『 最後の彼女の 』 ルシュテット王宮、ターフェアツ城の廊下を大股に歩いていく彼の名はカール。 かつて、祖父が皇帝であった時、片時も離れず支え続けた大叔父の名をもらったのだ。 その名に相応しい、立派な人格を持った人間となるように、と。 いま、彼の立場は皇太子。 毎日の朝の日課で、祖母に今日一日の王宮の予定を告げに行くところだ。 いつも通りに、扉をノックする。 「カールです。よろしいですか?」 ややしばしの間の後。 「お入りなさい」 いつもよりも、間があった、と思いながら、カールは扉を開ける。 「お早うございます」 「お早うございます、今日もいい朝ね」 実年齢とはかけはなれた若さの祖母が、振り返ってにこり、と笑う。それなりに、年を経た顔ではあるけれど。 「今日の予定ですが……」 いつも通りに、言いさしたカールに向かい、彼女は指を一本、立ててみせる。 静かに、の合図だ。 「……?」 実のところ、晩に今日の予定は一通り伝えている。繰り返す必要はないのだ。でも、朝、彼女は聞きたい、と言う。 一日を、はっきりと始める為に。 側にいるだけで元気をくれる祖母に、朝会うのは好きだ。 だから、無意味な報告であると知りながら、カールは朝参をやめない。 祖母も、朝の習慣を止めようとはしない。 立てた指を下ろしてから、祖母は口元に浮かべた笑みを、イタズラっぽいものへと変える。 「今日は、あなたにお願いがあります」 祖母が願う、ということは珍しい。 自分に対してのことならば、「お婆さま」とは呼んでくれるな、と言った時以来だろう。 老け込む気がするから、という理由で、名を呼んでくれ、と言った。 いつまでも、キレイでいたいのよ。 鮮やかに笑う祖母が、眩しいくらいだったのを、よく覚えている。 「私に、出来ることでしたら」 「簡単なことよ、私が死んだら、棺にこれを入れて頂戴」 すい、と何気なく、白い封筒を渡される。 封は、されてはいないようだ。 が、受け取ることが出来ぬまま、それを見つめる。 大叔父と祖父が亡くなり、もう随分になる。が、彼女は一度も、己の死について口にしたことはなかった。 口癖は、血反吐吐いても、這いずってでも生き延びるのよ。 そう言って、笑うばかりで。 カールの表情の変化に、彼女はイタズラっぽい笑みを、大きくする。 「いくら私でも、不死身ってことはないのよね。死んでからではお願いできないから、預かっといて欲しいの。あなたなら、誰にも知られずに入れてくれるわね?」 顔を上げ、祖母を見つめる。 「誰にも知られず、ですか」 「そうよ、誰にも見つかってはダメよ」 再び、封筒へと視線を落とす。 何が、入っているのだろう? 誰にも秘密、とは。 そんな心の動きを読んだように、祖母は付け加える。 「なにが入っているのか、誰にも言わないと『約』するなら、あなただけは、見てもいいわ」 「でも……私にも、秘密ではないのですか?」 誰にも秘するはずのモノなのだから。 「この封筒を預けた時点で、あなたは私に秘密があると知っているわけだし、労力を費やす分はなんらかの優遇があってもいいわ。そう、それから、あなたが選んだたった一人ね」 祖母が、言うなら、それが正しいのだろう。 そういう祖母だ。 カールは祖母の手から、封筒を受け取る。 「わかりました、これは預からせていただきます。必ず、誰にも知られず入れると『約』します」 ぴし、と胸元に手を当てて宣言する。 「そして、この中のことは、私と、もしいるならば私の選んだたった一人の胸のうちに秘める、ということも『約』します」 深く頷いてから、鮮やかに微笑む。 「ありがとう」 それから、小さな吐息を、ヒトツ吐く。 「今日は、陛下と城下に出る予定があったわね、行きなさい」 「はい、失礼いたします」 カールの言葉が終わるのを待たず、祖母は窓の外へと視線をやる。 「初めて、夢に見たなぁ」 ぽつり、と漏れたぞんざいな言葉遣いは、リスティア語だ。 『Aqua』の中枢を網羅しているリスティアは、特別な国だ。経済的にも中心を担っていることもあるし、語学に堪能な祖母が、流暢に話すのも不思議は全くない。 ただ、リスティア語を口にした後は、大抵、祖母らしくなく口をつぐんで黙りこくってしまうのだ。考えに、沈んでしまうかのように。 そういう時には、一人になりたいのだと知っている。 祖父がそうしていた記憶がある。 そっと、扉を閉める。 翌朝、部屋を出るよりも早く、その知らせは届く。 にわかには、信じられなかった。 昨日、感傷的なことは口にしたとはいえ、それ以外は、なにもいつもと変わらなかったのに。 祖母はあくまで祖母らしく、誰になにも言うこともなく、誰の手をわずらわせるわけでもなく、眠るように逝ってしまった。 それからは、慌しい。 皇太后という立場の人間が亡くなれば、それ相応に付随するなんとやらが山ほどある。 当然、皇太子たるカールも、東奔西走ということになるわけで。 