地を見下ろしていた牡羊座守護司、乳白(ルーハイ)が顔を上げる。
響いてきた旋律に、驚いた顔つきになっている。
「『草原で揺れる花』だ……随分と、久しぶりだな」
「そりゃ、リクエストしたヤツがいるんだろ」
正装をといてきた牡牛座守護司、紅狐(ホンフー)が隣に腰を下ろしながら言う。
乳白は、眼を丸くする。
「え?誰??」
「……さてな」
紅狐は、面倒くさそうに肩をすくめる。
乳白は頬を膨らませた。
「ずるいよ紅狐、わかってるんでしょう?」
「お前がわからないのが不思議だよ」
「ええー、すぐわかるんだ?ええと……?」
真剣な顔つきで考え込み始めてしまう。紅狐は苦笑を浮かべながら、地を見下ろす。
この曲を捧げられてい相手は、いったいどこにいるのやら、と思いながら。
双頭の鳥になるべく、鏡の前に向かっていた双子座守護司、紅蓮(ホンリョン)が首を傾げる。
「聞いたこと無い曲」
「ホントだ、新しいのかな」
青蓮(チンリョン)も頷いて、首を傾げる。
「わかんない、でも、なんか不思議な感じだね」
「うん、空気が溶ける感じだね」
どちらからともなく、顔を見合わせる。
「んじゃ、なんかイイことあるかな」
「そうかも」
にんまり、と笑いあう。
「よし、行こう」
「うん」
二人は手を繋ぐと、鏡を覗き込む。
浜辺に腰を下ろしている蟹座守護司、橘橙(チューチョン)は、海に向けていた視線を天へと移す。
「へぇ……久しぶりだな」
海が、さわさわとさざめく。
橘橙は、笑みを浮かべて海へと視線を戻す。
「この曲はね、花白(ホンパイ)の曲なのさ」
言ってから、もう一度、天を見上げる。
「やるじゃないか」
自分にはわからない呟きに、海はちょっと波しぶきを上げる。
降り立った瞬間の乙女座守護司、玖瑰(クンメイ)の顔つきを見て、今日もケンカを売られると思ったのだろう、射手座守護司、湖緑(フーリュー)は一度に三本の矢を手にした。
が、戦が始まろうとした瞬間、耳に届いた旋律に、二人ともが天を見上げる。
どちらからともなく、顔を見合わせる。
先に微笑んだのは、玖瑰の方だ。見た者は惹かれずにはいられないと言われる、妖艶な笑みが浮かんでいる。
その綺麗な口元が、微かに動いた。
声は届かないが、なにを言ったのかは湖緑にはわかる。
今日は、ケンカ売るのはやめたわ。
そして、湖緑が守るべき将に向かい、ぞくりとするくらいに美しい笑みを向ける。
それから、もう一度湖緑の方へと視線を向けると、軽く手を振る。
珍しく、機嫌がいい。
いつでも守れるよう、一本目の矢をつがえた湖緑の口元にも、笑みが浮かんだ。
天秤座守護司、黛藍(タイラン)は、いつもどおりの姿で秤を手にしている。
今日も、いくつ量ったのか。
善いことが多かったのか、悪しきことが多かったのか。
なにも伺えぬ姿で。
その、指が微かに動く。聞こえてきた旋律に、反応したのだ。
黛藍は、静かに秤を指でなぞった。
いつも通りに仕事を終えた蠍座守護司、曙紅(シェーホン)は、返り血を拭いながら天を見上げる。
なにか、聞こえた気がしたのだ。
気のせいではなく、間違いなくヒトツの旋律が聞こえる。
しばし耳を澄ませて、なんの曲かがわかった曙紅の口元には、珍しく仕事中だというのに笑みが浮かんだ。
昼寝を決め込んでいた水瓶座守護司、辰沙(チェンシャ)が、薄目を開ける。
大樹の枝で、器用に組んでいた足を組替えながら、呟く。
「へぇ、『草原で揺れる花』とはね……ヒトツ賢くなったってコトだな」
くすり、と笑う。
それから、また瞼を閉じる。
「まだまだ千の時が過ぎるまでは、時間あるけどな」
望みの輝石を確認していた魚座守護司、丁香(ティンシャ)も顔を上げる。
「まぁ……」
珍しく、驚いたらしい呟きと共に。
それから、緩やかに両手を組み合わせる。
想う人を、守る為の祈りを、そっと捧げる。
さざめくように草がたなびく草原で。
金のたてがみを持つライオンが、天を見上げる。
旋律に聞き惚れるかのように、微かに首を傾げ、しばし佇んでいたが。
す、と視線を前に向ける。
きり、と立ち上がる。
千の時を越えて、必ず、成し遂げて帰ると、改めて心に誓いながら。
『草原で揺れる花』を聞き終えた花白は、素直に礼を言う。
目前で、笛を消した山羊座守護司、宵藍(シャオラン)は用事は済んだと言いたげに『全てを記す本』を広げる。
が、花白はその場を去ろうとしない。少し、逡巡していたが、思い切ったように口を開く。
「あの……」
視線さえ上がらないが、頁をめくる手が止まる。どうやら、続きを待っていてくれているらしい。
早口に言う。
「あの、次の守護期にもお願いに来ても……」
「余計な用件さえ加わらなければ、構わない」
言い終えると、宵藍はまた、頁をめくり始める。花白の顔に笑みが浮かんだ。
「ありがとう!」
足音が、完全に去ってから。
宵藍は、顔を上げる。『全てを記す本』を読み、『全てを知ること』が仕事であるがゆえに、花白が天で最も力ある者の支配を逃れたことは知っている。
最もよく動く手駒を、失ったのだ。
「さて、次はどんな手で来るやら」
薄い笑みを浮かべる。
千の時が過ぎるまでは、まだしばらくの時が必要だ。このまま、大人しく時が経つのを待つわけがあるまい。
だが、まだその方法は『全てを記す本』にも書かれていない。
こうして、いつか千の時を越えて。
その先に何が待つのか。
誰も、知る者はいない。
〜fin.
-- 2002/07/19