□ お兄ちゃんが忙しすぎる
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スコットの一日は、かなり早く始まる。
兄弟の中では早起きの部類のバージルが起きてくる頃には、すでに自分の朝食の食器を片づけているところだ。
『おはよう、スコット、早いな』
バージルの声に、スコットは食器を洗い終えた手を拭きながら、に、と悪戯っぽい笑みを返す。
『おはよう、バージル。急いで朝食にした方がいい、今ならお祖母ちゃんは散歩中だ』
『おっ、それはありがたい情報だ』
頷き返したバージルは、急いでパンをトースターに放り込み、自動調理器にサラダを作ってくれるよう指示する。
それを背に、スコットが向かうのは一号の格納庫だ。
夜のうちに仕掛けておいた自動チェック装置の結果を確認したところで、ジョンは定期連絡を入れる。
「おはよう、スコット」
『おはよう、ジョン』
兄らしい柔らかい笑みを崩さずに済むことに感謝しつつ、報告する。
「今のところ、緊急を要する案件は入って無いよ」
『昨晩、トレースするといっていた件はどうなった?』
「ダメコンでどうにか出来たらしい、無事に目的地に向かっている」
『それなら良かった』
頷き返した兄は、身軽に一号の上部へとワイヤーを飛ばして飛び上がる。自分の目でも点検をする為だ。が、余裕は充分にあるらしく、ホロが残ったままのジョンを見上げてくる。
『少しは休めたのか?』
「アレからすぐにダメコンが成功したから、ちゃんと休んだよ」
にこ、と安心したように微笑んでから、機体の最上部ともいうべき部分をぐるりと確認し、ひら、といくらか降りてから、また見上げてくる。
『最近、研究の方はどうなんだ?』
「深宇宙の観察が大事なんだ、まだまだ計測の途中だよ。でも、今のところは順調かな」
『へーえ、なんかデータ出たら、教えてくれよ』
「うん」
こっくりとジョンが頷き返したところで、眉を寄せる。どうやら、朝のいくらか緩やかな時間はおしまいらしい。
「スコット、ドバイの超高層ビルから救助要請だ。ツインタワーの最上階通路が崩壊しかかっているらしい」
『了解、すぐに向かう。バージル、出動だ』
『FAB、スコット』
バージルからの返事も返り、すぐにスコットの姿は一号のコックピットに吸い込まれていく。

昼を回る頃に、無事に救助を終えたスコットとバージルが戻って来る。
『結局、人命救助はスコットが全部やったなぁ』
微妙に肩を落としながらバージルが言うと、スコットは肩をすくめる。
『別にないがしろにするつもりはなかったんだ、ただ、一刻を争う状況だったのはわかるだろう?』
『わかってる』
『二号のお陰で、地上に瓦礫を降らせずに済んだんだし』
『うん、どっちも凄かったよ!』
アランが素直に目を輝かせている。
『僕も早く、ああいうレスキューしたいなぁ』
微苦笑を浮かべたスコットが、もう一度肩をすくめる。
『憧れるのはいいが、今日の準備は出来てるのか?』
『出来てるよ、準備もしてあるしね』
こっくり、と大きくアランは頷きながら返す。どうやら、先日の機雷の一件から、レスキューに対する認識が少々変わったらしいアランは、ずっと面倒がっていたトレーニングも嫌がることが少なくなった。
今日は、更にやる気があるらしい。スコットが頷く。
『よし、じゃ、始めよう』
しかし、トレーニングも半ばでジョンは声をかける羽目になる。
「スコット、エマージェンシー信号を捕えた」
『場所は?』
素早く確認したスコットは、立ち上がりつつ眉を寄せる。
『この場所だと、ポッドか四号か難しいな』
「ああ、衛星からも判断し難い」
『わかった、僕が行って確認する。バージル、ゴードン、待機しててくれ』
『『FAB!』』
状況からして、スコットからの連絡を待つしかないのは理解したのだろう。あっさりと返事が返る。
『ジョン、アランのトレーニングのフォローを頼む』
「わかった」
元々、臨場感の為の映像などは五号からのモノだし、トレーニングがどこまで進んでいたのかも知っているジョンにはお手のモノだ。
「さあ、アラン、続きをやろう」
『う、うん、お手柔らかに』
真剣な視線に、少々気圧されたようにアランが首をすくめる。

