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 再次遇見  タタビ、デアウマデ

思わず瞬きをしたのはポリアンサスだ。
「お化け屋敷?」
「通称が、だ」
返したリフも、最初に話を聞いた時には似たようなことを思ったのだろう、苦笑する。
「実際にいるのは、寂しい大人がほとんどらしい」
今回、宿をとった街の近くに、うっそうとした森がある。中に分け入ると古い屋敷があり、そこが通称「お化け屋敷」だ。
夜毎に寂しい人らで大騒ぎになるらしく、うっかりと野宿をした旅人などが怖がっているらしい。このままでは、あまり良くないウワサが広がるのでは、と懸念した街の人々が、方々の寂しい人たちを相手にすることを生業とする者に依頼したのだが、一向に上手くいっていない。
そうするうち、では、リフたちのマジックサーカスではどうか、となったのだそうだ。
「寂しい子供がいないんなら、僕たちの仕事じゃないよ」
ベックが唇をとがらせるのに、ニールが笑いかける。
「まだ、いない、とは決まってないよ」
「お化け屋敷って言われるくらいだから、寂しい人がたくさんいるってことは確かよね。マジックサーカスを楽しんでもらえそうかどうかだと思うんだけど」
アイリーンの首を傾げながらの言葉に、リフも頷く。
「相手が子供か大人かではなく、そこだと俺も思う。だが、今のところ、依頼を受けた者の誰もが、中に入ることすら出来ていないそうだ」
軽く口笛を吹いたのはニールだ。
「それはそれは、厄介そうだね」
「だからさ、僕らは厄介ごと引き受けるのが仕事じゃないだろ」
ベックが、ますます唇をとがらせる。
「とっても寂しい子供を天に帰したってことが、ちょっと大仰に伝わってるっていうのはあるかもしれないわねぇ」
言ってから、ポリアンサスは唇に指をあてる。
「だからこそ、私たちしかいないと思って伝えてきたってことよねぇ?」
ニールが、口の端を持ち上げる。
「むげには出来ないよね」
「たった一人でも天に帰ることが出来るなら、行くべきだと思うわ」
きっぱりとアイリーンが言うのに、ベックはまだ納得出来ない顔だ。
「でもさ、そのたった一人の為に、皆して危ない目にあったら意味ないじゃん」
「そんな話なら、聞いた時点でリフが断ってるでしょお」
何を今更、という口調で言ってのけてから、ポリアンサスがベックを横目で見やる。
「寂しい大人が怖いなら、お留守番してていいのよ?」
「そ、そんなんじゃないよ!」
顔を真っ赤にして頬を膨らませるのを、ポリアンサスはあっさりと一蹴する。
「じゃ、文句ないでしょ」
「だから、あるってば!」
「まあまあ、まだリフの話を最後まで聞いてないじゃない?決めるのはそれからでも遅くないよ」
ニールが苦笑気味に割って入るが、ベックはまだ不満そうだ。
「だって、皆、門前払いなんだろ?僕たちだって、おんなじだよ」
「無駄足で終わるなら、それでいいじゃないの。馬車を操るのはベックじゃないんだし」
「確かに、門前払いの可能性が高いだろう。が、様子を見ておいて悪くないと思う」
リフが、ぼそり、と口を挟む。
「屋敷のうちに収まっててくれるうちはいいが、そうではなくなった時に実際に状況を知っているのといないのとでは話が違う」
口の端を大きく持ち上げたのは、ポリアンサスだ。
「決まり、ね」
「多数決ってところかな、今回は」
「様子を見るだけなら、ベックはお休みしてていいんじゃないかしら」
ニールが苦笑し、アイリーンが気遣うように覗いてきたのに、ベックは膨らませていた頬を急にしぼませる。
「行くよ、なんだよ、一人だけおいてくとか言うなよ」
何か言おうとしたポリアンサスは、さすがにニールが指を振って止める。
これ以上ややこしいことになったら、いつまでたっても出発出来無さそうだ。
「じゃ、皆で行ってみましょう」
アイリーンが立ち上がり、話は決まりだ。

最後に馬車に乗り込もうとしていたニールが、ふ、と背後を振り返る。
目ざとく気付いたのは、アイリーンの肩から覗いていたポリアンサスだ。
