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夏の夜のLabyrinth
〜2nd. 硝子のMermaid〜

■seashell・8■



ゆいが、目前に立っている。
ジョーは、黙って見上げた。
さきほどまでの、落ち着かない顔つきではない。
なにかを、覚悟して、決意している顔。
落ち着かない人間を落ち着かせるよりも、覚悟している者を思いとどまらせるほうが、ずっとやっかいだ。
さきほど、忍がどこかに出かけたのは知っている。
亮が、なんらかの解決のメドをたてたのは、間違いないと思う。
時間稼ぎをすれば、いいはずだ。
ジョーは、ただ、黙って見上げている。
「『緋闇石』に触れたら、どうなるんですか?」
「今回も、そうとは限らないだろうが」
一呼吸おく。
「この前は、人格が変化した」
「人格が……?」
こういうとき、麗花なら、この前いったいなにが起こったのかを、延々と語ることが出来るに違いない。
必要だと思えば、いくらでも言葉を紡ぎ出せるタイプだ。
いつもは、よくしゃべれる、と半ば呆れつつ感心しているのだが、いまばかりは、それが羨ましいと思う。
なぜなら、彼の口から出てきたのは、
「あの石に都合がいいように、だ」
という、シンプル極まりない答えだったから。
少し、間があって、ゆいが口を開こうとした瞬間に、はた、としてさらに言う。
「この前は」
なんとなく、ゆいに、なにかを言わせたらいけないと思って慌てた声は、いつもより音量が大きかったので、次を言う前に、また、一呼吸おいた。
「周囲のものが死ぬ、なんてことは、無かった」
しかし、これは、逆効果だったようだ。
「前より、悪くなってるってことですか?!」
声のトーンが、一段高くなっている。
答えようがなくて、ジョーは無言のまま、ゆいを見つめる。
困った瞳を見て、我を忘れかかったことに気付いたのだろう。ゆいは、もう一度開きかかっていた口を閉じる。
少しの間、黙っていたのは多分、言葉を選んでいたのだ。
「触れたら、人格変化を起こすんですか?」
「今回は、その前に死ぬかもな」
彼女がなにを考えているのか、なんとなくわかったので、牽制する台詞を吐く。
「それでも、試す価値はありますよね?」
「だから、死ぬかもしれないって言ってるんだぞ?」
さすがに、イラ、としてきて、はっきりと言う。しかし、こちらを見つめるゆいの視線は、たじろがない。
「なにもしないで死ぬくらいなら、なにかやって死んだほうが、ずっといいわ」
「な……?」
ぎくり、として口をつぐむ。
いまの台詞は、まるで。
戸惑って、ただ、ゆいを見つめる。ゆいは、微笑んだ。寂しそうな笑顔。
「童話の『人魚姫』は知ってる?」
小さな頃、読んだことがあるかもしれないが、どんな話だったのかは忘れている。
でも、彼女の表情が全てを語っている。
この話の最後は、多分。
最後が一緒なら、ゆいの思い通りにさせてやったほうが、いい。
ジョーは、そう結論した。
「時間は、どれだけあるんだ?」
先程とは、うってかわった落ち着いた表情で、ゆいを見上げる。
彼女がそれを望むなら、最後まで付き合うことを決めて。
だけど、早まらせてはいけない。
「……今日、一日が限度だと思う」
「じゃあ、夕方からでいい」
淡々とした口調で、言う。決定を告げる口調だ。
ゆいは、小さく頷いた。



亮が総司令部に(正確には、総司令官に直接)連絡したのは、昼をまわってからだったから、これでも、かなり早く到着したに違いない。
それでも、もう陽は傾きかかっている。
間近で見る最新型戦闘機は、無駄のないスマートさで、これが平常時ならしばらく眺めたいシロモノだ。
が、いまは、そんなヒマは無い。
忍は、特殊な包装の小さなそれを受け取ると、バイクにまたがり直す。
『急がないと』
亮の声が、ふいに耳に蘇る。
本当なら、受け取ったことを連絡してから出発するのが順序なのだろうが。その時間も惜しい気がしてきて、勢いよくエンジンをかけた。
爆音と共に、バイクはかなりのスピードで走り出す。