結局、バージルとゴードンが出動することになったレスキューから、スコットが戻ったのは遅かった。
作業を終え、二人が戻った後も後始末やら確認などをしてきたらしい。
『夕飯は?』
大画面を占領してカンフー映画を見ていたアランが尋ねると、スコットは首を横に振る。
『汗流したい』
返してから、軽く眉を上げる。
『夜更かししすぎるなよ』
『わかってるよ』
むう、と唇を尖らせるアランの頭を、さらり、とスコットは撫でる。
『今日のトレーニング、優秀だったってジョンに聞いた。頑張ったな』
スコットにしか出来ない笑顔に、アランは目を見開いてから照れくさそうに笑う。
『うん、また頑張るよ』
『おやすみ、アラン』
さり気なく、もう寝ろと告げられたアランだが、褒められたのに気を良くしたらしい。
『おやすみー』
素直に返して、部屋に戻っていく。
さほどかからず、シャワーを済ませてきたスコットは水のボトルを片手に、戸締まりと灯りを確認していく。
リビングで投影装置を立ち上げて各機の格納庫を確認し終えたら、ふ、と見上げる。
『ジョン、そっちはどうだ?』
「緊急性のあるものは入ってないよ。今のところ、トレース案件も無い」
返すと、にこり、と笑顔が返る。
『それはありがたいな。ジョンもゆっくり休めよ』
「スコットもね」
『ああ、おやすみ』
嘘つきな兄さん、夜はこれからの癖に、そう思いながらもジョンも穏やかに返す。
「おやすみ」
通信を切り、窓から見える煌々とした月をどこか憂鬱そうに見上げたスコットは、自室へと戻る。
カチャリ。
静まり返った家の中で、鍵を閉めるその音はいやに響く。
まるで、この家の全てからスコットを隔絶するかのように。
机の端末を立ち上げたスコットの顔には、先ほどまでの穏やかな表情は無い。かといって、不機嫌を伺わせるものでも無い。
何もかもが抜け落ちたような無表情だ。硬く引き結ばれた口元だけが、スコットの意思を表している。
慣れた様子で書き上げていくのは、今日のレスキューのレポートだ。父が指揮をない取れなくなったあの日から、ずっと続けている。
スコットのみが受け取れる回線に通信が入ったのは、一つ目をほぼ書き上げかかった頃だ。視線を上げたスコットは相手の名に微かに眉を寄せる。
が、すぐに表情を消して応える。
『どうしましたケーシー大佐?緊急の救助要請でも?』
軽く肩をすくめた仕草は皮肉が込められている。
『救助要請ではない。遅くに済まないが、考えてもらえたか聞きたくてね』
『もう、充分に考えて返事をしました。何度言われたとしても、答えは変わらない』
いつもより低い、冷えた声。
『コチラが下手に出てりゃいい気に』
ケーシー大佐の背後から、何やら激高したらしい声が聞こえるが、すぐに大佐が振り返る。
『静かにしろ。私は下手に出ているつもりはない。礼儀を心得ているだけだ』
それからまた、落ち着いた表情がスコットを見やる。
『確かに父上がおられるのならば』
『もう答えた、と申し上げました』
静かだが、鋭い声が遮る。
スコットは、真っ直ぐにケーシー大佐を見つめる。ホロの向こうの本当の瞳をも射抜こうとするかのように。
『インターナショナルレスキューは何人の下にもつきません。私達の意思で動きます。これは、インターナショナルレスキューの総意です』
少しだけ、視線が落ちる。
『もう二度と、この話はしないで頂きたい』
ケーシー大佐は顔色も表情も動かさず返してくる。
『遅くに済まなかった、では』
ふ、とホロが消え、ダンッ、と、机が大きく悲鳴を上げる。
拳を机に叩きつけたまま動かないスコットの肩が、微かに震えた。
が、すぐに首を横に振ると椅子に座り直して端末に向き直る。
