□ 翼はいらない
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目前の兄の姿がおかしいと気付いたのは、一瞬の間の後だ。
「スコット?」
ジョンが不審を声に出して問えば、にこり、と笑みが返る。
「どうした、ジョン?」
「どうしたも、こうしたもその恰好は何?」
問いは、レスキュースーツではなく普通のスーツ、しかもなぜか黒の上にいつものサッシュを身に着けていることのはずだったのに。
ふわり、と肩のあたりに漂う何かに、目を見開く。
「これか?」
ふ、とスコットの笑みが大きくなる。
「ジェットパックでは何かと限界があるからさ、もういっそのこと、自分で飛べばいいんじゃないかと思って」
言葉の間に、肩のあたりにふわりと合った羽は、ものすごい勢いで広がっていく。
スーツと同じ、いや、もっと深い黒の、翼。
「ほら、これならどこまででも行ける」
翼の陰で、どんな表情をしてるかうかがえないのに、笑う口元だけが赤く見える。
ぞくり、とジョンの背が冷える。
あれで飛び立ってしまったら、遠く手の届かない場所に行ってしまう気がして。
広がり切った翼が、ゆるり、と動き出す。
言葉通りに、飛び立つために。
「待ってくれ!」
思わず叫んで、手を伸ばす。
が、その指が届かぬままに。

「ジョン、ジョン」
ぐらり、と揺れる感覚と声に、はっと目を開けば目前にいつもの青いシャツの兄がいる。
「……スコット?」
「大丈夫か、ジョン。うなされてたみたいだったから」
少し心配そうに、しっかりと絞った冷たいタオルを差し出しつつスコットが首を傾げる。
「ああ、ごめん。ちょっと嫌な夢をみたみたいだ」
返しつつ、身を起こしてありがたくタオルを受け取る。
困ったような顔がスコットに浮かぶ。
「重力、やっぱりちょっとツライか?」
「大丈夫だよ、自分で降りてきたんだからさ」
苦笑を返せば、スコットはあっさりと頷く。
「そうか、そろそろジョンが見たいって言ってた時間かと思ってな」
「うん、起きる」
そう、今日は地上から天文現象が観察したくて降りてきたのだ。何もかもが5号から観察した方がいいとは限らない。
「ね、スコット、今日はレスキューも入ってないしさ、付き合ってよ」
そう、ねだってみれば。
ふわり、と笑顔が返る。
「ああ、ぜひ。また、色々と教えてくれ」
「もちろん」
返して、重力に負けてるわけではないと立ち上がってみせて。
ちょっと手を引けば、あっさりとつないでくれる。
「ほら、早く見に行こう、始まる時間になるぞ」
「うん」
素直にその手にひかれるふりして、ジョンは、ぎゅっとその手を握りしめる。
大事な兄が、手が届かないどこへも行ってしまわないように。



2016.06.26

■ postscript

「#ふぁぼしてくれた人の一枚絵で勝手に小話を書く」、金具さんの黒お兄ちゃんで。

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