夕飯のテーブルには、珍しく花が飾ってある。
細いガラスの花瓶に、一輪だけの紅い花は、返って映えていた。
もちろん、死者の魂を天に送る儀式のために使ったモノとは、違う花だ。
「へぇ、綺麗だな」
席につくためにイスを引きながら、フリックは素直に感想を述べる。
「やっぱり、見えるのね」
メイファは、ガーリックトーストを並べたバスケットをテーブルに置きながら、不思議なことを言う。
少なくとも、フリックにとっては。
「隠してあるわけじゃあるまいし、見えないわけないだろう?」
怪訝な表情になるのは、当然だ。
童話の王様ではあるまいし。
くすくす、という笑い声がメイファの口からこぼれだす。
「ごめんなさい、そういう意味じゃないの」
暖かな湯気をあげるメインディッシュをおいてから、メイファも席につく。
食事の前の祈りを捧げてから。
サラダを取り分けて、フリックに渡してくれる。
今日、買い出しにいってきただけあって、新鮮そうな野菜のサラダの緑がまぶしい。
緑のなかにパプリカの黄色や赤が、また映えている。
色が食欲をそそる、というのは、あると思う。
覗き込んだフリックに、メイファはさらに奇妙なことを、質問した。
「そのサラダ、何色にみえる?」
ドレッシングの容器を手にしたまま、フリックは固まってしまう。
にこり、と微笑んでいる彼女は、いたってまともに見えるが。
さきほどの、『やっぱり、見えるのね』とも関連していそうなので、ひとまず、まともに答えることにする。
「おおざっぱに言うなら、緑、赤、黄色」
「じゃ、これは?」
花瓶の花を、指差している。
「赤」
いったい、なにを試されているのだろう?
ますます、怪訝な表情になったのだろう。
メイファは、花瓶の花にそっと手を触れる。それから、ゆっくりと言った。
「この村の男たちにはね、赤は見えないのよ」
「……?」
聞いたことが、ないわけではない。自分の故郷にも、ごくたまにいた。
だが、男性みなが、というのは、ずいぶんと特殊だ。
「遺伝、なんでしょうね」
なんとなく、わかった気がした。
色の見えない男たちと、全ての見える女たち。
あからさまな、差。
奇妙なしきたりを、延々と守りつづけるしかない人々。
呪縛されたかのような運命が、彼らを縛りつづける。
闇のような世界に生きるしかない、男たちは、色を知ることのできる女たちが神にみえたのかもしれない。
だけど、それは裏をかえせば束縛で。
いや、束縛したかったのかもしれない。
外に出て行けば、色を見分けられる男たちもいるのだと知ったら。
自分たちは、間違いなく捨てられるという、恐怖。
外に出たメイファは、それを知っている。
なにもかも、わかっていて、それでも、行けないと言った。
いまなら、わかる。彼女が、行くわけにはいかない、と言ったわけも。
「メイファの祖父さんが、治療法を探しに行った病気は……」
「紅い薬草を使わなくては、直らないのよ」
あっさりと、メイファは真実を口にした。
まっすぐに、こちらを見ている。
「熟してからではないと、それは毒になるの」
メイファの祖父には、見えない赤。
だから、彼女は祖父の技術の全てを受け継いだ。いや、色を知ることのできる彼女は、祖父以上の調剤師なのかもしれない。
この村の男たちには、できないこと。
そして、医者となれるのは、男だけなのだ。
それでも。
自分しか治せないと知っていて、見捨てることは出来ない。
そう、彼女は思っているのだ。
いや、思っていた、のか?
儀式が終わってからの彼女は、やけにまっすぐな視線をしている。
自分たちを、助けると決めたときも、迷いのない瞳をしていると思ったけれど。
それよりも、もっと。
同じなにかを、抱えているはずなのに。
彼女は、自分でそれを、消化しようとしている。
自分にはない勇気。自分にはまだない、強さ。
それが欲しいと、気付いたから。
目線をそらせては、ダメだ。
「メイファ」
「はい?」
「もし、その病気をこの村で君が治療したら、どうなる?」
「魔女になるわ」
不思議な笑みが浮かぶ。
「魔女は、火を持って滅すのよ」
火あぶりに、されるのだろうか?
命を助けたのに?それでも?
首を横にふった。
「一緒に行こう」
そう、心から思う。
ビクトールが、生きる強さがあると、教えてくれた。痛みがあっても、生きていくことができると。
それから、メイファが。
痛みがあっても、呪縛があっても、それでも前を見る強さを。
それから、それだけじゃない、同じ影。
消えて欲しくないと、思う。
自分のなかの、一番見たくないものを、教える存在。
だからこそ、いて欲しい。
瞳をそらすなと、いってくれる存在が欲しい。
いまはまだ、それがなくては見つめられないから。
これは、ワガママだ。
自分の為だけの。
だけど、生まれて初めての。
影から逃げていては、いつまでもそれは消えない。
だとしたら、向かい合うしかない。
それを、助けてくれる存在。
「俺たちと、一緒に行こう」
医者になれるよ、とは言わない。それは、自分にとってはどちらでもよいことだから。
その道を選ぶかどうかは、彼女の決めることだ。
だけど、少なくとも、一緒に歩んで欲しいと、そう思う。
「そうね、どっちにしろ、もう魔女だし」
フリックを手術した時点で、『しきたり』は破ってしまったから。
にこり、と微笑む。
「もっとたくさん、出来るコトはあるかもしれない」
チャンスをくれたのだと思う。フリックたちが。
外という世界へ、飛び出すための。
「でも、なにも残さずに出て行くのは、ね……」
やはりそれは、躊躇われる。
「ヒントを残してくってのは、ダメなのか?」
フリックの声ではない、割り込み。
返事を返すヒマがあればこそ、ヤツは汗だくで泥だらけのまま、どっかりとイスに腰をおろす。
「クマ男!!!」
「ビクトール!」
思わず口々に呼んでしまう。
色は完全に変色しているが、そこにいたのは、様子を見に出ていたビクトールだった。