だが、祖母を棺に納める、と決まった時に、隙を見て部屋へと戻る。 『約』通りに、託された封筒を収めなくてはなるまい。 まさか、昨日の今日で、とは思わなかったが。 手にして、他人に見えぬように上着の内ポケットに入れようとして。 ふ、と、その手を止める。 祖母は、他人に漏らさぬのならば、自分だけは見てもいい、と言った。 手早く、ふたを持ち上げる。 入っていたのは、色鮮やかな写真だ。 幼い子供が、とてつもなく大きな雪だるまの前に、六人。 その中に、アファルイオ王家独特の髪と瞳をした少女がいる。真っ赤なコートがらしい気がして微笑んでしまう。 幼い祖母だ。 周囲にいるのは、一人はプリラード系、あとはリスティア系のようだ。 おそらく、公式訪問でもした時に、同じ年頃の子供と遊んだのだろう。きっと、祖母にとってはよほど楽しい思い出だったのに違いない。 知らず、口元の笑みが大きくなる。 こんなかわいらしい思い出を大事にしておく祖母が、かわいらしく思えて。 どうやら、写真は、もう一枚あるようだ。 カールは、さ、とめくる。 そして、大きく目を見開く。 そこには、やはり、六人いる。 が、年の頃は、きっと二十歳前後だ。 皆、そのくらい。 祖母以外は、一人はプリラード系で、あとはリスティア系で。 慌てて、子供の写真に戻る。 もう一度、二十歳代の写真。 間違いない、二枚の写真に写っているのは、同一人物だ。 感覚が、彼らは公式訪問で会っただけの人間たちではない、と告げる。 身近に知っている関係で言うなら、祖父と大叔父。 ともかく、そういう、特別で大事な…… はっと思い当たる。 そうだ、夢に見たのは、きっと彼らだ。 多分、彼らはもう、先立っている。 だから、祖母は、これを自分に預けたのだ。 なるほど、穏やかな顔であったわけだ。誰よりも大事な、友人たちが迎えに来てくれたのならば。 なぜ、祖母にこんな友人が出来たのかは、わからない。 問うな、というからには、いろいろな事情があるのだろう。 でも、そんなことを、詮索したって仕方ないことだ。 祖母が、これを見ていい、と言った理由は。 きっと、ほんの少し、自慢したかったのだろう。 私には、こんなステキな友人がいるのよ。 それから。 カールは、そっと写真を封筒に収める。 確かに、祖父の写真ではなく、これでは見つかればウルサイことになるに違いない。 でも、祖母は一緒に、持って行きたかったのだ。 きっと、あの世でこの写真を見せながら訪ね歩くことになったとしても、会いたい彼らだから。 「皇太子殿下、皇帝陛下がお待ちですが?」 扉の向こうから、平静を保っているようで微かに心配そうな声がする。 リスティア留学中に学府で同じく留学していたのと出会い、意気投合してルシュテットまで呼び寄せた、カーティスだ。 曾祖母がリスティア出身、祖母がアファルイオ出身であったこともあり、王宮で側近くに仕えるのがプリラード人であっても、そう大きな抵抗はなかった。 いまは、自分が担当する政務の良き相談相手となってくれている。 「ああ、今行く」 行く、と言ったのに、姿を現さないので、カーティスは扉をそっと開ける。 「大丈夫か?」 毎朝呼び寄せるほどにかわいがってくれていた祖母が亡くなったので、ショックが大きいのか、と気遣ってくれているのだろう。 「大丈夫だよ、それよりも、ちょっと」 と手招きをする。それだけで、どんなニュアンスで呼んでいるのかを察して、カーティスは扉を閉めた後、鍵を落とす。 祖母は、たった一人なら、と言った。 多分、彼とわかっていて、言っていたのだ。 「祖母から、棺に入れてくれと頼まれたモノなんだ。中身は、俺と君の胸の内にしまう、と『約』してある」 少し目を見開いてから、カーティスはカールが差し出した写真へと視線を落とす。 「ほう、これは皇太后陛下のお若い頃だね、こちらは、お若いと言うよりかわいらしい、と申し上げた方がよろしそうだが……」 言いながら、見開いた目が、さらに大きくなる。 「これは……同じ六人が、写ってるんだな」 「そうなんだ、で、どう思う?」 カーティスは、少し戸惑った顔つきで、カールへと視線をやる。 「どうって……」 もう一度、写真に目を落とす。そして、小さく、ああ、と呟く。 次に顔を上げた時、カーティスは笑顔になっている。 「カール、もう一人に僕を選んでくれて、ありがとう」 もう一人を、自分で指定したことはカーティスには告げていない。でも、わかってくれる。 カールも、笑みを浮かべる。 先に笑みを収めたのは、カーティスだ。 「さて、これ以上は時間はロス出来ないぞ。これを棺に紛れ込ませなくては『約』を果たせないだろう?」 「ああ、急ごう」 封筒に丁寧におさめ、上着の内ポケットへと忍び込ませる。 そして、二人の影は、扉の向こうへと消える。 2003.11.15 A Midsummer Night's Labyrinth 〜Last Her Wish〜 |