「――わかりました、ありがとうございます」
電話の向こうから、何かを訊ねられた亮の顔に、不思議な表情が浮かぶ。
「もちろん、充分、間に合いますよ」
そして、それ以上の話の前に、では、という言葉と共に受話器を置いてしまう。小さなため息が漏れた。
「一方には、ね」
バルコニーへの窓を大きく開け放つと、そこへ出る。
海岸線も、ゆいが最初に見つかった堤防も、ここからはよく見える。
陽が、傾いてきているのも。
忍のことだ。無事受け取ったなら、最速で戻ってくるだろう。
そのために、本人から連絡がなかったのに、間違いあるまい。
もし、間に合わなかったとしたら。
亮は思う。
そうしたら、それは、『まじない』をやることを、少しの間逡巡した自分の責任だ。

もう一度、ゆいが目前に立っていた。
ジョーは、黙って見上げて頷いた。
自分の告げた、タイムリミットが来たことはわかっている。
少しほっとしたように、ゆいが微笑む。
自分の肩からかけたものを確認するように触れてから、ジョーも立ち上がる。



亮が、そこに立っていることの意味は、すぐに理解できた。
別荘に戻るのは、時間の無駄だということだ。亮の細い手が指し示しているのは、海の方。
彼の口元が、はっきりと『堤防』と告げているのが、バイクのエンジン音で声こそ聞こえないものの、わかる。
忍は、スピードを緩めないまま、堤防の方へと進路を変える。

「もし、ここに戻ってこれても」
ゆいが言う。
「きっと、人格が変わっているんでしょうね」
ジョーにも、その可能性が高いのはわかっているが、返事はしなかった。
「そのときは、あなたが……」
言いさした彼女の声は、爆音にかき消される。
振り返ると、防波堤の向こうに、一台のバイクが止まっている。メットを脱ごうとしているところだが、顔が見えなくても、それが忍だとわかる。腰に『龍牙剣』がある。
目顔で、まだ行くなと制してから、忍に視線を戻す。
忍は、身軽に防波堤を越えたものの、こちらにはゆっくりと歩いてくる。もったいをつけているワケでなく、手にしているモノを気にしているようだ。
ペースを変えずに歩いてきた彼は、頑丈に包装された小さな包みを、差し出す。
「はい、海に入れる、まじないの素」
「まじない?」
思わず、怪訝な表情になってしまう。
「水の中では、『緋闇石』の挙動が地上とは異なるようだったので、調べたんですが」
説明は、追いついた亮が引きうける。
「どうやら、前には、コレが効き目があったようです」
と、包みを指した。ジョーは、怪訝な表情のまま、包みをほどく。
中からは、小さなガラスの小瓶がくる。
指でつまんで取り出すと、もうだいぶ傾いている陽にかざす。
ゆいも、のぞきこんだ。
「……?」
視線を、亮に戻す。亮は、無言の問いに答えた。
「『地球』の涌き水です」
どうして、それに効き目があるのか、などというコトはジョーにはわからなかったが、『地球』の産物が相当な貴重品であることは知っている。亮が、それをわざわざ取り寄せたのだ。
試してみる価値はある。
ゆいは、目前に小瓶を突き出されたので、驚いた瞳をジョーに向けた。
「お前が、入れな」
忍も頷いてみせる。
ゆっくりと堤防の端まで行くと、おそるおそる小瓶の蓋をあける。
それから、ゆいは、そっと手を伸ばし、その透明な雫たちを、海に落としこむ。

静寂がおとずれる。
誰も、何も言わずに海面を見つめている。
波の音だけが、規則的に耳に入ってくる。
「!」
得物をかまえたのは、忍が先だったか、ジョーが先だったか。
大きな水音と共に、姿を現したのは、間違いようのない『緋闇石』。
しかし、それは次の瞬間には、眩いばかりの焔のような光を発し、姿を消していた。
後ろを向いた亮が、バルコニーから俊と麗花が、大きく腕で丸を作っているのを見て、静かな声で言う。
「生命反応が、戻ったようです」
『まじない』が、効いたのだ。



