終わっていく音だ。
なにもかもが、終わっていく音。
赤月帝国も、解放軍も、それから、解放軍の副リーダーという役割も。
オデッサの恋人という役割も。
命がけのゲームの終わりを告げる音。
それは、城の崩れて行く轟音。
解放軍のリーダーである少年を守るために斬り捨てた、帝国軍の兵士たちを見下ろす。
繰り返し、振り返りながら去って行った少年も、他のみんなも、彼の言葉を真に受けたのだろう。
だから、あんな悲壮な表情のまま、だけど納得して、立ち去ったのだ。
ますますひどくなる轟音の中で、自分の言った台詞が、まるで他人の声のように耳朶に蘇った。
『お前は、オデッサが見こんだ男だ』
それは、本当のこと。
彼女は、少年のカリスマ性と、素質を見抜いた。彼女は、人を見る、という才能があった。
『みんなが、待ってるから』
それも、本当のこと。
解放軍についてきた人々は皆、少年を慕っている。少年が生きて帰って来ることを、心から願っている。
だけど、少年の必死の顔での、願いに対してこたえた言葉は。
『大丈夫だよ、死ぬのは、まだはやいから』
苦笑が顔に浮かんでくる。
じゃあ、なんのつもりでここに残った?
少年を守るため?
それは、自分がここに残るための建前だ。
本当の、理由じゃない。
剛健な造りの城が崩れていっているのだ。轟音にふさわしいだけの、振動がある。
その振動で、少年をかばってうけた矢傷が、鈍い悲鳴を上げる。
でも、この程度の傷では命には、かかわらない。
ここに残った理由は、やっぱり。
終わりにしたいのは、ゲームだけではなくて。
終わりにしたいのは、自分。
ずっと、心のどこかで望みつづけていたこと。
解放軍の、副リーダーという役割を、オデッサの恋人という役割を、演じている間でさえ。
だいたい、解放軍に加わったのだって、あてにならないモンスターたちより、王軍の方が、と思ったからでもある。
ところが、結果はどうだろう?
結局、オデッサの望みは叶い、赤月帝国は滅んでしまった。
自分は、最後までそれを見届けてしまった。
強く望めば、願いは叶うというが。
彼女は、自分の望みを、二つとも叶えてしまったことになる。
愛する者を奪った、帝国を滅ぼすこと。
愛する者の元へ、行くこと。
オデッサが、心から望んでいたこと。
おそらく、オデッサは最後まで解放軍のリーダーを演じながら、微笑んでいたのではないだろうか?
彼女には、彼しかいなかったから。
手の届かないところに行ってしまった彼だけしか、見えなかったから。
強く望めば、願いは叶うというけれど。
じゃあ、どうして、俺はまだ生きているのだろう?
なぜ、敵を切り捨てているのだろう?
斬り捨てなければ、望みは叶うはずなのに。
望んでいるのは、夢さえ見ない、深い眠りにつくこと。
そのはずなのに。
なんで、今まで気付かなかったのだろう?
斬り捨てなければいいのだ。
望みを叶えたいのなら。
でも、切られるなら、自分より強い相手だ。
そこまで考えて、ぎくり、とする。
戦士村で、トップレベルだったということは、この国でもトップレベルということだと、誰かが言った。
自分より強い相手でなければなんて、生にしがみつくための言い訳じゃないか。
言い訳してまで、生きてる意味が、どこにあるのだろう?
言い訳してまで、生きていたいのか、俺は?
急に浮かんだ考えに、戸惑う。
消えてしまいたいはずなのに、消えることを拒否する行動を、してきたのだろうか?
