□ お兄ちゃんはお医者さん
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朝食の時間も終わりに近付き、子供たちがどの程度食べられたか、と見回り始めた看護士のケーヨは、とあるベッドサイドで困ったように首を傾げる。
「サミー、一口も、ダメだった?」
「…………」
目前の少年は、無言で俯くばかりだ。
目尻がうっすらと赤らんでいるところをみると、本人も望んで食べない訳ではないのだろう。誰だって痛いのはイヤで、子供であれば尚更、というだけだ。
この子の首元には包帯がしっかりと巻かれている。
巻き込まれた事故で受けた傷は酷いもので、手術でどうにか命を取り留めた。声を失わなかったのは、奇跡的でさえある。
そのくらいの傷を負った喉では、モノを食べようとするとどうしても痛みを感じてしまう。
ただ、これ以上自分で飲み込む作業をしないでいると、喉が嚥下することを忘れてしまい、今度は飲みこもうとしても嘔吐症状を引き起こし始める。
そうなれば、この子はもっと自分で食べることが嫌になってしまう。それもあっての配膳だったのだが、一向にうまくいく様子はなかった。
これ以上の無理強いも良くないだろう、とケーヨは言葉を継ぐ。
「じゃあ、持っていくわね?」
告げると、もっとさし俯いてしまう。
そこへ、近付いてくる足音がある。
聞き慣れた足音は、まだこの時間には聞こえないはずのモノだ。不思議に思いつつ顔を向けると、やはり予測通りの人物が立っていた。
小児科の担当医で、この少年の主治医でもあるスコットだ。まだ、巡回の時間の前だが、少年の様子が気になったのだろう。
「おはよう、サミー」
にこり、と眼鏡の奥の青い瞳が柔らかく微笑む。
が、少年からは返事は無い。
俯いたままだ。
ケーヨが困ったように肩をすくめる先にあるモノを見て、状況はすぐに把握したのだろう。少しだけ困ったような笑顔になりつつも、つい、と置かれたスプーンに触れる。
それから、そっと膝を折り、少年と視線の高さを合わせる。
「サミー、今朝は随分と頑張ったんだね、偉かったね」
びく、と少年の肩が揺れる。
え、と瞬いたケーヨは、そっとスコットが触れたスプーンに触れてみて、あ、と目を見開く。
まだ、そのスプーンは温もりを残していた。少年が、ずっと握っていた証拠だ。
ケーヨが来る直前まで、少年は食べよう、食べようと必死に頑張っていたのだ。でも、口には出来なかったから、言えなかった。
あっさりと見破ったスコットは、さらり、と少年の頭を撫でる。
「……でも、たべられなかったんだ」
「そうか」
少しにじんだ少年の声にスコットは静かに頷いてから、ちら、とケーヨを見やる。頷き返したケーヨは、食事の残ったお盆を手に、病室を後にする。
誰もいなくなったのを見届けてから、スコットは更に体を折って、俯いた少年の視界に割り込む。
その顔には、にっ、とイタズラっぽい笑みが浮かんでいる。
「今日は、毎日がんばってるサミーにご褒美を持ってきたんだよ、実は」
「……?」
不思議そうになる少年の前に、ひょい、と取り出されたのは。
「え?!アイス?!」
「そう、ストロベリーアイス。好きだろ?でも、看護師長さんとかに知れたら怒られちゃうからね、ヒミツだよ」
指を立てて見せながら、スコットは取り出したアイスのカップをテーブルに置く。もちろん、スプーンもつけて。
先ほどから、少年の目は目前のカップから微動だにしない。
「これ、たべていいの?」
「もちろん。ポケットに隠して持ってきたから、少し溶けはじめてるかも」
軽く肩をすくめるスコットに、少年は慌てたように蓋を開ける。確かに中身は、大好きなストロベリー色だ。
ずうっとお預けになっていた大好物を目前に、夢中の顔つきでスプーンを握ってすくい取る。そして、大きく口を開けて放り込む。
ごくり。
間違いなく、喉が動く。
「…………おいしい!」
思わずあげた声に、にこり、とスコットも笑う。
「そうか、良かった。でも、静かにな?見つかっちゃうから」
指を唇の前に立てて言うスコットに、あ、という顔つきになった少年は頷き返してから、またアイスに向き直る。
それからは、あっという間だった。
カラになったのを見届けて、スコットは少しだけ首を傾げる。
「ねえ、サミー。喉、痛かった?」
問われた少年は、みるみる目を見開いていく。
「いたく、なかった」
「そうか、じゃあもう、なんでも食べられるな」
頭を撫でつつ、眼鏡の奥の青い瞳が嬉しそうに微笑むのへと、少年も満面の笑顔を返す。
「うん、ありがとう、スコット先生!」
「いやいや、でも、コレはヒミツな?お昼に、皆を驚かせてやろう」
もう一度、指を立てるスコットに、少年は大きく頷いてから、はた、とした顔になる。
「あれ?スコットせんせい、なんでボクがストロベリーアイスがすきってしってるの?」
「ん?それは、ヒミツ」
イタズラっぽく笑いながら、さらさらと少年の頭を撫でる。
「じゃ、また後で」
軽く手を振り、病室を後にしたスコットは手にしたカップを隠そうともせずに、奥の角を曲がる。
そこには、調理師の制服を身に着けたゴードンと、立ち去ったはずのケーヨがいた。
スコットは二人の視線での問いに、ひょい、とカラになったカップを見せて、にこ、と笑う。
「大成功」
はあ、と大きく大げさに息を吐いたのはゴードンだ。
「まーったく、上手くいって良かったよ。ホント、スコットマジックだよね。中身、アイスとは到底言えないシロモノだったんだからさ」
ようするに、だ。
どうしても少年が食べられないのは、実のところは心理的な要素が大きかった。
最初に痛かった印象が強すぎて、もうさほど痛みは感じないはずなのに増幅されてしまっていたのだ。
それを乗り越えるには大好物しかあるまい、という作戦だった。
更に、ヒミツ、という子供にとっての大事な魔法を付け加えて、作戦成功、という訳だ。
ただし、ほとんどまともに食べ物を入れていない胃には普通のアイスを食べさせる訳にはいかず、調理師のゴードンが特別にあつらえたアイスのような何か、であった訳だが。
普通の人が食べたら、果実味はあるもののアイスとはとても言えないソレを、スコットは容器やら雰囲気やらで大好物のアイスと思わせてしまった。
ある意味、魔法のようなことをしてのけてきたスコットは、あっさりと肩をすくめてみせる。
「仕方ないだろう?うっかりしたモノ食べさせたら、バージルになんてどやされるか」
「わかってるけどさぁ、脂肪分ぜーんぜんで、シャーベットじゃなくてアイスだなんて、まったく、スコットの注文はいっつも無茶苦茶だよね」
「ベッドから離れられない子供たちにとっては、大人以上に食事は大事な楽しみなんだよ。ゴードンにはいつも感謝してる」
真剣な目でスコットに告げられてしまえば、ゴードンも苦笑して肩をすくめるしかない。
「ま、確かにね。僕も皆を笑顔にしたいからやってるんだし。ま、お手柔らかに頼むね」
ひらひら、と手を振ると、くるり、と背を向ける。
「さーて、お昼に取り掛からなきゃね。たっくさんあるから」
この病院は、病院食がそうとは思えないほどに美味しい、との大評判の要因たるゴードンはにやりと笑いつつ去っていく。
スコットはケーヨに、にこり、と笑いかける。
「お昼には、派手に驚いてあげてくれよ?」
「ええ、もちろん」
にっこりと、ケーヨも笑い返す。


