
にい、と笑いが口元まで裂け、赤い舌がのぞく。
「さぁねぇ、ここでお前を食っちまえば、なにも関係ないけど」
「言葉に気をつけるがいい」
青い瞳が、じろり、と少女を一瞥する。
突如現れた鳥に、少女は驚いて尻餅をつく。同時に、一瞬浮かんだ鬼の顔も消えていた。
「縹青、驚かせてはいけないよ」
肩の上の鳥をたしなめてから、旅人は少女へと手を差し出す。
「大丈夫かい?」
が、少女は尻餅をついたまま、ず、と後ずさる。
「あんた……魔使い」
「使ってなどいないよ、共に旅をしているだけで」
さらりと言ってのけながら、少女の腕を掴んで、立たせてやる。
「もう一度訊くよ、誰の使いなのかな?」
「誰だっていいだろう?!」
旅人の手を振り払い、少女は吐き捨てるように言ってのける。
「私を食えば、それで話は終わりだ」
悲壮な覚悟が、顔に浮かぶ。
「思い通りになんて、させるものか」
「失礼な娘だな、腐臭漂う死霊など食うなどという低等なモノと一緒にするとは」
不機嫌な声で、ぼそり、と鳥が言う。
「それに、支離滅裂ではないか。さっきは食うと言い、いまは食えばいいと言い」
「魔がいるとは思わなかったんだ!」
言い返す少女の肩に、旅人は手をかける。
「縹青は君を食ったりはしないよ」
鳥が、つい、と首をもたげ、少女を睨みすえる。
「公子に少したりとも不穏なことをしたら、その限りではないがな」
びく、と一歩後ろに引いた少女の目元へと、旅人は右手をかざす。
それから、左手を上げてみせる。
「僕らはね、このカゴが見えてしまうほどに、なにかを欲して止まない人の望みを叶えるだけ」
形は鳥かごにそっくりだが、その柵の間隔はひどく広い。
小鳥だけではなく、たいがいの動物は逃げ出すことができるだろう。
「焦がれても手が届かない、そういうモノがあるのならば」
少女は魅入られたように、カゴを見つめる。
旅人は、高くも低くもない、それでいて音楽のような響きの声で言う。
「例えば、届かぬ相手の想い、やり直したい時の流れ、君にそういうモノがあれば」
目を見開いて、少女が顔を上げる。
「本当に、なんでも?」
「そう、それが僕の仕事だから」
「じゃあ、じゃあ……」
言いかかった少女は、びくり、と旅人の左手を見る。
そこには、なにもない。
「君には、カゴが見えないね」
にこり、と旅人は微笑む。
そこにあるはずのカゴへと、少女は恐る恐る手を伸ばす。
だが、空を切るばかりで、本当になにもない。
もう一度、旅人は少女の瞳を覗きこむ。
「遥か遠い場からでも、カゴが見えるほどに望んでやまぬお人の使いで来たのだね」
少女は、強く首を横に振る。
「知らないよ、私は知らない」
「随分と変わったところから来たようだな」
肩の上の鳥が、ぼそり、と言う。
「折り重なる死臭の中に、甘やかな香りがする」
つい、と鳥が顔を上げたのを見て、少女は旅人にすがる。
「だめ、行っちゃだめ!」
泣きそうな顔をしている。
「なぜ?」
「消す気だから……だから……」
旅人は、穏やかな表情で少女の頭をなでる。
「なぜ、君たちが消されると思う?」
「私たちは、アイツが死ぬのを待ってるんだ。だからアイツは、魂を喰われるのが嫌で……」
ゆっくりと、問いを重ねる。
「なぜ、そのお人の魂を喰いたい?」
「顔色ヒトツ変えずに皆を殺して、国の為と人を殺して、自分だけ生き残ったんだ」
きゅ、と唇を噛み締める。
「では、この死臭はそのお人が殺した民の血の匂いか」
鳥が、問う。
「……そうだ」
「利害反する者の使いに、なぜ、たった?」
旅人が、問いを重ねる。
「あんたに望みを叶えてもらったら……そうしたら、いつ魂を喰ってもいいと言ったから」
「望みは、聞かなかったのだね」
