『 秘書V.S.教師? 』
健太郎は、軽く片眉を上げる。 「父親参観?」 「そう、父親参観です」 仕事の予定を伝える時となんら変わり無い声で梶原が繰り返す。 「ふうん?」 ほとんどそれとはわからぬほどに健太郎は首を傾げる。 「再来週の日曜の予定、変更入れますか」 確認したのはカタチの上で、というヤツだ。スクールに通ってる方の息子は縁が切れたことになっている。 もっとも、その息子の様子を伝える為に告げたわけでは無い。『Aqua』で最も忙しい男の秘書をこなそうと思ったら、ささやかだろうと無駄をしている間などない。 「速瀬くんのところも来ないだろうね」 健太郎の確認に、梶原は微苦笑でこたえる。 天宮家を狙った誘拐事件に巻き込んでしまって以来、同じことが起こらぬよう、何気無くではあるが見守っているのだ。そのことは、忍も承知している。 それにそうとて、どんな条件で結婚したものやら、忍がスクールに入った時点で役目は終わったとばかりに母親は他に男をつくってしまった。当然、夫婦仲は零下以下だ。 どちらも、子供を振り返る余裕は無いだろう。 「再来週の日曜の予定は、なんだ?」 「ランチパーティーです」 いくらか傾けていた首を元に戻してから、健太郎はいつも通りの表情で言ってのける。 「それは、お断りしてくれ」 「了解しました亅 小型端末型の手帳に、なにやら書き付けてから顔を上げると、にやり、と笑っているのと目が合う。 「梶原には、一仕事してもらいたい」 「なんでしょう?」 天宮健太郎という人間が口にすることに、そうそうムダはない。自分が休日と決め込んでおきながら他人に仕事を振る時は特に、だ。 が、この流れからして、予測出来るのは。 「その父親参観に行って来てくれ」 「構いませんが……?」 腑に落ちていない顔つきの梶原に、健太郎の笑みが大きくなる。 「べつに全部参加して来いというわけじゃない。ちらと覗けば、忍くんは気付くだろ。最近はだいぶ仲もいいようだし、悪い気分でもないだろうよ」 「なるほど」 ついでに、もう一人チェックして来れば、健太郎も悪い気分ではないだろう。が、それは口に出さずに置く。 「それから、榊にも休みを出すつもりだ」 「はぁ」 せっかく納得しかかったところで、またも読めないことを言われて、梶原は、珍しく腑抜けた返事を返す。 「孫がスクールにいるから。息子の頃から一度も行ったことがないんでね」 さらり、と言ってのけて、モニタへと向き直る。 「梶原がいるとなれば、誤魔化せないと諦めるだろ」 ふ、と梶原の口元に無意識に笑みが浮かぶ。 「わかりました」 軽く頭を下げて、出ようとしたところで、健太郎の声が追いかけてくる。 「全部いなくていいと言ったが、むしろ早めに退散した方がいいだろうな」 なぜ、と問い返したい気はしたが、すでに健太郎は次の仕事へと移っている。行けばわかることだろう、と納得して、梶原も仕事へと戻る。 さて、当日だ。 梶原は、榊が相変わらずの読めない表情ながらも孫の授業参観に訪れているのを確認してから、己が見守ることを引き受けている忍のいる教室へと向かう。 どうやら、健太郎の子息も同じクラスらしいし、健太郎の言っていた通り、さらりと様子をうかがってこればいいだろう。 などと考えつつ、解放されている教室の後ろ扉からそっと顔を出す。 そう大げさな気配はなかったろうに、忍がちらり、と振り返る。 瞬間だったけれど、視線が合った時に笑みを返す。 なにやら、教師が出した課題にあわせて、なにかノートにそれぞれが書きつけているところらしい。なにを書いているか確認するように、教師が軽い足取りで歩いてくる。 教室の後ろにいっぱいになっている父親を避けるように梶原の方へと避けた瞬間。 「伝言してくれ、二人共、倉橋が引き受けたら心配するな、と」 思わず眼を見開くが、ほんのかすかな笑みを浮かべたまま、倉橋と名乗った教師はさばさばとした足取りで黒板の前へと戻ってしまう。 「さーて、そろそろいいだろう。書いたモノ、発表してもらうぞ」 なるほど、健太郎が言っていた「早く退散した方がいい」の正体は、この教師か、と覚る。 しかし、だ。 こんなに早く鮮やかにやられたら、手の打ちようがないではないか。 珍しく微妙な敗北感を感じつつ、忍と俊が指されるのを見届けてから、教室を後にする。 翌日、伝言を聞いた健太郎は苦笑を浮かべる。 「おやおや、しおりんは会わない内にずいぶんと、また」 「しおりん?」 健太郎が縁切り状態とはいえ、息子の担任を知っているのは驚くにはあたらない。だが、その呼び名はなんなんだ。 梶原の声色で、言いたいことはわかったのだろう、健太郎の笑みは苦笑から明るいモノへと変わる。 「倉橋栞だから、しおりんだよ。梶原も学生の頃は教師になにかとあだ名つけてたろうが」 「そりゃそうですが」 だが、どんなに幼くなろうと健太郎の口からしおりん、というのはどうなんだろうか。 「ま、彼女が引き受けたと言うのだから、安心だな」 一人納得してしまい、健太郎はとっとと仕事に戻ってしまう。 それで我に返った梶原も、軽く挨拶をして総帥室を後にする。 なんだかよくわからないが、倉橋という教師にだけは、なんとなく完敗した気がする。 なぜ、と問われても困るのだが。 「しおりん、ねぇ」 低く呟いて、梶原は歩き出す。 2005.01.18 A Midsummer Night's Labyrinth 〜the secretary V.S. the teacher〜 |