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 CELESTIAL SONG / 〜Green Forest 1〜

薬草を煮詰め終わり、あとはこすだけだ、と思ったときだった。
なにかが、裂かれたような音がした。
尋常な音ではない。
メイファはそのきりっとした眉をひそめると、手に棒を握った。
怖いというより、好奇心の方が強かった。それに、そこらの相手に負けない自信もある。
できるだけ、気配をさせずに扉を勢い良くあける。
「?!」
いきなり開いた扉に、相手も驚いたようだ。
ここらでは、見かけない顔の男が立っていた。
髪も、目も黒い。東方の者の顔だ。
男は確かに剣を握っていたが、戦おうとしているのではないことは、一目瞭然だった。
と、いうより、戦うのは無理なようだ。
目前にいる男は、自身もあちこちに傷を負っている上、肩にも一人背負っている。
どうやら、強盗の類でなく、本来の目的で訪れたらしい。
しかし、それにしてはまだ片手に剣を握っているあたりが、異様だ。
「なんの用よ?」
剣に目をやりながら、つっけんどんに訊ねる。
相手の男は、かなり大柄でまるで熊みたいだが、顔には人懐っこい笑みを浮かべた。
顔中に返り血を浴びていては、怖いだけなのだが。
「一刻を争う怪我人がいるんでね、助けちゃもらえないかと思って」
口調にも、殺気は感じられない。でも、切迫したものはあった。
彼の肩に背負われてる人物は意識が無いらしいし、立っている男のシャツを染めている赤黒いものは、 背負われてる方が流したものだろう。あんなに流血したら、立っていられるわけが無い。
あの出血量では、肩の男は貧血状態だろう。
この男はここらの事情には疎いようだ。
もっとも、事情を知っている人間が、ここに来るわけがないのだが。
もう一度、男の顔を見る。悪人の顔ではない。
「怪我人は、そいつ?」
言いながら、腕をまくる。
熊男は、うなずいた。
「なかに運んで」
扉を大きくあけて招き入れる。熊男は、肩に怪我人を背負ったまま入ってきた。
メイファは、診療室とおぼしき部屋にと先導した。
「ここに寝かして」
「おう」
横たえられた男の顔は、真っ青だ。たしかに、一刻を争うだろう。
真っ青な男の身につけてるものを、手早くはずしていく。
傷口はすぐに見えた。清潔にして、すぐに縫合しないと命に関わる。
平だらいの中のタオルで、傷の周りをすばやくぬぐう。
すぐにタオルが赤くなった。
血は、まだ乾いていない。
熊男が、問い掛ける。
「あんた、医者かい?」
診療室には、さきほどメイファが煮詰めた薬草なべが置きっぱなしになっている。
それが目に入ったのだろう。
相手の質問に、にやりとした笑みを向ける。
ここらの住人からは、絶対に出ない質問だ。なぜなら……
「ここらじゃ、女は医者になれない決まりがあるんだ。本物は、1ヶ月も前に死んじゃったよ」
不敵な笑みを浮かべたまま続ける。
「でも、助ける自信はあるよ、賭けてみる?」
熊男も、にやりとして見せた。
「これから別の医者を呼んでたんじゃ間にあわねぇだろう、あんたに賭けたほうが利巧ってもんだ」
「ここらじゃ、『神のご意志』とやらに逆らうことになるけど、いい?」
「ありがたいことに、ここの国の人間じゃないんでね」
それに笑顔のみで応えると、手早く髪をまとめあげる。マスクをして、手を洗い直す。手袋をしながら、言う。
「お湯を、釜いっぱいに沸かして!薪は裏にあるから!」
「頼んだぜ……えっと?」
「ん?」
ビクトールの顔を見て、彼の聞きたいことに気付く。
「ああ、私?」
うなずくのを見て言う。
「メイファ」
「頼んだぜ、メイファ」
もう一度言いなおしてから、自分を指した。
「俺はビクトールで、こいつがフリック」
「そう、あんたは、お湯沸かしたら、そのきったない身体洗ってきて!」
「!」
ビクトールはなにか言いかかったが、真剣な顔でフリックのほうに向いたメイファの顔を見て、口をつぐんだ。
おとなしく、言われたままの行動に移る。
メイファは、傷の状態をすばやく確認し直してから、フリックと呼ばれた怪我人の顔の血をぬぐった。
口元にだいぶこびりついてるが、ひとまず麻酔を飲ませるのに支障がないならかまわない。
この傷と出血なら助けられるだろう。
この男の体力にもよるが。
そう、わたしなら、助けられる。
助けてみせる。