こくり、と少女は頷く。
「では、先ずはそのお人の望みを聞くことだ」
「だめ!」
旅人は、静かに立ち上がる。
鳥は翼を大きく広げる。
「すでに、縹青は君の運んできた甘やかな香りを知ってしまった」
空に舞い上がった鳥を見上げ、旅人は肩をすくめてみせる。
「君が案内してくれずとも、すぐに辿り着くだろう」
遥か高い天空を舞う鳥を、少女は見上げる。
もうすでに、自分の些少の抵抗など、なにも通用しないのだと覚ったらしい。
こくり、と頷く。
「わかった。案内する」

やがて姿を現した粗末な小屋を見て、鳥が呟く。
「たいしたものだな」
周囲には、小屋を多い尽くすほどの死霊たちが行き交っている。
中の主が息絶えるのを、いまかいまかと待ちわびているのだ。
「誰かが名と姿を覚えていなければ、死んだ者は、数分とて人のなりなどしておられぬものだ」
少女は眼を見開く。
鳥は翼を広げる。
「それに、戦の匂いが色濃いようだがな」
言い置いて、鳥は空へと舞い上がる。
旅人は、立ち止まったまま鳥が消え去った方を見つめている少女の手を取る。
「行こうか」
こくり、と小さく頷いた少女と共に、扉を押しあける。
カラリ、カラリ、カラリ。
乾いた音と共に、小さな糸車が回る。
さらさらと、絹糸が巻かれていく。
「いま少し、待っておくれだね?あと少しで巻いてしまうから」
他人に命ずることに、慣れた口調。
かなりの年であるように見えたが、その背はしゃんとしている。
部屋の中には、そこらじゅうに巻き終えた絹糸が積まれている。
灯りは糸車の側の小さなもの一つきりなのに、絹糸が淡く光を反射して、部屋中が柔らかな色に包まれている。
カラリ、カラリ、カラリ。
乾いた音が、止まる。
振り返った老婆は、まず少女をねぎらう。
フルネームを呼び、頭をなで、それから言う。
「遠いところまでの使い、ご苦労だった。甘いお茶を煎れてやろう」
少女は、勢いよく首を横に振る。
「お茶なんていらない。あんたの望みは、なに?」
口の端に、笑みが浮かぶ。
それから、ゆっくりと旅人へと視線を向ける。
「このようなところまで、足労をかけた」
「あの距離からこのカゴを見つけた、そのお気持ちに敬意を表したまでです」
旅人は、やわらかに微笑む。
「最初にお茶でも差し上げたいと思っていたが、どうやら、いらぬ心労をかけているようだ」
ちら、と少女へと視線を走らせ、老婆は続ける。
「用件に入ってもよかろうか?」
「ええ、どうぞ」
にこり、と微笑む。
「先ずは報酬を尋ねよう」
「あなたの持つ、イチバン綺麗なモノをヒトツ」
老婆は、問いを重ねる。
「それは何か」
「ここに積まれた、絹糸たち……正確には、そこに紡ぎとられた想い」
口の端に浮かんだ笑みが、大きくなる。
「なるほど」
さらり、と部屋中へと視線を投げる。
「残念ながら、全てを差し上げることは出来ぬのだ、折半で手を打って欲しい」
「ご依頼を、伺いましょう」
微かに、少女が息を飲む音がする。
「この糸たちに紡がれたモノを、世界に散らばせてくれ」
旅人の笑みが、少し、大きくなる。
「では、カゴにあなたの紡いだ想いを」
言ったなり、ごう、と風が吹く。
たまらず、少女は瞼を閉ざす。
風がおさまり、視線を旅人へと戻す。
見えなかったはずのカゴがあり、その中には柔らかに煌く光がある。
「それが……?」
問うたのは老婆ではなく、少女だ。
「そう、これが紡ぎ続けた想い」
旅人は、ゆっくりとカゴの中へと手を差し入れる。
まるで柔らかな綿でも掴むように、光の塊を手にして。
そして、手を引き抜き、緩やかにその指を放していく。
「約束どおり、広がる限りこの世界へと」
光は粒子のように細かくなりながら、さらさらと舞い上がり。