「まだ気になるのぉ?」
「まぁね」
苦笑を返して、ニールは身軽に馬車へと飛び乗る。
「皆乗ったわよぉ」
と、リフに告げてから、もう一度ニールへと首を傾げる。
「でも、今のところ、大丈夫なんでしょ?」
「誰かが入ってきたのは見なくてもわかるよ。振り返るのは、クセだね」
ニールの影に寂しい人が住まってしまうのは、もう、皆知っていることだ。生まれてこの方、誰かしらが必ず住まっていたことも。
勝手に伸び縮みするヤツがいて、困ったことも。
でも、それはサイラスが天に帰るまで、だ。
「兄さんがいなくなってから、誰も来ないのよね?」
アイリーンも、首を傾げる。
「うん、まぁね。ありがたいんだけど、ちょっと妙な感じかな」
影の大きさを確認してしまうのは、もう、染み付いてしまったクセなのだろう。
「大丈夫よぉ、このままなら、いないのが普通になるわよ」
「うん、そっちが普通なんだしね」
ベックも機嫌が直ってきたのか、アイリーンの反対側の肩から乗り出してくる。
「それなら、ありがたいな」
ニールは、幌に背を預ける。アイリーンが、いくらか困ったように反対側に首を傾げる。
「普通の影になったかどうか、なんて、確かめようがないものね」
「あー、ソレは僕たちにもわかんないな」
「調べてみる価値はあるわねぇ」
ポリアンサスが唇に手をやったのに、ベックも大きく頷く。
「うん、それがいいよ」
先ほどまでのケンカはどこへやら、並んで熱心に相談を始めた二人に、ニールとアイリーンは顔を見合わせて笑ってしまう。

元々人が住んでいたところなので、うっそうとした森はすぐに開けてくる。
リフが、振り返らずに声をかける。
「見えてきたぞ」
「はぁい」
と、返事は返したものの、ポリアンサスとアイリーンはどちらからともなく顔を見合わせる。
「入るには、もうちょっと?」
ニールがリフの脇から覗いて、瞬きする。
「あれ、この距離なら、普通ならとっくに入ってるね」
ベックも、肩から顔を出して大きく頷く。
「おっきな寂しい人は、そんな空気変えないのかな」
「むしろ、もっとダダ漏れなイメージがあるわ」
ポリアンサスも、アイリーンと一緒に屋敷を見上げながら首を傾げる。
「なんだか、普通のお屋敷に見えるわね」
「門前払いと関係があるのかもしれないね」
ニールの推測に、リフが頷く。
「ああ、門番のような役目を担っているモノがいるのかもしれない。屋敷は騒がしいのに、何も出てこないという理由も、そこらにありそうだ」
門の手前で馬車を止め、念の為の準備を整えてから、屋敷へと向かう。
扉をノックしたのは、リフだ。
ややの間の後、内から声が返る。
「どなたさんだね?」
「私共は、ラオシアマジックサーカスと申します」
リフの返事に、内からはいくらか不審そうな声が返る。
「マジックサカースとな、なんの御用かな」
リフが返す前に、ポリアンサスが、なにやら妙に目を見開いてしまっているニールの耳へと口を寄せる。
「どうしたの?」
「じいさん?」
問いは同時だ。
呼びかけられた扉の向こうには、沈黙が落ちる。
「じいさんだろ、返事しないとこじ開けるぞ」
本気で無いことは、扉のこちら側の誰もがわかる。なんせ、扉に手をかけてもいないのだから。
が、内への効果は絶大だ。
「バカもん!」
いきなりのカミナリに、ベックが思わず首をすくめる。
「こんなところに、のこのこ来るヤツがあるか!とっとと帰った帰った」
「帰れって言われて、はいそうですかって訳には行かないってば。少なくとも、なんでじいさんがココにいるのかって理由は聞かせてくれないと」
どうやら、扉越しに話している老人らしき人物はニールの知り合いらしい。
この場はニールにまかせようと判断したリフは、一歩下がる。ベックとポリアンサスは、興味津々の様子だ。
「寂しい人じゃない人が、巻き込まれてる?」
ベックが心配そうにポリアンサスに囁く。
「死の世界にいる生ある者の臭いはしないわ」
「じゃ、ニールは寂しい人に知り合いがいるってこと?」
などと会話してる間、扉の向こうから返事は無い。
