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〜『Aqua』バレンタイン紀行〜 ■540年、ルシュテット編(変?)■
ルシュテット皇太子、フランツ・秀明・ホーエンツォレルンは、今日の公務を滞りなく終えて、小さくため息をつく。
年末から体調を崩している父皇王の名代として、全ての公務を見るようになって早や三ヶ月。 元々、皇王継承者としての教育を受けているし、いままでも名代を努めたことがないわけでもない。 ただ、ここまで父の病気が長引けば肉親として心配だ。 今日も、これから父親のところへ行くつもりだが、どうやら医者の見立てだと、かなり腰を据えてかからねばならないらしい。 さぞかし、父も歯痒い思いをしているだろう、と思う。 あの剛健な父が……とも思う。 おくびにも出すことは無かったし、病床のいまも愚痴のひとつもこぼさないが、長年の心労が重なったのだろう。 などと、考えている間があったら訪ねたほうが良いと思い直して、椅子をくるり、と回したところで、扉が開く。 顔を出したのは、同じ年の異母弟、カール・フェルディナント・ホーエンツォレルンだ。 ずっと一緒に育てられたせいか、異母弟という距離がない。兄弟というよりは、幼馴染の親友と言った方がいい関係だ。 お互いに相手を尊重しているし、立場も知っている。 そのカールが、軽く、首を傾げてみせる。 「仕事、終わったか?」 「ああ、こちらは片付いたよ、そちらは?」 「こちらも片付いた、ちょっと、いいか?」 頷いてみせると、カールは軽く周囲を見回してから、執務室へと入ってくる。 鍵が閉まる音をさせてから、カールは執務室の質実だが造りの凝った机へと寄りかかる。 「なんだ、秘するような相談でも?」 「まぁ、あまり周囲に聞かせぬ方が、まだいいであろうってことだな」 含みのある言い方をしながら、カールはどう切り出そうかと考えている模様だ。 が、上手い言葉が見つからなかったらしい。 「父上のことだが」 躊躇いつつも、はっきりと言う。 「昨日の診立てでは、かなり長引きそうとのことだったな」 「父上もお辛かろう」 頷いてみせてから、フランツが言ったのに、カールは少々困った顔になる。 言いたいことが、言いづらくなったような。 「父上のことで、なにか……?」 「フランツは、このまま名代として父上の本復を待つつもりなんだろうな?」 「無論だ、まだご隠居なされるお歳ではない」 「俺も、もちろん、そう思う。多少、病が長引こうが、復帰してくださる日を心待ちにしてる。国民もそうだ。この城にいる、近習たちのほとんども」 一気にそこまで言ったカールの眉が、どこか苦しげに寄せられる。 「だが、まだ諦めていない人間がいるんだ」 机に寄りかかっているカールと、椅子に腰掛けたままのフランツの視線が、合う。 つ、と視線を落としたのは、カールだ。 「……義母上か」 「俺がいかように説いても、どうにもわかって下さらない。なぜ、フランツほどルシュテット皇王に相応しい人間はいないとわからないのか」 搾り出すように言う言葉に嘘がないことは、フランツが一番良く知っている。 「やはり、実の子は可愛かろう、愛情の多い方なのだ」 フランツが、穏やかに言うのに、カールは首を横に振る。 「いや、ここまで来たら簒奪の陰謀と変わらん。しかも、本当に国を憂えてのことならまだしも……哀れなお方とは思うが……」 それから、まっすぐにフランツを見る。 「とんでもないことを口にするのは重々承知の上で、頼みたい。フランツ、これを機会に即位してはくれないか?」 フランツの目が、大きく見開かれる。 他の者が聞けば、不遜極まりないだろうが、カールが考えに考え抜いての発言だと、フランツにはわかる。 皇太子廃立ならば様々な策謀がありえるが、皇王廃位はそうはいかない。 例えば、誰の目にも明らかな虐逆癖ある、とかでなければ、不可能だ。ただ暗愚なだけであるならば、周囲の臣の真価が試されるといわれるだけで。 譲位を言い出せば、父が傷つくのはわかっている。だが、長期に渡る名代での統治の不安を説けば、納得させることは出来るだろう。 母が、どうしても諦めぬのならば、その芽を摘むしかない。 本当の謀反者になる前に。 だが、そうそう簡単に判断出来ることではない。 返事が出来ぬまま黙り込んでいると、カールは言葉を重ねる。 「いまでこそ母は皇后ということになっているが、それは仮のこと。側室なのだから、皇太后になることは出来ない……ご隠居なさるしか、ない」 ルシュテット皇王、フリードリヒの正妻は亡くなったフランツの母、桜だ。 リスティア遊学中に出会い、恋に落ちて皇妃に迎えられた彼女は、国民誰にも慕われた。