□ 道化面の下の涙
[ Index ]

人の手には限界があるのだ、と。
インターナショナルレスキューという仕事をしていれば、時に打ちのめされるように思い知らされる。
場所が空であれば。
あったならば。
2号の限界がきたら1号が踏ん張り、それでもダメなら3号と5号が待っている。
それこそ、やるだけやりきったと、言い切れるだろう。
それでも、辛い思いが残らない訳が無い。
けれど、海の底は。
ああ、ここに来ることが出来るのは、たった一機なのだ。しかも、インターナショナルレスキューで最も小さな機体。
父は宇宙の人であったから、少しだけ海に疎かったように思う。
母を失ったのが空だったから、余計に拍車がかかったかもしれない。
海難事故には、各国の海軍が動くことが出来ることもあったかもしれない。
けれど、それでも、インターナショナルレスキューに救助を求められたなら。この海屈指の救助が可能である組織ですらが、頼むからと頭を下げたなら。
当然、己の命がかかるギリギリまで、粘るわけで。
それでも、零れ落ちていく命は、ある。
今日のそんな命は、酷く優しかった。
己の命が、深い深い深い誰も手の届かない場所へと落ちていくのに、感謝を告げてくれた。
「最後の最後まで、助けようとしてくれてありがとう。気に病まないでくれ、誰も来てくれないと諦めていたこの場所に、君が到達してくれただけで、どれだけ心救われたかわからない。どうか、この感謝だけを君の胸に」

海上へと浮上したゴードンを、誰もが褒めた。
あの短時間で、あの場所まで到達したの奇跡だ、と。
いつも厳しい要求をしてくるジョンですら、まさか本当に到着するとは、と驚いていた。EOSも計算外だ、と言っていたので、同情からくるものではないと明確に言い切れる。
もちろん、バージルもアランもそうだった。けれど、ゴードンにはわかる。
兄弟やケーヨやおばあちゃんの顔に、微かな懸念があることを。
だから、笑い返す。
「でしょ?4号は僕の相棒だからねぇ、イイ子でしょ、あそこまで潜ってくれてさ」
こういう時に肝心なのは、ウソをつかないこと。
我が愛機、4号は本当に頑張ってくれた。無理をさせた自覚はある。
メカに関してはことさらリアリストなブレインズも、「限界性能を引き出してくれたよ、本当に御疲れさま」と手放しで褒めてくれた。
「当然でしょ、ゴードン様が操ったんだから」
途中まで救助にあたっていた公的組織の皆も、心底の感謝と、感嘆を届けてくれた。
知ってる、わかってる。
人事を尽くしきったのだ。
「彼が穏やかになれたのも、君のお蔭だ」
ウソは無い。
レスキューに向かい始めた頃には、呪詛の言葉しかなかったのだから。
誰もが最善を尽くした。
今回は、本当にそうだった。自然の脅威の前には人はまだまだ小さすぎる存在であり、事故が起こった場所とタイミングが、何よりも最悪だった。
責められるべき者は誰もいないのなら、ゴードンは笑うしかない。
「僕、頑張ったでしょ?」
皆が、その笑顔にほっとした顔をするのだ。
やりつくした、とちゃんとゴードンも整理してくれてる、と。
それでいい、とゴードンは思う。
他の誰も、こんな思いを背負う必要はない。だって、本当にやり尽したのだから。
誰も苦しむところなんて、見たくない。
でも、だけど。
あと、ほんの少しだけ速く到着出来たなら。
あと、ほんの少しだけアームが伸びたなら。
あの人は、助けられなのではないか。
誰も来ないはずの自家用ジェット機の格納庫で膝を抱えていたのに。
隣にそっと気配が降りてきて。
「僕がもっと速く到着出来たら、ワイヤーが届いたかもしれないのにな、すまない」
ふわり、と頭に手が乗る気配。
違うよスコット、そう言いたい。
だって、最初から1号の速度をもってしても間に合わなかった。
あの高度からの、誰も真似出来ないワイヤー射出も届かなかった。
4号以上に間に合う訳が無かった。
知ってる、わかってる。
それでも、同じ思いを抱えてくれている人がいてくれる。そして、誤魔化しきったはずのゴードンの思いを知ってくれてる。
そんな人がいてくれる。
それが、大事な兄なこと。
なにもかもが、ぐっちゃぐちゃに混ざってしまって。
そっと引き寄せてくれるのにまかせて、ぎゅうっと抱き着く。
「助けたかったよ、スコット、助けたかったんだ」
誰にも、告げられない、告げてはいけなかった思いを口にする。
言葉は返らない。
ただ、抱きしめてくれる腕がある。
二人しかいないのに、それでも抑えてしまう嗚咽を、柔らかく包む腕がある。
せめて、ここで全部流してしまおう。
「僕、助けたかったんだ」
何度も何度も、繰り返す。
たった一人、思いを共有してくれる大事な兄に聞いてもらうために。



2016.06.19

[ Index ]