「じいさん、俺ら、仕事で来たんだよ。帰れって言われて、あっさり背を向けるわけにいかない」
「仕事?マジックサーカスなら、いくらでも街で仕事口があるじゃろう」
「俺らが公演するのは、ココが相応しいんだよ」
相手がポリアンサスしか見えないのであれ、ベックしか見えないのであれ、少なくともニールの知り合いなのは確からしい。
「相応しいじゃと?」
「そう、それに、じいさんが、まだこんなとこにいるってわかったままにするなんて寝覚めが悪すぎるよ」
「寝覚めが悪いとは何じゃ。だが、まぁ、うむ」
なにやら咳ばらいのような音が聞こえる。ニールに心配してると言われて照れているらしい。
色々と想像するより他無い、というより、遅々として進まない話にしびれを切らしたのはベックだ。
「結局のところ、どういう知り合い?ここにいるのが問題ってことは、寂しい人ってことだよね?ニールの影に住んでたってこと?」
「バカッ!」
慌ててポリアンサスがベックの口を閉ざすが、時すでに遅し、だ。
ざわり、と屋敷の空気が揺れる。
「ニールだと?」
「影住まいのニール・ラーセンが来たのか?」
「やっと!」
「見つけた!」
「だから、とっとと帰れと言ったじゃろうが!こりゃわしでも無理じゃ、早く逃げなさい!」
切羽詰った老人の声が無くても、無理の意味はわかる。
「じいさん、俺のためにこんなとこに残ってたのかよ?!」
「こんなとことは何じゃ!」
「えーと、ようするに、ニールの影に隠れたいって寂しい人を、足止めしてた人がいるってこと?」
ポリアンサスが、ベックの口を押さえたまま、リフを見上げる。
「そういうことのようだね」
もう、屋敷の扉は大きく軋みだしていて、中にいる寂しい人らが飛び出してくるのは時間の問題だ。逃げろと言われたところで、生きている人間の足が寂しい人らを振り切れるわけがない。
が、リフの言葉はどちらかといえば、のんびりとしたものだ。
ちらり、と無言のまま横立っているアイリーンを見やる。視線を受けたアイリーンは、にこり、と笑みを返す。
一歩進んで、扉にもっとも近いところに立った彼女は、少し大きめに息を吸う。
「こんにちは、おじいさん。私、アイリーン・ガードナーって言います。ぶしつけとは思いますが、お願いがあるんです。きいていただけませんか?」
「アイリーン?神の祝福を受けた手を持つお嬢さんじゃな。今、わしに出来ることはほとんどなさそうじゃが?」
律儀な返事に、アイリーンの顔に笑みが浮かぶ。
「中にはたくさんの方がいらっしゃるんですよね。その方たちがめいっぱい扉越しに集ったと思ったら、勢いよく開けて下さい」
「どうなるかわかって言っておるのかな?」
「もちろんです。おじいさんから見れば、頼りない若造だと思いますが、お願いを聞いてはいただけませんか?」
「じいさん、俺からも頼むよ」
ニールの声に、ごほん、と咳ばらいが返る。
「頼まれんでも、わかっておる」
くすり、と笑ってニールは一歩引く。
「でも、どうするんだよ?」
やっと口元を開放されたベックが、あせり顔でニールとアイリーンを交互に見つめる。
「飛び出してくるの止めただけじゃ、また誰かが」
「それなんだけど、おじいさんじゃダメなの?」
アイリーンが首を傾げて隣を見上げる。
「じいさんがイイならね。でも、俺が選んだって理由くらいじゃ収まりそうにないな」
「ご老人でなくてはならない、という理由があればいい」
リフの冷静な一言に、ニールは苦笑する。
「そうなんだけど、急に言われてもな」
だが、急がないととんでもないことになるのは時間の問題だ。しかも、ニールにふりかぶってくる。
「えーっと、えーっと」
必死の形相で、ベックが首を傾げる。元はと言えば、自分のうっかりした一言からこうなったのだ、責任を感じてるらしい。
アイリーンも、来るべき時に備えて、まっすぐに扉を見つめつつも一生懸命考えているらしい。
リフも、言い出したものの、すぐには思いつけないでいるらしく、珍しく軽く眉が寄っている。
「あ、わかったぁ!」
思わず声を上げたのは、ポリアンサスだ。
