□ ヒミツの特訓
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長兄であるスコットの仕事は、多肢にわたる。
だから、時には特別な案件が無いのなら定時連絡は入れなくていい、ということもある。
今日も、そんな晩だ。
多忙過ぎるということなので、ジョンも邪魔はしない。その、つもりだったのだが。
気まぐれに家をトレースしたEOSが、不可思議なことを言いだした。
「スコット、部屋にいない」
こんな時間に?とは思うが、軽く肩をすくめて返す。
「なら、1号のメンテナンスでもしてるんだろう。今日は忙しかったから、まともに出来なかったはずだ」
「ちがう、家の中にいない」
いつの間にか、スコットにも妙に懐いたEOSは、ジョンが通信しないならと二人っきりで話す機会でも狙ったのだろう。なにやら微妙にご不満の様子だ。
兄だって一人になりたい時くらいはあるだろう、とは思うけれど。
こんな時間に家の中にいない、というのは不穏だ。インターナショナルレスキューの基地でもある家は、とてつもなく広いから、わざわざ外に出なくても、いくらでも一人になることが出来る。
常夏に近いトレーシー島だとはいえ。
微妙にジョンの眉が寄ったのを見て取ったEOSが、得たりというように告げる。
「島をトレースして、スコットを探す」
「頼む」
「FAB」
そう返してきて、ややして。
「みつけた、ジョン」
その言葉と共に届けられた映像に、ジョンは目を見開く。
「どういうことだ、これは」
「EOSには、わからない」
それはそうだろう、なんせスコットの姿は島の中でも誰も近付かない、絶壁の崖の中途にあったのだから。
雲にちらちらと見え隠れする月明りの下で、無駄なく鍛えられているはずの兄の姿は酷く小さく見える。
深夜の散歩中に謝って転落したりしたのではないのが、すぐ見て取れる。レスキュースーツを身に着けているし、その手にはグラップルランチャーが握られている。
彼は、あえてその吸引力を利用して一気に登るのではなく、じりじりと縄登りをしているらしい。
海風が吹き付けるせいで、その体がゆらゆらと不安定に揺れている。時に絶壁に叩き付けられそうな揺れもあるが、スコットはらしい身のこなしで避けている。あの反射神経には、心底尊敬を捧げるしかない。
けれどジョンは、いつだったかの鉱山を思い出して眉間のしわを深める。
だが、ここで変に声をかけても手元を狂わせてしまうかもしれない。
黙って見守る視線の先で、スコットにしてはじりじりと登り続け、崖の中途までたどり着いたところで、器用に片手だけでパッケージを入れ替えて発射する。
上に行くにつれ、吹き付ける風は強くなってくる。グラグラと揺れるだけでなく、パラパラと崩れた礫も落ちてくる。
が、それにひるむことなく、スコットは着実に上へと向かう。
息をのんだまま、ジョンとEOSが見守る中、やっとのことで崖上に辿り着き、息をつくのが見える。
もう安全な場所だ、と判断したところで、低く声をかける。
「スコット?」
『ジョン?どうした、レスキューか』
真面目な声を返すあたりは、とことん兄らしいとは思うけれど。
「違う。こんな深夜に崖っぷちで何してるのかって思ってね?」
『ああ、グラップルランチャーの使いこなしをな。ワイヤーだけでは限界がある。もう少し応用幅を広げた方がいいと』
ジョンの性格を知っているスコットは、あっさりと意図を明かしてくる。が、はいそうですか、という気分にはとてもなれない。
「で、あんな崖をこんな時間に?」
『環境は出来るだけ過酷な方がいい。そうじゃなきゃ、訓練にならん』
またも、あっさりと当然の声で返る。
全くコチラの心配が通じてないことにジョンが思わず天を仰いだのを見て、口を開いたのはEOSだ。
「スコット、それならこれからは私たちに声をかけた方がいい」
『EOSたちに?』
不思議そうに首を傾げるスコットに、EOSはそのレンズを微かに揺らす。頷いたのだろう。
「そう、私たちがデータを収集すれば、客観的に色々と判断が効く。スコット一人より効率がいい」
『なるほど、これからはそうしよう』
「うん、ジョンとEOSなら良いデータを提供出来るよ」
きっぱりと言ってのけるEOSに、スコットはにこりと笑う。
『頼りにしてるよ』
「スコット、もう遅い」
ジョンが口を挟めば、こちらにもあっさりと頷きが返る。
『ああ、戻ってシャワー浴びて寝るよ。ジョンも、トレース案件がないなら早めに寝ろよ』
「FAB」
返して、通信を終えて。
なぜか、やたらと自信ありそうにEOSが告げる。
「ジョン、褒めてくれていいよ」
「確かにね、これで危ない訓練一人っきりですることは減るだろうな」
ため息混じりに返せば、どこかイタズラっぽくEOSは付け加える。
「データはEOSが全部とれる。だから、ジョンは降りればいいよ」
さすがに不意をつかれてジョンは目を見開く。
「EOSはね、ジョンもスコットもシアワセなら嬉しいよ」
ああ、もう。
ジョンは、困ったように微笑むしかない。
こんな心を人工知能に育てるのは、とてもじゃないけどジョンには出来ない。スコットは、いつの間にかEOSの思考に心の暖かさを与えたのだ。
「そうだな、次はそうしよう」
「うん、きっとね、ジョンが側にいるのならスコットも無理はしすぎないから」
本当にそうであればいいと心から祈りつつ、ジョンは深く頷く。



2016.08.04

■ postscript

気まぐれにお題召還させていただいたところ、よりみちさんよりグラップルランチャーの訓練するお兄ちゃんという素敵お題をいただきました。

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