彼女が存命ならば皇太后となるが、側室はなれない。 隠居ということは、王城を去ることを意味している。 もう二度と、不遜なことは画策出来なくなる。 「……いますぐに、承知した、とは言えない」 さすがに、考える時間が必要だ。 が、時間はそう多くとるわけにはいかない。 「明日には、決める」 こくり、とカールは頷くと、執務室を後にする。 扉が閉まるのを確認して、机へと向き直る。 「…………」 考える時間とは言っても、決意を固める時間と言った方がいいと、フランツは知っている。 義母のことを父に告げれば、間違いなく譲位の決意を固めるだろうから。 ずっと、皇王になるべく育てられてきた。 いつかは、父が座る場所に座るのだと教えられてきた。 常に、皇王となる覚悟をせよと。 今回、父が倒れたときにも、頭をよぎらなかったわけではない。 それでも、どこかに躊躇う自分がいる。 迷いがあるまま即位するのは、国民に対して礼を失する。 だから、迷いがなんなのか見極めて、取り除く必要がある。 フランツは、静かに瞼を閉じる。 そして、三月も後半に入ろうという頃。 離宮の食卓には、ソーセージやらザワークラフトやらマッシュポテトやら、パンやら、ルシュテットらしい食事が並んでいる。 「よっしゃ、いっちょ上がりっと」 皇子らしからぬ言葉と共に、カールが自分の手にしているフライパンのソーセージを皿へと移す。 冷蔵庫を覗き込んでいるのはフランツだ。 「フランツ、早くビール出せよ」 フランツは困惑気味の顔を、カールへと向ける。 「いやさ、どっちから行こうかなぁ、と」 どうやら、冷蔵庫にはイロイロな種類のが詰まっているらしい。中から二つ手にして、見せている。 ビールが名物のルシュテットには、それは多くの種類のビールがあるのだ。 「んー、俺の気分的に右」 「了解」 休暇で離宮で行くときには、自分で生活すること。 それが、桜皇妃が二人に徹底して教え込んだことだ。 なにもかもを人にしてもらうことが、当たり前と思わぬこと。 己の政治下で生活している人々が、どんな暮らしをしているのかを経験しておくこと。 二人は、桜の手料理の味を知っているし、いま、こうして作っているモノも嫁入りしてきた桜が覚えて教えてくれたものばかりだ。 狩に出たフリードリヒから、野性味あふれる煮込み料理を振舞われたこともある。 離宮の食卓は、二人にとっては温かみを持っている大事な場所でもある。 フランツがジョッキにビールを注いで、向かい合って腰を下ろして。 「じゃあ、乾杯」 「乾杯」 二人で、きれいな泡が見事なジョッキを合わせる。 ぐぐっとやって、カールもフランツも、思わず、くーっなどと口走っている。 やはり、休日はビールがいい。 「あ、そうだ、忘れないうちに」 カールが、自分のポケットから長細い封筒を取り出す。 「明日、朝の便だ」 「ありがとう」 リスティアへと、向う飛行機のチケットを、フランツはポケットへとしまいこむ。 皇王即位に対して、ヒトツだけフランツが出した条件がある。 それが、リスティア行きだ。 母の生まれ故郷を自分の足で歩いてみたい、というフランツにしては珍しい強気の願いに、すぐにカールが協力を誓った。 それを見て、フリードリヒも、兄弟二人で協力するのなら、と承知した。 もちろん公式訪問ではなく、微行だ。そうでなければ、自分の足で歩き回ることなど出来ない。 ということは、当然、皇后には極秘でもある。 水も漏らさぬ体制できているし、このまま公式にフリードリヒ譲位の発表がなされたなら、実質、もう手出しは出来ない。 ようは、ここが肝なわけだ。 詳細を知っているのは、フランツとカールだけという念の入れ様になっている。 「留守中のこと、頼む」 頭を下げるフランツを、まっすぐにカールは見つめる。手にしていたナイフとフォークを置くと、手を胸にあてる。 「なにがあろうと、守りきってみせる。この通り、『約』するよ」 こくり、とフランツは頷き、それから微笑む。 お前たち二人が、互いがいて良かったと思えるように。 父が、何度も口にし続けていることだ。 分け隔て無く、だが、一人は皇太子として、一人はその補佐をするように。 それぞれの職分を果たしてなおかつ、誰よりも信頼出来る相手となるように。 少なくとも、それだけはなによりも上手く行っているのではないだろうか。 「しかし、フランツはよくよくリスティアに縁があるのだな」 ソーセージを頬張りながら、カールが一人、納得したように頷きながら言う。 「よくよく?確かに、母の故郷ではあるが……?」 首を傾げるフランツに、カールはナイフを置いてから、指を振ってみせる。 「よく言うよ、プリンツェッスィン麗花がいるじゃないか」 フランツは、飲みかかっていたビールを吹きそうになって、慌てて顔を離す。 