慌てて、自分で自分の口を押さえる。それから、満面の笑みのまま、ニールの耳元になにか囁く。
ニールは目を見開き、一拍の間の後、にっと笑う。
「確かに、ソレは俺の大事な望みだ」
答えた直後。
扉の向こうから、緊張感のある老人の声が聞こえてくる。
「お前さんら、準備はいいかの?」
「いつでも!」
「大丈夫です!」
ニールとアイリーンの声が揃った瞬間、両開きの扉が大きく引き込まれる。
と、同時に何かの気配が勢い良く出てくる。
いや、出てくるはずだった、が正確だ。
入り口を覆う勢いで広がった花々に、阻まれたというより、あっけに取られたらしい。
戸口のところで、いっぱいいっぱいの寂しい人たちが、ぽかん、とした顔つきでこちらを見つめている。
にっこり、とアイリーンが笑みを返す。
「こんにちは、私たちはラオシアマジックサーカスって言います」
我に返った一人が、き、と顔つきを変える。
「お前に用は無い」
「ニールはどこだ」
「そうだ、影住まいのニールはどこだ」
目前まで、すごい形相の寂しい大人たちがせまって来ても、アイリーンの笑顔は変わらない。
「ニールなら、私たちの仲間よ。影に寂しい人が住まえるんですってね」
言葉の間にも、その指先からはボールが出てきて、その数を指の間に増やしていく。
「でも、ちょっとズルいんじゃないかしら?だって、ニールの影はニールのモノなのよ?そこに勝手に住むなんて」
今度は、ボールの数は減っていく。
アイリーンは、視線すら指に落とさないのに、その動きは実に正確だ。
ニールはどこに、と言いつつ、皆、その素早く正確な動きがどうしても気になってしまうらしい。
「勝手とは失礼な」
「だが、まあ、言うことがわからんこともないが」
「しかし、なあ」
などと、ぶつぶつ言いつつも、アイリーンの言葉に耳を傾けている状態だ。
「ニールの影に住まえるのは、たった一人なんでしょう?順番待ちをすると言っても、いつまでかかるかわからないわ。こんなにいたんじゃ、ニールが天に帰る方が早そうだし」
ぐるっと見回すと同時に、アイリーンの手からはボールが消え、今度は握った手からするするとハンカチが滑り出てくる。
縛って繋がっているらしいソレは、色とりどりの色彩を見せながら、延々ととめどない。
「ニールにだって、自分の影に住むならこんな人がいいって望みくらいはあるし、聞いてもらえないなら断る権利はあるはずよ」
「う、それはまぁ」
「そう言われれば」
同意らしき呟きが、さわさわと全体に広がっていく。
「その、望みとはなんじゃ」
いくらか不機嫌そうな声が、扉の影から聞こえる。どうやら、じいさん、とニールが呼んだ人物はそこに隠れているらしい。
まるで、姿を見られたくない、とでも言うように。
アイリーンの隣に並んだニールが、きっぱりと言い切る。
「俺の影らしく、完璧に振舞うこと」
「それっくらいなら、私に出来る」
「なにを、俺もそれくらいは」
自分にだって出来る、という言葉が、一気に広がって、また不穏な空気になっていく。
が、それが完全に支配する前に、ニールは疑わしそうに返す。
「全くもって、信じられないね。俺は軽業師だ、その演技の間も完璧に影でなくちゃ、住まわせるのはゴメンだぞ」
「論より証拠、試してみればいい」
寂しい人らが何か言い返す前に、リフがきっぱりと言い渡す。
「今から、ニールが演技をして見せるから、我こそはと思う者は試してみるのがいい。出来ないと思う者、試してダメだった者は文句を言わず、天へ向かう。フェアな提案だと思うが?」
「それとも、自信が無いかな?」
ニールの肩から、ベックが顔を出す。
「小さい人」
「小さい人だ」
ざわざわ、と先ほどとは異なるざわめきが広がっていく。
「そう、僕らはいつだって公平さ。僕らが判定するんだ、文句があるかい?」
なにやら、相談するようなさざめきが通り過ぎていく。そして、誰からとも無く同意の声があがる。
ニール呼ぶところのじいさんは、黙り込んだまま扉の影にいるらしい。
「さあ、準備をはじめようか」
リフが、開始を告げる。

屋敷の中は、今やきらびやかなサーカスの舞台だ。
