茜の砂蝶 |
旅人が歩いている。 その左手に下げているモノを、先ほどから睨みつけるようにして見つめている彼女が、一人。 少女と女の間、その表現が、ぴたりとくるだろう。 彼女は、ぶっきらぼうに口を開く。 「そのカゴの中には、なにが入る?」 形は鳥かごにそっくりだが、その柵の間隔はひどく広い。 小鳥だけではなく、たいがいの動物は逃げ出すことができるだろう。 「君は、なにが入ると思うのかな?」 旅人は足を止め、そして、やわらかに微笑む。 姿が、声が、彼を異質の者だと告げている。 それでいて、尋ねずにはおられなかったのだ。 彼女は、きゅ、と唇を噛み締める。 旅人はきっと、彼女が気付いているということに、気付いている。 彼女は、挑むように言い返す。 「私が訊いたの、答えてもらわなきゃ」 旅人は、静かに目線を彼女へと合わせる。 「君の望むモノを、なんでも」 「私の望むモノが、そこへ入るものか」 噛み付くように、彼女は言い捨てる。 旅人は、高くも低くもない、それでいて音楽のような響きの声で言う。 「例えば、届かぬ相手の想い、やり直したい時の流れ、君にそういうモノがあるのかい?」 初めて、彼女の瞳が、ぎくり、と揺れる。 知っている。 この異質な者が、己の望みを叶えることが出来ることは。 賢い彼女は、知っている。 己の望みを、ただ叶えるだけの存在など、ありはしないことを。 「なにを、引き換えに?」 くすり、と旅人は笑ってから、答えを返す。 「君の持つ、イチバン綺麗なモノをヒトツ」 人の力をもってして叶わぬ願いを通すには、それ相応の対価が必要だ。 旅人の口にしたそれは、正しいと彼女は思う。 己が望むことを、叶えるのならば。 「私の持つ、イチバン綺麗なモノはなに?」 「常に賢くあろうとする、その心」 ふ、と彼女の顔が歪む。 「……そうか、賢くあれればいいと、望みつづけていたが」 半ば、独り言のように呟く。 しばしの沈黙の後。 「やはり、愚かになりさがるしか出来ないか」 す、と視線を上げる。 「この、夕日に染まる砂の色の、蝶にしてくれ」 「君を?」 「そうだ、そして、この砂を忘れ去ったあの人の元へ、届けてくれ」 迷いの無い、ますぐの視線が旅人を見つめる。 「一瞬でいい、この砂を思い出してくれるように」 旅人の笑みが、少し、大きくなる。 「では、カゴに君が変じた蝶を」 言ったなり、ごう、と風が吹く。 砂が舞い、そしてまた、視界が開けた時には、誰もいない。 ただ、カゴの中には、燃えるように砂の大地を染める、夕日を映したかのような茜の蝶。 「ほら、捕らえたよ」 旅人の声に応えるかのように、蝶ははためく。 「では、約束どおり、あの人の元へ送ろう」 旅人は、ゆっくりとカゴの中に手を差し入れる。 そっと羽をつまみ、手を引き抜く。 キラキラと夕日に煌いたあと、蝶は熔けるように消える。 旅人は、歩き始める。 しばらく、歩いた頃に。 ふわり、と肩に空に溶けそうなくらいに青い鳥が舞い降りる。 その羽といい、翼といい、美しいという表現が相応しいが、その足にある爪は細くはあるが鋭い。 鋭利な刃物のように。 旅人は、にこり、と笑む。 「お疲れサマ」 右手をかざし、なにかを掴みとって、また開く。 どこか鋭い光を帯びた、手の平の上のそれを青い鳥はついばむ。 「己の想いのために、賢さを捨てたか」 「砂を忘れた男に、砂を思い出させることが望みだったのだと」 「ほう、あの蝶は届いたのかな」 「届けたよ、それが望みだったからね」 鳥は翼を大きく広げる。 「男は砂を、思い出したかな」 「さて、それは男次第だね」 空に舞い上がった鳥を見上げ、旅人は肩をすくめてみせる。 「次は、どんな依頼人がくるやら」 鳥は羽ばたき、また、旅人は歩き出す。 2003.02.03 A stranger with a cage 〜A madder sand butterfly〜 |