いつの間に開け放たれたのか、窓の外へと流れていく。
あまりに現実とはかけ離れた景色に、少女は意を奪われたように、外へと駆け出る。
光たちが微かに奏でる音が、少女の耳元へも届く。
もう二度と、あのような悲劇が訪れぬよう。
働き手を失わぬ為に年寄りを殺し、子を殺し、それでもなお足りずに隣国へと侵略する。
あんな飢餓が、もう二度と、どこにも訪れぬよう。
少女の瞳から、涙が溢れ出す。
どうしても、全ての人々が生き残るだけの食料は無かった。
皆が死なない為に、先ずは年寄りが殺された。
それから、畑を耕す労力となりえない、子供たちが。
殺すに忍びないと泣く親たちにかわり、領主であったあの女は、自ら刃を振るって己を屠った。
その時、彼女は涙を流していたのだ。
許さなくていい。
恨んでいい。
でも、それは私だけにしろ。
そして、やっと飢えをしのげるだけになった時。
糧を求めて、隣国から兵がやってきた。
抗う力など、あろうはずがなかった。
ただ一人、城を抜け出した女は、胸にしっかりと一つの壺を抱いていたのだ。
民を踏みにじることなど、許さない。
そう、呟きながら。
その中に入っていたのは、死した国の人々の骨たち。
どこか、安らかな地に弔う為に。
ただ、それだけの為に、女は走ったのだ。
ずっと、知っていたはずだったのに。
いつから、こんなに憎しみばかりになっていたのだろう。
糸に導かれるように、死霊たちが天へと消えていく。
母が、父が……全ての人々が。
くるり、と背を向け、少女は小屋へと走りこむ。
老婆が、眼を見開く。
「お前、行かなかったのか」
「どうして行けるの?たった一人残して行くなんて、私には出来ない」
初めて見る戸惑いが、老婆の顔に浮かぶ。
「私は、お前を殺したのだよ?」
「うん、泣いていたよね」
にこり、と微笑む。
「私、待っているから、一緒に行こう?そして、もう一度、今度は幸せで楽しい国を造りに行こう」
「無理に行かせることは出来ませんよ、彼女は確固たる意志を持っています」
静かな声に、老婆と少女が視線を向ける。
柔らかに微笑みながら、旅人は一つ、絹糸の束を少女へと差し出す。
「これを」
不思議そうに首を傾げつつ、差し出した少女の手の上で、糸はさらさらと溶けていく。
「あなたが逝く日まで、彼女はあなたと共に生きられます。そして、あなたが逝く日に逝くでしょう」
告げられた老婆は、相変わらず戸惑った顔つきだ。
「だが、しかし……」
「あれだけの糸は、報酬としては多すぎましたので」
笑みを残して、旅人は背を向ける。
歩き出した旅人の肩に、ふわり、と空に溶けそうなくらい青い鳥が舞い降りる。
その羽といい、翼といい、美しいという表現が相応しいが、その足にある爪は細くはあるが鋭い。
鋭利な刃物のように。
「お疲れサマ」
右手をかざし、なにかを掴みとって、また開く。
やわらかな光のような、手の平の上のそれを鳥はついばむ。
「ああ、これはごちそうだね」
「本当に、綺麗な想いだね」
鳥は、それには応えずに、少し爪に力をこめる。
「随分と優しかったではないか?」
にこり、と旅人は微笑む。
「一人より、ずっといいだろう?」
鳥は翼を大きく広げる。
「それは、その通りだな」
空に舞い上がった鳥をと顔を見合わせ、旅人は笑みを大きくする。
「次は、どんな依頼人がくるやら」
鳥は羽ばたき、また、旅人は歩き出す。


〜fin.

2003.07.13 A stranger with a cage 〜Silver silken threads〜

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