綱渡りの綱が張り巡らされ、空中ブランコが用意され、大きなボールもそこかしこにある。
それらの間を、ニールが縦横無尽に飛び回っている。
空中ブランコから飛んだと思えば綱の上、綱から飛んだと思えばボールの上。
そのヒトツヒトツで、見事な演技を見せるのに、誰もが息を呑む。
リフとポリアンサスは、ニールの演技を効果的に見せる照明や音楽などの舞台効果で大忙しだ。
裏で、照明の追加作業にいそしんでいたアイリーンは、ふ、とその手を止めて、あらぬ方を見やる。
「もう少し前の方が、特等席だと思いますよ」
うっすらとした闇の中で、何かが身じろぐ。
「よう、気付いたのう」
いくらか苦笑気味の老人の声だ。
アイリーンは、笑みを浮かべる。
「おじいさんも、ニールの演技をこうして見るのは初めてですか?」
「どうして、そう思うね?」
「兄さんが、最後に見た時に言ってました。ずっと影にいたからって」
少しの、間。
「ニールの影を兄さんに教えてくださったのは、おじいさんだったんじゃありませんか?」
「なかなか、勘のいいお嬢さんじゃな。そう、わしじゃよ。あのまま捕らえられては、あまりだと思ったんじゃが、余計な世話だったかの」
「いいえ」
アイリーンは、大きくかぶりを振る。
「ニールにとってどうだったかはわかりませんが、私にとってはものすごくありがたいことでした。どんなにお礼を言っても足りませんが、ありがとうございます」
深々と頭を下げるのに、照れたような声が返ってくる。
「礼を言われるようなことではないがの。それに、ニールは一層腕を磨いたようじゃしな。よう頑張っておるようじゃ」
とても柔らかい声に、アイリーンも自然と微笑む。
「ニールがいないと、ラオシアマジックサーカスはやってけません」
「誰がおらんでも、やってけんじゃろう。いいマジックサーカスじゃの。お前さまの手は、本当に神に祝福された手よ」
「ありがとうございます」
素直に返して、アイリーンは首を傾げる。
「あの、おじいさんは、あれからずっとココに?」
「そうさの、あちこちと行きはしたが、似たようなことをしておったかの」
そらとぼけたような返答の意味は、尋ね返さなくてもわかる。
「おじいさん」
急に真顔になったアイリーンに、老人もどことなく姿勢を正したような声を返してくれる。
「なんじゃな、お嬢さん」
「もう一度、ニールの影に住まうのは、お嫌ですか?」
「さて、それが許されるものかの」
わっと声が上がる。
皆、どうやら、当初の目的を忘れてニールの演技に見入っていたらしい。しかも、数人はソレで満足してしまったようだ。
すう、と姿が薄れていく。
「わしは、そりゃたくさんの軽業を見てきたが、あれほど腕を持つのはおらんの」
「神に祝福された腕ってことですか」
アイリーンが、にこり、と微笑むと、気配も笑みを返したようだ。
「せっかくの腕が、影のせいで鈍るようでは残念だがの。かといって、影に誰かが延々と住まっておるというのも、イイことでは無い」
しみじみとした声に、アイリーンは笑みを大きくする。
「おじいさんは、本当にニールのことを考えて下さってるんですね。まるで、本当のおじいさんみたい」
が、返ってきたのは長い長い沈黙だ。
何か、悪いことを言ってしまったろうか、と首を傾げるアイリーンに気付いたのだろう、小さな咳払いが返ってくる。
「本当の孫じゃったら、影に住まったりはせんかったろうよ。死の世界へ足を踏み込んでも、業の深い人間だということじゃ」
自嘲気味の老人の言葉に、アイリーンは、きゅっと手を握り締める。
「私、おじいさんのお陰で、兄さんともう一度会うことが出来ました。私が兄さんを殺したんじゃないって言ってもらえました。確かに、取り返しのつかないことが起こった後でしたけど、でも」
ふわり、と頭の辺りに気配を感じて、アイリーンは視線を上げる。
「そうさの、お嬢さんの言う通りじゃ。人は取り返しのつかぬ事をしたり、どうしようもなくそういう状況に巻き込まれたりもする。あの子の影は、時にそういう者らを救う時間を与えてくれるのかもしれんのう」