堂々巡りを始めた考えを途切れさせたのは、近付いてきた敵兵の足音。
この轟音の中でも、はっきりと聞き分けることが出来る。
その、殺気に満ちた息遣いさえ。
剣を、構え直す。
名のない剣を。
もう、この剣に、仮の名を名乗らせる理由もどこにもないから。
「いたぞ!」
「おのれ、陛下の仇!」
憎しみに顔を歪め、必死に切りかかってくる兵たちを、無駄な動きなしに斬り捨てる。
突き動かす感情がないぶん、こちらのほうに余裕がある。
力みすぎる、ということもない。
おかしなものだ、と思う。
消えてしまいたいはずの自分が、人を切り捨てている。
その手を止めればいいんだよ。
剣を振る速度を、少し、落とすだけでいい。
お前の望みは、叶えられる。
誰かの、声がした気がした。
話しかける者など、いるはずないのだから、それは、自分の声なのだ。
消えてしまいたいと望む、自分の心の声。
それに気付いたのは、腹部に鈍い痛みを感じたからだ。
声に気を取られて、本当に、手の動きが鈍ったらしい。
だが、次の瞬間には、その相手を切り伏せる。
断末魔の表情を浮かべて、相手はゆっくりと倒れていく。
それを見届けてから。
鈍い痛みは、火に炙られるような、激しいモノにとって変わる。
思わず伸ばした手に、生暖かいモノが触れた。
「……?」
手を、見下ろす。
まわりに、じわじわと広がってくる炎のなかでも、それはひときわ赤い。
血だ。
どうやら、相当な深手を負ったようだ。
致命傷となりうるほどの。
やっと。
そう思った。
終わることが出来る。
ずっと、望んでいたとおり。
敵の気配もない。
ゆっくりと、力を抜こうとして、はっとした。
誰かが、近付いてくる気配。
でも、殺気を帯びたモノではない。
そうか、ビクトールだ。
自分よりもさきに、踏みとどまった男。少年を、死なすワケにはいかない、と言って。
自分は、戦うために生きているから、と言って。
階段を降りてきたビクトールは、フリックの姿を見つけて、少し驚いた顔になる。
だが、なんでここに残っているか、はよくわかっているのだろう。
ただ、こう訊いた。
「あいつらは?」
「先に行った」
ビクトールの顔に、にや、とした笑みが浮かぶ。
「これで、思う存分戦えるな」
「ああ」
返事をしながら、思う。
戦って、そして。
彼は、ここから生きて、出て行くのだろう。
自分とは、違う男。
一番大事な者を奪われても、そして、故郷もなくしても、彼は。
生きていくことの、出来る人間だから。
この男は、自分とは、違う。
「でも、お前と一緒というのは、気にいらない」
それは、本音だ。
どこか、眩しく見えたから。
堂々と、生きていけるビクトールが。
そして、疎ましくもあったから。
何を失っても生きていける力が。
ビクトールの方は、フリックのその台詞を皮肉ととったらしい。笑みをさらに大きくした。
「ま、そう言うなよ」
言外の、『一緒に生きて帰ろうぜ』という台詞が聞こえた気がして、フリックは眉を寄せる。
「……先に行けよ」
「え?」
ビクトールの顔からは、笑顔が消えて怪訝そうな表情が取って代わる。
「あとは、俺が食い止めるから」
「相変わらず、生真面目だなぁ」
この状況では、のんびりしているともとれる口調で言うと、ビクトールの口元には、また笑みが戻ってくる。
「一人より二人のが、効率がいいってもんだぜ?」
ああ、そうだな、と思う。
ここから、生きて出るつもりがあるのなら。
悪いけどそれは。
おまえ一人にしといてくれ。
自分の顔に、苦笑が浮かんでくるのがわかる。
生真面目、という性格は、解放軍の副リーダーに必要なモノだったから、演じていただけだ。
その立場でなければ、いちいち正義感を振りかざして、口うるさくする必要など、まったくない。
どちらかというと、そういうのは好きではなかった。
だいたい、正義なんていうモノは、この世に存在しない。
そういう、自分でないモノを演じきることが、面白く感じられたこともある。
ある意味、危険なゲームだったから。
でも、今はもう。
それにも、疲れた。
ただ、この瞳を閉じて眠りたい。
もう、先の見えない暗闇のような人生を、前に進む元気など、ない。
そう、ここで終わろう。
「お前は、はやく出た方がいい……そろそろ、道がなくなる」
轟音は、さっきよりずっと、大きくなりつつある。どこかが崩れ落ち、そしてそれにつられて、また、
別の個所が崩れ落ちる。
城全体が、その形を失うのは、時間の問題だろう。
脱出するのは、急いだほうが良い。
城の兵士たちも、たいていは皇帝の仇を討つよりも、自分の命を守るほうが大事なのだろう。
ほとんど姿が消えている。
まだ、生きようとすれば、間に合う。
そして、ビクトールは生きようとしている。
生き延びる価値のある男だ、と思う。
当人は、『戦いしか能がない』と言うが、そんなことはないだろう。
この男なら、どこでも生きていける。障害があっても、それを笑って乗り越えていける。
そんな強さを、持っている。
いまは、それが、疎ましい。
見ていたくなかった。
自分にないモノを、持っている男。
こんな強さがあったなら、自分も前に進めるんだろうか?
笑顔さえ、浮かべて?
