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 金の空に恋をして ■ 小さな太陽 Ver. Vivi

急に視界が暗転して、思わず強く瞼を閉じる。
ついで、鈍い衝撃。
「いたたたたた」
小さく呟きつつ、見上げてみれば。
先程まで覗き込んでいた大きな丸は、いまや小さな丸へと変じていた。
呆然と、小さく切り取られてしまった空を見上げる。
古い、誰も使っていない井戸。
水が枯れて、ほんのすこしだけ苔が残って。
誰も来ない場所だと、誰よりもビビ自身が知っている。だからこそ、ココに来たのだから。
でも、そうだとすると。
ここに落ちたことも、誰も気付いてくれない、ということになる。
「あ、あはは?」
少々洒落にならない状況と気付き、乾いた笑いが口から漏れる。
試しに、ぎっちりと積み上げられている壁にふれてみる。
しっとりとした苔が、ビビの手の届く範囲いっぱいに広がっていて、つるつると滑る。
間違いなく、自分の力で登るのは無理だ。
誰かが気付いてくれなくては、抜け出しようがない。
でも、ココは誰も気付かない場所だ。
二つの事実が、ぐるぐると頭の中を回って、ビビは呆然と小さな空を見上げる。

拗ねて飛び出したまでは良かったのだ。
どこにいようと、自分が叱られた意味に気付いて、誤りを正せれば問題ない。
が、何時間経っても戻ってこない、となると話は別だ。
いつもならば拗ねて姿を消しても、とうに戻っているはずなのに。
まだ、片手でも余る年齢の少女が姿を消した、となれば、誰もが心配して当然。
ましてや、大事な一粒種ともなれば。
呼び出されたチャカとペルの表情も、険しいものとなる。
イガラムが、難しい表情で続ける。
「ビビ様は、二人には特によく懐いているようだから、王や私が知らぬ心当たりもあろう」
チャカとペルは、大きく頷く。
確かに、コブラ王やイガラムよりは心当たりがあることは確かだ。
「すぐに、探して参ります」
「頼む」
頭を下げて背を向け、走り出す。
チャカは軽く眉を寄せて、なにかと一緒に並べられる友人へと視線をやる。
「さて、心当たりとは言っても」
「知っている場所は、皆、普通に帰ってこられる場所ばかりだ」
ペルの眉間に刻まれる皺が、深くなる。自分に懐いている小さな少女の安否がかなり気になっているのに違いない。
恐らくは、チャカと同じ結論に達して。
チャカが、答えを口にする。
「ということは、何らかのトラブルに巻き込まれてる、ということになる」
視線が、合う。
頷き合うと、チャカの背はぐんと丸まったようになり、次の瞬間には疾走し始める。
ペルの背がぐん、と広がったかと思うと、それは大きく空に羽ばたく。
ジャッカルと隼が、城の外へと飛び出していく。

諦めるわけにはいかない、とばかりに苔むした壁に爪を立てるが、滑るばかりだ。
こうなったら、この苔を剥がして這い上がるしかないだろう。
ビビの幼く小さな手が、必死でこびりつくようにしっかりと根を生やす苔をかきむしる。
が、小さな爪でかきとれるのは、ほんの少しだけ。
呆然と手のひらを見つめ、それから小さな丸い空を見上げる。
このまま、誰も気付いてくれなかったら、どうなるんだろう?
ふ、とそんなことを思い、じわり、と目尻に涙が浮かぶのを感じる。
うつむきかかった、その時。
かすかな音に、はっと顔を上げる。
一瞬、でも、確かに。
あの羽音は、間違いなく。
す、と大きく息を吸う。
「ペル!」
不気味なほどの、静寂。
空を飛ぶのだ。
ここからは、どこよりも遠い。
届かなかったろうか。
必死で見上げる、視線の先。
瞬間的に、闇に閉ざされる。
「?!」
鋭く風が切り裂かれる音。
そして。
「ビビ様?!」
丸く切り取られた空の光を受けて、それは黒い影になる。
でも、はっきりとわかる。
まっすぐに見下ろす視線と、はっきりと自分の名を呼ぶ声と。
「ペル!」
「ビビ様!」
ほんの微かにだけ、声が緩むのがわかる。が、背に光を受けた影からはすぐに質問が続く。
「ビビ様、おケガはありませんか?!」
「だいじょうぶ!こけがいっぱいなの!」
その言葉の持つ二重の意味に気付いたらしい。影は大きく頷く。
「わかりました!もう少しだけ、我慢していて下さいッ!」
ペルにしては、随分大きな声で返り、一度姿が消える。
多分、ほとんど時間は経っていないはずなのに、姿も声も聞こえないことに、無性に不安になってくる。
「ペル……?」
「どうなさいました?!」
ほんの小さな声に、すぐに反応が返る。
ほっとして、目尻にじんわりと涙が浮かんでくる。
「ペルぅ……」
「ビビ様?!いま、すぐに降りますから!」
滲んだ声をどうとったのか、酷く焦った声が上から降って、言葉どおりに影が井戸の中へと移動する。丸く小さく切り取られた陽に照らされて、はっきりとペルの姿が見える。
自分が握っている綱の具合と、下で泣いているビビを交互に見つめながら、慎重に、だが滑り降りるような速さで降りてくる。
小さかった姿は、もう目前だ。
「ビビ様、本当にケガはありませんか?」
涙の滲んだ顔を、心配そうに上から見下ろしてくる金の瞳。そう広くない井戸の底では、膝がつけないのに精一杯身をかがめてくれているのがわかる。
ビビは、自分の目尻に浮かんだ涙を拭く。
「うん、だいじょうぶ、ケガはしてないの」
が、半ば無意識にペルの服をしっかりと握り締める。
その手を、どこかひんやりとした手が握り返す。
ビビの小さな手を包み込むように。
その暖かさに、服を握り締める手の強さは、少し緩む。
にこり、とペルの顔に笑みが浮かぶ。
「上に上がりますが、俺にしがみついていられますね?」
ビビは、大きく頷く。
ペルも頷き返すと、背を向けて出来る限り身をかがめる。ビビは、思い切り飛びついて首にしがみ付く。
「いいですか?」
「うん!」
「では、行きますよ」
少しずつ、小さな丸い空が大きく広がっていく。
まるで、空に飛び立つように。