用意された舞台では、早速に数人が挑戦して、あっさりと不合格とされたようだ。
しぶしぶであったり、それなりに納得したりと様々ながら、姿を消していく。
ニールが不機嫌そうに眉を寄せてみせている。
「こんなヘタクソにいちいち付き合ってられないね、ボールの上に乗るくらいにしてやるから、先ずは並んでそれっくらいが出来るか試させてもらうよ」
これはなかなかに効果的だ。ずらっと並んだ影は壮観で、数回の往復だけでも山ほどの脱落者だ。
「アイリーン、照明が足りなくなっちゃうわよぉ!」
ポリアンサスの声に、アイリーンが我に返る。
「あ!ごめんなさい!すぐに持ってくわ」
老人の気配へ頭を下げるのを忘れず、走っていく。
ボール乗りに合格したモノらは、次は綱渡りでふるい落とされていく。
これだけの運動量をこなしても、まだニールは息が荒くなってさえいない。それどころか、ますます滑らかな動きになっていくようだ。
「言っとくけど、ただ俺の影についてこれるだけってのもお断りだよ」
端から端まで渡り終えた後、またかなりの数が脱落して消えていく。そうとうに減ったので、ニールの影に住まえるかもしれないと期待した顔つきになるモノらに、きっぱりと告げる。
「俺は誇りをもって軽業師をやってるんだ、同じように思ってくれなきゃな」
「そんなもん、わしくらいしかおらん」
加わった声に、寂しい人らの注目が集まる。
「なんだ、お前も結局同じじゃないか」
「自分が入りたいから、邪魔してたのか」
老人は、同レベルと決め付けられても怒る様子は無い。
「おう、そうとも。だから、わしが合格したのなら、文句は無いのう」
「そういうルールだしな」
リフがはっきりと言い、ベックが大きく頷く。
「そうだよね」
「じゃ、試してみるかい?」
振り返ったニールの顔が、どこか緊張している。
「試してもらおうかい」
するり、と影に滑り込んだ老人は、こつん、とヒトツ、杖で床を叩く。
「ほれ、最高の演技を見せてみい」
老人らしい、懐かしい物言いに、ニールは思わず返してしまう。
「無理して腰痛めるなよ」
「それが年寄りに言うことか、まったく。言っておくが、わしはもう痛める腰はもっとらん」
入ってしまった肩の力が、抜けるのがわかる。
「ああ、そうだったっけ。ま、年寄りは年寄りらしくしとくのがいいんじゃない?」
「ほう、そろそろ疲れて、動きが鈍ってくる言い訳をしてるんかの」
「まっさか、今までのは準備運動代わりだよ」
何年かのブランクなど無かったような、減らず口だ。しかも、お互い様の。
ニールは、にっ、と口の端を持ち上げる。
「じゃ、行くよ」
いきなり空中ブランコへと飛び乗ったニールは、遠慮呵責無く、あちらこちらへと飛び移る。
数回のテストで、この舞台装置でどう動くと最も魅せられるか、計算しつくしていたのだろう。綱渡り、ボールととめどなく動く流れは、息を飲むばかりだ。
ひっきりなしに照明を投げ上げながら、ポリアンサスが笑う。
「ほんっと、ニールは生まれながらの軽業師だわぁ」
「そうだな、魅せ方を知り尽くしている」
リフが頷くと、アイリーンが小さく首を横に振る。
「それだけじゃないわ。今もどんどんと腕を上げてるのよ、見習わなきゃ」
「それはね、アイリーン。舞台効果も良くなってるからよぉ?」
イタズラっぽくポリアンサスが返すのに、アイリーンが笑みを浮かべる。
「そうね、私の時も、よろしくね」
「もっちろん」
リフが、振り返る。
「そろそろ、決着が着きそうだ。アイリーン、いけるか?」
「ええ、もちろん。いつでも大丈夫よ」
うっすらとした灯りの中で先ほどまでとは別種の笑みを浮かべるアイリーンは、すでに舞台衣装だ。
「じゃ、仕上げね」
ポリアンサスからの合図に、一際派手な技をニールが見せる。
「合格!」
ベックの声に、息を飲んで演技を見つめていた寂しい人らが、我に返りそうになった瞬間。
ニールの声が響く。
「さぁ、魔法の手を持つ奇術の姫の登場です!」
照明は、一気に綱の上のニールから、下へと落ちる。
うっすらとした灯りの下で、静かに瞼を閉ざして立つ人影がヒトツ。