亮と一緒に振り返った忍が、亮の腕を引く。
微かにうなずいたところを見ると、亮も気付いているらしい。
二人は、そのまま防波堤の方に歩き出す。
だが、ゆいは、動こうとしない。ジョーも、彼女を見つめたまま、立ち尽くしている。
彼女は、今日一日が限度だと言った。
どちらにしろ、同じ結果なのだと。
「みなさんに、ありがとうございました、と伝えて下さい」
ゆいが、微笑みながら言う。
ジョーには、ただ頷くことしか出来なかった。
一歩、二歩、ゆいが後ずさっていく。
堤防の端まで来て、彼女は、もう一度笑顔になった。
「さよなら」
返事を待たず、彼女は海のほうに向き直ると、あの時と同じ、きれいな弧を描いて海の中に消える。
無駄のない、水の音がした。
次の瞬間。
ジョーの背丈はじゅうぶんある深さの海底までみえるほど、きれいな海なのに。
ゆいの輪郭が、大きくぼやける。
そして、彼女のいたはずの場所には、激しい泡が現れる。
すぐ、後ろから息を呑む気配がして、振り返ると、そこには忍たちではなく、須于が立っていた。
愕然とした表情で口元を抑えている。
「最初から、こういう結果だった」
ぽつり、とジョーが言う。
「……こういう?消えてしまうのが、決まっていたって言うの?」
微かな声で、須于が問い返す。
「人魚、だった」
「止められ、なかったの……?」
「……」
止めて、どうなったのだろう?
でも、自分は止めようとすらしなかった。
言葉を捜して、視線を下にむけたジョーは、透明な雫が、ぱたぱたと足元に落ちていくのを目にして、慌てて顔を上げる。
いっぱいに見開いた須于の瞳から、それは、あふれるように落ちてきていた。
「おい……?」
ジョーは、戸惑った声を出した。
これは、さすがに対処のしようがない。
「だって、傷ついてる……」
「え?」
「傷ついた瞳してる」
言いながら、須于の涙は止まらない。
困惑する。自分が傷ついている、ということに、泣く彼女に。
いつも、そうだ。
最初に出会ったときも、彼女は自分を見て、凍った表情になった。
笑顔が、似合うと思うのに。
そう、彼女の笑顔が見てみたくて、あの時、銃を目に届かないところにしまった。
なのに、また。彼女を泣かせている。
肩に、そっと手を伸ばす。思っていたより、ずっと細いそれに、触れる。
「大丈夫だから、泣くなよ」
それから、その細い肩を抱き寄せる。
しばらく、そうやって抱きしめていたジョーは、海からの気配に気付いてそちらに視線をやる。
「シャボン玉……?」
その声に、須于も泣き顔のまま、視線を上げる。
ゆいが、消えた跡から、ふわり、と浮かび上がったそれは、ゆっくりと天へと上がっていく。
まるで、彼女が天へと昇っていくかのように。
ジョーは、そっと言った。
「あいつも、後悔してないと、思う」
須于の手を、しっかりと握り締めたまま。

海の中に、なにかが飛び込む音がした時。
亮の足が、瞬間的に止まった。
忍も足を止め、怪訝そうに亮を見る。
振り返らないまま、亮はその瞼を閉じていた。
もう一度、その目を開いたときには、表情が消えている。
どうやら、亮は、音だけでなにが起こったのか、正確に理解したらしい。
忍は、その様子を見て振り返ったが、そこからはなにも見えない。
ただ、ゆいの姿が消えているだけで。
「帰ったんじゃ、ないのか?」
「人魚姫は、人間には、なれなかったんですよ」
ぽつり、と言う。
「亮……」
「間に合いませんでしたね」
口元に、自嘲気味の笑みが浮かんでいる。
忍は、『急がないと』のもう一つの意味に気が付く。
彼女が、海に無事にかえれるように。
その躰に、無理がこないうちに。もしかしたら、最初から手後れだったかもしれないけれど。
亮は、こうなることを予測していたのに違いない。
最初から、彼女が人魚だと知っていたのだから。
だから、『急がないと』いけなかったのだ。
言う言葉が見つからなくて、視線を漂わせた忍は、様子を見るためにバルコニーに出てきた俊と麗花が、なにかを、さかんに指差していることに気付き、もう一度、振り返る。
「なぁ、亮、あれ……」
亮も、振り返った。
堤防の上では、ジョーが須于の手を握り締めている。須于も、それを握り返しているようだ。
その二人の視線の先、堤防の向こうの、ゆいが飛び込んだらしいあたりから、あとから、あとから、きらきらと光るシャボン玉が飛んでいく。
ふわふわと浮かぶそれは、天高く上がっていく。
光をうけて、七色に光るそれは、とても奇麗で。
涙というより、笑顔を思わせた。
見上げながら、忍が言った。
「さよなら、人魚姫」



〜fin〜


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