傷は深かったが、縫合はすぐに終わる。
出血も完全に止まってるし、内臓のほうはショックで出血しただけで、傷はないようだ。
一命は取りとめるだろう。
思わず、ほっと、ため息を吐いた。
麻酔が切れたら、こんどは熱が上がってくるだろうが、今はまだ、眠っている。
ビクトールと名乗った熊男が、戻ってきた。
心配そうな眼を、こちらに向ける。
メイファは笑顔を作った。どんな返事より、医者の笑顔が安心できるのを彼女は知っている。
「助かったんだな」
「誰が手当てしたと思ってる?」
ビクトールはちょっと肩をすくめてみせる。
「お湯、まだあるんだろう?」
「ああ、えらいでっかい釜だったから、沸かすのに時間かかっちまったよ」
「じゃ、汲んできて」
「はいはい」
めんどくさそうな返事ながらも、行動はまめだ。
しかも見た目通りの力持ちと見え、両手に抱えるほどの大たらいに、いっぱいのお湯を汲んできてみせる。
柔らかい布を持ってくると、メイファは湯に浸しては、フリックの顔を拭いてやった。
だいぶ、吐血もしたに違いない。口元にこびり付いた血は、けっこうなものだ。
ビクトールのほうは、それをおとなしく見ている。
「ふーん、あんたと違って、こっちはいい男ね」
メイファが言うと、ビクトールはふん、と鼻を鳴らした。
いつも、言われてるに違いない。
「ほっとけ」
身体のほうも、傷の確認をしながら拭いてやる。大きな傷以外は、消毒だけでよさそうだ。
フリックをきれいにしてやると、メイファはビクトールのほうに向き直った。
「さ、今度はあんただよ」
「俺?」
「そうだよ」
「いや、俺は、なんともない……」
「ふーん?相棒はもぐりに見せてもかまわないけど、自分はいやだっての?」
そういう言い方をすれば、ビクトールもおとなしく手当てされるよりほかない。
メイファは、手当てをしながら考える。
この男たちは、いったいどこから来たのだろう?
この森のなかで強盗に教われるのは、まずありえない。
そのうえ、この森は、珍しくもモンスターの生息していない場所なのだ。
だから、死んだ祖父は、この場所に居を構えたのだから。
しかし、来た時のビクトールたちはまるで、戦場から帰ってきたかのような状態だった。
だいたい、あんな姿の者の侵入を、村人たちが許すわけがなかった。
もしかしたら、自分たちの手に、他人の死を触れぬために、ここによこしたのかもしれないが。
この村の決まりでは、家族以外の死に触れた者は、呪いを手にする、といわれる。
フリックという男が死んでいると思われたのなら、ここまで厄介がまわされても、おかしくはない。
伝統という鎖に縛られた、ことなかれ主義の村人たち。
だから、異端児となった自分のために、祖父はここに移ったのだ。
『女は人の命を預かってはならぬ』という決まりに逆らい、医学を志した孫娘のために。
幼いころに祖父の護符(やはり、これも村の決まりだった)として、祖父と共に旅に出たがために、 メイファにはこの村の決まりを覚える前に、外の世界を知ってしまった。
それを、祖父は自分のせいと思ったのかもしれない。
でも、メイファ自身は、外の世界を知ったことを悔やんではいない。
自分の手でも、何かができることを知ることができたから。
祖父の生きているうちはよかった。手伝うという形で、医療に従事することができた。
今はそれはできない。
決まりを何より重んじる村人たちは、女だけとなったここには、患者としては寄り付かない。
会えば口々に、決まりに従い、喪が明けたら結婚したほうがよい、と言われるだけだ。
この村では、女は全ての母であり、自然に従い、家を守ることが幸せとされるのだ。
すべての仕事は、男の上にある。
女が軽んじられているのではない。大切にされるあまりに、家に閉じ込められるのだ。
そして、たいがいの女はそれに逆らうことをしない。
そうしているほうが、楽だから。
「メイファ?」
ビクトールの不思議そうな声に、はっとして顔を上げる。おもわず、自分の考えにふけってしまった。
慌てて立ち上がりながら言う。
「ああ、そうそう、これからが大変だからね、覚悟しといたほうがいいよ」
「え?」
「麻酔が切れたら、熱が上がる……体力が、もつかな」
ビクトールは、フリックのほうを見やり、それからもう一度、メイファを見た。
「こっからは、あいつ次第ってわけか」
「できる限りはするけどね」
「頼む」
あまりにも素直に頭を下げられて、とまどう。
この男は、本当に自分を頼りにしているらしい。この村では、考えられないことだ。
笑顔になりそうになって、そっぽをむいた。
「あんたも、手伝うんだからねっ」

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