灯りが強くなり、音楽が流れ出した途端、その手にはステッキが現れる。
同時に視線が上がり、笑みが浮かぶ。
カードが舞い、色とりどりの花が咲いたかと思うと、ボールは宙を漂う。
その華麗さ、流麗さは扉の開いた先で見せたモノとは比べのものにならない。神に祝福された手は、その指先から存分に魔法をつむぎ出す。
にぎやかなマジックの最後は、帽子から飛び立った一羽の白い鳥だ。
まっすぐに屋敷の天窓にたどり着いたかと思うと、窓は音も無く開く。
飛び立った後からは、柔らかな光が差し込んでくる。
わっという歓声と、大きな拍手と。
音と音楽が消え、やがて、拍手もまばらになり、消えていく。
「本日は、ラオシアマジックサーカスをご覧いただき、まことにありがとうございました」
リフの声が聞こえ終わった時には、屋敷の中から寂しい人の気配は消えている。
あるのは、天窓から差し込む朝の柔らかな光だけだ。
「なんのかんの言ってたけど、けっこう潔かったなぁ」
いくらか拍子抜けしたようにベックが言う。くすり、と反対側からポリアンサスが笑う。
「ルールを守るってあたりは、律儀だったわねぇ。おじいさんのしつけが行き届いてたってことかしらね」
「しつけなんぞ、通じるような連中じゃなかったわい」
「でも、兄さんに譲ってからずっとですよね?よく今日まで持ちこたえましたね」
アイリーンが、首を傾げてニールの影を見やる。
ぽかん、としたのはニールだけでは無かったらしい。影の中の老人もだ。
「わしの声が聞こえるのかの?」
「はっきりと聞こえるよ」
素直に返したベックも、ポリアンサスもアイリーンも、リフでさえも目を見開く。
「入る前から、知ってるからかしら?」
「そもそも、ニールの影にどうして住まえるのかもわからないもん」
首を横にふりながら首を傾げる小さい人二人から、ニールの影へと視線を移してリフが笑みを浮かべる。
「だが、これだけは確かですよ。ラオシアマジックサーカスは、新しい仲間をお迎えしたということです」
「そうね、よろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げるアイリーンに、ニールと影はどちらからともなく顔を見合わせる。
「だってさ」
「ふむ、それも悪くないかの」
お前さんの影を普通にする方法を見つけるまでは、という小さな呟きは、ニールにしか聞こえない。
微かに微笑んでから、ニールは皆へと向き直る。
「じゃ、ひとまずは報告に戻ろうか」

道具を片付け、本当に何もなくなった屋敷の扉を閉め、もう一度誰からとも無く見上げる。
「これで、ここも静かになるわねぇ」
「そうね」
良かった、と頷きあうポリアンサスとアイリーンに、ベックは困った顔を向ける。
「でもさぁ、また、ややこしいの解決しちゃったことになるんじゃないの?」
「ま、ね」
ニールが、軽く肩をすくめる。
とても寂しい子の時といい、お化け屋敷の今回といい、自分たちでなくてはならなかった理由があったのだが、それを言うわけにはいかない。
「やれることを、していくだけだ」
リフが、眼鏡を直しながら、静かに言う。
「お前さんらなら、やってけるじゃろうよ」
老人の言葉に、誰からとも無く顔を見合わせる。
「そうだね」
ニールが笑えば、アイリーンも頷く。
「ええ、もっと腕を磨かなきゃいけないけど」
「アイリーンは、真面目すぎー」
ベックが返し、皆で笑いながら、めいめいに馬車に乗っていく。
最後に、ニールが振り返る。影はニールの姿を逸脱することなく、老人の声を返す。
「さて、行くかの」
「うん」
頷き返して、身軽に乗り込む。
ポリアンサスが、リフへと声をかける。
「みんな、乗ったわよぉ」
ぴしり、と小気味いい音が響いて、馬車は朝日の中へと走り出す。



〜fin.


2008.08.03 Vespertin Masic 〜dao zai ci yu jian〜

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