やっと地上に上がって、まっすぐにビビに向き直ったペルは、もう一度尋ねる。
「ケガは、ありませんか?」
「うん、だいじょうぶ」
ほ、とビビにもはっきりとわかるほどに息をついてから。
少し落ちた視線を上げた顔は、先ほどまでとはまるで違う。ビビの肩が、びくり、と震えるのにも関わらず、いつもよりも低い声で質問は発せられる。
「ビビ様、なぜ、こんなところにお一人でいらっしゃいました?」
「とうさまに、おこられたから」
「なぜ、怒られたのですか?」
ビビの視線が、落ちる。
「わたしが、いたずらしたから」
「イタズラしたことを、謝りましたか?」
小さく、首を横に振る。
「謝らずに、ここにお一人で来たのですか」
じわり、と眼にいっぱいの涙が浮かんでくる。
「……だって、だって、あそんでくれないんだもん。ずっとずっとひとりなんだもん」
うつむいてしまっているビビには、ペルの顔に酷く痛い表情が浮かんだのは見えない。
「ビビ様、言い訳は聞いておりません!」
ぴしり、と叩きつけるような声に、いっぱいの涙を浮かべたまま、弾かれるように顔を上げる。そこにはその細い眼をはっきりと吊り上げているペルがいる。
「ビビ様のお姿が見えなくなって、王もイガラムさんも、どれほどに心配してお探ししていると思っているのですか!しかも、理由がご自分のイタズラとは!」
「ごめんなさいッ!」
反射的に頭をさげる。
「おとうさまいそがしいのに、いたずらしてごめんなさい、みんなにしんぱいかけて、ごめんなさい」
「戻ったら、ちゃんとそう言えますね?」
「うん、ちゃんという」
「約束、出来ますね?」
「うん、やくそくする」
大粒の涙をこぼしながらしゃくり上げる小さな躰が、ふわり、と暖かくなる。
抱き締められたのだ、と気付いたのは、少し後だ。
「ペル……?」
「ご無事で、本当に良かった……」
その声は怒っているものではない。本当に、心から心配しているもの。
「ごめんなさい、ペル、しんぱいさせてごめんなさい」
涙は後から後から溢れてくる。ペルの服を、ぐしょぐしょにしてしまうまで泣いた。
そして、やっと泣き終えてから。
いつものペルが、優しく微笑んで覗き込む。
「では、お城に戻りましょうか」
こくり、と頷く。
もう一度、コブラ王とイガラムにお説教を喰らうだろうと思うと、少し緊張するが、ペルとも約束した。
「うん、ちゃんと、ごめんなさいっていうよ」
にこり、と笑みが浮かぶ。
「では、空から帰りましょうか?」
「え?!」
ペルは、イタズラっこの顔で笑う。
「いいですか?コブラ王とイガラムさんには、ナイショですよ?」
「うん、ないしょ!」
ぱあっと浮かんだ笑顔を、ペルは抱き上げる。
「しっかりと、捕まっていてくださいね」
「うんっ!」
そして、大きな空がぐんと近付いていく。

2004.05.01 Litte Sun 〜Ver. Vivi


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