秦国境の関守は語る。
「そりゃもう、必死なんてものじゃあなかったよ。
言葉の巧みさとか、袖の下にそっと出してくる巧さとか、もう少しでくらっと行くところだったね。
掴まされそうになった金だって、ここ最近じゃ見たこと無いような大金だった。
大きな声じゃ言えないけどさ、ちょっと危なかったよ。
やっぱり、給金だけじゃ苦しいのが正直だからねぇ。
こうして酒を飲むってのも、滅多に出来ないじゃないか。
やっぱり、楽しみがないとねぇ、人生にも。
っと、話が逸れちまったな。
そうそう、あの男の話だったな。
食い下がる根性も堂に入ったものだったよ。
不法に関を抜けたいっていう理由も、同情出来たさ。
え?金も理由もあったのに、どうして通さなかったかって?
そりゃ、アレだよ、アレ。
商鞅ってのが作った法ってのがあるだろうが。
犯したら、太子様だって容赦無く罰せられるんだぞ。
知らないか?太子の侍従が鼻削ぎの刑になった話。
儂らが、やっちまったら、文字通り首が飛ぶね。
だからさ、男にしゃべるだけしゃべらせといて言ってやったんだよ。
商鞅の法があるから、通すことは出来ないってさ。
いやぁ、通すって言わなくて良かったと思ったね。
ありゃ、儂らを試しに来たんだよ。
なんでかって?
儂が言った途端に、そりゃあ明るい笑顔になって、わかったって帰っちまったんだから。
もしも、あの金受け取ってたんだったらって考えただけでも背筋が冷えるよ。
今頃、儂は鞭打ちか、下手したら本当に首が無いところだったんだからなぁ。
お前も気を付けなよ、いつどっから、法が守られてるかって試しに来られるかわかったもんじゃない。
ん?どんな男だったかって?
なんかこう、ひょろっと背の高いヤツだったな。
顔にはなんて特徴は無かったなぁ。
え?それじゃお前のところに来た時に見分けがつかない?
馬鹿言うんじゃないよ、同じ男が見回ってるとは限らんだろうが。
ああ、そうそう、ヒトツだけ。
えらく眼光が鋭かったねぇ。
やたらと細っこい目をしてたんだが、あの底光りって感じのは、ちょっと忘れられない。
いやぁ、本当に危ないところだったよ」
捕手となった兵は語る。
「相手が相手だから、まずいと思ったな。
いなくなったって日から数えたら、ヘタしたら国境まで辿りついてるってわかった時には。
これは、こっちの首が飛びかねないと思ったよ。
五体満足じゃないか、と言いたいのかい?
うん、それがさ、案外近いところにいたんだ。
まるで、引き返しでもしてきたかみたいに。
もしかしたら、本当にそうだったのかもしれない。
屋敷はもぬけの殻だったのに、あんなところにいるなんて、普通なら考えられないことだから。
なんでかって訊くのかい?
それは、僕に訊くのはお門違いだよ。
彼の考えることなんて、僕には想像もつかないな。
だいたい、引き返してきたというのも、僕の想像でしかないよ。
本人に尋ねたわけではないし。
なにを根拠に引き返してきたのかと思ったのかって?
そうだなぁ、うまく言葉で言い表せないんだけども、表情かな。
なんかこう、付き物でも落ちたみたいに、さっぱりした顔だった。
気のせいだったのかもしれないけれど、笑ったようにも見えたんだ。
彼がなにを考えていたのかは、僕にはわからないけれど。
ともかく、彼が捕まって良かったよ。
そうでなかったら、商鞅の法で、僕の首も無かったところだ」
最奥に繋がれた囚人は語る。
「なんで逃げなかったかって?
なんでと言われてもねぇ。
ホントのところは、逃げようと思ったんだよ。
だってまだ、俺の才能は使えるしねぇ。
こんなところでのたれ死ぬのは馬鹿らしいじゃないか?
他国でも、俺の才能使いたいって主は絶対にいるね。
というわけで、逃げようと思ったっていうよりは、逃げたってのが正確か。
国境の関までは行ったしねぇ。
なんでそこから先に行かなかったかって?
行けなかったってのが当たりだなぁ。
関守に、止められちゃったのさ。
もちろん、昨今じゃ掴めないような金は持っていったよ。
ただで通してもらおうって、そりゃ正気の沙汰じゃない。
もっともらしい理由もつけてさぁ。
あの話は良く出来てたと思うねぇ、関守のヤツ、ちょっと目ぇ潤ませてたよ。
それで、なんで通過出来なかったかって?
関守のヤツ、商鞅の法があるから、ってさ。
さすがに、ソレ言われたらなぁ。
最悪は山越えって思ってたんだけどさ、なんかそんな気無くなって、で、戻って来たってわけ。
だってさぁ、俺が作った法、俺が破るわけにはいかないよなぁ。
守らせるのにさ、太子の侍従、鼻削ぎにしてやったんだし。
まぁ、アレを延々と覚えとかれて、こんなことになってるわけだけど。
本望かなって思ってさ。
俺の作り上げた法がさ、ちゃんと機能してるんだって、こうしてわかったんだからさ。
え?俺が罰せられるのは関破りじゃなくて、国家転覆狙いの大罪だって?
だろうねぇ、相当に恨んでるみたいだから。
それでいくと、車裂ってところだな。
なんでわかるかって?
だからさ、そこらの法は俺が作ったんだって。
な、俺は近いうちに死んじまうけど、あんたはまだまだ生きそうだからさ。
見届けといてくれよ、俺が作った法が、この国を強くしてくぜ。
ま、王は正しいんじゃないのかな。
だーいたいの法は定まって、他国に走られる前に切る。
能力ありすぎるヤツってのの扱いは、そうじゃないとな。
そういうわけだから、俺のことは気にしなくていいよ。
おいおい、泣くなよ。
確かにお前に俺が危なくなりそうなら教えてくれって言っといたけどさ。
連絡遅くて間に合わなかったからって、別に恨んじゃいないってば。
それより、さっきも言った通り、ちゃんとこの国の行く先を出来る限り見届けといてよ。
で、いつか九泉の下で会った時に教えてくれよな。
泣くなって、ほら、もう行けよ。
あんまり長いことここにいると、妙なこと疑われるぜ。
言ったろ、俺の分までちゃんと見届けろって。
じゃあな」
〜fin.〜
2004.09.28 A tale of a man who couldn't pass through a barrier