スコットらしい、要旨のみを簡潔にまとめたソレに必ずコメントを加えているのを、ジョンは知っている。今日も、一件目のレポートに「バージルの対応は実に見事、取り残された人だけでなく周辺にも全く被害を出さずに済んだ」と打ち込み、二件目には「事故機体の影響で視界の悪い中、ゴードンの勇気ある救助で全員無事」と記す。
なぜか、三件目のレポートを打ち込みだしたかと思うと、そこには「最近のアランの向上心は目をみはる。本日のトレーニング結果も優秀」。
それから、少しだけ首を傾げていたかと思うと、更に何やら打ち込み始める。
「本日のレスキューもジョンの的確な情報処理と伝達のお陰でスムーズに進行した、感謝」
それらを保存したことを確認してから、机上に映し出されたのは地球の映像だ。一部が暗くなっている、少しだけ不可思議なソレを、スコットは酷く難しい顔で見つめる。
慣れた様子で何やら操作すると、つ、と線を描いて暗くなった部分が出来る。今日、一号が通った空路だ。
それから、もう一本。二号が通った軌跡。四号が潜った箇所も、暗くなる。
暗くなった場所は、父の痕跡が見つからなかった場所。
あの日から、レスキューに差し障らない範囲、ようするに移動中などにレーダーを使ってずっと父の痕跡を探し続けている。それは、兄弟の誰もが一緒だ。
スコットが開いているデータだって、兄弟の誰もがアクセスするデータの方は五号がすでに皆が見られるようアップデート済だ。
が、スコットはこうして、自分の手で確認する。
五号での処理が手落ちだと思っているのではないのは、誰よりもジョンが知っている。ただ、少しでも何かの手がかりが見つかりはしないかと、こうせずにはいられないだけだ。
苦渋に満ちた表情のまま、スコットはトレーシーアイランドから父が辿ったはずの軌跡をなぞる。ズレたとしたら、とブレインズを始めとして持てる手段の全てを使ってシミュレーションした軌跡も辿る。
何度も、何度でも。
けれど、結局そこには、父の痕跡が消えてしまったという変わらぬ事実が厳然とあるだけで、何も答えは出てこない。
深い深いため息の後。
スコットは端末を切る。
そして、背中から倒れ込むようにベッドに転がる。その目は、もう半ば閉じている。
夜半どころか、朝が来る方が近い時間なのだから、当然だろう。もそもそとどうにか靴を脱ぎ捨て、ひどく重そうに足を持ち上げたところで、額におかれたままだった腕が、ことり、と落ちる。
ふよ、と空中のホロとして現れたジョンは、そっとその顔を覗き込む。
ああ、今日もやっと寝てくれたか。
まだ、少しだけ寄ったままの眉を開きたくて手を伸ばしてみても、空をきるばかりだ。
知らず、ジョンは先程のスコットに劣らずの長いため息を吐く。
ひとまずはジョンも休まなくては。
自分以外のことには、ことさら敏感な兄のことだ、あまりの寝不足はすぐに見抜かれる。
ことさらな緊急連絡のみを拾うよう設定し、休憩する為のブースへと向かいながらジョンは考える。
あのスコットのレポートは片手落ちだ。大事なことが記載されていない。
付け加えるなら、そう。
「スコットは今日も、誰よりも皆の為に働いていた。オーバーワークが続いていて心配だ」
明日もきっと、スコットは朝日と競争するように起き出してしまうのだろう。
せめて、大きな事故が起こらぬよう似合わぬ祈りを捧げる。



2015.10.05 Oh my dear brother 02

■ postscript

お兄ちゃんは人知れずオーバーワーク(通信握ってる一人除く)ではないかと。

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