「な?」 「いやさ、フランツがアルシナド行きを言い出してから、考えていたんだけどな、滅多にワガママを言わないけど、言う時って一貫してるってのを思い出してさ」 「どういう意味だ?」 「だからさ、フランツが自分の個人的な感情を、絶対に押し通すって決めてかかってる時って、間違いなくプリンツェッスィン麗花が絡んでるってこと」 ぽかん、と口が開いたところをみると、どうやら当人には全く自覚がないらしい。 思わず、笑いそうになるのをこらえながら、カールは付け加える。 「朔哉殿が笑いながらおっしゃっていたよ、『可と答えなければ、斬るって目付きで言われたら、そう言うしかない』って」 「……なんのことやら?」 あまり、とぼけるのには向いていないらしい。口調が、こわばっている。 「プロポーズの許可、もらってあるだろう?」 どうやら、誤魔化しても無駄らしいと悟ったようだ。 「まぁな」 ぼそり、とだが、認める返事を返す。 アファルイオ王室とは、親密な関係だ。両国とも、王が絶対的な権力を持つあたりで、話が合うこともあるが、麗花たちの父、文哉とフリードリヒは、学友でもあるのだ。 そのせいで、幼い頃から、頻繁な行き来があった。 そして、かなり幼い頃に、フランツは麗花に『約』している。 「プリンツェッスィン麗花、なにがあろうと僕が守ると『約』します」 その言葉通りに、ずっと影から守ってはきた。麗花が、リスティアへと脱出するまでは。 さすがに、リスティア国内までは、手出しが出来ない。だいたい、首都アルシナドにいるであろうことまでしか、足跡の予測すらついていない。 それでも、なにがあっても自分の手で守りたい、という気持ちに変化は無い。 皇王となれば、絶対に周囲は皇妃のことを言い出すだろう。 フランツが皇妃にと、心に決めているのはたった一人だ。 ただ、麗花にその意思がないのならば、国民を安心させる為にも、他に皇妃にふさわしい人間を探さなくてはならなくなる。 即位するまでに、そのことを確認したい、というのが、実のところ本音であった。 麗花の兄である朔哉には、許可をもらっている。だが、当人には、まだ皇妃へと迎えたい意思は伝えていない。 もちろん、アルシナドに滞在できるのは長くて二日というのがいいところだろうし、その間に麗花が見つかる保障など、どこにもない。 父が、あれほどまでに愛し、そして自分も尊敬してやまない母が育った場所は、いまは、麗花が生活している場所でもある。 祭主公主の一件が片付いた後も、彼女がアファルイオへ帰国する様子は無い。 どんな場所であるのか、自分の目で、見て回ってみたい。 「アルシナドというのは、よほど魅力ある場所なんだろうな」 カールの声に、フランツは我に返る。 「そうだな、旧文明産物が最も残る場所でもあるし、独特の空気があるのかもしれない」 頷いて、そう言ってから、言葉を継ぐ。 「先日の国際会議の後のレセプションで、天宮総司令官とお話させていただく機会に恵まれたんだが、他の国家首脳とは一線を隔すると感じたな」 「やったな!で、どういう風に違うんだ?」 フランツが、常々、一度、リスティア総司令官、天宮健太郎とじっくりと話をしてみたい、と言っていたのをカールも知っているので、身を乗り出す。 「自国家のみならず、『Aqua』という星自体のことが、常に視野に入っているという印象を受けたんだ、『Aqua』の中枢機関のほとんどを首都に持っているという土壌もあるのかもしれないな」 カールも、大きく頷いてみせる。 「天宮総司令官の采配は学ぶところが多いと、俺も思う」 「言葉に無駄は無いが、必要なことはそれに込められているという点も、見習うべきと思った」 「なるほど……」 感じるところがあったのだろう、カールは、無言になってパンをちぎっている。 フランツも、ビールをおかわりしながら考える。 自分も、大国と言われる国を背負って立つ身だ。ただ、己の国のことだけに囚われるような視界の狭い人間にはなりなくない。 などと、いたって真面目に考えていると、またもカールの言葉に思考を破られる。 「それはそうと、場所的な魅力だけなら、いいけどなぁ」 「と、いうと?」 「いやその、父上もリスティアで義母君と出会われたわけだろう?」 そこまで言われれば、カールが言いたい意味はわかる。 が、どう返していいかもわからずに、カールを見つめる。 「いやな、俺も先日、フランツがどうしても出なければならない会議と被ったのに、代理で出席したろう?あの時にリマルト公国のタウンゼント家当主と話してな」 「ああ、あの国の復興具合は目を見張るものがあるな、そのあたりは伺えたのか?」 なぜか、こくり、とカールは頷いてみせる。 その顔には、妙な表情を浮かべて。 