この私立病院は相当に高い医療技術を持つだけでなく、患者の、特に子供の心のケアが行き届いているということで知られている。
いきおい、どうしても小児病棟には難病の患者が増える傾向にあり、今日も小児科担当であるスコットの医務室には、外科担当のジョンと、内科担当のバージルがつめて手術前のカンファレンスの最中だ。
検査時の写真を眺めつつ、眉を寄せたのはバージルだ。
「ホントに、ここまで切るのか?体力がスレスレになるぞ」
「これで最小限だ」
冷えた声で返したのは執刀を担当するジョンだ。
「わかってる、随分と悩んでいたもんな」
スコットがさらりと言ってジョンの肩に触れ、ひょい、とバージルに向かって肩をすくめる。
ジョンは、ちょっと頬を染めてそっぽを向いている。外科医という仕事上、冷静にあろうと努めているが、本当は小さな子供にメスを入れるのを誰よりも辛く思っているのを、スコットは良く知っている。
バージルも知らない訳では無いので、すぐに済まなそうな顔になる。
「いや、そりゃ、残って再発するのが、一番最悪だっていうのはわかってる。悪かったよ」
「バージルの言う通り、体力的にはギリギリになると思う。出来る限り早く済ませるつもりだが、それにはスコットの助けがいる」
ジョンも、冷静な目線を寄越す。実際、小児科に席を置いてはいるがスコットの外科手術の腕はジョンに勝るとも劣らずなのだ。
ただ、あまりにも子供の扱いが上手いので小児科、ということになっているだけで。
あっさりと、スコットは頷く。
「ああ、もちろん」
バージルは、検査結果を送りながら真剣に目で追っていく。
「手術のサポートにスコットがつくなら、さらに確実だな。ただ、他もかなり弱ってきてるから……手術後のフォローがかなり問題だな」
「それは、バージルの仕事だろ」
に、とスコットが口の端を持ち上げる。
「ああ、当然、全力でやるさ。でもこれ、スコットマジックないと無理」
「おいおい、僕は魔法は使えないぞ」
苦笑を浮かべるスコットに、バージルとジョンはどちらからともなく顔を見合わせる。
魔法は使えない、と本人は言うが、スコットを主治医にした患者たちは、皆、口をそろえて言うのだ。
「スコット先生は、魔法が使える」
と。
なんせ、どう考えても死が待っていそうな治療でも、スコットから話を聞いていると、いつの間にか出来そうな気がしてくる。
そして、必ず彼は周囲の協力を得て、見事にしてのけるのだ。
根気よく患者とその親と話し合い、とことん付き合っていきながら。
いつでも笑顔で、彼らだけでなく、自分たちの気力をも引き出し、保ち続けるその技量は、まさに魔法だとジョンもバージルも思う。
二人はどちらからともなく笑みを浮かべて、スコットを見やる。
「いつも通りで頼むよ、スコット」
「僕たちも全力でやるからさ」
「ああ、頼むよ、ジョン、バージル」
にこり、とスコットも笑みを返す。
今回もきっと、小さな患者はスコット先生の魔法に救われるに違いない。



2015.10.26. Dr.Scott's Magic

■ postscript

お兄ちゃんが眼鏡白衣着たところが見たい!とうっかり叫んだところ、サハラさんが大変に美麗な白衣と眼鏡の小児科医お兄ちゃんを描いてくださいまして、滾って書いたのがコチラ。
サハラさん、眼福お兄ちゃん、本当に本当にありがとうございました!

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