それは違う。
それぞれ、人には個性というモノがある。
ビクトールの個性は、この強さで、それは、自分にはないモノだ。
だから、ほっといて欲しかった。
一人にして欲しい。
ここで、終わりにしたい。
足元の感覚が、不意に薄れる。
「おい?!」
ビクトールの戸惑った声が、どこか遠くに聞こえた。
それで気がつく。
足元だけではない。躰中の感覚が、急速に薄れていっている。
どうやら、出血多量になってきたようだ。貧血をおこしているのだろう。
それは、自分でもわかる。
「おいっ!しっかりしろよ?!」
ものすごい音量の声に怒鳴られて、自分が自分の足で立つことさえ、できなくなっていることに気付く。
ビクトールの怒鳴り声は続く。
「ばかやろう、こんなひどいケガしてて、なにが食いとめる、だよ?!」
「……だから、食いとめる、んだよ」
もう、痛みさえ感じない。
ビクトールの顔つきから、自分の出血がかなり酷いのが、なんとなく、わかる。
口の中に、生臭い匂いがしてきたかと思うと、咽かえった。
血を吐いたらしい。
だけど、言葉は続けた。
「……死ぬのは、一人で充分だし」
それを聞いたビクトールは、かすかにうつむく。
「だから、お前は行けよ……」
そう、一人で充分だ。
お前は生きていくことが、出来る男だから。
俺には出来ないし、その価値もない。
「…………、………………だ」
「?」
ビクトールが、なにか言ったが聞き取れずに首をかしげる。
急速に起きた貧血で、聴覚も鈍っているのかもしれない。
うつむいてしまっていた視線が、真っ直ぐにこちらを見た。
その瞳は、先ほどまでのモノと、まったく異なっている。
「一人だって、死ぬのはまっぴらだってんだよッ!」
搾り出された、声も。
それは、相手を元気付けるモノではなくて。
傷ついて、ボロボロになっているモノが、悲鳴のように上げる声。
傷を、隠すために。
瞳の色も。
彼のすべてを奪った、仇を目前にした時でさえ見せなかった、悲痛な色。
「冗談じゃねぇ!俺の手が届く限り、誰も死なせやしないからなッ!」
フリックに言っているというよりは。
傷を、埋めてしまえる男だと、思っていたのに。
瞳の色も、声も、深い傷を、どうにもできないでいる者の、モノだ。
どんなに時がたとうとも、消えない傷。流れつづける血。
それを抱えたまま、それでも。
ビクトールは笑っていたのだ。
大丈夫だよ、前に進めるよ。
どんなに痛くても。
彼の笑顔は、傷を埋めて消してしまったからではなくて、傷を抱えたままの、それ。
傷は消えなくても、前に進める?
俺でも、進めるのか?
いつか、この暗闇から、抜け出せるんだろうか?
ビクトールは、どうあってもフリックを助けるつもりらしい。
バンダナをとると、止血を始める。
多分それでは、無理だと思いながらも、止めなかった。
止めない、のか、止めたくない、のか、どっちなんだろう?
朦朧としている意識のなかで、自問が続いている。
俺は、助かりたいのか?
生きていたいんだろうか?
終わりにしたくて、ここに残ったはずだ。
なのに、ビクトールの強さが、疎ましくて、羨ましい。
前に進める男が、羨ましい。
終わりにしたいはずなのに。
もう、終わりにしたい。このまま、暗闇が続くなら。
本当は。
暗闇を抜け出して、前に行きたい。
たとえ、傷ついても。
なんだ、生きてたいんだ。
この男の強さが、自分にも欲しい。
いまは、そんな強さがないから、疎ましくて、羨ましいけど。
薄れかかった視界を、ビクトールにあわせる。
「……ぜったいに、死なせねぇ」
まるで、呪文のように繰り返している。
その目に、涙さえ浮かんでいると、当人は気付いているんだろうか?
「……わかったよ」
どうにか、口を開く。
自分が生きたいということが。
どうして、お前が疎ましかったのか。
眩しいと、思ったのか。
ビクトールが、驚いたように顔を上げた。
「わかったから……責任もって、つれてけよ」
その口元が、みるみるゆるんでいく。
ついさきほどまで、本当に泣き出しそうな顔だったのに。
「おう、ちょっと手荒いけど、がまんしろよ?」
いつもの笑顔で、そう言ったかと思うと、フリックに手をかける。
目のまわる感覚に、頭がくらくらした。
どうやら、背負い上げられたようだ。
「ばかやろ、もうちょっと、丁寧に扱え……」
思わず、そう言って、自分の口元にも笑みが浮かんでいることに気付く。
出血は、酷いはずだ。
たぶん、手遅れに近いくらいに。
意識も、薄れていっているのに。
なのに、不思議と死ぬ気はしなかった。
多分、この男といるから。
きっと、次に目が覚める場所は。
あいかわらず、どこかで戦がある世界、だ。
1999.09.19