「どうしたんだ?」 「な、フランツは、リマルト公国の名物と言えば、なんだと思う?ルシュテットで言うところのビールやらソーセージやらってことなわけだけど」 「食べ物ってことか?それなら、チョコレートだろうな。あの繊細なショコラティエの細工は、他国ではそうそう真似出来まい」 「でな、リスティアでは、そのチョコレートを贈る習慣があるんだと」 いきなり話が、リマルト公国からリスティアへと飛んだので、面食らう。が、チョコレートで繋がっていることに、気付く。 「もしかして?」 「そう、リスティアのイベント、バレンタインとか言うらしいんだが、それが二月にあってな、それに向けて、いろいろとキャンペーンやったりして、これが大きな収入になるのだそうだ」 リマルト公国の三大公家のヒトツ、タウンゼント家は経済を一手に引き受けている。おそらく、リスティア向け一大イベントもライア・タウンゼントの発案なのだろう。 会議が三月に入ったばかりであったこともあって、タウンゼント家当主はそれを思い出したのに違いない。 「なるほどな、首都の復興もほぼ済んだのだろう?」 「ああ、まだ、地方の復興もあるし、戦災で一家の主を失った家の保障等もしなくてはならぬし、とんとんといったところなのだろうが、まず、安心していい台所事情にはなったようだ」 「それは良かった」 隣国だし、公用語が近いこともあり、アファルイオとはまた違う親近感のある国だ。それが、順調に復興と言われれば、素直に嬉しい。 「この、バレンタインな、ついでにリマルト公国でもやってみたら、ものすごく盛り上がるんだそうだよ」 「そうなのか、元々リマルト公国は祭り好きな民族性だが……にしても、あっという間に自分たちのモノにしてしまうのはさすがだな」 素直に感心しているフランツに、カールはどう話をしていいものやら、と首を傾げる。 「どういう祭りか、気にならないか?」 「チョコレートを贈るんだろう?たしか、リスティアにはお中元とかお歳暮とか、礼をあらわす習慣がなかったか?」 と言ってから、はた、とする。 「あ、でもチョコレート限定なのか、変わった行事だな」 「ん、製菓業界の画策もあったみたいだけどな、女の子が想う相手にチョコレートを贈る日なんだそうだ」 「想う相手に……」 「そうだよ、我が国でもそうだが、リスティアでもやはり、女の子から想いを伝えるのは勇気がいるそうで、チョコレートにことよせて告白するんだそうだ。ま、礼の習慣のある国のことだから、挨拶代わりのチョコレートもあるらしいけどな」 フランツにもだいたいは飲み込める。自分だけではないと思えば、告白の勇気も沸いてこようというものだ。 「でな、三月にはホワイトデーというのがあって、これはバレンタインにもらったお返しをする習慣があるそうだ。裏技として、挨拶代わりでもらったモノに本命返しというのもありとか」 そこまできて、やっと、フランツが、ぴく、とする。 バレンタインに女の子が告白するまではいい。麗花が他に決めた相手が出来た、というのならば、己の力不足にほかならない。 それに、麗花ならそんな行事に頼ることなく、想った相手にはぴしりと伝える気がする。 ま、それはこの際置いておくとしてだ、挨拶代わりということは、嫌われてはいないと判断していいだろう。 だが、本命返しとは。 「プリンツェッスィン麗花は、誰にでも明るく振舞えるっていう天性の性格だろう?惹かれる人間は、多いと思うんだ」 「プリンツェッスィンに、手出しをしている人間がいる、と?」 「そうは言ってないって、ただな、どうして帰国しないのか、気にならないか?」 「……それは、確かにそうだが」 実のところ、フランツなりに考えている理由が無いわけではない。カールが言うような可能性も、否定していたわけでもないし、全く念頭になかったわけでもない。 が、カールにまで言われてしまうと、嫌でも気になる。 「…………」 なにやら無言になって、ソーセージを口へと運んでいる。 「まぁ、先ずはプリンツェッスィン麗花に会えるかどうか、だけどな」 と、カールが言っているのも耳に入っているやらいないやら。 フランツがリスティア首都、アルシナドへと旅立つのは、明日の朝である。 どんな出来事が待っているのか、まだ、二人とも知らない。 〜fin. 2003.02.23 A Midsummer Night's Labyrinth 〜St. Valentine Day in Ruschtish Empire〜
■ postscript
フランツ、アルシナド行き前夜。カールがあおってるようにしか見えません。 □ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □ |